2007年4月26日

消えたブロントサウルス

 最近、子どもたちの間で『恐竜キング』が流行っているようだが、このゲームが流行る前から、ウチの息子たちは恐竜が大好きだった。恐竜図鑑はウチに4冊(!)もあるし、恐竜の骨格模型を展示している上野の国立科学博物館には幾度となく足を運んでいる。

 今年6歳(幼稚園の年長)になる下の息子が、今日、こんな質問をしてきた。
「パパ、どの恐竜が好き?」
 私は即座に、「ブロントサウルス」と答えた。やはり恐竜はでかいほういいし、後述するが、ブロントサウルスにちょっとした思い入れもあったのである。

 ところが、私の返答を聞いた息子は、意外な反応を返してきた。
「ブロントサウルスって、どんな恐竜?」
「あれ、知らないの?」
 有名どころの恐竜は、たいがい名前を知っていると思っていたのである。ブロントサウルスほどの有名恐竜を知らないなんて!
「よし、図鑑で見せてあげよう」
 私はさっそく図鑑を開き、目次をたぐってブロントサウルスを探した。

 ……なかった。
 4冊の図鑑のどれも、「ブロントサウルス」という名の恐竜を掲載してはいなかった。

 ネットで「ブロントサウルス」を検索してみると、現在は「アパトサウルス」と呼ばれているらしい。
http://big_game.at.infoseek.co.jp/sauropod/brontosaurus.html

 かつて、「ブロントサウルス」「アパトサウルス」それぞれの名で呼ばれる恐竜化石があり、当初は別種とされていたのだが、のちの研究で同じものとわかった。ブロントサウルスの方が断然、人口に膾炙していたのだが、アパトサウルスが先に命名されていたため、こちらが正式名称とされたらしい。

 知らなかった。ブロントサウルスという恐竜は、いないのだ。

 昔、『ひらけ! ポンキッキ』(断じてポンキッキーズではない)の歌で、「恐竜が街にやってきた」という歌があった。昭和52年の歌だそうだから、私が7歳のときの歌である。私はかつて、この曲のシングル盤を持っていたのである。歌は(今日調べてわかったのだが)、上條恒彦が歌っている。

 恐竜が意味もなく列をなして街にやってくるという、ナンセンスな歌なのだが、「どーんどん どどんどーん」という擬音メロディが好きで、今でも恐竜というとこの歌を思い出す。
 街にやってくる恐竜たちの先頭にいるのは、ブロントサウルスだった。だから私は、ブロントサウルスこそ恐竜のリーダー、恐竜の象徴だと思っていたのだ。
 だが、現在ブロントサウルスという恐竜は存在しない。

 さみしい話だ。今の子どもたちに「恐竜が街にやってきた」を聴かせても、ブロントサウルスがどんな恐竜かわかってもらえないんだから。
 名曲なのになあ。

 ……なんて言ってたら、ムショーに聴きたくなってきた。今度レンタルで探してみよう。





 

2007年4月25日

歌う素人

 Youtubeで海外の音楽ビデオを眺めていると、かならず素人バンドや素人音楽家のカバー演奏にぶち当たる。

 自分がバンドで同じようなことやってるせいだと思うけど、素人バンドの演奏もけっこう、楽しく見せてもらっている。へたくそだなあ、と思うことも多いし、見るに(聞くに)耐えないことも多いが、それもふくめて楽しんでいる。こいつらいったい普段何やってんのかなあ、などと想像してみるのも楽しい。

 広いガレージみたいなところで演奏しているのを見ると、アメリカの素人バンド事情が、心底うらやましくなってくる。もしかりに、バンドの演奏能力を偏差値みたいな形で数値化することができるとして、アメリカの素人バンドと日本のそれの平均値を比べたら、アメリカは日本を大きく凌駕することだろう。いつでも寄り集まってでかい音で演奏できるアメリカと、1時間いくらでスタジオ代を支払って演奏する日本では、バンドを取り巻く環境がちがいすぎる。

 ……とここまで書いて、高校時代、自宅にスタジオがあるドラマーがいたことを思い出した。ドラムセットはむろんのこと、ギターアンプもベースアンプもボーカルマイクも室内に置いてあった。
 えらい金持ちだったから、たぶん息子がドラムをやるっていうんで親が用意したんだと思うけど、今考えるととんでもない話である。地方はあなどれないよな。


 話を戻そう。
 Youtubeで素人たちの演奏を眺めていて、「おおこりゃすごい!」と感動した映像がある。それを紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=2oO-WiL9gcc

 ひとりでキーボードを弾きながらモータウン・メドレーをやっているんだけど、これがすごい。何がすごいって、たったひとりでコーラスグループの全パートを歌いこなしているのだ。
 メドレーのアタマはテンプテーションズの「I Can't Get Next to You」。ノーマン・ホイットフィールドの手になるファンク・チューンで、5人のシンガーが声色を変えて交互にリードをとる曲だが、こいつ、たったひとりでその全パートを完全コピーしてやがる。
 楽器ならわかるが、歌だぜ、歌。しかもモータウン。フォー・トップスもスモーキー・ロビンソン(&ミラクルズ!)も完璧に歌いこなしている。大した芸じゃないか。歌ってる顔が笑えるのも好感が持てる。

 背景に見えるCDの列から見て、かなりの音楽オタクだと思うけど、こいつ普段、何やってるんだろう。見た目はきわめてスクエアなので、たぶんサラリーマンかなんかだと思うんだけど、世の中には生産に役立たない才能もたくさんあるんだよなあ、と妙にしみじみしてしまう。
 もともとモータウン・ナンバーが大好きだってのもあるんだけど、選曲の良さや曲のつなぎのスムーズさもあって、何回も見てしまった。

2007年4月18日

「彼女がボス」でいいじゃないか

「女性の時代だ」なんてことがよく言われるが、あまり本気にしたことはなかった。

 私の住んでいる世界が狭いだけなのかもしれないが、会社などでそこそこの役職に就いている人は、たいがい男性である。女性の数は、驚くほどすくない。
 政治の世界を眺めてみても、女性代議士の数はすくないし、わが国では女性の首相は未だ誕生していない。大臣として入閣する女性もすくない。
 皇室においても、お世継ぎが生まれたのをいいことに、「女帝論」は尻つぼみになって立ち消えた感がある(これはあくまで私見だが、ここが改まらないかぎり、日本社会で真に「男女同権」を実現するのは難しいのではないかと思う)。

 でも、最近、女の人ってほんとに元気だなあ、とは思っている。
 仕事柄、いろんな女性に会う。みな、職業意識の高い人ばかりである。対して、男はどうか。絶対数が多いからかもしれないけれど、どうも女性と比べて、怠け者が多いような気がしている。人のことは言えないけどね。

 そういうことを考え合わせると、政治だとか、会社の経営だとか、そういったことも、どんどん女性に任せていった方がいいんじゃないか、とも思うのである。

 その昔、ミック・ジャガーが「She's The Boss/彼女がボス」というフェミニンなソロ・アルバムを出したことがあった。「おまえなんか昨日の新聞だぜ、昨日の新聞なんか誰が読むか」と女性蔑視の歌を歌っていた男が「彼女がボス」だから、一種のジョークなのだろうと思っていた。たしか本人も「ジョークだ」と語っていたはずだ。

 でも、ジョークでもなんでもなく、「彼女がボス」でいいのかもしれない。そう思えるようになった。

2007年4月13日

おまえの顔に反吐が出る

 創価学会には、あまりいい思い出がない。

 いや、どっかに監禁されて、大勢の学会員に入会を迫られた(これを折伏という)とか、そういう経験があるわけじゃない。むろん、勧誘されたことがないわけじゃないが、きわめて穏やかな勧誘で、すくなくとも自由を奪われるような経験はしていないのである。

 もう時効だと思うから言うけれど、私は以前、創価学会のきわめて熱心な信者の女の子と、交際していたのである。学生の頃の話だ。

 つきあいはじめた頃は、彼女が学会員だということは知らなかった。知っていたらつきあわなかったか、と問われれば、「知っててもつきあっていた」と答えるしかない。なにしろ、私の方が惚れ込んではじまった交際だったから。

 その彼女との交際がはじまって、間もないころの話である。
 今もそうだけれど、学生の頃の私は、かなり躁鬱のハッキリしてる方だった。ちょっとしたことでふさぎ込んだり、つまんないことで悩んだりすることも多かった。その様子を見た彼女が、ポツリとこう言ったのだ。
「私が1TRAくんを変えてあげるから」
 人が人を変化させる。そんなことは日常、ありふれていることかもしれない。だが、当時の私はそんなふうには思っていなかった。だいいち、「変えてあげる」といわれてハイそうですかお願いしますというほど、素直な性格でもないのである。
 だが、その言葉は妙に印象に残った。誰かに面と向かって「あなたを変えてあげます」と言われるなんて、そうそうできる経験でもないだろう。すくなくとも私は、このとき以外経験したことがない。たぶん、今後もないんじゃないかと思う。

 彼女が言う「変えてあげる」が、「私を創価学会に入会させる」ということだと知ったのは、それからしばらく経ってからだったと思う。ああそういうことかと納得した。
 以降、彼女と口論することが増えた。男女の痴情のもつれによる喧嘩ではない。これは断言できるけれど、彼女と私は、そうした低レベルなぶつかり合いは一切、なかった。だが、しょっちゅう言い争っていた。議題は、宗教論争である。熱烈な信仰者と、かたくなな無神論者のシビアな論争だ。
 ハッキリいって、不毛な議論だった。どこまでいっても平行線、どちらかが折れて妥協点を見出すということがあり得ないのだから。たぶん、彼女の方では私がいつか折れてくれるだろうと期待していたのだろうが、私は絶対に折れることはなかったし、折れるつもりもなかった。

 考えてみれば、おかしなカップルであった。会うたびに宗教論争を戦わせるカップルなんか、世の中にそうそうあるもんじゃないだろう。
 会うたびにガチンコの議論をすることになるわけだから、会うとむちゃくちゃ消耗した。ぜんぜん楽しくなかったし、ものすごく苦しかった。だったらサッサと別れればいいじゃないか、と思うかもしれないが、そこは男女関係である。理詰めでは動かない。別れようとは何度も思ったが別れなかったのは、やはり、彼女が好きだったからだ。腹立たしいことも多かったし、自分がみじめに思えることもしょっちゅうあったが、それでも、私は彼女と一緒にいたかったのだ。たぶん、彼女もそうだったんじゃなかろうか。

 とはいえ、はなっから終わりの見えている交際である。1年以上そんな状態が続いた後、私は失恋することになった。
 男女というものは、お互い好き合っていても別れなければならない局面がある。知識としては当然、知っていたことであったけれど、実体験でそれを経験するとは思ってもみなかった。

 彼女はそれからしばらくして、会社の先輩と交際しはじめ、やがて結婚した。相手の男性は学会員ではなかったが、学会員となることで彼女を受け入れたのである。

 創価学会、もしくは池田大作の名前を聞くと、彼女のことを思い出す。苦しくて悲しい青春の1ページである。

 なんでこんなことを長々と書いたかというと、次のニュースを目にしたからだ。

温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談
http://www.asahi.com/politics/update/0412/TKY200704120252.html

 この記事の中に、ふたりの会談の様子を描写したくだりがある。引用しよう。

 池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。
 
 庶民の王者!
 俺は目下のところまちがいなく庶民のひとりだと思うけど、てめえを王様と思ったことなんざ一度もねえよ。だいいち、「不滅の名演説」たあ何だ。日本人らしさのかけらもない、見え透いたお世辞じゃねえか。てめえのそういうところが気にいらねえから、俺は彼女の熱心な勧誘にもかかわらず、入信する気にはなれなかったんだ。

 マジメな話、これは政治的にも危険な兆候である。池田大作は温家宝を通して自民党にまたも大きな貸しをつくった。温家宝は明らかに、自民党政権が公明党なしで成り立たない(公明党の選挙協力がなかったら、落選する議員が山ほどいる)ことを知っていて、公明党を通じて日本政府をコントロールしようとしている。いいのかよ、それで?

 さきの彼女は、池田大作の公演を聞いて、涙が止まらなかったそうだ。
「なんで涙が出てくるかわからないんだけど、涙がぼろぼろ出てくるの」
 信者はそれでもいいだろうさ。でも俺はそんなの、嫌だ。今だって、絶対に嫌だ。あの腹黒さを全面に出した面がまえを見るだけで、(個人的怨念も相当あって)反吐が出る。

 最後にトリヴィアをひとつ。
 世界でいちばん勲章をたくさんもらった人を知ってるかい? 池田大作なんだぜ。やつは、勲章を200個持ってるんだ。勲章のコレクターなのさ。くだらねえ野郎だと思うだろ?

2007年4月11日

父親を喰った男


 キース・リチャーズが父親の遺灰を吸飲したとかで、物議をかもしている。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704040033.html

 キースの父親、バート・リチャーズが死んだのは2002年。キースはこのときに、父親の遺灰をコカインに混ぜて吸ったというのだ。その後、マスコミに「カニバリズムだ」などと批判され、「あれはジョークだ」と発言を撤回している。

 でもね、これはあくまでファンの推測にすぎないのだけど、キースはホントに親父を吸ったんじゃないかと思う。

 キースは父親と、長く絶縁状態が続いていた。私の記憶が確かならば、関係が修復したのは80年代後半だったと思う。
 大した親父だと思うのだ。要は、息子がロック・バンドなどという浮き世離れした職業に就くことが許せず、息子が二十歳そこそこのときに勘当したわけである。その後、ローリング・ストーンズは名実ともにトップ・バンドになっていって、息子は億万長者になった。それでもこの父親は息子を許そうとはしなかったのだ。息子にすり寄っていけば、贅沢な暮らしも簡単に手に入るのに、頑として認めなかったのである。ホンモノのガンコ親父。男だよねえ。

 関係修復は、キースが40歳を越えて、立派な中年になってからのことだったし、これも私の記憶が確かならば、キースの方から打診したということだったと思う。でっぷり太ったバート爺さんと、年齢不詳の妖怪となったキース、いっぱしの大人になったロックンロール・チャイルド、マーロン(キースとアニタ・パレンバーグの子)の三世代揃い踏み写真を雑誌で見たのは、それから数年後のことだったと記憶している。

 富も名声も、すべてを手に入れたキース・リチャーズにとって、唯一、自分の思い通りにならなかったもの。それが父親だったわけだ。その父親が死んだ後に、遺灰を吸う。カニバリズムというよりは、一種のイニシエーションとして、やりそうなことだと思うのだ。

 男とは厄介なもんで、父親と戦い、父親を越えていくことを宿命づけられている。いわゆるエディプス・コンプレックスであるが、これは心情としてとてもよくわかる。私の父親は一介のサラリーマンであるけれど、まだ越えられたとは思っていない。父親を越えることができるのは、父親が死んだときなのかもしれないな、とも思っている。たぶん、キースもそうだったんじゃなかろうか。
 それにしても、90年代にキースは「ドラッグからは完全に足を洗った。今は酒と煙草だけだ」と語り、私もすっかりクリーンになったもんだと思っていた。ことの真偽はどうあれ、「親父の遺灰をコカインに混ぜて吸った」という表現が出てくるあたり、まだたまにはやるってことなのね。それとも、コカインは常習性がないからドラッグのうちに入ってないのだろうか。
 文字どおり釈迦に説法だけど、ヘロインだけはやめとけよ、と思っている。

2007年4月10日

謎の人、石原莞爾



 仕事で多少の必要もあり、また個人的興味もあって石原莞爾について調べていたら、(すくなくとも私にとっては)驚くべき記述にぶつかった。

 戦後の軍事裁判で石原は、次のように発言したといわれている。

『裁判長は、石原に質問した。「訊問の前に何か言うことはないか」
 石原は答えた。「ある。不思議にたえないことがある。満州事変の中心はすべて自分である。事変終末の錦州爆撃にしても、軍の満州国立案者にしても皆自分である。それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない。」』

 これって、後世の捏造で、実際には石原は戦犯容疑がかからないよう、あれこれ工作していたというのだ。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/isihara-1.htm

 これだけ資料を列挙して反証をあげているのだから、たぶん本当に捏造なのだろう。

 石原莞爾はすごい人である。満州事変を立案し、成功させた不世出の軍略家であり、核抑止力による冷戦の到来を核爆弾の製造がはじまる前に言い当てた予言者的資質も持っていた。さらに、バリバリ右翼の法華団体「国柱会」の狂信者でもあった(これは宮沢賢治も同様である)。大東亜戦争はこの人がはじめたと言っても過言ではない。
 それゆえ、こうした伝説が生まれたということなのだろう。石原という人は、伝説のよく似合う人だ。

 ただ、未だに腑に落ちないことがひとつ。
 石原はなぜ、満州事変を起こしたのだろう? 満州事変がなければ、日本が戦争に突入することもなかったんじゃないか。そのくせ、石原はその後中国戦線不拡大を唱え東条英機と対立、予備役という閑職に追いやられたりもしている。自分で火をつけておいて、後で火消しに回っているわけだ。そのへんも、よくわからない。あのきわめて論理的かつ精緻な理論『最終戦争論』『戦争史大観』の著者の行動が、なんでこんなに支離滅裂なのだ?

 まあたぶん、いろんな本を読んだりしていくうちに、なるほど、と得心することもあるのだろう。でも、今のところ私にとって、石原莞爾は謎の人である。

 最後にトリヴィアをひとつ。指揮者の小澤征爾の名前は、板垣征四郎と石原莞爾からとられたもんだそうな。小澤のお父さんはこの2人に心酔していたらしい。やはり、英雄だったってことだよなあ。

2007年4月8日

ドキュメント 謎の出版社「成瀬書房」を追え!

 Books.or.jpというサイトがあります。

 社団法人・日本書籍出版協会によって運営されるサイトで、現在、書店で入手可能な書籍を検索できるようになっています。なにやら天下りの匂いがプンプン漂ってきますが、それを批判することが本稿の目的ではないのでここでは置くことにいたしましょう。
 現在でこそ、大書店やAmazonなどの通販会社のサイトが充実してきましたから、その利便性が伝わってきませんが、インターネット黎明期にはずいぶんお世話になったものです。

 先日、ここである作家の本を検索いたしました。
 検索結果がこれです。

 この検索結果をよく見ると、「成瀬書房」なる出版社があることがわかります。さらによく見ると、成瀬書房は30,582円とか、べらぼうに高い本を出版していることがうかがえます。

 森敦の『月山』は芥川賞受賞作ですが、多くの芥川賞作品がそうであるように、決して長大な作品ではありません。
 上の検索結果にも出ていますが、文藝春秋社から文庫が出ています。これが、他に7作品を収録して、定価は580円です。平素から文庫に親しんでいる方ならば、この値段の文庫がどのくらいのページ数かはだいたい、わかってもらえるのではないでしょうか。

 いったい、3万円以上の本とはどのような豪華本なのか。あるいは目の不自由な方向けの点字の本とか、そういった特別な加工のほどこされた本なのかもしれない、とも思ったのですが、そうした本にしては、少々値段が張りすぎるように思いました。

 試みに「成瀬書房」でググってみましたが、同社のサイトは検索されません。どうやら、インターネットでの宣伝活動はしていない会社のようです。

 どんな会社なのか、どんな本を出しているのか、さっぱり手がかりが得られないので、ジュンク堂書店のサイトで検索してみることにしました。ジュンク堂は、池袋をターミナルにして生活する私のような人間にとっては、もっとも利用頻度の多い大書店であります。
 その検索結果がこれ

 驚いたことに、ジュンク堂のような大書店でさえ、すべての本が「在庫無し 現在この商品はご注文いただけません」という扱いになっています。同じことを紀伊国屋書店のサイトでもやってみましたが、結果は同じでした。

 ようやく見つけることができた小さな手がかりがこれ
 福岡女子大学付属図書館の資料展パンフレットを、pdf形式で公開したものです。成瀬書房から刊行された丹羽文雄の『鮎』を、こう解説しています。少々長いですが引用しましょう。

●(8)丹羽文雄『鮎』(成瀬書房、特別愛蔵本、1973年、85000円)
 対照の妙を考えて、同じ丹羽の『鮎』の大型の豪華本をもう一冊展示する。
 1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った成瀬書房が刊行したもの。成瀬書房は「署名入り限定版文学全集」を意図し、200部前後、20000円前後の限定本を約80種刊行している。部数の多さや、求めやすい価格など、これらはいわば限定版の普及版とも言うべきものである。成瀬書房は、更にこの中から10数種を、大型の「特別愛蔵本」として別途刊行している。こちらは11部から30部程度、価格も35万、40万というものまである。本書は「特別愛蔵本」の第一冊目を飾るもの。永田一脩が岐阜県馬瀬川で釣った鮎の魚拓をそのまま表装したもの。見返しに金布目和紙、三方金は22金を使用という贅沢な作りである。二重箱入り、内箱は会津産桐箱、外箱蓋裏に鮎の郵便切手と限定番号を記した小紙片を貼付。市販限定30部のうち第21番本。


 どうやら、著者のサイン入り豪華本、ということのようです。それが85000円。装丁も相当豪華なんだろうな、と思わせますが、驚くべきは、もっと豪華な本があるということ。「金布目和紙、三方金は22金を使用」して35万~40万円。どんなものだかハッキリとはわかりませんが、「金」という字が3回も使用されていることから考えても、相当豪華な本であるといえるでしょう。おそらくは、本そのものにもゴールドと同じ価値があるような。
『鮎』という小説だから鮎の魚拓をそのままデザインに使っているとありますが、上記の『月山』ならどんなデザインを使うんでしょうか。有名画家が描いた月山の絵とか?

 いずれにせよ、豪華本を出版している出版社だということはわかりました。値段と装丁、発行部数から考えて、受注生産であることも想像がつきます。

 でも、まだ謎が残っています。
 私は本にたいするフェティシズムは一切持っていない人間なので、「絶対にあり得ない」と断言できますが、かりに私が、成瀬書房刊の『月山』30,582円を購入したいと思ったとします。
 いったい、どこで買えばいいのでしょう? 大書店では「現在この商品はご注文いただけません」だし、なおかつネットで受注を受けつけているわけでもない。
 自分でも暇なことやってんなと思いつつ、104で問い合わせもしてみましたが、「成瀬書房」で届けはないそうです。つまり、電話でのアクセスもできないのです!

 上記の福岡女子大学のパンフには、「1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った」とありますから、現在は存在しない、高度経済成長を背景とした成金向け出版社である、と考えることは可能です。ですが、だとすると矛盾が出てきます。

「現在入手可能な書籍を収録する書籍検索サイト」Books.or.jpに、なぜ堂々と掲載されているのか。上記の検索結果を見るとわかりますが、成瀬書房の本はいずれも80年代に刊行されており、Books.or.jpのサイトの方がずっと新しいのです。データのデジタル化に際してチェックしてるものと思いますし、もし消去忘れだとすれば、「社団法人 日本書籍出版協会」の職務怠慢だということになります。オレ様が身を削って払った税金から補助金出てんだろ、カネ返せ、てな話にもなるでしょう。

「日本書籍出版協会」に問い合わせてみようかと思いましたが、なんとなく自分がタチの悪いクレーマーになりそうなので、やめておきました。気分が乗ったらやるかもしれませんが。

 謎の出版社「成瀬書房」。その正体に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報を。


 

2007年4月5日

ファッキン・アメリカ!

 もう10年以上前の話である。
 カルカッタ(現コルカタ)の空港からタクシーに乗った。
 ベンガル人のタクシー・ドライバーが声をかけてきた。

「おまえ、ジャパニ(日本人)か」
「そうだよ」
「テレビでヒロシマ・ナガサキを見たよ。ひどい行いだ。ファッキン・アメリカ! オレはアメリカが大嫌いだ。おまえもそうだろう?」
「ああ、嫌いだ」
 そう答えると、褐色の肌のタクシー・ドライバーは再度「ファッキン・アメリカ!」と叫んだ。
 その後しばらく話をしていた記憶があるが、何を話したかは覚えていない。

 ファッキン・アメリカ。そう言いたくなることはしばしばある。イラク戦争のときもそうだったし、その前のアフガン侵攻も、911の報復攻撃という大義名分は理解しつつも、やはりファッキン・アメリカだと思った。ヒロシマ・ナガサキに関しては言わずもがなである。コカコーラもマクドナルドもファッキン・アメリカだ。

 だが、私はアメリカが好きなのである。えんえんと1年かけて大統領を選ぶ政治制度も立派なもんだと思うし、その選挙に際してたとえばマイケル・ムーアのような人が出てきて大騒ぎする土壌も素晴らしいと思う。日本では考えられないことだ。そしてなにより、私が愛するロックンロールはアメリカ産の文化なのだ。嫌いになれるはずがない。

 アメリカにはいつか、時間をかけてゆっくり行ってみたい。NYやLAはむろんのこと、シスコやシカゴ、ボストンにテキサスなど、行ってみたいところはたくさんある。
 それと、インドはけっこう時間をかけて行ったけれど(半年)、また行ってみたいと思っている。私が行ったころとは国力がちがうだろう。経済発展を遂げつつあるインドがどう変わっているのか、またどう変わっていないのかに、とても興味がある。