2007年1月23日

保守的な、あまりに保守的な(ヘッドホン購入記)

 毎日使っているヘッドホンが壊れて、新しいのを買いに行った。

 昨年夏ぐらいだろうか、ウチの餓鬼に踏みつけられて崩壊の兆しを見せて以来、修繕できるところは修繕しつつ、だましだまし使っていたのだが、ついに完全にオシャカになってしまったのである。

 ヘッドホンは私にとって、生活必需品である。こいつがないと、普段から情緒不安定な人間が、ますます情緒不安定になってしまう。したがって、壊れた以上はすぐさま次のヘッドホンを購入しに行かなければならない。寸毫の空白も許されないのだ、ことは死活問題なんだから。
 私はさっそく、ビッグカメラ池袋本店におもむいた。

 ヘッドホン購入にあたっては、2つの条件がある。こいつをクリアした商品でなければ、私のヘッドホンとなる資格はない。

1,毎日持ち歩くものなので、頑丈で壊れにくく、コンパクトであること

2,ある程度の音質で再生できること

 ヘッドホンは高音質を望めばいくらでもいいものが手に入るけれども、そういうのはたいがい室内用なので、でかくて持ち運びに不便である。また、室内用はつくりが華奢なので、「壊れにくい」という条件をクリアすることができない。
 さらに、音質はほどほどによくなければ困るのだ。安っぽいペナペナの音では、情緒不安定が助長されてしまうではないか。

 したがって、選択肢は意外に狭い。上記2つの条件をクリアできるヘッドホンは、DJ用のやつしかないのだ。

 DJ用ヘッドホンも各社いろいろ出てるけれども、ビッグカメラ池袋本店で試聴できて、なおかつ当日の持ち帰りが可能なものとなると、選択肢は限られてくる。何度も言うけど、情緒不安定になっちゃうんだから、今日買って今日聴けなきゃ困るのだ。

 いくつか試聴してみて、最終的に候補に残ったのは、以下の2機種であった。

MDR-Z700DJ(ソニー)
http://www.ecat.sony.co.jp/avacc/headphone/acc/index.cfm?PD=826&KM=MDR-Z700DJ

RP-DH1200 (松下/テクニクス)
http://prodb.matsushita.co.jp/product/info.do?pg=04&hb=RP-DH1200

 じつは、壊れたヘッドホンというのは、ソニーのMDR-Z700DJなのである。つまり、同じものを買うか、新しいものを買うかという選択を迫られたのだ。

 この2つ、同じ価格帯なのだけれど、音質はまるでちがう。むろん、「ある程度の音質」という上記の条件をクリアした機種だから、いずれもイイ音で再生してくれる。だが、文字どおり「音の質」がまるでちがっているのだ。

 ソニーの方は、低音の再生に重点が置かれ、音像が安定している。だが、そのぶん音が奥まって聞こえる難点があった。一方、松下の方は、音の分離がよくクリアだが、反面、キンキンして耳障りな感じがある。

 どっちにするかさんざん迷い、何度も交互に試聴したあげく、結局ソニーのものを買ってしまった。要は、壊れたやつと同じものを買ったわけである。今考えると、試聴用の音源がスピッツだったことが、この選択に大きな影響を及ぼしているような気がする。1時間ぐらいスピッツ聴いてたぜ、俺。こんな経験ははじめてだ。

 購入したての新ヘッドホンで最初に再生したのは、アイズレー・ブラザース1973年のアルバム『3+3』。ビリビリ来る破天荒なファズ・ギターとファンキーかつメロディアスな楽曲の組み合わせは、時折ムショーに聴きたくなるのである。今日がたまたまその日に当たっていたというわけだ(私は未だにポータブルCDプレイヤーを持ち歩いているので、音楽を聴くときは依然としてアルバム単位である)。

 新ヘッドホンは、新しいので多少密閉率がいいものの、昨日までとまったく同じ音で『3+3』を再生した。
 同じ製品なんだから当たり前なんだけど、ちょっとさみしかった。「ザット・レディ」のビリビリ・ファズを松下のクリアなヘッドホンで聴きたかったなあ。まさに絢爛という感じだろうなあ、などと思うと、選択を大きく誤ったような気がしてくる。……まあ、こんなのは今思うだけなんですけどね。

 長期にわたって使うものだから、耳障りでない安定した音質のものを、と考えてソニーにしたのだ。その選択に誤りはなかったとは思っている。だが、さんざん迷って前と同じものを買うあたりに、私個人のケチな保守性が見え隠れしてるような気がして、なんとなくケツの座りが悪いのであった。

 さて、今度のヘッドホンは何年保つかなあ。

2007年1月14日

コナン・ドイルの妖精写真

 調べ物をしていたら、こんな写真を見つけた。わりと有名な写真だから、知ってる人も多いかもしれない。



「コティングリーの妖精写真」と呼ばれる写真で、1916年、イギリスはブラッドフォード近くのコティングリー村に住む幼い女の子が撮影したものである。

 こうしたものに目の肥えた我々は、この写真がチャチな捏造だとすぐさま見抜くことができる。じっくり調査するまでもなく、見るからにニセモノではないか。

 ところが、かのシャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルがこれを妖精実在の根拠として大きく取り上げたことから、この写真はかなり長期にわたってイギリスのモノ好きたちの間で論議の的になったという。

 詳細はここに譲るが、面白い話だと思う。

 20世紀初頭の人々にとっていかに写真が新しいメディアであったかとか、コナン・ドイルのような一流の文化人の発言がいかに影響力を持っていたかとか、いろいろ興味深いことも多いけれど、もっとも興味を惹くのは、コナン・ドイルという人の妄想力のたくましさである。
 晩年のドイルは心霊研究に没頭していたというが、これをホンモノだと信じさせたのは、あのシャーロック・ホームズを生み出したイマジネーションと同じものなのだ。
 

2007年1月12日

Since You've been Gone


 昨年末にジェームス・ブラウンが亡くなった。
 ニュースを聞いて驚きはしたけれど、いまだに現実感がもてないでいる。明日にでも次の来日公演の日程が発表されそうな気がするのだ。こういうと冷たいようだけれど、外タレの死なんて、そんなもんなのかもしれない。

 現実感が持てない理由はもうひとつある。昨年の3月、私はJBの芸能生活50周年を記念する来日公演を目にしているのだ。

 JBはとにかく、とても元気だった。70歳を越える病み上がりの老人(彼は一昨年、ガンの手術をしたばかりだった)とはとても思えないほど、パワーがあった。
「JBが死ぬ前に、一度見ておこう」というような消極的な理由から行ったコンサートだったから、ぜんぜん期待していなかったのだけれど、凄いパフォーマンスを見せつけられた。文字どおり、度肝を抜かれたのである。
 そのコンサート鑑賞記を、私は下記に記している。

JB最後の日本公演レポート「生ける伝説を見た」
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10009813729.html

 このコンサートを見た後、私は確信をもったのである。JBはあと二、三回は来日できるだろう、と。この爺さんは殺しても死なねえ。そう思ったのだ。

 でも、どうやらそういうことでもなかったらしい。JB自身は、「もう日本には来られない」と語っていたそうなのだ。JBが亡くなってしばらくして、そういう情報が入ってきた。

 上のコンサート・レポートにも書いているけれど、JBはこの最後の来日公演において、ショーの中盤、ステージ上に黒いドレスを着た翻訳者を呼び出して、自分の言葉を同時通訳させている。それは、こんな言葉だった。

「今、この時間にも、戦争でたくさんの命が失われています。今、私たちに必要なことは、『愛する』ということです。さあ、あなたの右隣の人に『愛してます』と伝えてください。それが終わったら、左隣の人に、『愛してます』と伝えてください」

 JBは私にとって神様みたいなもんだから、もちろん呼びかけに従ったけれど、ちょっと照れくさかったのを覚えている。
 それと同時に、大いに感動もした。JBは60年代・70年代を通じて、アフロ・アメリカンのオピニオン・リーダーであり、メッセージ・メイカーだった人である。70歳を越えてもJBがJBであり続け、メッセージを発し続けているというのは、正直、驚きだった。伝説のJBは生きていたのだ。

 私はてっきり、このくだりはあのマント・ショーと同じように、彼がコンサートの通過儀礼として毎回のようにおこなっているのだと思っていた。でも、どうやらそういうことではなかったらしい。

 初来日以来、JBの来日公演を見続けた熱心なファンの方が、同じ日の公演を見て、次のように記している。

「曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。
だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。」
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_12.html

 JBは明らかに、あのコンサートが最後の日本公演になることを、意識していたのである。そして、日本のファンに向けて、最後のメッセージを伝えていったのだ。どうしても伝えたかったから、ショーの流れが多少悪くなっても、ステージに翻訳者を呼び寄せたりしたのである。

「あなたの隣にいる人を愛しなさい」なんて、笑っちゃうようなベタベタなメッセージではあるけれど、いわば遺言として語られた言葉だったとすれば、これは重い。大切にしていかなければならないな、と思っている。
 最初に書いたけど、JBが死んだということがどういうことなのか、未だに整理できていない。現実感もまるでない。でもみなさん、隣人を愛しましょうね。それがJBの遺志だから。


 なお、上記のブログで、JBの臨終の様子がレポートされている。リトル・リチャード、スヌープ・ドッグ、ミック・ジャガー、そしてブッシュ大統領が弔辞を捧げたそうだ。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_27.html

2007年1月8日

トリヴィア2本

 もともとマニア気質だから、一般性のないことばかりよく知っていて、常識に属することをまるで知らなかったりする。

 最近、また一般性のない知識をふたつ得た。偶然にも両方ともロック・トリヴィアである。どちらも、知ったときには思わず「へえー」と口走ってしまったのだが、残念ながら伝える相手がいない。一般性がなさすぎて。

 でも、こういうことは誰かに伝えないと忘れてしまうから、書きつけておこう。

1,トニー・ヴィスコンティーの奥さんは、メリー・ホプキンである。(へえー!)

2,クリス・トーマスの奥さんは、サディスティック・ミカ・バンドのミカちゃんである。(へえー!)

 2の方はなるほどね、だったけど、1の方はけっこう驚いた。

 どうでもいいけど、このブログ、木のうろみたいになってきてるな、最近。そのうち、「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶようになるかもしれぬ。




*この記事アップ後、以下のご指摘を受けました。

1は1981年に離婚。2は結婚まで行かなかったそうです。

どちらも音楽関係の書籍からの情報だったのですが、間違ってんじゃねえかよ。ったく。

正しい情報はこちら。

1,メリー・ホプキン

2,福井ミカ




 

2007年1月1日

コロンボ・ファンのつぶやき

 毎年、年の瀬になると、深夜『刑事コロンボ』がテレビ放映される。
 したがって、コロンボ・ファンは毎年、正月番組に興味がなくても、テレビ番組表を目を皿のようにして眺めなければならないのである。
 最近はネットでテレビ番組表が検索できるから、簡単に放映日時を知ることができる。また、mixiのコミュニティとかで、同好の士が放映を知らせてくれる。便利な時代になったもんである。

『刑事コロンボ』には、大きくわけてふたつのシリーズがある。
 ひとつは、70年代に制作されたシリーズ。これが全部で45作ある。もうひとつは、89年から断続的に制作されている『新・刑事コロンボ』のシリーズで、目下23作ある。

 70年代の方は、現在は視聴がきわめて容易である。全話収録のDVDボックスが市販されているし、レンタル・ショップにはたいがい、全巻揃っている。あのスピルバーグの監督作『構想の死角』をふくめ、傑作の多いシリーズで、なんとなく元気がないときには、見ることにしている。不思議なもんで、ピーター・フォークの顔を見てると癒されるのである。子どもの頃から好きだったからかもしれない。

 厄介なのが、新シリーズの方だ。昔はVHSが数点リリースされていたようだが、DVD化は未だ、成されていない。
 まあ、気持ちはわかる。新シリーズはファンである私が見ても首をかしげたくなるような趣向のものが多いし、ピーター・フォークはオッサンを通り越してすっかり爺さんである。ソフト化しても売れるとは思えない。
 
 そうするというと、新シリーズを視聴するためには、地道にテレビ放映を待つほかはない、ということになってくるのである。
 とはいえ、所詮、深夜の映画ワクなんか、テレビ局も穴埋め程度にしか考えていない。すべてのストーリーをまんべんなく放映してくれたりしないのである。同じ話を何度も放映するわりに、いっこうに放映されない話があったりする。昔見てもう一度見たいストーリーや、まだ見たことのないストーリーが沢山あるんだけど、なかなかやらないんだよね、これが。

 さて、去年の大晦日、正確には日付が変わって今年になった時間に、新シリーズの1本『殺意のナイトクラブ』が放映された。
 目下のところ、シリーズ最新作である。制作は2003年。前述のとおり、すっかり爺さんになったピーター・フォークが、なんとレイヴ・パーティーの主催者を追い詰めるというストーリーであった。BGMもテクノである。時代ですなあ。
 コロンボ・シリーズは、例の「ウチのカミさんが……」というセリフに見られるがごとく、吹き替えの妙がウリのひとつだったりするのだけれど、今回は字幕での放映。そのあたりにこのシリーズに吹きすさぶ冷たい風を感じたりもしたけれど、若い脚本家/監督が手がけた作品らしく、きわめて現代的でスピーディーな倒叙ミステリーを堪能することができた。新シリーズの中では、かなり出来のいい部類に属するのではないだろうか。

 で、何が言いたいかというと、「テレビ局さん、『新・刑事コロンボ』放映してください」に尽きる。
 まあ、こんなところで訴えたところで届かないでしょうけど……。