みなさんにオススメしたいサイトがあります。
「2ちゃんねる」みたいな総合掲示板サイトです。
Goodjobbs
http://www.goodjobbs.jp/
2ちゃんねるというと、なにかというと「モナー」だの「逝ってよし」だの、ほとんど便所の落書きみたいな書き込みが多いことで知られていますが、当然の こと、そんな書き込みばかりではありません。情報の流通はとても早いですし、きわめて高度な議論が戦わされているスレッドも多いのです。
ところが、せっかくの立派な議論も、「モナー」だの「逝ってよし」だのにまみれているために、十把一絡げに「くだらんもの」と見なされてしまう、という難点がありました。
せっかくの優れた議論・意見が、ただそれだけの理由で汲み上げられることなく消えていってしまっているとすれば、さみしい話ですよね。
Goodjobbsは2ちゃんねるのそういうところを補い、議論・意見にプライオリティを与える機能を持った新しい掲示板です。要は、優れた議論・意見と「モナー」「逝ってよし」のたぐいを峻別することができるわけです。
そのプライオリティを決定するのもまた、掲示板の利用者という点もすごくいいと思います。画期的です。
詳細は下記URLをご参照ください。
http://www.goodjobbs.jp/main/about_site
さて、なんだって私がこんな宣伝マンみたいな文章を書いているかといいますと、このサイト、私の友人がつくったものだからです。
つきあいはじめてかれこれ10年以上、頻繁に会ったりパッタリ会わなくなったりを繰り返し、だらだらと続く友達づきあいなんですが、この Goodjobbsに関しては、サイトオープン前に早稲田にある彼のオフィスを幾度となく訪れて、無責任な意見をあれこれ言ったりしていました。アドバイ ザーといえば聞こえはいいですけど、要するにイチャモン野郎ですね。
そういう経緯もありまして、彼の「作品」ともいえるこのサイトには愛着もありますし、盛り上がってもらいたい、と考えております。
所詮、掲示板サイトですから、彼がつくったのは「箱」に過ぎません。「中身」は利用者がつくるものです。
というわけでひとつ、皆さんにもGoodjobbsを利用していただいて、「中身」の充実に協力していただきたい、と思う次第であります。
今なら、新雪の上に足跡をつけるような、Virgin Beautyを味わうような、そんな楽しみも感じられるはず。
是非Goodjobbsの成長を見守ってやってください。
2006年5月31日
2006年5月29日
池袋ウエストゲートパークとジミヘン

石田衣良の『池袋ウエストゲートパーク』をようやく読み終わった。
なぜ今頃? とか、あんなさらっと読める小説をどうして「ようやく」? とかは、説明すれば説明できるけど、些末なことだからやめておこう。
この小説がきわめて優れたエンターテインメント作品であることも、私がここでくどくど述べ立てなくてもいいだろう。たとえばAmazonのレビューに掲載された読者の方々の絶賛の嵐を見ていただければじゅうぶんだ。自信をもってオススメできる、とても良質なハードボイルド・ミステリーである。
最近、小説とか映画とかマンガとかに接すると、たいがい「おもしろいなあ」「すごいなあ」と感心しているような気がする。単純に選ぶものに当たりが多いのか、私の価値判断の基準が甘くなったのか、定かじゃないけれど。前者だと思いたいけどね。
ただ、ひとつだけ、ケチをつけたい。
作者はたぶん、クラシック音楽のファンなのだろう。私は未読だけれど、ちょっと恥ずかしいタイトルのモーツァルトに関する著書もあるぐらいだ。
でも、池袋にたむろする若者たちの青春群像を活写するためには、クラシックだけじゃ弱いんだよね。作者はそれもわかっていて、時折ロックのタームも入れている。その使い方もすごくうまくて、かなり感心したんだけどさ。
でも、ロック・ファンとしては許し難い事実誤認がひとつ。
ジミ・ヘンドリックスの名曲「エンジェル」はアルバム『エレクトリック・レディ・ランド』には収録されておりません。
きたねえ手で俺のジミヘンにさわるんじゃねえよ、ろくすっぽ聴いたこともねえくせに!
……とか、そこまで言うつもりはございませんが、版を重ねるときは訂正してほしいもんである。ストーリーのテーマにも関わってくる、大事な曲じゃないの。
とはいえ、私が読んだのは文庫版でもう18刷(!)。
手遅れだな。
たぶん、まちがって『エレクトリック・レディ・ランド』を買った馬鹿が何人かいるだろう。まあいいか、名盤だし。
2006年5月28日
2006年5月27日
ウィキペディアを考える
仕事上、ウィキペディアにお世話になる機会はとても多い。
ちょっとわからないことがあったり、調べ物をしたりする際、ウィキペディアはとても便利だ。単純に百科事典として重宝するばかりでなく、通常、百科事典には掲載されないような情報も、ウィキペディアには詳細に解説されているからである。
たとえば、あるテレビドラマに関して知りたい、と思ったとき、一般の百科事典はまったく役に立たない。だが、ウィキペディアなら、ドラマの放映局、放映期間、スタッフやキャストなどについて、きわめて詳細な情報を得ることができる。場合によっては、放映時の視聴率まで掲載されていることもある。
私がマスコミのはじっこの方で仕事をはじめた頃、こういう情報を調べるのはまことに骨が折れる作業であった。たとえば視聴率を知るためには、その手の情報が出ている新聞や雑誌の記事を探すか、しかるべき機関に依頼して問い合わせなければならなかった。そういう機関はたいがい有料なのである。要は、手間をかけるか、お金をかけるかしなければならなかったのだ。
ところが、ウィキペディアで調べれば、そんなもんは瞬時にわかってしまう。このちがいは大きい。
もっとも、これはいろんなところで指摘されてることなのだが、ウィキペディアの情報とは、基本的に信頼のおけないものなのである。情報の信憑性はきわめて低い。たとえば平凡社の百科事典では絶対にあり得ないようなウソが、ウィキペディアには平気で書かれているのだ。一般の百科事典の情報は鵜呑みにしたって大きな問題はないが、ウィキペディアの情報を扱う際は、眉にツバしてかかる必要がある。情報の裏づけを得るためには、結局、手間をかけるか、カネをかけるかしなければならない。それを考えると、じつは事態は数年前から一歩も進歩しておらず、むしろややこしくなっているのでは、という気さえする。
事実、「ウィキペディアのウソ」は私も何度か発見したことがあった。その都度ログインして訂正をくわえるようにはしているが、その訂正だって、信憑性が高いとはいえない。誤った方向に改竄している可能性をぬぐい去ることはできない。
また、情報が恣意的である、という問題もある。
ある作家について調べたとき、こんな記事が掲載されていた。
「この作家Aは、ある新人賞で新人作家Bの作品を『たいへん優れた作品である』と激賞した」
おそらくは、新人作家Bの熱心なファンが書いた解説文だったのだろう。作家Aの解説に、新人賞でのちょっとした発言があげられてしまっている。言うまでもないことだが、新人賞での発言など、作家Aの重要な仕事であるはずがない。百科事典の解説としては、これはきわめて不適当である。
もっとも、不適当ではあるが、それを消そうとは思わなかった。作家Bのファンがわざわざ書き入れた一文なのだから、信憑性はきわめて高いと思われるからだ。ウソでないのなら、直す必要はない。ただ、だいぶ偏向したものにはなっているなあ、とは思うけれど。
誰もが記事の解説者であり、誰もが記事の校正者であるというシステムは、こういうレベルの低い争いを生み出すこともある。あるポップ・スターの身長に関する記述が、タチの悪いイタズラに発展した例だ。
ここで問題となったポップ・スターの身長が、本当は何センチなのかは、本人にあたってみないとわからない。どうだっていいことだとは思うが、どうだっていいと思っていない人がいるから、こういう争いも起こるのだろう。情報の重要性は人によってちがうのである。
便利な反面、ウィキペディアは数多くの問題をはらんでいる。その問題は、じつは「真理とはなんぞや?」というきわめて哲学的な問題を内包しているために、とても厄介だ。問題解決の手だても目下のところ、なさそうである。
ただ、ウィキペディアのある世界とない世界、どっちが好きですかと問われれば、私は前者が好きですと答えると思う。「誰もが記事の解説者であり校正者である百科事典」それはもしかしたら、「百科事典」のあるべき姿にむしろ近いのかもしれない、と思うからだ。
ちょっとわからないことがあったり、調べ物をしたりする際、ウィキペディアはとても便利だ。単純に百科事典として重宝するばかりでなく、通常、百科事典には掲載されないような情報も、ウィキペディアには詳細に解説されているからである。
たとえば、あるテレビドラマに関して知りたい、と思ったとき、一般の百科事典はまったく役に立たない。だが、ウィキペディアなら、ドラマの放映局、放映期間、スタッフやキャストなどについて、きわめて詳細な情報を得ることができる。場合によっては、放映時の視聴率まで掲載されていることもある。
私がマスコミのはじっこの方で仕事をはじめた頃、こういう情報を調べるのはまことに骨が折れる作業であった。たとえば視聴率を知るためには、その手の情報が出ている新聞や雑誌の記事を探すか、しかるべき機関に依頼して問い合わせなければならなかった。そういう機関はたいがい有料なのである。要は、手間をかけるか、お金をかけるかしなければならなかったのだ。
ところが、ウィキペディアで調べれば、そんなもんは瞬時にわかってしまう。このちがいは大きい。
もっとも、これはいろんなところで指摘されてることなのだが、ウィキペディアの情報とは、基本的に信頼のおけないものなのである。情報の信憑性はきわめて低い。たとえば平凡社の百科事典では絶対にあり得ないようなウソが、ウィキペディアには平気で書かれているのだ。一般の百科事典の情報は鵜呑みにしたって大きな問題はないが、ウィキペディアの情報を扱う際は、眉にツバしてかかる必要がある。情報の裏づけを得るためには、結局、手間をかけるか、カネをかけるかしなければならない。それを考えると、じつは事態は数年前から一歩も進歩しておらず、むしろややこしくなっているのでは、という気さえする。
事実、「ウィキペディアのウソ」は私も何度か発見したことがあった。その都度ログインして訂正をくわえるようにはしているが、その訂正だって、信憑性が高いとはいえない。誤った方向に改竄している可能性をぬぐい去ることはできない。
また、情報が恣意的である、という問題もある。
ある作家について調べたとき、こんな記事が掲載されていた。
「この作家Aは、ある新人賞で新人作家Bの作品を『たいへん優れた作品である』と激賞した」
おそらくは、新人作家Bの熱心なファンが書いた解説文だったのだろう。作家Aの解説に、新人賞でのちょっとした発言があげられてしまっている。言うまでもないことだが、新人賞での発言など、作家Aの重要な仕事であるはずがない。百科事典の解説としては、これはきわめて不適当である。
もっとも、不適当ではあるが、それを消そうとは思わなかった。作家Bのファンがわざわざ書き入れた一文なのだから、信憑性はきわめて高いと思われるからだ。ウソでないのなら、直す必要はない。ただ、だいぶ偏向したものにはなっているなあ、とは思うけれど。
誰もが記事の解説者であり、誰もが記事の校正者であるというシステムは、こういうレベルの低い争いを生み出すこともある。あるポップ・スターの身長に関する記述が、タチの悪いイタズラに発展した例だ。
ここで問題となったポップ・スターの身長が、本当は何センチなのかは、本人にあたってみないとわからない。どうだっていいことだとは思うが、どうだっていいと思っていない人がいるから、こういう争いも起こるのだろう。情報の重要性は人によってちがうのである。
便利な反面、ウィキペディアは数多くの問題をはらんでいる。その問題は、じつは「真理とはなんぞや?」というきわめて哲学的な問題を内包しているために、とても厄介だ。問題解決の手だても目下のところ、なさそうである。
ただ、ウィキペディアのある世界とない世界、どっちが好きですかと問われれば、私は前者が好きですと答えると思う。「誰もが記事の解説者であり校正者である百科事典」それはもしかしたら、「百科事典」のあるべき姿にむしろ近いのかもしれない、と思うからだ。
2006年5月25日
移転の理由
一昨年の10月から足かけ2年間、Ameba Blogにお世話になったのだけれど、このたび、わたくしが日々の駄文をつらねるブログ「山羊の頭のスープ」を、Bloggerに移転することにした。
Amebaを離れることにしたのは、いくつか理由がある。
1, スパム・コメントが不愉快だった(これがいちばん大きい)
2, 接続しにくい・接続しないことがあり、ストレスがたまった
3, デザイン・テンプレート(スキン)で使いたいものがなくなった
移転の理由としてはじゅうぶんだと思うんだが、どうだろう?
移転先はあちこち物色してみた(主にcocologとseesaa)のだが、結局以前からアカウントを持っていたBloggerに落ち着いた。
Bloggerはひとことでいうと、すごく不親切なブログ・サイトである。
Bloggerが提供するのは、必要最低限のシステムだけだ。デフォルトではトラックバックを受け付けることもできないし、記事のカテゴリ分類もできない。それらは、いちいちHTMLをいじって、ユーザが独力で構築していかなければならないのである。
だが裏をかえせば、それはユーザの自由度が高いということでもある。じつは、このサイトのサイド・バーも、私がちまちまHTMLをいじって設定したものなのだけど、こういうことは、Amebaではできなかった。おかげさんで、覚えるつもりはなかったのに、HTMLのタグをいくつか、覚えてしまった。
面倒くさいことは大嫌いなくせに、一度ハマるとひたすら熱心にやってしまう性格ゆえ、これがけっこう楽しかったりした。ひょっとしたら、もっとハマるかもしれないし、早々に飽きるかもしれない。まあ、楽しいうちはいろいろやってみようと思っている。
Bloggerには、余計な機能(例:ブログ・ランキングを表示したり、カレンダーを表示したりする機能)がない。さみしいぐらいになにもない。さらに、企業広告がない。それゆえ、見た目がシンプルでとてもすっきりしている。そこがいちばん気に入っている。
Amebaを離れることにしたのは、いくつか理由がある。
1, スパム・コメントが不愉快だった(これがいちばん大きい)
2, 接続しにくい・接続しないことがあり、ストレスがたまった
3, デザイン・テンプレート(スキン)で使いたいものがなくなった
移転の理由としてはじゅうぶんだと思うんだが、どうだろう?
移転先はあちこち物色してみた(主にcocologとseesaa)のだが、結局以前からアカウントを持っていたBloggerに落ち着いた。
Bloggerはひとことでいうと、すごく不親切なブログ・サイトである。
Bloggerが提供するのは、必要最低限のシステムだけだ。デフォルトではトラックバックを受け付けることもできないし、記事のカテゴリ分類もできない。それらは、いちいちHTMLをいじって、ユーザが独力で構築していかなければならないのである。
だが裏をかえせば、それはユーザの自由度が高いということでもある。じつは、このサイトのサイド・バーも、私がちまちまHTMLをいじって設定したものなのだけど、こういうことは、Amebaではできなかった。おかげさんで、覚えるつもりはなかったのに、HTMLのタグをいくつか、覚えてしまった。
面倒くさいことは大嫌いなくせに、一度ハマるとひたすら熱心にやってしまう性格ゆえ、これがけっこう楽しかったりした。ひょっとしたら、もっとハマるかもしれないし、早々に飽きるかもしれない。まあ、楽しいうちはいろいろやってみようと思っている。
Bloggerには、余計な機能(例:ブログ・ランキングを表示したり、カレンダーを表示したりする機能)がない。さみしいぐらいになにもない。さらに、企業広告がない。それゆえ、見た目がシンプルでとてもすっきりしている。そこがいちばん気に入っている。
2006年5月23日
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