先日、鈴木茂の逮捕にともなうはっぴいえんどのアルバム発売中止に関して、大いに憤激したのだけれど、現在発売中の「SIGHT」誌で高橋源一郎がほぼ同じことを書いているのを発見した。
これは誰かが問題にしなきゃ絶対にウソだ、と思っていたのでうれしかった。
それが高橋源一郎だったのもうれしい(じつはかなりファンです)。
次は、ミュージシャン・サイドからのアクションが必要だろう。
インタビューという形での「発言」もいいけれど、やはりミュージシャンである以上、それを歌にして歌ってもらいたい。
とはいえ、日本語という言語で歌う以上、理屈っぽい歌はとかく駄作になりがち。次のような方法を推奨します。
大昔の事例になるけれど、1967年、ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズが麻薬で逮捕されたことがある(じつは麻薬でパクられたロックスター第一号)。このとき、ザ・フーがすぐさまストーンズの楽曲をカバー、シングル・リリースした。
当然、ストーンズを応援します、というアピールだったわけだが、「便乗商法だ!」てな批判もあったと聞いている。
むろん、そういう側面があったのも否定できない。フーのピート・タウンゼンド、および当時のプロデューサー、キット・ランバートは、音楽的才能もさることながら、商魂もたいへんにたくましい人たちだから。
それでいいのだと思う。芸術の才能と商才は矛盾するものではないのだ(ま、鈴木茂/はっぴいえんどで商売になるかといえば、うーん……ですけどね)。
だからさ、歌をつくって歌うのは無理でも、カバーしてリリースしてくれよ。一晩でできるだろ、カバーなら。メジャーから発売が無理なら、インディーズでリリースすりゃいいじゃないか。今はインディーズだって、簡単に全国流通できるんだし。
今はっぴいえんどを歌う。それこそ、ロックだと思うんだよな。
上記の行動をとったアーティストは手放しに応援します。
時間をかけなくても、いいのができるんじゃないかな、と思う。
フーのシングル「アンダー・マイ・サム/ラスト・タイム」は、たしか一晩で録音した、という話だったと思うけど、急造にしてはかなりよかったよ。
2009年3月4日
2009年2月21日
腹が立って仕方ねえぜ―はっぴいえんど販売停止
久しぶりに、新聞記事を見て腹が立った。
例の、中川元大臣の飲酒の一件でさえ、私は怒りはしなかった。驚きあきれ、咄嗟に「国辱」という言葉を思い浮かべはしたけれど、中川さんの酩酊ぶりがおかしくて、やっぱり、笑っちまった。腹は、立たなかったのである。
でも、次のニュースにはホント、むかっ腹が立った。クレーム電話の一本もかけてやろうかと思ったぐらいだ。今でも、ムカムカしている。
はっぴいえんど:名盤「風街ろまん」出荷・販売停止 鈴木茂容疑者の逮捕で
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090218mog00m200066000c.html?link_id=RAH04
以前、小室哲哉が詐欺容疑で逮捕されたときも、おかしいと思ったのだ。予定されていたTMネットワークのベスト盤が発売中止になり、各メディアが一斉に、小室の楽曲のオンエアを中止すると発表した。
小室は、たしかに詐欺をやった。その罪は、彼自身がつぐなわなければならない。でも、作品に罪はないはずなのである。表現者が罪人になったからといって、なぜ作品まで一緒に葬られなければならないのか。
まして、この時点で小室は刑が確定してはいなかった。罪人ですらない。「容疑者」に過ぎなかったのだ。それをなぜ?
そのときも腹が立ったのだけど、今回ほどじゃないのは、単に私が小室の音楽になんの思い入れもないからに過ぎない。だが、鈴木茂となると話はちがう。偉大なギタリストだと思っているし、思い入れもじゅうぶんある。それに、レコード会社の行動に、矛盾がありすぎる。何もかもがおかしいのである。
『走れメロス』という文学作品がある。今でも教材になってるかどうかはわからないけれど、私が高校生だったころ(中学だっけ?)には、国語の教科書に載っていた。
この作品の作者は、戦前は重罪であった共産党の細胞活動をやっていた。れっきとした犯罪者であったのだ。さらに、情死を企て、女は死んじまって自分だけ生き残った。これも何らかの罪になったはずである。情死から生還した後は薬物中毒の治療のために精神病院に入っている。ジャンキーだったのだ。そして、最終的には別の女と情死して、その生涯を終えている。ひとことでいえばロクデナシ。それが、『走れメロス』の作者である。
そういう人の作品を教科書に載っけて、文学作品ですから鑑賞しましょうとほざいているのは、作者が誰であろうと作品は素晴らしいからだろう。教育に役立つ、と判断されているからだ。作者と作品が同罪とするならば、『走れメロス』をこともあろうに教科書に載せようなんて話が、通るはずがない。
この国は、作者と作品を分けて考えましょう、というのを、国家がみずからおこなっている国なのである。そういう国の、たかが一企業が、なぜ、作者と作品を一緒くたにして、作品にまで罪を負わせねばならないのか?
もう一度問う。表現者が罪に問われたからといって、なぜ作品まで罪を負わなければならないのか?
しかも、はっぴいえんどの音楽を持ち上げ、やれトリビュート・アルバムだの、CMタイアップだのして、大いにカネ儲けしたのはおまえらじゃないか。何十年も売れ続けるロングセラーとして、再販再販で大儲けしたのも、おまえらじゃないか。なぜ、恩を仇で返すようなマネをする? 表現者が苦境に立たされたなら、逆に守ってやるのがおまえらの立ち位置だろう。すこしは道義ってやつをわきまえてくれよ。
しかも、やり口が不徹底だ。やるならトコトンやりゃいいじゃないか。
はっぴいえんどの音楽を販売停止にするなら、鈴木茂が在籍したティンパンアレイがバックをつとめたユーミンのアルバムも販売停止にすべきだ。鈴木茂が名をつらねた録音をすべて生産中止にすればいい。鈴木茂ははっぴいえんどでは数曲しか書いてないんだから、「演奏した」にすぎない。それを販売停止にするならば、他のアーティストのアルバムだって同じことをしなければならないはずだ。なぜ、はっぴいえんどだけをスケープゴートにしなくちゃならんのか。やってることが中途半端じゃないか。
日本の音楽業界と、西洋の音楽業界を同列に並べるのは気がひけるけれど、アメリカやイギリスでこの手の話は聞いたことがない。マイケル・ジャクソンに幼児虐待容疑がかけられたときも、彼のアルバムは堂々と売られていたぜ。私の記憶がたしかならば、チャート1位になった曲を集めたマイケルのベスト盤が発売になり、これがまたチャート1位を記録したときも、裁判は係争中、マイケルは依然として「容疑者」だったはずだ。
いったい、誰に遠慮して、販売停止なんてことになったのだろうか。しゃあしゃあと売り続けたって、誰も文句はいわないだろう。40年も前のアルバム、40年も前の録音である。そんなもんに目くじら立てるやつがいるとは思えない。
第一、小室の場合とはちがって、鈴木は誰にも迷惑かけてないじゃないか。大麻汚染が広まるから、それが迷惑だとでもいうのか? 鈴木茂なんて若い連中は誰も知らねえぞ。なんの影響力もないだろう。
大麻をやってたメンバーのいるはっぴいえんどを販売停止にするなら、ビートルズのアルバムも販売停止にすべきである。大麻持ってて成田で捕まり、入国できなかったポール・マッカートニーがいるバンドだぞ。青少年に与える影響は、そのセールスから考えて、はっぴいえんどの百倍でかいだろう。ストーンズもジミヘンもディランもボブ・マーリーも、みんな売るのやめちまえ。やるならそこまでやってみせろよ馬鹿野郎。
あー腹が立つ! 頭悪すぎだぜ、ホント。
例の、中川元大臣の飲酒の一件でさえ、私は怒りはしなかった。驚きあきれ、咄嗟に「国辱」という言葉を思い浮かべはしたけれど、中川さんの酩酊ぶりがおかしくて、やっぱり、笑っちまった。腹は、立たなかったのである。
でも、次のニュースにはホント、むかっ腹が立った。クレーム電話の一本もかけてやろうかと思ったぐらいだ。今でも、ムカムカしている。
はっぴいえんど:名盤「風街ろまん」出荷・販売停止 鈴木茂容疑者の逮捕で
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090218mog00m200066000c.html?link_id=RAH04
以前、小室哲哉が詐欺容疑で逮捕されたときも、おかしいと思ったのだ。予定されていたTMネットワークのベスト盤が発売中止になり、各メディアが一斉に、小室の楽曲のオンエアを中止すると発表した。
小室は、たしかに詐欺をやった。その罪は、彼自身がつぐなわなければならない。でも、作品に罪はないはずなのである。表現者が罪人になったからといって、なぜ作品まで一緒に葬られなければならないのか。
まして、この時点で小室は刑が確定してはいなかった。罪人ですらない。「容疑者」に過ぎなかったのだ。それをなぜ?
そのときも腹が立ったのだけど、今回ほどじゃないのは、単に私が小室の音楽になんの思い入れもないからに過ぎない。だが、鈴木茂となると話はちがう。偉大なギタリストだと思っているし、思い入れもじゅうぶんある。それに、レコード会社の行動に、矛盾がありすぎる。何もかもがおかしいのである。
『走れメロス』という文学作品がある。今でも教材になってるかどうかはわからないけれど、私が高校生だったころ(中学だっけ?)には、国語の教科書に載っていた。
この作品の作者は、戦前は重罪であった共産党の細胞活動をやっていた。れっきとした犯罪者であったのだ。さらに、情死を企て、女は死んじまって自分だけ生き残った。これも何らかの罪になったはずである。情死から生還した後は薬物中毒の治療のために精神病院に入っている。ジャンキーだったのだ。そして、最終的には別の女と情死して、その生涯を終えている。ひとことでいえばロクデナシ。それが、『走れメロス』の作者である。
そういう人の作品を教科書に載っけて、文学作品ですから鑑賞しましょうとほざいているのは、作者が誰であろうと作品は素晴らしいからだろう。教育に役立つ、と判断されているからだ。作者と作品が同罪とするならば、『走れメロス』をこともあろうに教科書に載せようなんて話が、通るはずがない。
この国は、作者と作品を分けて考えましょう、というのを、国家がみずからおこなっている国なのである。そういう国の、たかが一企業が、なぜ、作者と作品を一緒くたにして、作品にまで罪を負わせねばならないのか?
もう一度問う。表現者が罪に問われたからといって、なぜ作品まで罪を負わなければならないのか?
しかも、はっぴいえんどの音楽を持ち上げ、やれトリビュート・アルバムだの、CMタイアップだのして、大いにカネ儲けしたのはおまえらじゃないか。何十年も売れ続けるロングセラーとして、再販再販で大儲けしたのも、おまえらじゃないか。なぜ、恩を仇で返すようなマネをする? 表現者が苦境に立たされたなら、逆に守ってやるのがおまえらの立ち位置だろう。すこしは道義ってやつをわきまえてくれよ。
しかも、やり口が不徹底だ。やるならトコトンやりゃいいじゃないか。
はっぴいえんどの音楽を販売停止にするなら、鈴木茂が在籍したティンパンアレイがバックをつとめたユーミンのアルバムも販売停止にすべきだ。鈴木茂が名をつらねた録音をすべて生産中止にすればいい。鈴木茂ははっぴいえんどでは数曲しか書いてないんだから、「演奏した」にすぎない。それを販売停止にするならば、他のアーティストのアルバムだって同じことをしなければならないはずだ。なぜ、はっぴいえんどだけをスケープゴートにしなくちゃならんのか。やってることが中途半端じゃないか。
日本の音楽業界と、西洋の音楽業界を同列に並べるのは気がひけるけれど、アメリカやイギリスでこの手の話は聞いたことがない。マイケル・ジャクソンに幼児虐待容疑がかけられたときも、彼のアルバムは堂々と売られていたぜ。私の記憶がたしかならば、チャート1位になった曲を集めたマイケルのベスト盤が発売になり、これがまたチャート1位を記録したときも、裁判は係争中、マイケルは依然として「容疑者」だったはずだ。
いったい、誰に遠慮して、販売停止なんてことになったのだろうか。しゃあしゃあと売り続けたって、誰も文句はいわないだろう。40年も前のアルバム、40年も前の録音である。そんなもんに目くじら立てるやつがいるとは思えない。
第一、小室の場合とはちがって、鈴木は誰にも迷惑かけてないじゃないか。大麻汚染が広まるから、それが迷惑だとでもいうのか? 鈴木茂なんて若い連中は誰も知らねえぞ。なんの影響力もないだろう。
大麻をやってたメンバーのいるはっぴいえんどを販売停止にするなら、ビートルズのアルバムも販売停止にすべきである。大麻持ってて成田で捕まり、入国できなかったポール・マッカートニーがいるバンドだぞ。青少年に与える影響は、そのセールスから考えて、はっぴいえんどの百倍でかいだろう。ストーンズもジミヘンもディランもボブ・マーリーも、みんな売るのやめちまえ。やるならそこまでやってみせろよ馬鹿野郎。
あー腹が立つ! 頭悪すぎだぜ、ホント。
2008年5月19日
2007年4月25日
歌う素人
Youtubeで海外の音楽ビデオを眺めていると、かならず素人バンドや素人音楽家のカバー演奏にぶち当たる。
自分がバンドで同じようなことやってるせいだと思うけど、素人バンドの演奏もけっこう、楽しく見せてもらっている。へたくそだなあ、と思うことも多いし、見るに(聞くに)耐えないことも多いが、それもふくめて楽しんでいる。こいつらいったい普段何やってんのかなあ、などと想像してみるのも楽しい。
広いガレージみたいなところで演奏しているのを見ると、アメリカの素人バンド事情が、心底うらやましくなってくる。もしかりに、バンドの演奏能力を偏差値みたいな形で数値化することができるとして、アメリカの素人バンドと日本のそれの平均値を比べたら、アメリカは日本を大きく凌駕することだろう。いつでも寄り集まってでかい音で演奏できるアメリカと、1時間いくらでスタジオ代を支払って演奏する日本では、バンドを取り巻く環境がちがいすぎる。
……とここまで書いて、高校時代、自宅にスタジオがあるドラマーがいたことを思い出した。ドラムセットはむろんのこと、ギターアンプもベースアンプもボーカルマイクも室内に置いてあった。
えらい金持ちだったから、たぶん息子がドラムをやるっていうんで親が用意したんだと思うけど、今考えるととんでもない話である。地方はあなどれないよな。
話を戻そう。
Youtubeで素人たちの演奏を眺めていて、「おおこりゃすごい!」と感動した映像がある。それを紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=2oO-WiL9gcc
ひとりでキーボードを弾きながらモータウン・メドレーをやっているんだけど、これがすごい。何がすごいって、たったひとりでコーラスグループの全パートを歌いこなしているのだ。
メドレーのアタマはテンプテーションズの「I Can't Get Next to You」。ノーマン・ホイットフィールドの手になるファンク・チューンで、5人のシンガーが声色を変えて交互にリードをとる曲だが、こいつ、たったひとりでその全パートを完全コピーしてやがる。
楽器ならわかるが、歌だぜ、歌。しかもモータウン。フォー・トップスもスモーキー・ロビンソン(&ミラクルズ!)も完璧に歌いこなしている。大した芸じゃないか。歌ってる顔が笑えるのも好感が持てる。
背景に見えるCDの列から見て、かなりの音楽オタクだと思うけど、こいつ普段、何やってるんだろう。見た目はきわめてスクエアなので、たぶんサラリーマンかなんかだと思うんだけど、世の中には生産に役立たない才能もたくさんあるんだよなあ、と妙にしみじみしてしまう。
もともとモータウン・ナンバーが大好きだってのもあるんだけど、選曲の良さや曲のつなぎのスムーズさもあって、何回も見てしまった。
自分がバンドで同じようなことやってるせいだと思うけど、素人バンドの演奏もけっこう、楽しく見せてもらっている。へたくそだなあ、と思うことも多いし、見るに(聞くに)耐えないことも多いが、それもふくめて楽しんでいる。こいつらいったい普段何やってんのかなあ、などと想像してみるのも楽しい。
広いガレージみたいなところで演奏しているのを見ると、アメリカの素人バンド事情が、心底うらやましくなってくる。もしかりに、バンドの演奏能力を偏差値みたいな形で数値化することができるとして、アメリカの素人バンドと日本のそれの平均値を比べたら、アメリカは日本を大きく凌駕することだろう。いつでも寄り集まってでかい音で演奏できるアメリカと、1時間いくらでスタジオ代を支払って演奏する日本では、バンドを取り巻く環境がちがいすぎる。
……とここまで書いて、高校時代、自宅にスタジオがあるドラマーがいたことを思い出した。ドラムセットはむろんのこと、ギターアンプもベースアンプもボーカルマイクも室内に置いてあった。
えらい金持ちだったから、たぶん息子がドラムをやるっていうんで親が用意したんだと思うけど、今考えるととんでもない話である。地方はあなどれないよな。
話を戻そう。
Youtubeで素人たちの演奏を眺めていて、「おおこりゃすごい!」と感動した映像がある。それを紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=2oO-WiL9gcc
ひとりでキーボードを弾きながらモータウン・メドレーをやっているんだけど、これがすごい。何がすごいって、たったひとりでコーラスグループの全パートを歌いこなしているのだ。
メドレーのアタマはテンプテーションズの「I Can't Get Next to You」。ノーマン・ホイットフィールドの手になるファンク・チューンで、5人のシンガーが声色を変えて交互にリードをとる曲だが、こいつ、たったひとりでその全パートを完全コピーしてやがる。
楽器ならわかるが、歌だぜ、歌。しかもモータウン。フォー・トップスもスモーキー・ロビンソン(&ミラクルズ!)も完璧に歌いこなしている。大した芸じゃないか。歌ってる顔が笑えるのも好感が持てる。
背景に見えるCDの列から見て、かなりの音楽オタクだと思うけど、こいつ普段、何やってるんだろう。見た目はきわめてスクエアなので、たぶんサラリーマンかなんかだと思うんだけど、世の中には生産に役立たない才能もたくさんあるんだよなあ、と妙にしみじみしてしまう。
もともとモータウン・ナンバーが大好きだってのもあるんだけど、選曲の良さや曲のつなぎのスムーズさもあって、何回も見てしまった。
2007年4月18日
「彼女がボス」でいいじゃないか
「女性の時代だ」なんてことがよく言われるが、あまり本気にしたことはなかった。私の住んでいる世界が狭いだけなのかもしれないが、会社などでそこそこの役職に就いている人は、たいがい男性である。女性の数は、驚くほどすくない。
政治の世界を眺めてみても、女性代議士の数はすくないし、わが国では女性の首相は未だ誕生していない。大臣として入閣する女性もすくない。
皇室においても、お世継ぎが生まれたのをいいことに、「女帝論」は尻つぼみになって立ち消えた感がある(これはあくまで私見だが、ここが改まらないかぎり、日本社会で真に「男女同権」を実現するのは難しいのではないかと思う)。
でも、最近、女の人ってほんとに元気だなあ、とは思っている。
仕事柄、いろんな女性に会う。みな、職業意識の高い人ばかりである。対して、男はどうか。絶対数が多いからかもしれないけれど、どうも女性と比べて、怠け者が多いような気がしている。人のことは言えないけどね。
そういうことを考え合わせると、政治だとか、会社の経営だとか、そういったことも、どんどん女性に任せていった方がいいんじゃないか、とも思うのである。
その昔、ミック・ジャガーが「She's The Boss/彼女がボス」というフェミニンなソロ・アルバムを出したことがあった。「おまえなんか昨日の新聞だぜ、昨日の新聞なんか誰が読むか」と女性蔑視の歌を歌っていた男が「彼女がボス」だから、一種のジョークなのだろうと思っていた。たしか本人も「ジョークだ」と語っていたはずだ。
でも、ジョークでもなんでもなく、「彼女がボス」でいいのかもしれない。そう思えるようになった。
2007年4月11日
父親を喰った男

キース・リチャーズが父親の遺灰を吸飲したとかで、物議をかもしている。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704040033.html
キースの父親、バート・リチャーズが死んだのは2002年。キースはこのときに、父親の遺灰をコカインに混ぜて吸ったというのだ。その後、マスコミに「カニバリズムだ」などと批判され、「あれはジョークだ」と発言を撤回している。
でもね、これはあくまでファンの推測にすぎないのだけど、キースはホントに親父を吸ったんじゃないかと思う。
キースは父親と、長く絶縁状態が続いていた。私の記憶が確かならば、関係が修復したのは80年代後半だったと思う。
大した親父だと思うのだ。要は、息子がロック・バンドなどという浮き世離れした職業に就くことが許せず、息子が二十歳そこそこのときに勘当したわけである。その後、ローリング・ストーンズは名実ともにトップ・バンドになっていって、息子は億万長者になった。それでもこの父親は息子を許そうとはしなかったのだ。息子にすり寄っていけば、贅沢な暮らしも簡単に手に入るのに、頑として認めなかったのである。ホンモノのガンコ親父。男だよねえ。
関係修復は、キースが40歳を越えて、立派な中年になってからのことだったし、これも私の記憶が確かならば、キースの方から打診したということだったと思う。でっぷり太ったバート爺さんと、年齢不詳の妖怪となったキース、いっぱしの大人になったロックンロール・チャイルド、マーロン(キースとアニタ・パレンバーグの子)の三世代揃い踏み写真を雑誌で見たのは、それから数年後のことだったと記憶している。
富も名声も、すべてを手に入れたキース・リチャーズにとって、唯一、自分の思い通りにならなかったもの。それが父親だったわけだ。その父親が死んだ後に、遺灰を吸う。カニバリズムというよりは、一種のイニシエーションとして、やりそうなことだと思うのだ。
男とは厄介なもんで、父親と戦い、父親を越えていくことを宿命づけられている。いわゆるエディプス・コンプレックスであるが、これは心情としてとてもよくわかる。私の父親は一介のサラリーマンであるけれど、まだ越えられたとは思っていない。父親を越えることができるのは、父親が死んだときなのかもしれないな、とも思っている。たぶん、キースもそうだったんじゃなかろうか。

それにしても、90年代にキースは「ドラッグからは完全に足を洗った。今は酒と煙草だけだ」と語り、私もすっかりクリーンになったもんだと思っていた。ことの真偽はどうあれ、「親父の遺灰をコカインに混ぜて吸った」という表現が出てくるあたり、まだたまにはやるってことなのね。それとも、コカインは常習性がないからドラッグのうちに入ってないのだろうか。
文字どおり釈迦に説法だけど、ヘロインだけはやめとけよ、と思っている。
2007年1月12日
Since You've been Gone
昨年末にジェームス・ブラウンが亡くなった。
ニュースを聞いて驚きはしたけれど、いまだに現実感がもてないでいる。明日にでも次の来日公演の日程が発表されそうな気がするのだ。こういうと冷たいようだけれど、外タレの死なんて、そんなもんなのかもしれない。
現実感が持てない理由はもうひとつある。昨年の3月、私はJBの芸能生活50周年を記念する来日公演を目にしているのだ。
JBはとにかく、とても元気だった。70歳を越える病み上がりの老人(彼は一昨年、ガンの手術をしたばかりだった)とはとても思えないほど、パワーがあった。
「JBが死ぬ前に、一度見ておこう」というような消極的な理由から行ったコンサートだったから、ぜんぜん期待していなかったのだけれど、凄いパフォーマンスを見せつけられた。文字どおり、度肝を抜かれたのである。
そのコンサート鑑賞記を、私は下記に記している。
JB最後の日本公演レポート「生ける伝説を見た」
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10009813729.html
このコンサートを見た後、私は確信をもったのである。JBはあと二、三回は来日できるだろう、と。この爺さんは殺しても死なねえ。そう思ったのだ。
でも、どうやらそういうことでもなかったらしい。JB自身は、「もう日本には来られない」と語っていたそうなのだ。JBが亡くなってしばらくして、そういう情報が入ってきた。
上のコンサート・レポートにも書いているけれど、JBはこの最後の来日公演において、ショーの中盤、ステージ上に黒いドレスを着た翻訳者を呼び出して、自分の言葉を同時通訳させている。それは、こんな言葉だった。
「今、この時間にも、戦争でたくさんの命が失われています。今、私たちに必要なことは、『愛する』ということです。さあ、あなたの右隣の人に『愛してます』と伝えてください。それが終わったら、左隣の人に、『愛してます』と伝えてください」
JBは私にとって神様みたいなもんだから、もちろん呼びかけに従ったけれど、ちょっと照れくさかったのを覚えている。
それと同時に、大いに感動もした。JBは60年代・70年代を通じて、アフロ・アメリカンのオピニオン・リーダーであり、メッセージ・メイカーだった人である。70歳を越えてもJBがJBであり続け、メッセージを発し続けているというのは、正直、驚きだった。伝説のJBは生きていたのだ。
私はてっきり、このくだりはあのマント・ショーと同じように、彼がコンサートの通過儀礼として毎回のようにおこなっているのだと思っていた。でも、どうやらそういうことではなかったらしい。
初来日以来、JBの来日公演を見続けた熱心なファンの方が、同じ日の公演を見て、次のように記している。
「曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。
だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。」
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_12.html
JBは明らかに、あのコンサートが最後の日本公演になることを、意識していたのである。そして、日本のファンに向けて、最後のメッセージを伝えていったのだ。どうしても伝えたかったから、ショーの流れが多少悪くなっても、ステージに翻訳者を呼び寄せたりしたのである。
「あなたの隣にいる人を愛しなさい」なんて、笑っちゃうようなベタベタなメッセージではあるけれど、いわば遺言として語られた言葉だったとすれば、これは重い。大切にしていかなければならないな、と思っている。
最初に書いたけど、JBが死んだということがどういうことなのか、未だに整理できていない。現実感もまるでない。でもみなさん、隣人を愛しましょうね。それがJBの遺志だから。
なお、上記のブログで、JBの臨終の様子がレポートされている。リトル・リチャード、スヌープ・ドッグ、ミック・ジャガー、そしてブッシュ大統領が弔辞を捧げたそうだ。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_27.html
2007年1月8日
トリヴィア2本
もともとマニア気質だから、一般性のないことばかりよく知っていて、常識に属することをまるで知らなかったりする。
最近、また一般性のない知識をふたつ得た。偶然にも両方ともロック・トリヴィアである。どちらも、知ったときには思わず「へえー」と口走ってしまったのだが、残念ながら伝える相手がいない。一般性がなさすぎて。
でも、こういうことは誰かに伝えないと忘れてしまうから、書きつけておこう。
1,トニー・ヴィスコンティーの奥さんは、メリー・ホプキンである。(へえー!)
2,クリス・トーマスの奥さんは、サディスティック・ミカ・バンドのミカちゃんである。(へえー!)
2の方はなるほどね、だったけど、1の方はけっこう驚いた。
どうでもいいけど、このブログ、木のうろみたいになってきてるな、最近。そのうち、「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶようになるかもしれぬ。
*この記事アップ後、以下のご指摘を受けました。
1は1981年に離婚。2は結婚まで行かなかったそうです。
どちらも音楽関係の書籍からの情報だったのですが、間違ってんじゃねえかよ。ったく。
正しい情報はこちら。
1,メリー・ホプキン
2,福井ミカ
最近、また一般性のない知識をふたつ得た。偶然にも両方ともロック・トリヴィアである。どちらも、知ったときには思わず「へえー」と口走ってしまったのだが、残念ながら伝える相手がいない。一般性がなさすぎて。
でも、こういうことは誰かに伝えないと忘れてしまうから、書きつけておこう。
1,トニー・ヴィスコンティーの奥さんは、メリー・ホプキンである。(へえー!)
2,クリス・トーマスの奥さんは、サディスティック・ミカ・バンドのミカちゃんである。(へえー!)
2の方はなるほどね、だったけど、1の方はけっこう驚いた。
どうでもいいけど、このブログ、木のうろみたいになってきてるな、最近。そのうち、「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶようになるかもしれぬ。
*この記事アップ後、以下のご指摘を受けました。
1は1981年に離婚。2は結婚まで行かなかったそうです。
どちらも音楽関係の書籍からの情報だったのですが、間違ってんじゃねえかよ。ったく。
正しい情報はこちら。
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