GOATS HEAD SOUP
山羊の頭のスープ
2010年11月28日
ThinkPad X41 SSD化&Ubuntuインストール
でも、X41は決して評判のいいモデルじゃありませんでした。原因はひとえに、こいつのディスクドライブにあります。X41に内蔵されている日立製の1.8インチハードディスクは、とにかく遅いんです。私が計ったわけじゃありませんが、電源を入れてからWindowsXPが完全起動するまでなんと7分かかるそうで、比肩するものなき遅さです。しかも、日立が後継機種の開発をやめちゃったために、メーカー・サポートもなくなっていました。
まあ、起動しちまえば作業はメモリにたいして行うわけですから遅いと思うこともすくなかったですが、ディスク・アクセスが必要なとき――動画などの大きなデータや重いといわれるアプリケーションを立ち上げたりするとき――には、やはり「遅さ」を感じずにはいられませんでした。
だから……だったのか、もう1年経つから動機は忘れちゃいましたが、昨年の今頃、私のメインPCはThinkPad X200Sに変わりました。IBMはすでにパソコン事業を中国企業lenovoに売却していましたから、このマシンは私がはじめて使うlenovo製ThinkPadです。
レノボで大丈夫かよ、という不安がなかったといったらウソになりますが、ThinkPadらしい質実剛健なつくりは受け継がれていますし、キーボードの打ちやすさは相変わらず特筆ものです。そのうえ、SSDだから読み込みはムチャ速いし静かだし、電池も9セル・バッテリなら10時間もつ。こいつを買ってから、屋外でノマド仕事することが増えました。
以来、X41はお払い箱となり、電源が入れられることもなく放置されていたのです、が……。
このたび、X41に外科手術をほどこし、激遅の1.8インチHDをSSDに変え、再生事業に着手することになりました。
以前から、改造によってX41を延命させる方法があるのは知っていました。でも、自分でやろうとは思わなかった。改造に使用されるSSDないしはCFカードが高額である、というのもあるし、もうメインマシンはX200Sなんですから、必要がなかったわけです。
にもかかわらず改造しようと思ったのは――単にそういう気分だったからですね。機械いじり、PCいじりをしたい気分だったんだ。
改造に使用するSSDは、Yahoo!オークションでOCZ製の32GB(OCZSSDPATA1-32G18)を入手しました。8500円。まあ、安価だったといっていいんじゃないでしょうか。
X41はSSD化が難しい、という記事はネットに散見されるんですが、そんなことはございません。要は、BIOSがハードディスクじゃないドライブにたいしてビープ音を鳴らし、立ち上げてくれなくなっちゃうんですが、設定をちょいといじれば解決するんです。一応、これから改造しようという人のために、私が参考にしたサイトのリンクを張っておきましょう(役立ててくれる人がいるかどうかは定かではありませんが……)。
BIOS設定法
http://bestock.dtiblog.com/blog-entry-76.html
改造の手順はX40と同じです。このサイトでは私と同じOCZのSSDをX40に乗っけてました。
http://hisway.at.webry.info/200905/article_4.html
ハードディスクはネジ一個はずすだけで取り出せますから、うまくやればそれだけで改造できるんですが、背面のネジをぜんぶとって筐体を開いてやった方が結果として早道かもしれません。具合を見ながらSSDを差しこむことができるので。SSDが認識されているかどうかは、電源を入れてBIOSみないと確認できません。分解はX41のマニュアルを見ながらやるのがオススメです。改造しろとばかりに丁寧なマニュアル。こういうところが大好きさThinkPad。
http://www-06.ibm.com/jp/domino04/pc/support/Sylphd11.nsf/jtechinfo/SYM0-02FCEE
SSDが認識されたらOSのインストールですが、私はUbuntu Linuxの最新版10.10を入れました。インストールだけならWindowsより百倍ラクです。私がLinuxをいじってたのはもうずいぶん前(たぶん10年以上前)で、OSはPlamo Linux1.3でした。そのころはモデムを認識させてネットに接続するだけでひと苦労(たぶん3日ぐらい悩んだ)だったし、たしかサウンドカードは認識させることができず、音なしで使っていたと思います。
でも、Ubuntuはよくしたもんで、インストールしたとたんLANもサウンドカードもイケます。無線LANの設定も超らくちんです。
とはいえ、LinuxはLinux、めんどくさいこともあります。ノートのフタ閉めるとサスペンドするんですが、開けても復帰しないという症状に悩まされました。フタしめたら泣く泣く電源を落とし再起動するしかないんです。これじゃ、とても使えません。
調べまくったらありましたよ、対処方法が。
http://kimamahitori.blog.shinobi.jp/Entry/232/
まー、じつはこの記事書くまでにもあちこちいじくり回して、ようやくこうして気兼ねなく日本語入力できるようになっているんですが、それを書くと長くなるのでまたの機会に。たぶんそこを書いたほうがみんなの役に立つんだろうな。
2010年10月6日
ラーメンズ「TOWER」
人にラーメンズが好きだというと、たいがい過去の人だろうというリアクションをされます。理由は簡単で、「テレビに出ていないから」。お笑い芸人はテレビに露出することができなくなったらオシマイで、だからラーメンズも過去の人。ふつう、人はそう認識してしまうみたいです。
いや、じつは私もそう思ってました。ついこないだまで。
でも、じつは今年のはじめにイヤになるほど退屈な時間があって――要は入院してたのですけど――友人がお見舞いに、ラーメンズの公演を収録したDVDをもってきてくれたんです。
感心したんですよ、すごく。
ラーメンズはテレビに出られなくなったのではない。出なくなったのです。あえてテレビというメディアを去り、彼らが向かった先は、舞台という古典的な場所でした。ふつうはそれじゃ商売にならないんですけど、彼らは公演収入とその後に発売されるDVDの販売収入、それだけで10年以上活動を続けることができている。テレビに出る芸人のギャラが二束三文と噂される昨今、たぶん収入はこちらの方が多いでしょう。
「芸人はテレビに出てナンボの商売」というのは、固定観念にすぎないんですね。それ以外のビジネスモデルもあるんです。彼らがそうしたモデルをつくったのだ、と言ってもいいでしょう。その意味では、ラーメンズは新しいお笑いビジネスのあり方を構築したイノベイターである、ということもできます。
残念ながらそのせいで、多くの人は彼らを過去の人と認識してしまう。でも「多くの人に知ってもらう必要はない、かぎられた人に大切に思ってもらえればいい」というスタイルは、ひょっとしたらこの時代、正しいあり方なのかもしれません。ホラ、今ってロング・テールの時代じゃないですか。
まあ、ひとことでなんでもかたづけようとするわかったような言葉は置いておいても、個人的には彼らのスタイルをとても好ましく思いました。もしかしたら、「出版」という風前の灯火なメディアに関わり、どうにかこうにか口に糊している自分と重ねるところがあったせいかもしれません。
以降、ラーメンズのDVDはすべて見ました。おもしろいのもあるし、なんだかなあと思うものもある。でも、総じて楽しんでいたんですね。一時期、寝る前に部屋を暗くしてラーメンズを観るのが、日課みたいになっていたこともありました。
先日発売された彼らの第十七回公演をおさめたDVD「TOWER」は、ちゃんとAmazonでポチッとやって買ったんですよ(わざわざ買ったと断るのは、過去のものはレンタルで見ていたからです)。
結論から言えば、たとえば「ALICE」や「CHERRY BLOSSOM」といった過去の作品の方が、ずっとよくできていたと思います。
おそらく、脚本と演出を手がける小林賢太郎さんにとって、ラーメンズはかならずしも表現しやすい器ではなくなっている、ということなのでしょう。
俳優としてちょいちょいテレビに出ている片桐仁さんとはちがって(私は未見ですが、NHKの連ドラにも出ていたそうです)、小林さんはかたくなに「舞台」というメディアに固執し、それゆえ表現の器をいろいろ開拓してきました。ひとつが比較的、演劇色の濃い「KKP」であり、もうひとつが彼のソロ・パフォーマンスです。
KKPはまだしも、彼のソロ・パフォーマンスが私には今ひとつ楽しめません。
小林さんはすごく器用な人なんですよ。パントマイムだって一流だし、舞台の視覚効果に関しても相当な計算力がある。それはおおいに認めるんですけれども、それゆえに彼ひとりだと、舞台がスノッブになり過ぎちゃうんです。だから、つまらない。退屈なんです。すくなくとも私にとってはそうです。
ラーメンズのいいところは、そうしたスノッブさが片桐さんのキャラクターによって、うまいこと中和されるところです。「泥臭さ」といって悪ければ「人間臭さ」といってもいいかもしれません。そういうエレメントがないと、たまーにイイ絵があるんだけど、基本的には退屈な絵が並ぶ美術館の廊下を歩いているような感じで、疲れちゃうんだと思います。
「TOWER」は、そうした小林さんのソロの色が濃厚なんです。無言のパフォーマンスが多いせいかもしれません。ある程度ストーリーがある脚本で片桐さんを使えば相当におもしろいんですが、視覚効果を求める小林さんのソロ・パフォーマンスのほうに寄ってしまっている。ソロに片桐さんを乗っけた感じでしょうか。
まあ、まっとうな脚本はKKPで書いてるから、ってことかもしれません。現在、ラーメンズの公演は2年に1ぺんしかおこなわれず、そのあたりも小林さんがラーメンズという器に大きな興味を抱いていないことがうかがえます。たぶん多くの人が同意すると思うけど、彼の脚本が輝くのは、2人というすごくミニマムな編成で、片桐仁という俳優を使ったときなんですが。
それでも、買ったものだからでしょうか、愛着があるんですね、何度か繰り返し見ています。あやとりのコントとタワーマニアのコントが好きです。
2009年10月1日
お手柄なんだろう、たぶん
報道を丹念に追うと(同じ内容の記事をいくつか読み比べると)、どうやら逮捕したのは宮城県警大河原署であるらしい。
大河原署。仙台近郊のベッドタウンであるようだが、その住所は柴田「郡」である。おそらくはこの田舎警察のサイバー係が、児童ポルノサイトを張ってたってことだろう。
これってお手柄、なんだろうなあたぶん。
4歳娘のポルノ写真撮影した母親を逮捕
http://www.sanspo.com/shakai/news/090930/sha0909301804013-n1.htm
2009年9月8日
総選挙、そして罪と罰
まちがいなく歴史に残るだろう鳩山・次期総理大臣は、ワイドショーでもニュースでも、行動を逐一報道されている。大したフィーバーぶりだ。
まあ、夏の間、毎日流されたノリP報道にはケッタクソ悪い思いを抱いていたので、選挙で流れが変わってよかったと思う。
ノリP、いじめすぎだよ。人を殺したわけでも、人のモノを盗ったわけでもない。誰にも迷惑をかけていない彼女をどうしてあそこまでいじめなきゃならんのか。いずれ罪はつぐなうことになるんだから、ほっといてあげればいいじゃないか。
子どもに、「覚醒剤をやるとどうしていけないの?」と問われ、「ダメな人になってしまうからだよ。体もボロボロになってしまうんだ」としか答えられなかった。それがどうして「悪いこと」なのか、説明できなかった。他人に売ったら「悪いこと」だし、「悪いやつ」だけどさ、やるだけで「悪いやつ」といえるのか?
誰かマトモな答えをもっているか? 「ダメな人」になるのは事実だけど、それをやって「ダメな人」になるのは本人なのだから、それこそ自己責任の範疇じゃないのか?
話がそれた。選挙の話をしたいと思っていたんだ。
個人的には、中川昭一元財務相がきっちり落選したのがいちばん印象的だった。
あのとおり苦み走ったイイ男、大臣経験者で親父の地盤を継いでいる。本来なら絶対に負けない人なんだが、ちゃんと負けた。北海道民、わかってるじゃないかと思った。
例の経済サミットでの失態はさすがにひどい。
本人は断酒をして選挙に臨むといっていたけど、断酒したぐらいで禊ぎが済んで、また議員でございますとデカイ顔できるなんて、あまりに「罰」が軽すぎないか? ノリPは毎日いじめられてるのに!
きちんと機能してるじゃないか民主主義、と思った次第である。たぶん、毎晩ヤケ酒かっくらってるだろうね中川さんは。
今回の選挙に関して、当然のこといろんな批評が出てるけど、いちばん腹が立ったのは田原総一郎のコメントだった。
選挙結果を見て、「日本人はバカなんじゃないか」とかいいやがった。要は、郵政選挙における自民党の勝ちすぎでも学習せず、今回も民主党がバカ勝ちした。一辺倒になりすぎる日本人の性癖が出てる、っていうんだ。
同様のことは、言葉こそやわらかくなっているけど、このコラムでもいっている。
バカはおまえだ、といいたいね。
選挙は秘密投票、誰がどこに投票したかわからないのが原則だ。今回だって、みんなが示し合わせて民主党を選んだわけじゃないんだよ。個人の票を総合したら、結果としてそうなっちゃたんだ。
たしかに「勝ちすぎ」とはみんな思ってるだろうけど、それは小選挙区比例代表制という選挙システムのせいであって、日本人の性質のせいじゃない。選挙でちょうどよく、いい案配に票を分配するなんてことは、誰もできないんだよ。示し合わせて投票なんか、できないんだから!
田原総一郎さんは立派なジャーナリストだと思っているし、尊敬もしているけれど、ときどきこういう「誰にも、どうしようもできないこと」を「日本人」という一人格でまとめて、責任をおっかぶせようとする。
よくないところだと思うんだけど、治らないんだろうな、たぶん死ぬまで。
2009年3月4日
今こそ、はっぴいえんどの歌を歌いなさい
これは誰かが問題にしなきゃ絶対にウソだ、と思っていたのでうれしかった。
それが高橋源一郎だったのもうれしい(じつはかなりファンです)。
次は、ミュージシャン・サイドからのアクションが必要だろう。
インタビューという形での「発言」もいいけれど、やはりミュージシャンである以上、それを歌にして歌ってもらいたい。
とはいえ、日本語という言語で歌う以上、理屈っぽい歌はとかく駄作になりがち。次のような方法を推奨します。
大昔の事例になるけれど、1967年、ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズが麻薬で逮捕されたことがある(じつは麻薬でパクられたロックスター第一号)。このとき、ザ・フーがすぐさまストーンズの楽曲をカバー、シングル・リリースした。
当然、ストーンズを応援します、というアピールだったわけだが、「便乗商法だ!」てな批判もあったと聞いている。
むろん、そういう側面があったのも否定できない。フーのピート・タウンゼンド、および当時のプロデューサー、キット・ランバートは、音楽的才能もさることながら、商魂もたいへんにたくましい人たちだから。
それでいいのだと思う。芸術の才能と商才は矛盾するものではないのだ(ま、鈴木茂/はっぴいえんどで商売になるかといえば、うーん……ですけどね)。
だからさ、歌をつくって歌うのは無理でも、カバーしてリリースしてくれよ。一晩でできるだろ、カバーなら。メジャーから発売が無理なら、インディーズでリリースすりゃいいじゃないか。今はインディーズだって、簡単に全国流通できるんだし。
今はっぴいえんどを歌う。それこそ、ロックだと思うんだよな。
上記の行動をとったアーティストは手放しに応援します。
時間をかけなくても、いいのができるんじゃないかな、と思う。
フーのシングル「アンダー・マイ・サム/ラスト・タイム」は、たしか一晩で録音した、という話だったと思うけど、急造にしてはかなりよかったよ。
2009年2月21日
腹が立って仕方ねえぜ―はっぴいえんど販売停止
例の、中川元大臣の飲酒の一件でさえ、私は怒りはしなかった。驚きあきれ、咄嗟に「国辱」という言葉を思い浮かべはしたけれど、中川さんの酩酊ぶりがおかしくて、やっぱり、笑っちまった。腹は、立たなかったのである。
でも、次のニュースにはホント、むかっ腹が立った。クレーム電話の一本もかけてやろうかと思ったぐらいだ。今でも、ムカムカしている。
はっぴいえんど:名盤「風街ろまん」出荷・販売停止 鈴木茂容疑者の逮捕で
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090218mog00m200066000c.html?link_id=RAH04
以前、小室哲哉が詐欺容疑で逮捕されたときも、おかしいと思ったのだ。予定されていたTMネットワークのベスト盤が発売中止になり、各メディアが一斉に、小室の楽曲のオンエアを中止すると発表した。
小室は、たしかに詐欺をやった。その罪は、彼自身がつぐなわなければならない。でも、作品に罪はないはずなのである。表現者が罪人になったからといって、なぜ作品まで一緒に葬られなければならないのか。
まして、この時点で小室は刑が確定してはいなかった。罪人ですらない。「容疑者」に過ぎなかったのだ。それをなぜ?
そのときも腹が立ったのだけど、今回ほどじゃないのは、単に私が小室の音楽になんの思い入れもないからに過ぎない。だが、鈴木茂となると話はちがう。偉大なギタリストだと思っているし、思い入れもじゅうぶんある。それに、レコード会社の行動に、矛盾がありすぎる。何もかもがおかしいのである。
『走れメロス』という文学作品がある。今でも教材になってるかどうかはわからないけれど、私が高校生だったころ(中学だっけ?)には、国語の教科書に載っていた。
この作品の作者は、戦前は重罪であった共産党の細胞活動をやっていた。れっきとした犯罪者であったのだ。さらに、情死を企て、女は死んじまって自分だけ生き残った。これも何らかの罪になったはずである。情死から生還した後は薬物中毒の治療のために精神病院に入っている。ジャンキーだったのだ。そして、最終的には別の女と情死して、その生涯を終えている。ひとことでいえばロクデナシ。それが、『走れメロス』の作者である。
そういう人の作品を教科書に載っけて、文学作品ですから鑑賞しましょうとほざいているのは、作者が誰であろうと作品は素晴らしいからだろう。教育に役立つ、と判断されているからだ。作者と作品が同罪とするならば、『走れメロス』をこともあろうに教科書に載せようなんて話が、通るはずがない。
この国は、作者と作品を分けて考えましょう、というのを、国家がみずからおこなっている国なのである。そういう国の、たかが一企業が、なぜ、作者と作品を一緒くたにして、作品にまで罪を負わせねばならないのか?
もう一度問う。表現者が罪に問われたからといって、なぜ作品まで罪を負わなければならないのか?
しかも、はっぴいえんどの音楽を持ち上げ、やれトリビュート・アルバムだの、CMタイアップだのして、大いにカネ儲けしたのはおまえらじゃないか。何十年も売れ続けるロングセラーとして、再販再販で大儲けしたのも、おまえらじゃないか。なぜ、恩を仇で返すようなマネをする? 表現者が苦境に立たされたなら、逆に守ってやるのがおまえらの立ち位置だろう。すこしは道義ってやつをわきまえてくれよ。
しかも、やり口が不徹底だ。やるならトコトンやりゃいいじゃないか。
はっぴいえんどの音楽を販売停止にするなら、鈴木茂が在籍したティンパンアレイがバックをつとめたユーミンのアルバムも販売停止にすべきだ。鈴木茂が名をつらねた録音をすべて生産中止にすればいい。鈴木茂ははっぴいえんどでは数曲しか書いてないんだから、「演奏した」にすぎない。それを販売停止にするならば、他のアーティストのアルバムだって同じことをしなければならないはずだ。なぜ、はっぴいえんどだけをスケープゴートにしなくちゃならんのか。やってることが中途半端じゃないか。
日本の音楽業界と、西洋の音楽業界を同列に並べるのは気がひけるけれど、アメリカやイギリスでこの手の話は聞いたことがない。マイケル・ジャクソンに幼児虐待容疑がかけられたときも、彼のアルバムは堂々と売られていたぜ。私の記憶がたしかならば、チャート1位になった曲を集めたマイケルのベスト盤が発売になり、これがまたチャート1位を記録したときも、裁判は係争中、マイケルは依然として「容疑者」だったはずだ。
いったい、誰に遠慮して、販売停止なんてことになったのだろうか。しゃあしゃあと売り続けたって、誰も文句はいわないだろう。40年も前のアルバム、40年も前の録音である。そんなもんに目くじら立てるやつがいるとは思えない。
第一、小室の場合とはちがって、鈴木は誰にも迷惑かけてないじゃないか。大麻汚染が広まるから、それが迷惑だとでもいうのか? 鈴木茂なんて若い連中は誰も知らねえぞ。なんの影響力もないだろう。
大麻をやってたメンバーのいるはっぴいえんどを販売停止にするなら、ビートルズのアルバムも販売停止にすべきである。大麻持ってて成田で捕まり、入国できなかったポール・マッカートニーがいるバンドだぞ。青少年に与える影響は、そのセールスから考えて、はっぴいえんどの百倍でかいだろう。ストーンズもジミヘンもディランもボブ・マーリーも、みんな売るのやめちまえ。やるならそこまでやってみせろよ馬鹿野郎。
あー腹が立つ! 頭悪すぎだぜ、ホント。
2009年2月20日
忘却のひと
取材はうまくいった。上機嫌で帰路につき、最寄り駅に着いた。私はいつも、駅前の駐輪場に自転車を置いている。ところが、自転車が見あたらない。
駐輪場をくまなく探した。ゆうに10分は探していた。大した広さもないのに、である。
その間、「銀行でお金をおろすとき、銀行の前に自転車を停めた。あそこに置きっぱなしなのでは?」とは何度も考えた。しかし、そんなはずはない、と思い直したのである。ふだん、私は銀行から駅に歩いて向かうことはない。銀行→駐輪場→駅というのが通常のルートだ。
たしかに、銀行から駅までの記憶はすっぽり抜け落ちている。取材前で、もの思いにふけっていたからだ。だが、だからこそ無意識のうちに、駐輪場に自転車を停めているにちがいない、と考えた。習慣だからこそ、無意識化されるのである。日常の習慣とは異なる行動をとっていて、それを記憶していないとは考えにくい。
もう、自転車は紛失したと思わなければならない。そう覚悟を決めて、一応銀行前も確認しておこう、と銀行へ向かった。
自転車は、あった。
あきれずにはいられなかった。銀行から駅まで歩くという、普段とは異なる行動をとっていながら、私はまったくそれを記憶していなかったのである。夢遊病に近い。
自転車を見つけたときには、ハハハハと乾いた笑い声が出た。
2009年2月10日
親は知らず、子も知らず(後編)
「親知らず?」
「うん、親知らずですね」
「親知らずって、どうやって治療するんですか」
「抜くしかないね」
「抜く……」
歯を抜くのが怖いわけではない。むしろ小学生のときに乳歯を抜いて以来の体験なので、ちょっとワクワクする。
「でもね、今日は抜けないよ。今日は診察だけ。またあらためて来てください。予約してね」
予約なしでいきなり来たことがよほど気に障ったらしい。とはいえ、こっちはまだ納得いかないことも多いのである。
「べつに痛くないんですけど、抜かなきゃいけないもんですか」
「それは患者さんが決めることだから。抜かないでそのままにしている人もいるし、抜いちゃう人もいるし」
「虫歯が隣の健康な歯に伝染する、ってことはありませんか」
「ないとは言えないね。でも、かならずあるとも言えない」
「どうなんですか。抜いた方がいいんですか」
「だから、それは患者さんが決めるんですよ」
質問責めがしつこいのでますます機嫌を損ねたらしい。診察が済んで会計をする際にも、医者はしつこく言った。
「抜歯されるときには、予約入れてくださいね」
……それから、1か月近くが経過した。
じつはまだ、私の親知らずは健在なのである。虫歯はその後も進行し、鍾乳洞のように複雑で、カミソリのごとく尖った形状をより先鋭化させ続けている。舌先で患部にふれる癖も未だ直らず、相変わらず舌の先端は損傷しつづけている。とはいえ、最近は舌の方が慣れてきたのか、舌が痛むことはなくなったのだが。
聞くところによれば、虫歯っていうやつは大の大人がひいひい泣くぐらい痛いという。ひょっとすると私の歯茎は神経が通ってないのかもしれないな、などとも思う。それとも、ある日とつぜん痛みはじめるものなのか。
なんとなく、そこまで至らなければウソなような気もして、抜かずにいるのである。虫歯の進行を舌先でたしかめるのも、じつは、楽しかったりするのです。
2009年2月9日
親は知らず、子も知らず(前編)
予約もなしに突然に訪ねたために、午睡の時間を削られて機嫌を損ねているらしい歯科医は、診察台に横たわり大口を開けた間抜けな私に向かってそう言った。
左の奥歯に、得体の知れない穴が開いていることに気づいたのは、たしか去年の今頃だったと思う。奥歯なので見ることはできないが、舌でさわると、たしかに歯が欠けている。なるほど、これが虫歯というやつか、と思った。
私は小学校のとき乳歯を抜きに行って以来、歯医者の世話になったことがない。虫歯になったことがなかったのである。それがちょっとした自慢でもあった。だから、ついに自分の歯が虫歯になったことについては、「ついに人並みになったか」
「ハ・メ・マラの順に使えなくなるらしい。寄る年波には勝てんか」
「もう歯の優良さを自慢できんな」
など、さまざまな感慨があった。
すぐに医者にかかっても良かったのだろうけれど、痛みがあるわけじゃなし、しばし経過を見守ることにしたのである。それが1年ほど前の話。
その後、歯はまるで月が欠けていくように形を変えていった。いつしか、変わりゆく奥歯の形状を舌先でたしかめるのが、癖になっていた。
今回、とつぜんに歯医者を訪れる決断をしたのは、痛いから、ではない。相変わらず痛みはないのだが、歯の欠けたところがまるで鍾乳洞の内部のようにギザギザに変形し、ところによってはカミソリのような鋭度をもつに至り、舌でふれると舌先が傷つくようになったためである。常に舌上に香辛料を乗せているような痛がゆさをを感じる。
歯に痛みはないのだから、舌でさわりさえしなければ気になるものでもない。しかし、なにしろ1年間、ずっと舌先で奥歯の欠け具合を確かめてきたのである。さわるなと言われたってさわってしまう。結果、舌先が損傷してしまったのだ。
とはいえ、舌先でそっとふれる程度であるから、大したことはない。口内のこと、傷ついたとしてもすぐさま治癒する。だから、ほかしておいてもいいのだけれど、ここまで虫歯が進行すると、他の健康な歯にも被害が拡大するかもしれない。それが恐ろしかった。
舌先の損傷も、虫歯被害の拡大も喜ばしいことではなかった。それで、歯医者にかかることにしたのである。
なにしろ乳歯を抜いて以来一度も歯医者の世話になってないから、歯医者のシステムがどうなってるかも知らない。歯医者は一般の外来のようにとつぜん訪ねるものではなく、予約を入れて利用するものだということは、今回はじめて知った。とつぜんに訪ねたら、医者は不機嫌そうに診察に応じてくれたのである。
なにやらものものしい機材の並ぶ診察台に座り、マヌケにも大口を開けて中空を見上げる私の口腔に向かって医者がつぶやいたのが、冒頭のひとことであった。まるで木のうろに向かって秘密をぶちまける人のごとくであった。
「ああー、こりゃ親知らずだね」
(以降、「親は知らず、子も知らず」後編に続く)
2009年2月8日
追いかける旅人
そのアーティストは昨年末からツアーをやっていて、ついこの間終わったばかりだ。そのツアー・レポートはまだ上がってないが、おそらくは近々、まとめてアップされるのだろう。ツアーを追っかけながらメモをとり、最終的にツアーが終わったところで文章をアップする。それが彼のサイクルのようだ。
彼は、アーティストがコンサートを行う場所には、どんな場所であろうと出かけて行く。まさに全国津々浦々、である。むろん、仕事を持っているわけだから全部に行ってるわけじゃない。しかし、1週間ぐらい旅行を続け、毎日異なる会場のライヴを楽しむ、という程度のことは普通にやっている。
ツアーのセットリストなんてもんは、そうそう変わるもんじゃない。だから、同じ曲を毎晩聴くことになるわけだが、だからこそちょっとした事故がイベントになる。PAの調子が悪くてアーティストが不機嫌そうだったとか、MCでご当地の話をしたとか。また、バンドのノリが良かったとか悪かったとかも、当然レビューの対象になっている。
それをはじめて見たとき、モノ好きな人もいるもんだ、と思ったのである。かれこれ20年以上、そればかりをやっていて、よく飽きないもんだ。労力も時間も必要経費も、ハンパなものじゃないだろう。大いに驚き、そしてあきれた。
しかし、気がついたら彼が綴った1日1日の文章を、すべて読破してしまっていたのである。
毎日のように見ている。そのことが、彼のライヴ・レビューを、音楽雑誌に掲載される凡百の印象記などより、ずっと熱のある、読み応えのあるものにしているのだ。なにしろ、臨場感が違う。読んでいるだけで、そのライヴの空気が伝わってくる。そんな文章はそうそうお目にかかれるもんじゃないし、書けるもんでもない。
私は追っかけということをしたことがないし、したいと思ったこともない。でも、追っかけの楽しさというものを、彼の文章に教えてもらった。全国津々浦々、違う空気。セットリストは変わらなくても、アーティストの気分は変わるし、ファンの顔ぶれも変わる。彼自身の心持ちも変わる。毎日が、新しい驚きに満ちているのだ。
本当に好きなものを、ひたむきに追いかける。それ以上に素晴らしいことはない。そこに全身全霊をかけて没入し、気づいたら20年以上。そんな彼を、とてもうらやましいと思った。