2008年7月18日

人生は死に至る戦ひ

 芥川の『歯車』という小説は、正直ぜんぜん面白くないし、構成もなっちゃいないし、インテリを気取ってるし、そのうえ読めば決まって暗い気持ちになるというオプションつきの、あんまり人にオススメできない作品である。にもかかわらず、私はなぜか何度も読んでいる。

 たぶん、半ば狂気の世界に足をつっこんでいた芥川の混乱しきった頭の中を旅するような、不思議な感興を抱かせるからだろう。

 その芥川の直筆遺書が発見されたそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080718/acd0807181054005-n1.htm

 比較的有名な次の文句、

一、人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず

 の「死に至る」は後から追加されたものだそうだ。

 芥川だなあ、と思った。死ぬ間際まで神経過敏、そして死ぬ間際まで気取ってやがる。

 直筆遺書、見てみたい。写真ぐらい公開しないもんだろうか。

2008年6月22日

秋葉原殺傷事件を考える <1>

 秋葉原殺傷事件に関しては、ずいぶんいろんなことを考えさせられました。

 犯人である「彼」の携帯サイトへの書き込みも熟読してしまいましたし、現在も報道のひとつひとつに、強い興味をもって接しています。正直、ゲンナリしてしまうことが多いので、精神衛生上よろしくないことはよくわかっているのですが、どうしてもやめることができません。

 どうしてこれほどに強い関心を抱いたかといえば、ひとえに「彼」が、犯行に至るまでの心情を、つぶさに記録し、公開していたためだと思います。

 すこし広い視点をもてば、無差別大量殺人というのは、洋の東西を問わず、頻繁に起こっているものだということを知ることができます。有名なものに、横溝正史の『八つ墓村』のモデルになったといわれる津山三十人殺しや、コロンバインの銃乱射事件があります。

 その視点に立ってみれば、「彼」の犯行はとくに珍しいものではありません。
 だが、「彼」ほどに、犯行動機を世間の目にさらし、犯行に至るまでの自己の心情を執拗に綴った殺人者はいなかった。犯行後に手記を残す殺人者は多いでしょうが、犯行前にそれをやった者は、私の知るかぎりいません。その意味で、「彼」は特別な存在なのです。

 とはいえ、私が自分でもちょっと異様と思えるほどに事件に興味をもってしまったのは、単に「彼」が残した心情吐露がめずらしかったから、だけではなかったと思います。

「彼」が通ったのと同じ道を、かつて自分も通ったことがある。
 そんな気がしたからです。「彼」の書き込みを熟読しながら、そこに綴られている言葉のひとつひとつに身をゆだねているうちに、私はそのことに気づきました。誤解を恐れずに言えば、私が「彼」でもおかしくなかったのです。

 とはいえ、私は過去に「彼」と同じような犯罪を犯したわけではありませんし、犯行を考えたことすらありません。ただ、同じように世をすね、疎外感を感じていたことがあるだけです。
 同じようなココロの動きをしていたはずなのに、「彼」は殺人鬼となり、自分はならなかった。その相違はどこにあるのか。私はずいぶん、そのことを考えました。

 安全に暮らしていくためにも、私たちは「彼」のような人間を二度と世に出さないよう努めていかなければなりません。それが社会人の、大人のつとめです。いったいどうしたら「彼」に犯行を思いとどまらせることができるか、という問いは、私に「どうして自分は殺人鬼にならなかったのか」を考えさせることになりました。

「彼」に犯行をやめさせる方法は、すぐに考えつきました。すごく単純なことなのです。
「彼」はみごとな五七調をもって、こう綴っています。

「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」

 彼女さえいれば、「彼」は犯行に至らなかったでしょう。だから、「彼」に犯行をやめさせるためには、「彼」に恋人をつくってあげればいいのです。だが、これが難しい。

「彼」に恋人ができないのは、まわりにいる女性が悪いわけではありません。「彼」自身が悪いのです。それも、「彼」の容姿がふるわないためではない。「彼」の写真を見るとわかりますが、顔立ちは悪くなく、むしろ端正なほうだといえるでしょう。どうやら若ハゲみたいですが、こんなもんは隠そうと思えばどうとでもできますし、開き直ってしまえば気になるほどのもんでもないと思います。

「彼」に恋人ができなかったのは、「彼」みずからが可能性を閉ざしていたためです。じつは、私が「同じ道を通ったことがあるなあ」と感じるのも、このあたりのように思うのですが、長くなるので、また日をあらためて綴ることにいたします。

2008年6月19日

アイ・ラブ・レノボ


 先日の500MBハードディスク増設に気をよくして、また設備投資しました。

 私のノートパソコンはThinkPad X41というしばらく前の機種なのですが、買ったときからメモリは不足気味でした。いつかは増設しなきゃな、と思っていたのですが、めんどくさいのとノート用メモリは高い(と思いこんでいた)のとで、そのまま使い倒していたのです。

 ところが、調べてみるもんですよね。今、メモリってムチャ安いんです。
 PC2-4200の1GBメモリがさ、通販で送料込み3000円未満!!
 デスクトップ用じゃないよ。ノート用だよ?
 むろん無印バルク品ですが、問題はまったくございません。


 驚いたのは、lenovoがメモリの換装手順を映像つきで解説してくれていること。

 ふつう、ノートPCのメモリの増設にたいするメーカーのアティテュードは、お店に頼んでね or 自己責任でね、の二通りしかあり得ないと思うのです。ところが、lenovoはじつにユーザフレンドリー。ご丁寧に映像でガイドしてくれるうえに、増設の手順もきわめて簡単です。

 IBMがThinkPadブランドをlenovoに売却したとき、いちばん心配だったのは、それまでのThinkPadの美点であった細やかなアフターケアがなくなってしまうのじゃないか、ということでした。

 私のノートPC先代はThinkPad240という骨董品だったのですけど、ハードディスクがいかれたとき、どういう理由かは忘れましたが、無償で新しいのに変えてくれたのです。
 そのとき、一生ThinkPadを使い続けるぞ、と誓ったのですが、会社がIBMからlenovoに変わって、そういう良さもなくなってしまうのではないか、と心配しておりました。

 まあ、目に見えないところでいろいろ変わってるんでしょうけど、ユーザのメモリ換装をメーカーみずから推奨してしまうあたり、美点はまだまだ健在と思われます。

 今回のメモリ増設に関する一件で、一生ThinkPadを使い続けるぞ、という意思は、いささかも揺らがず、むしろ強固なものになりました。

2008年6月14日

監視強化と法規制

秋葉原につづき、大阪での殺人予告。

<ネット殺人予告>大学生を事情聴取 大阪府警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080613-00000084-mai-soci

 未然に防がれたのは、警察の対応力が上がったってことだろう。以前は、犯人特定が期日のだいぶ後だったもんね。


 今後、ネットの監視強化と法規制は進むだろう。

 自分が誰かを明かさず、どんな秘密も書き込める「王様の耳はロバの耳」なネットは滅んでいかざるを得ない。

 法制化は致し方ないとしても、どこまで許すかを自分なりに持ってないと、とんでもないところまで禁じられることになるよ。

2008年6月10日

古館株急上昇

古舘氏、自民に謝罪なし「笑う局面ない」
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080610-370453.html


 謝るのかなあどうすんのかなあ、と思いつつ、でも「ぜってー謝るんじゃねえぞ」とは思っていた。

 謝らなかった。
 古館株急上昇である。

「今は笑ってる場合じゃねえんだよ」という返しも秀逸だ。

2008年6月7日

広い家

 500GBの外付けハードディスクを買った。
 1万3千円。ほんと、安くなったものだと思う。昔は2GBの内蔵型で同じぐらいしてた筈だ。ちょっと浦島太郎な気分である。

 朝からせっせとバックアップして、OSの再インストールをした。

 朝9時からはじめて、6時ぐらいまでPCに向かっていた。OSの次はドライバ、ドライバの次はアプリケーション、アプリケーションの次はネットワーク設定、などとやっているとたちまちそんな時間になってしまった。凝りはじめるといい加減にできないタチなので、つまんないところにもずいぶん時間をかけた。

 DELLのデスクトップマシンは新品のようにサクサク動くようになった。外付けディスクも好調である。

 今は新しい家に引っ越したような気分になっている。
 
 それにしても、500GB。広いなあ。
 

2008年5月19日

マニアックな日本人

 べつに購入するつもりはないのだが、Amazonでジミヘンのライヴ盤を眺めていたら、こんな記述を見つけた。

※このCDは全世界1000枚限定で、日本への割り当ては300枚のみですので、ご注文はお早めに!!!

 驚いたねえ。日本に300枚も割り当てられてるとは。
 日本人ってほんとマニアックで、そのあたり海外のレコード会社も知ってるんだよな。

2008年3月26日

ある殺人

ホームから落とされ死亡、容疑の18歳逮捕 JR岡山
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200803260005.html

 犯罪を暴くにはまず動機を洗え。松本清張の社会派推理小説はそれを徹底することでリアリティを獲得していたわけだが、それもすっかりアウト・オブ・デイトになった感がある。洗うべき「動機」なき犯罪が当たり前になってしまった。

 この少年などは、「刑務所に行きたいから」無差別殺人である。被害者の遺族の心中を慮ると胸が痛むが、ここまでいってしまうと天災に近い。

 もっとも、こうした「動機なき」犯罪の背景には、ハッキリ「貧困」が見えている。そこはキッチリ指摘しとかなきゃいけないと思う。自殺者が3万人いることと、動機なき殺人者が続出していることの根は同じなんじゃないか。

 社会が豊かになれば犯罪はなくなる、なんて理想論をぶつつもりはない。だが、減少するのは確かだろう。

2008年3月6日

ネットの書き込みと自警団

「埼玉の小学校の女子を2月29日13時に殺します」

 上記の脅迫文が15日ごろ、ネット上の掲示板(2ちゃんねる)に書き込まれた。「埼玉の小学校」に通う子供を持つ家庭は騒然となった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080228-00000925-san-soci

 29日当日はウチの餓鬼の通う小学校も戒厳令状態となり、登下校の際には大人がつきそい、学校の周囲も、付近の住民が警戒のため終日パトロールをおこなっていた。自然発生的に自警団が結成されたのである。

 私は仕事があるから自警団には加わらなかったけれど、細君によれば、直接、小学校に関わりを持たない方も多数参加されたようである。イザというときに集まってくれる住民を見て、細君は感動したと語っていた。

 3月に入ってから、犯人が判明した。千葉の男子小学生だった。「殺す」ことはおろか、埼玉までひとりで来られないような歳の少年だった。
http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY200802290400.html?ref=rss

「殺す」なんて言葉は小学生なら普通に使うだろう。
 千葉在住ということから考えて、なんかで埼玉と千葉はどっちが都会か、とか、どっちがカッコイイか、みたいな話になったのだろう。この二者は東京の近隣の田舎という位置づけが似ているために、大人ですらよく比較をするのである。そこから、「埼玉の小学校」という場所の特定がされたものと思われる。

 たったひとりの小学生のイタズラが、自警団まで結成させてしまう。
 現代ならではの事件であるなあ、などと思った。

 わかったことはふたつ。
 2ちゃんねるの匿名の書き込みも、書いた主は警察が調べりゃすぐわかります。
 ただし、その特定には2週間という時間を要します。もうすこし早くわかってりゃ、自警団結成なんて事態にはならなかったはずなのだ。

 警察も馬鹿じゃないから、今後、捜査のスピードや効率を上げていくだろう。いいことだと思う。

 便所の落書きと揶揄された2ちゃんねるへの書き込みにも、それなりのモラルが求められていくことになるだろう。あんな野放しの場所でさえ、「書いてはいけないこと」ができるというのは、興味ぶかいことであるなあ。 

2008年2月11日

春はそこまで

 寒い寒いと思っていたが、春はすぐそこまで来ているらしい。

 路傍になんとなく目をやったら、オオイヌノフグリの花が咲いている。のみならず、花には蜂までやってきている。

 おやおや、もう春かいな。そう思ってちと遠回りして、近所の梅林に立ち寄ると、未だ開花はしてないものの、つぼみが大きくふくらんでいる。もう2、3日もすれば咲くのだろう。

 梅の花は大好きなのだけど、毎年この時期は忙しくて、開花に気づいたころには盛りを過ぎてしまっていた。

 今年は見逃さないようにしよう。年にいっぺん、この時期にしか見られないんだから。
 

2008年1月6日

いづれか歌を詠まざりける(1)

 
 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

『万葉集』柿本人麻呂の歌。「あしびきの」は「山」にかかる枕詞、「山鳥の尾のしだり尾の」は「長い」にかかる序詞。要は、三十一文字も使って「長~い夜をひとりで寝るのかよ……」と言ってるだけ。ムダが多いのである。そのムダが情緒を織りなす。イイじゃないの、と思う。

『新古今』になると、これを本歌として、次のような歌が生まれる。後鳥羽上皇の作。

 桜さく遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな 

 こちらは「長~い1日」だけど、桜を飽かず眺めている。しかも、「山鳥」に「遠」がついているせいで、桜は近くにあっても、「山」は遠いことがわかる。さすが承久の乱を起こして文武両道に聞こえた帝、堂々としていらっしゃる。桜を1日中眺めているし(常人にはそんなことできません)、都会(京)のど真ん中にいて、山鳥の声なんざ聞こえなくたって気にもしない。技巧もみごとというほかはない。

2008年1月4日

謎の出版社・成瀬書房、続報

 新年あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 昨年4月に、こんな記事を書きました。

ドキュメント 謎の出版社「成瀬書房」を追え!

 以降、この謎の出版社について、追及を続けることもなく放置していたんですが、今年に入ってから、親切な方がこの記事にAnonymousでコメントをつけてくださり、成瀬書房の連絡先がわかりました。下記で検索をかけると、出てくるようです。

日本図書コード管理センター
http://www.isbn-center.jp/cgi-bin/isbndb/isbn.cgi

 日本で出版される書籍には、かならずISBNコードというものがついています。私は職業柄、こいつを扱うことも多いのですが、本をつくる側にとっては、無意味な文字の羅列のくせに、間違うとエライことになるという、かなり厄介で面倒くさいシロモノです。
 でも、こういう使い方もあるんですね。

 誰とは存じませんが、書き込みしてくださった方、ありがとうございました。
 おかげさまで、成瀬書房が千葉県船橋市に現存する出版社で(2005年確認)、一応、取次経由書店販売をしている出版社であることが確認できました。
 電話で問い合わせもできるようなので、こんど問い合わせしてみようかと思っています。

 それにしても、なんだってこんなネット上のチベットみたいなブログ・サイトにたどりついたのかしら、と思ったのですが、どうやら上記記事、「成瀬書房」でググるとトップに表示されるようです。成瀬書房がいかにネットと距離をおいているかの証左でもありましょう。

2007年12月25日

M1グランプリ2007

 毎年、M1を見ると今年も終わりだなあと思う。M1は私にとって、街のクリスマス・イルミネーションなんかよりずっと「年の瀬」を感じさせてくれるイベントなのだ。
 今年もじっくりと鑑賞しましたので、以下、感想を述べてみたいと思います。

 あまり話題にならなかったけど、今年のM1のトピックのひとつは、麒麟の予選落ちだろう。麒麟は笑い飯とともに、M1の「顔」だったわけで、いないのはやはりさみしい。
 まあ、田村くんはベストセラーで億単位のカネが転がりこんでいるというし、川島くんは真鍋かをりに番組中でコクられてつき合いはじめているしで、今年の麒麟はツキすぎの感があった。たぶん、審査員もそのへんの斟酌があったのだろう。

 去年も書いたのだけど、私は笑い飯をとくに贔屓にしていて、彼らに優勝して欲しいと思いながら毎年M1を見てきた。今年の顔ぶれを見て、ひょっとするとひょっとするかもしれないぞ、と期待していたのだが、今年の彼らのネタはふるわなかった。正直、これまでのM1ネタでいちばんつまらなかったと思う。
 思うに、2005年の優勝決定戦における「ハッピーバースデー」のネタがうまくいったから、今回のネタもその路線で、ということなんだろう。でも、今回のロボット・ネタはかなりクオリティが落ちた。擬音だけで笑いがとれると思ったら大間違いだよ。ポテンシャルは高いのだから、もうちっと頑張って欲しい。
 本人たちも相当悩んで今回のネタをつくったんだろうなあ、というのは伝わってくるんだけどね。それが伝わってくるようじゃまずいだろう。
 紹介のときの西田くんのコスプレと、3位外に転落したときの二人のリアクションはムチャ笑えたが、そんなもんばっかり面白くてもしょうがない。来年こそは、と期待している。……って、ちゃんと来年も決勝あがってこいよ。心配になってくるな、もう。

 トータルテンボスの健闘は嬉しかった。彼らは着実に成長している。その成長が自分のことのように嬉しかった。ネタも極限までムダが省かれているし、演技もじつに堂々している。私は彼らと出身地が同じなので(3歳までしか住んでないけど)、とくに目をかけて応援してたのである。今年ラストということで、来年見られないのが残念だけど、今後も活躍してほしいコンビである。

 敗者復活から優勝をかっさらったサンドウィッチマンは大したもんだった。完成度も勢いもちがった。ひょっとするとM1は出来レースなんじゃないか、と思う瞬間が過去何度かあったのだけど、彼らはその疑惑を払拭してくれた。オートバックスはあのオッサンふたりを来年のCMに起用せにゃならぬ。どんなCMになるか、今から楽しみだ。

 ネタは思ったとおりイマイチだったけど、個人的に応援していたコンビがもうひとつ。ハリセンボンである。私は女性の芸人をあまり面白いと思ったことがなくて、彼女たちもその範疇を出ないのだけど、毎週「本番で~す!」を見ていたせいで、好きになってしまった(毎週楽しみに見ているのは「やりすぎコージー」で、「本番で~す!」はその後番組だから、流れでなんとなく見てただけなんだけど)。
 出っ歯のはるかちゃんがお気に入りである。ゲテモノ喰いと誤解を受けそうだけど、かわいいと思う。彼女の顔を見るとなぜかほっとする。

 ……とまあ、今年のM1総括はそんな感じでしょうか。イマイチ笑えなかったなあ今年は。それもこれも笑い飯がふるわねえせいだよ。

2007年12月8日

ソクーロフ『太陽』を観る


 ソクーロフの映画『太陽』をようやく見た。
 takebow師匠のブログで紹介されていたときから気になっていたんだけど、なにぶんにも映画館は得意じゃない。見たい見たいと思いつつ、ついつい見そびれてしまった。

 これは見る機会を逸してしまったかな、と思っていたら、しっかりDVDソフトが発売されたし、レンタル店にも話題作として入荷した。むろん、「外国映画だから」ということもあるんだろうが、たぶん昭和天皇が「歴史」になったということも大きいんだろう。

 見ながら、ぼんやりとベルトリッチの『ラストエンペラー』を思い出していた。あれは歴史の波をもろにひっかぶって庭師として人生を終えた皇帝の物語だった。だが、エンペラー・ヒロヒトはついに「ふつうの人」になることはなかった。
 中国の歴代皇帝の中には、皇帝として生まれながらも、「ふつうの人」として人生を終えた人はたくさんいる。しかし、日本の天皇の中にはそんな人はいない。万世一系、なんて眉唾くさいことを言うつもりはないが、皇室というのはやはり唯一無二なのだ。そんなことを今更ながらに思ったりした。

 ソクーロフ監督についてはよく知らないが、生物学者でもあったエンペラー・ヒロヒトの内面を、じつに見事にフィルムに収めていたと思う。ことに、帝都空襲の描き方は見事だった。
 エンペラーは帝都に住んでいながら、帝都の惨状を見てはいないのである。爆撃の音は聞いていても、被害にはあっていない(皇居は爆撃されなかった)。だから、空襲は彼の頭の中にしかないのである。
 ソクーロフはそれを、空を泳ぐ巨大な魚と燃える街のイメージで、見事に描き出していた。あれがリアルなB29の編隊だったなら、映画は一気に安っぽくなってしまっただろう。限られた予算でも、美しい映画はつくれるのだ。大いに感動させられた。

 エンペラーを演じたイッセー尾形は、一世一代の名演をしている。たぶん、あれほどまでにエンペラーその人に肉迫することができる俳優は、(さまざまな制約のせいもあって)二度と現れないだろう。彼は得意の形態模写を駆使して、エンペラーの苦悩も不幸も神々しさ(と、言っていいと思う)も、みごとに表現していた。
 エンペラーも草葉の陰でお喜びになっているのではないか。あれほどの表現力を持つ俳優は、世界に二人といるまい。まさしく日本の宝である。

 エンペラー・ヒロヒトには個人的に興味があって、いろいろ本を読んだりしたこともある。それゆえ、なのかもしれないが、くりかえし見たくなるような、本当にいい映画だったと思う。


ソクーロフ『太陽』インタビュー
http://www.cinematopics.com/cinema/topics/topics.php?number=877
http://www.sbbit.jp/article/art.asp?newsid=2062

2007年11月28日

僕の名前はムハンマド

 スーダンの英語教師が、クマのぬいぐるみにムハンマドと名づけて逮捕されたらしい。
http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY200711280081.html

 なんでも、生徒に多数決で選ばせた結果だそうで、教師ばかりが悪いわけじゃないと思うんだが。
 圧倒的多数の子どもが選ぶということは、イスラム社会に潜在的にそういう欲求があるということだろう。子どもほど正直なものはない。

 とはいえ、先生には本当に気の毒ですが、無知と軽率は否めないですね。

 その昔、マンガ家が偉人(?)の伝記を描くという企画があり、水木しげるがヒットラーを、藤子不二雄A(当時はAはなかった)が毛沢東を、つのだじろうがマホメット(ムハンマド)を描いた。

 現在、ヒットラーと毛沢東は復刻されているが、つのだじろうのマホメットはたぶん、永遠に出版されることはないだろう。昔はマンガも完全にサブカルチャーだったので、世情にまどわされず好き勝手な企画ができていたのである。




●12月4日追記
 この後、テディベアの英国教師は恩赦となったそうだ。スーダン政府が英国に気を遣った結果とのこと。なんにしてもよかったですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000007-jij-int

2007年11月27日

双頭の蛇

 種子島で双頭の蛇が見つかったという。
http://mainichi.jp/select/photo/archive/news/2007/11/27/20071127k0000m040161000c.html

 どうもこういうニュースを見ると、「自然破壊の影響か……」などといらぬ勘繰りをしてしまうが、そういうもんでもないらしいのは、すこし調べるとわかった。
 http://rate.livedoor.biz/archives/50079911.html

 要は、しょっちゅう見つかるもんなのである。今にはじまったことでもなく、昔からあったもんらしい。こういう奇形は、たまには生まれるもんなのだ。

 種子島の双頭の蛇は町役場で保護されたらしいが、当の蛇にとっては僥倖と呼ぶべきものかもしれぬ。蛇がああいう体型をしているのは藪の中を滑るように動くためで、この蛇のように瘤みたいに顔がついていたら邪魔でしかたがない(写真を見てもらえばわかるが、明らかに双頭に主従がある)。
 自然は厳しいから、滑るように動けない蛇はそれだけ捕食者に襲われる危険も高まるのである。

 今後、種子島町役場でどういう扱いをするか知らないが、殺すことはしないだろう。つまり、外敵のいないところで、安全に飯にありつけるのだ。大学の研究室にでも預けられれば、交尾させようなんて話になるかもしれぬ。子孫も残せるわけである。

 ふと、ハーメルンの笛吹きの話で足の悪い子だけが町に残ったことを思い出した。


  

2007年11月20日

恋する中年


 ヒッチコックの「めまい」を見た。

 なんで今頃そんなもんを見てるんだ、と問われると答えに窮するけれど、要は好きなんですよヒッチコック映画が。
 ヒッチコック映画ぐらい、カウチポテトに向いてるものはそうそうないと思うんです。……な~んて言うと、世の映画ファンに袋叩きにされるだろうな。いいんだよ、私にとってのヒッチコックは、ずっとそういうものだった。

 なんとなく退屈するとレンタル・ショップでヒッチコックを借りてきて見る。最低でも年に3作は見てるだろう。当然、同じものを何度も見たりしている。いちばん多いのはたぶん「レベッカ」、次いで「バルカン超特急」だろうか。

 でも、「めまい」を見るのは2度目である。たぶん15年ぶりぐらい。最初に見たときの印象も悪くなかったんだけど、それからもう一度見ようという気にはなかなかならなかった。どうしてなのか理由は判然としないが、たぶん、現在の目で見るとあまりに陳腐な例の総天然色アニメーションの印象が強かったんだろうな。はじめて見たときは力が抜けたもんなー。

 しかし、しかしである。
 今回見た「めまい」は本当に素晴らしかった。ヒッチコックってすげえなあ、と久々に思ってしまった。

 知ってる人も多いと思うけれど、この映画、二部構成になっている。前半はヒッチコックお得意のサスペンス/スリラー。幽霊に取り憑かれた女(キム・ノヴァク)を、探偵役の元刑事(ジェームス・スチュアート)が追う。女は不幸な死に方をしたスペイン系移民の女性に憑依されていて、不可思議な行動をとる。しかも、その間の記憶がまったくない。
 とぎれとぎれの記憶、夢で見た場所……そんな白昼夢のような光景を、ヒッチコックはまるで前衛絵画のようなカメラアングルを駆使して描き出していく。色彩や光の加減も細部まで計算しつくされている。まず、これに圧倒された。「めまい」ってやっぱすげえんだ、と再認識してしまった。

 後半は前半のタネ明かしと、主役の男女の恋愛劇を主軸としている。ハッキリ言って、トリックのネタそのものは大したもんじゃない。だからミステリーとして見れば肩すかしを食らってしまうが、「めまい」がほんとに凄くなるのは後半の方である。前半では健常だったはずの元刑事が、どんどん常軌を逸してくる。サスペンスを喚起する主体が、前半は女だったのが、男の方に移っているのだ。前半で幽霊ネタを使ってさんざん煽っていた不安が、ここにきて効果を現してくる。幽霊なんざいない現実の方が、ずっと不安なのである。

 男が異様さを増していくのは、彼が恋をしているからだ。
 中年男の恋は、偏執的である。マトモじゃないのだ。その異様さ・みっともなさ・どうしようもなさ。それだけでもじゅうぶん異常なのに、ヒッチコックはそこに怒りと復讐心と嫉妬を加えてみせる。凄惨、ここにきわまれりである。そして、とってつけたような幕切れ。2時間の美しき悪夢は、とつぜん、鐘の音とともに終わりを告げる。

 15年前には、わからなかった。むろん、楽しむことはできたんだけど、中年男のキチガイじみた恋愛の凄まじさには、理解が及ばなかった。それを理解するには若すぎたのだ。

 オッサンになんないとわかんないもんって、やっぱりあるんだよな。



 

2007年11月17日

戦争博物館をつくろう

 靖国神社に参拝し、遊就館を見学してきた。
 今まで、行ったことがなかった。はじめて行ったのである。

 遊就館はバリバリの皇国史観による陳列が行われていると聞いていたのだが、思っていたよりずっとマトモだったので少々拍子抜けした。もっとすごいのを想像していたのだ。

 むろん、首をかしげたくなる展示はたくさんあった。見ながらけっこうツッコミ入れてたから、やっぱり偏っていた、というべきなんだろうな。

 日露戦争を扱った映像では、大本営発表もかくやと思われるほどに、日本の(ナレーターは「我が国の」と語っていた)戦勝をはなばなしく喧伝していた。
 乃木大将の旅順攻撃がいかに無謀な作戦だったかとか、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊に勝てたのはいくつかの幸福な偶然(いい言い方をすれば、「読み」が当たった)に支えられていたことなど、大日本帝国の戦意昂揚に役立たないような情報は一切、語られない。日露戦争で日本が疲弊しきっていたことさえ、ひとことの説明もない。あの調子じゃ日比谷焼き討ち事件は再発しちゃうよ。

 大東亜戦争は日露戦争より戦争指導者がずっとアンポンタンになっているから、ツッコミどころはたくさんあるだろうに、やはり一切述べられていない。
 あの悪名高きインパール作戦ですら、「退却を余儀なくされた」としか語られてないのだ。戦死じゃなくて餓死で数万人死んだとか、兵隊には鉄砲さえ支給されなかったとか、参謀ですらバカな大将の命令を聞かなかったとか、ちゃんと書いとけよ。
 戦争の年表展示における、「日本は和平の道を探っていたのに、アメリカはまったく応じなかった」という説明文にはため息が出た。イギリス大使だった吉田茂の単独外交(政府の承認を得てない独断外交)が、「和平の道を探っていた日本」の代表例になっちまっている。本土決戦までやるつもりだったろ、軍部(=当時の日本政府)は。むろん、それに関する説明はまったくない。

 特攻隊の遺影がたくさん並べられ、特攻兵器「桜花」や「回天」も陳列されていた。
 特攻で死んでいった人たちの冥福は祈りたいし、死者を鞭打つようなことは言いたくないが、特攻隊が美しいとはやっぱり思えなかった。バカな戦争指導者たちの立てた愚かな作戦で散っていった若き命。かわいそうだなあ、とは心の底から思うけれど、それだけである。若者に特攻を強要(と、言っていいと思う)した戦争の親玉たちのバカさ加減にどうしても思い至ってしまうから、それが美しい行いだとはとうてい思えないのである。


 私は、日本人の死生観・宗教観から言っても、靖国神社には天皇と首相がそろって参拝すべきだと思っている。ただし、A級戦犯合祀、ありゃまずい。なんとかすべきだ。あれをなんとかしないうちは、国益上、参拝は控えた方がいい、とも思っている。

 去年だったか、当時、総理大臣だった長州出身のA級戦犯の孫が、「東京裁判は正しくない」みたいなことを言って物議をかもしたことがあった。私は、これには全面的に同意する。いかにも、東京裁判は正しくない。戦勝国が勝ったことを傘に着て、好き勝手に裁いた不公平な裁判だと思う。
 でも、A級戦犯の連中の「罪」はそれでチャラになるわけじゃない。東條英機はやっぱり罪人でなければならない。日本人による裁判をやっても、結果は同じ、絞首刑にしかならないだろう。あいつの出した「戦陣訓」でどれだけの人が死んだかを考えれば、切腹ですら甘い。国賊と断じてもいいと思う。実際、ドイツではヒトラーをそういう扱いにしている。


 話がそれた。言いたいことはそれじゃないんだ。

 われわれ戦争を知らない世代が戦争を知るための施設が、あの遊就館しかないというのは、戦後日本の大きな過ちではなかろうか。
 戦後教育は、反戦平和を叫ぶあまり、過去の戦争をタブーにしてしまい、「戦争とはなんぞや?」をきちんと分析する機会を与えなかった。
 そのせいで、かえってああいう戦争を美化するがごとき偏った急進的な施設が、唯一の戦争資料館になってしまうという、本末転倒が行われてしまっている。これは由々しきことじゃないか?
 戦争博物館をつくるべきなのだ、国費で!

 遊就館は、あの戦争を美化しすぎている。極東の島国が世界を相手に戦争をやった、そりゃ立派かもしれんが、その反対の暗黒面――帝都空襲で東京がどんだけズタボロになったかとか、原爆投下に際してアメリカが何を考えていたかとか、戦争のせいで国民生活がどれほど窮乏にさらされたかとか、そういう面がまったく欠落してしまっている。あれが唯一の戦争資料館というのは、どう考えたってまずい。

 かといって、われわれ戦後生まれが学校で教えられてきたように、戦争の悲惨ばかり繰り延べるのはどうかと思うのだ。誇れるところは、誇ったっていい。ゼロ戦がいかに優れた戦闘機だったかとか、第二次大戦は日露戦争とちがって、日本軍の兵器はすべて国産品だったとか、ちゃんと誇ったらいい。ヘンな精神論なんかより、科学力・技術力に優れていたんだ、というアピールの方が、ずっと説得力があるだろう。また、戦争とは国際政治の延長なんだから、そこんとこもキッチリ紹介する必要がある。当時の日本の政治家がテロにビビってなんにもできなかったことや、ヤクザみたいな連中がイケイケドンドンで考えなしに中国を攻めたせいで、アメリカとことを構えざるを得なかったことも含めて。
 そんな戦争博物館が絶対に必要なのだ。ヨーロッパには沢山あるじゃないか。なんで日本にはできないんだ?
 
 グリーンピアつくるカネとヒマがあったら、そういう施設をつくれば良かったのである。
 いや、今からでも遅くない。あのムダにでかい東京都庁の中にでも、戦争博物館をつくればいい。東京空襲を3Dジオラマにして見せればいいじゃないか。修学旅行の生徒を呼べば、観光収入にもつながるぞ。どうですかね、石原さん。
 

2007年11月14日

やっぱりまやかしだった

 大連立構想と小沢の辞任すったもんだにもずいぶん驚かされましたが、次のニュースを見たときにも相当驚きました。

海外派遣の自衛隊員16人、在職中自殺…対テロ・イラク
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071113it14.htm


米兵に自殺が多いってな話は以前から知ってました。
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10043600549.html

まあ、ある意味当然かなと思っていたのです。大儀なき戦争、「イラクの民主化」を旗印に戦っていたはずなのに当のイラク国民から攻撃される毎日。ふつうの神経じゃ耐えられないだろうな、と思うのです。

でも、自衛隊は戦ってるわけではありません。給水活動、および後方支援が任務だったはずです。じっさいに弾が飛んでくるところにはいないはずだし、弾が飛んできたら逃げるのが自衛隊で、事実、死傷者は出てないんです。

それがなぜみずから命を絶たなければならなかったのか。

おそらくは、すごく深いところで精神的に追いつめられる、ということなんでしょうね。
表層的な部分だけでわかったふりをすることはできないもんだな、と思いました。

ひとつだけ明らかなことは、「非戦闘地域」なんてやっぱりまやかしだったんだ、ということです。

2007年10月27日

日本は資源大国?

 日本は「資源のない国」と言われて久しいですが、日本近海には石油に代わるメタンハイドレートなる資源が豊富にありまして、中国の探査船が日本海をウロウロしてるのは、じつはこいつを探ってるんだそうです。

 こいつがあれば石油なんざ輸入する必要はないんだが、石油取引にまつわる利権があるから、エネルギーをこっちにシフトすることができないんだそうで。

 ……てな話を、最近ある高名なシンクタンカーの方に聞きました。

 まあ、「ある」のは事実なわけで、それが実用化されないとすれば、「安全性の問題」か「既得権益の破壊」か、どちらかの理由しか考えられないですよね。前者もでかいんじゃないかという気がしますが。なんか沈没しそうじゃん、日本列島。

 これが100年早く実用化されてれば日本が戦争する必要もなかったのかな。いや、そんなことはないな。むしろイケイケドンドンでもっと悲惨な目に合ってたかも。

 いずれにしても、こんなもんが実用化されたら世界の勢力図は変わってくるでしょうねえ。