2006年10月20日

仏像をみる(円空と木喰)

 東京国立博物館で「特別展 仏像」を見てきた。

 もともと、仏像は好きなのだけど、今回見逃したくないと思ったのは、「宝誌和尚立像」の展示があったからである。

 宝誌和尚というのは、中国南北朝時代の実在の僧である。
 宝誌さんは、存命時からたいそう徳が高いと評判だったそうだ。それゆえ、梁の武帝は彼の肖像を残しておこうと思いたち、画家に命じて肖像を描かせようとした。ところが、画家が筆をもったとたん、和尚の顔は裂け、十一面観音の顔が現れた。観音の顔は自在に変化したので、画家はついに和尚の肖像を描くことができなかった――という伝説をもっている。

「宝誌和尚立像」は、まさにその「顔面が裂けて観音さまが顔を出した」様子をそのまんま彫刻にした変わり種で、「顔の中に顔がある」おかしな像である。はじめて写真で見たときは、その異様な姿にぎょっとしたものだ。そのとき以来、一度ホンモノを見てみたい、と思っていたのである。

 でも、期待しすぎたのかな。ホンモノは「なんだこんなもんか」であった。この手の像は、彫刻云々よりもギミックが面白いわけで、ギミックのネタが割れてしまうと、興醒めしてしまうものなのかもしれない。

 むしろ面白かったのは、円空と木喰の制作になる像であった。

 円空と木喰は、ともに江戸時代に諸国を行脚し、無数ともいえる仏像彫刻を残したことで知られている。円空が江戸時代前期、木喰は中期の人であるから、時代は若干、ずれているが、西は九州、東は開拓前の北海道にまで足を運び、あちこちに数多くの彫刻を残した点で共通しており、セットで語られることも多い。

 私は博物館が好きで、地方に行って時間ができたりするとたいがい博物館に顔を出すのであるが、この二人がつくった仏像、わけても円空仏に出会うことはきわめて多い。
 円空という人は生涯に12万体の仏像をつくることを志し、それをみごとに成し遂げたと言われており、現存するものも5千体以上あるとか。道理で、あちこちで出会うわけである。しょっちゅう「新発見された」とか言ってるから、農家の納屋とかに転がっている円空仏はまだまだあるだろう(むろん、たきぎにして燃やされたり、処分されたりした円空仏はもっともっと多いわけだが)。

 そんなわけだから、円空仏なんざまるで珍しくないのだけれども、木喰と並べて展示されると、両者のちがいがよくわかって面白かった。

 円空の目的は、とにかく「数をつくる」ことだった。なにしろ12万体つくる、という誓願を立てたのである。これをこなすためには、「うまくつくろう」とか、「丁寧につくろう」とか、考えていられない。そのへんに転がってる木っ端を使って、とにかく量産しなければならないのである。それが彼にとっての彫刻であり、仏像制作だったわけだ。
 
 今回の展示で私の目をひいた円空仏は、30センチぐらいの不動明王像である。
 明王というのは、おっかない顔をして、背中に炎を背負った仏さまであるが、その炎の部分が、まったく手をくわえていない自然の木をそのまま使って表現されている。悪い言い方をすれば、横着してサボってるのである。

 だが、これがいい。そのへんに転がってる木に仏の姿を見る円空の異様な感性が伝わってくる。たぶん円空は、「××仏を彫ろう」とあらかじめ考えて彫刻にとりかかったのではないのだろう。材料となる木の声を聞き、その木がどんな仏になりたいか、もっと言えば「木がどんな仏を宿しているか」が、モチーフを決定する決め手となっていたのだ。

 一方、木喰の方は、あらかじめ「つくりたいもの」があって、そこから素材を選定し、制作にとりかかっていたように見える。木喰は円空のように「12万体」などという大それた目標を設定していたわけではないから、彫刻制作に当たって急いでいない。像に余裕があるのである。
 木喰仏の特徴とされる柔和な表情は、ある程度、丁寧な彫り込みを必要とする。それゆえ、円空のそれのように、なにかに追い詰められたような緊張感は表現されないのだ。

 とはいえ、だから木喰作の像は面白くない、ということではない。木喰は木喰ですごく面白かった。私が気に入ったのは、「釈迦如来および迦葉尊者・阿難陀尊者像」という、釈迦とその弟子を彫ったものだった。中でも、釈迦如来像の表現には、思わず「ほう」と声を出してしまった。(写真は木喰作釈迦如来像。実際の展示とは別の像です)

 仏像は本来、彫刻家が自由につくっていいものではない。仏像には「儀軌」と呼ばれる細かなキマリがあって、それを守ってつくられなければならないのだ。
 たとえば、如来像の頭は、頭の上にもうひとつ頭があるような、二段構えになっていなければならない。髪型は例のボツボツ頭でなければならない。あれはどちらも「仏の三十二相」という如来の特徴であって、あれがなければ如来ではないのである。他にも、手に水かきをつけなきゃならないとか、腕は足より長くなきゃいけないとか、如来にはおよそ人間ばなれした特徴がたくさんある。それを守ってつくるのが「正しい如来像」なのだ。

 円空も木喰も、如来像をつくっている。だが、いずれも儀軌を大きく逸脱した像になっている。彼らは所詮、そのへんに落ちてる木を材料に、庶民のための仏像を彫っていた彫刻家だから、儀軌をきちんと守ることは不可能だったのだろう。
 ことに円空は、儀軌などハナっから存在しないかのような、アグレッシブな仏像を量産している。円空が知識人だったとは思えないし、先生についてちゃんとした彫刻修行を積んだわけでもないだろうから、彼は儀軌を知らなかった可能性が高い、と私は思う。

 一方、木喰の方は、儀軌を逸脱はするのだけれど、「一応、ある程度は気にしておこう」みたいな意識があったようだ。それが如実に表現されたのが、私がつい「ほう」と声を出してしまった釈迦如来像である。

 前述したように、釈迦如来の頭は、例のボツボツ頭でなければならない、というキマリがある。じつはあのボツボツ、髪の毛が規則正しくまとまって、右巻きに渦を巻いたさまを表現しているのだ(「螺髪」と呼ばれる)。
 木喰の釈迦如来像の頭は、きちんと右巻きに渦を巻いていた。ところが、ボツボツ頭にはなっていないのである。渦の数が極端にすくないために、「ボツボツ」とは言えないものになってしまっているのだ。
 だが、むしろそのことが、あの人間ばなれした頭も、じつは「ヘアスタイルの一種」であることを表現していた。一般の如来像の頭のボツボツは、それがヘアスタイルであることを了解するために一定の時間を要するけれど、木喰のそれは「あ、髪の毛なんだな」と即座にわかる造形なのである。
 私は仏像好きのひとりとして、仏像はけっこうな数見ているほうだと思っているけれど、あんな頭の如来像ははじめて見た。

 たぶん、木喰という人は、一種のアーティスト根性みたいなものを持っていた人だったのだろう。像から「俺がつくった仏像は他とはちょっとちがうぜ」みたいな意識が感じられる。像にハッキリした記名性があるのだ。また、デフォルメされた3Dキャラクターみたいな姿をしている木喰仏はかわいいし、女子どもに受けが良かったにちがいない。言ってみれば、作り手と受け手の間にコミュニケーションが成立する像なのである。
 円空だと、そうはいかない。現在でこそ円空仏は凄みのある芸術として評価されているけれども、当時はたぶん、「ヘタクソな造形」と認識されていたはずだ。円空自身も、自分がつくった仏像がどのように遇されるかは考えていなくて、ただひたすらに彫り続けること、それだけを考えていたのだろう。円空にとって彫刻とは芸術ではなく、宗教的な高みに登るための修行だったのである。だから、受け手のことはまったく無視されているのだ。

 こうした円空と木喰の相違には、ひょっとしたら時代性もあるのではないかな、と思った。
 俳諧だの歌舞伎だの草双紙だの、庶民芸術が発達した江戸時代中期だからこそ、木喰みたいな彫刻家も出てきたんじゃないだろうか。裏づけはまるでないけど、そんな気がする。


 いちばん良かった仏像が円空と木喰だったあたり、今回の「特別展 仏像」は、あまり大した像は展示されてなかったように思えた。むしろ、久々に見た東京国立博物館の常設展示の方が、優れた像が多かったように思う。
 私が言うことじゃないけれど、東京国立博物館の常設展示はかなりいいよ。仏像ひとつとっても、ガンダーラからはじまって、中国・朝鮮を経て日本に至り、仏像がどのような変容を経たのか実感できる。他にも、骨まで斬れそうな日本刀がズラリ並んでいたり、気が遠くなるような水墨画がいくつも展示されていたり、飽きることがない。埴輪や土偶のたぐいも充実していて、ひょっとしたら縄文人は宇宙人と交信していたんじゃないか、などというしょうもない想像も頭の中を駆けめぐる。建物も趣があっていい。

 その後、国立科学博物館で南方熊楠展化け物展を見たから、一日潰れてしまった。さすがに終日の立ちんぼはくたびれました。

 それにしても、仏像展の土産物、どうして十年一日の絵はがきだの、色紙だの、じじいばばあしか喜ばないようなもんしか置いてないのだろう。円空仏の携帯ストラップがあったら、俺は絶対買うんだけどな。若い客もたくさん来ているんだから、もっと考えればいいのに。


2006年10月6日

ヒガンバナと人の言う


 ヒガンバナが好きである。

 ヒガンバナはその名のとおり、お彼岸の前後しか咲かない。あいにく、ここのところ雨が多いけれど、ヒガンバナが咲くころは、残暑から解放されて、過ごしやすい日が続く。空気は澄んでいるし、風も乾いている。思わず、空高く馬肥ゆる、などと俗なことをつぶやきたくなる。
 そんな季節は、意味もなくそこらへんを散歩するのも案外に楽しいもんである。ふさぎがちな私のご機嫌もすこぶるよろしくなる。おそらくは、そういう季節に咲いている花だから好き、というのもあるのだろう。

 ヒガンバナの何が好きって、やはり何かしら、ミスティックなものを感じさせてくれるところだろう。彼岸花、という名前からしてこの世ならぬ世界を連想させるし、別名の曼珠沙華に至っては、字からして怖そうだ。なんでも法華経から取ったものらしいが、そういう名前をつけたくなる何物かが、あの花にはやはり、あるのである。あの毒々しい紅い花には、そういう魅力(あえて魅力といいたい)がある。桜の木の下には、なんてよく言うけれど、ヒガンバナの下に死体が埋まっていてもぜんぜんおかしくないと思う。

 ヒガンバナの生態もきわめておもしろい。そこも気に入っている。

 ヒガンバナをよく「気持ち悪い」という人がいるけれど、あれが気持ち悪いのは、ド派手な花が咲いているのに、葉が一枚もないからである。細長い茎の上に、毒々しく紅い大きな花がついている。その異常なバランスが、気持ち悪く感じられるのであろう。
 ヒガンバナの葉は、花と細長い茎が枯れ落ちてから生えてくる。ニラのできそこないみたいな、目立たない葉である。多くの人は、あの葉を見ても、ヒガンバナとは思わないだろう。だが、この目立たない葉の時代が、ヒガンバナにとって、生産の時代なのだ。やつは、周囲の植物が枯れ落ちる冬になってから葉を出して、せっせと光合成をはじめるのである。
 とはいえ、茎は花と一緒に枯れ落ちてしまっているから、光合成によって生産された養分は、成長にはほとんど使用されない。では、養分はいったいどこに行くのか。
 地下茎(球根)に貯めこんでいるのである。まわりに草のない冬の間に、やつは養分をしこたまつくって、球根を太らせているわけだ。
 冬が終わって春になると、まわりに草が生い茂ってくる。ヒガンバナの葉は地をはうように生える背の低い葉であるから、春の植物たちの、陽光を求めるはげしい競争に、勝てるようにはできていない。したがって、葉は夏になると、枯れ落ちてしまう。ヒガンバナは春から夏にかけて、土の中で眠っているのだ。他の植物たちが大いに生命を謳歌する季節に、やつは眠っているのである。これを「夏眠」と呼ぶことは、つい最近知った。
 そして、夏が終わり、秋の声が感じられる季節になると、例の毒々しい紅い花を咲かせるわけである。夏の間は光合成をしてないわけだから、花は前年の冬、球根に貯蔵されたエネルギーを使って咲く。
 植物にとって、光合成をすることが生きていることだとするならば、あの花はたしかに「死んでいる時代」に咲く花なのである。その意味で、彼岸花、というネーミングはきわめて科学的だと思う。

 さらに面白いのは、ヒガンバナの花は、生殖器ではないということである。
 世に「花」と呼ばれ、鑑賞され愛でられているもののほとんどは、生殖器である。花の色彩が美しいのも、いい匂いがするのも、すべては昆虫を呼び寄せて受粉を遂げるための機能なのだ。生物学的に「花」はそのような意味をもっている。
 にもかかわらず、ヒガンバナの花は、生殖機能が完全に失われている。よく見るとおしべとめしべらしきものはあるにはあるが、受粉して種子をつくる機能はもっていない。そもそも球根で増えるわけだから、タネをつくる必要はないのだ。
 したがって、あの花は生物学的な意味をもたない花なのである。あの毒々しい花は、なんの役割も意味ももたず、ただ咲くためだけに咲く。
「生殖機能をもたない花」「意味をもたない花」という点から考えても、彼岸花、というネーミングはきわめて科学的だと思う。

 ヒガンバナの花は毒々しい。その毒々しさは、生殖とは関係のない、こけおどしの毒々しさである。でも、ひょっとしたらあの花には、警戒信号の役割があるのかもしれない。なにしろ、やつは球根に毒をもっているのだ。やつにとっては球根が命だから、モグラなんぞにかじられたらたまらんわけである。そのための毒である。
 毒をもつ動物は、カラーリングが派手なやつが多い。毒トカゲだの、毒蝶だののたぐいは、たいがい派手な色をしている。派手な色彩と毒を捕食者にセットで記憶してもらって、身を守るためである。ひょっとしたら、ヒガンバナのあの毒々しさには、そういう意味があるのかもしれない。
 しぶといなあ、と思う。そのあたりのしぶとさも、私がヒガンバナを好きな理由のひとつになっている。

 ヒガンバナは生殖機能を失っているため、すべての花(株)は遺伝子的に同じ構造をもっている。要は、あんなにたくさんあるのに、ぜんぶ同じ遺伝子を持っているのである。うまく言えないが、これはものすごいことだと思う。空恐ろしい、とさえ思う。あの毒々しい花とセットにすると、戦慄に近いものを覚える。すげえ。

 そういう感慨を持たせてくれる花は、ヒガンバナだけである。