2007年12月25日

M1グランプリ2007

 毎年、M1を見ると今年も終わりだなあと思う。M1は私にとって、街のクリスマス・イルミネーションなんかよりずっと「年の瀬」を感じさせてくれるイベントなのだ。
 今年もじっくりと鑑賞しましたので、以下、感想を述べてみたいと思います。

 あまり話題にならなかったけど、今年のM1のトピックのひとつは、麒麟の予選落ちだろう。麒麟は笑い飯とともに、M1の「顔」だったわけで、いないのはやはりさみしい。
 まあ、田村くんはベストセラーで億単位のカネが転がりこんでいるというし、川島くんは真鍋かをりに番組中でコクられてつき合いはじめているしで、今年の麒麟はツキすぎの感があった。たぶん、審査員もそのへんの斟酌があったのだろう。

 去年も書いたのだけど、私は笑い飯をとくに贔屓にしていて、彼らに優勝して欲しいと思いながら毎年M1を見てきた。今年の顔ぶれを見て、ひょっとするとひょっとするかもしれないぞ、と期待していたのだが、今年の彼らのネタはふるわなかった。正直、これまでのM1ネタでいちばんつまらなかったと思う。
 思うに、2005年の優勝決定戦における「ハッピーバースデー」のネタがうまくいったから、今回のネタもその路線で、ということなんだろう。でも、今回のロボット・ネタはかなりクオリティが落ちた。擬音だけで笑いがとれると思ったら大間違いだよ。ポテンシャルは高いのだから、もうちっと頑張って欲しい。
 本人たちも相当悩んで今回のネタをつくったんだろうなあ、というのは伝わってくるんだけどね。それが伝わってくるようじゃまずいだろう。
 紹介のときの西田くんのコスプレと、3位外に転落したときの二人のリアクションはムチャ笑えたが、そんなもんばっかり面白くてもしょうがない。来年こそは、と期待している。……って、ちゃんと来年も決勝あがってこいよ。心配になってくるな、もう。

 トータルテンボスの健闘は嬉しかった。彼らは着実に成長している。その成長が自分のことのように嬉しかった。ネタも極限までムダが省かれているし、演技もじつに堂々している。私は彼らと出身地が同じなので(3歳までしか住んでないけど)、とくに目をかけて応援してたのである。今年ラストということで、来年見られないのが残念だけど、今後も活躍してほしいコンビである。

 敗者復活から優勝をかっさらったサンドウィッチマンは大したもんだった。完成度も勢いもちがった。ひょっとするとM1は出来レースなんじゃないか、と思う瞬間が過去何度かあったのだけど、彼らはその疑惑を払拭してくれた。オートバックスはあのオッサンふたりを来年のCMに起用せにゃならぬ。どんなCMになるか、今から楽しみだ。

 ネタは思ったとおりイマイチだったけど、個人的に応援していたコンビがもうひとつ。ハリセンボンである。私は女性の芸人をあまり面白いと思ったことがなくて、彼女たちもその範疇を出ないのだけど、毎週「本番で~す!」を見ていたせいで、好きになってしまった(毎週楽しみに見ているのは「やりすぎコージー」で、「本番で~す!」はその後番組だから、流れでなんとなく見てただけなんだけど)。
 出っ歯のはるかちゃんがお気に入りである。ゲテモノ喰いと誤解を受けそうだけど、かわいいと思う。彼女の顔を見るとなぜかほっとする。

 ……とまあ、今年のM1総括はそんな感じでしょうか。イマイチ笑えなかったなあ今年は。それもこれも笑い飯がふるわねえせいだよ。

2007年12月8日

ソクーロフ『太陽』を観る


 ソクーロフの映画『太陽』をようやく見た。
 takebow師匠のブログで紹介されていたときから気になっていたんだけど、なにぶんにも映画館は得意じゃない。見たい見たいと思いつつ、ついつい見そびれてしまった。

 これは見る機会を逸してしまったかな、と思っていたら、しっかりDVDソフトが発売されたし、レンタル店にも話題作として入荷した。むろん、「外国映画だから」ということもあるんだろうが、たぶん昭和天皇が「歴史」になったということも大きいんだろう。

 見ながら、ぼんやりとベルトリッチの『ラストエンペラー』を思い出していた。あれは歴史の波をもろにひっかぶって庭師として人生を終えた皇帝の物語だった。だが、エンペラー・ヒロヒトはついに「ふつうの人」になることはなかった。
 中国の歴代皇帝の中には、皇帝として生まれながらも、「ふつうの人」として人生を終えた人はたくさんいる。しかし、日本の天皇の中にはそんな人はいない。万世一系、なんて眉唾くさいことを言うつもりはないが、皇室というのはやはり唯一無二なのだ。そんなことを今更ながらに思ったりした。

 ソクーロフ監督についてはよく知らないが、生物学者でもあったエンペラー・ヒロヒトの内面を、じつに見事にフィルムに収めていたと思う。ことに、帝都空襲の描き方は見事だった。
 エンペラーは帝都に住んでいながら、帝都の惨状を見てはいないのである。爆撃の音は聞いていても、被害にはあっていない(皇居は爆撃されなかった)。だから、空襲は彼の頭の中にしかないのである。
 ソクーロフはそれを、空を泳ぐ巨大な魚と燃える街のイメージで、見事に描き出していた。あれがリアルなB29の編隊だったなら、映画は一気に安っぽくなってしまっただろう。限られた予算でも、美しい映画はつくれるのだ。大いに感動させられた。

 エンペラーを演じたイッセー尾形は、一世一代の名演をしている。たぶん、あれほどまでにエンペラーその人に肉迫することができる俳優は、(さまざまな制約のせいもあって)二度と現れないだろう。彼は得意の形態模写を駆使して、エンペラーの苦悩も不幸も神々しさ(と、言っていいと思う)も、みごとに表現していた。
 エンペラーも草葉の陰でお喜びになっているのではないか。あれほどの表現力を持つ俳優は、世界に二人といるまい。まさしく日本の宝である。

 エンペラー・ヒロヒトには個人的に興味があって、いろいろ本を読んだりしたこともある。それゆえ、なのかもしれないが、くりかえし見たくなるような、本当にいい映画だったと思う。


ソクーロフ『太陽』インタビュー
http://www.cinematopics.com/cinema/topics/topics.php?number=877
http://www.sbbit.jp/article/art.asp?newsid=2062

2007年11月28日

僕の名前はムハンマド

 スーダンの英語教師が、クマのぬいぐるみにムハンマドと名づけて逮捕されたらしい。
http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY200711280081.html

 なんでも、生徒に多数決で選ばせた結果だそうで、教師ばかりが悪いわけじゃないと思うんだが。
 圧倒的多数の子どもが選ぶということは、イスラム社会に潜在的にそういう欲求があるということだろう。子どもほど正直なものはない。

 とはいえ、先生には本当に気の毒ですが、無知と軽率は否めないですね。

 その昔、マンガ家が偉人(?)の伝記を描くという企画があり、水木しげるがヒットラーを、藤子不二雄A(当時はAはなかった)が毛沢東を、つのだじろうがマホメット(ムハンマド)を描いた。

 現在、ヒットラーと毛沢東は復刻されているが、つのだじろうのマホメットはたぶん、永遠に出版されることはないだろう。昔はマンガも完全にサブカルチャーだったので、世情にまどわされず好き勝手な企画ができていたのである。




●12月4日追記
 この後、テディベアの英国教師は恩赦となったそうだ。スーダン政府が英国に気を遣った結果とのこと。なんにしてもよかったですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000007-jij-int

2007年11月27日

双頭の蛇

 種子島で双頭の蛇が見つかったという。
http://mainichi.jp/select/photo/archive/news/2007/11/27/20071127k0000m040161000c.html

 どうもこういうニュースを見ると、「自然破壊の影響か……」などといらぬ勘繰りをしてしまうが、そういうもんでもないらしいのは、すこし調べるとわかった。
 http://rate.livedoor.biz/archives/50079911.html

 要は、しょっちゅう見つかるもんなのである。今にはじまったことでもなく、昔からあったもんらしい。こういう奇形は、たまには生まれるもんなのだ。

 種子島の双頭の蛇は町役場で保護されたらしいが、当の蛇にとっては僥倖と呼ぶべきものかもしれぬ。蛇がああいう体型をしているのは藪の中を滑るように動くためで、この蛇のように瘤みたいに顔がついていたら邪魔でしかたがない(写真を見てもらえばわかるが、明らかに双頭に主従がある)。
 自然は厳しいから、滑るように動けない蛇はそれだけ捕食者に襲われる危険も高まるのである。

 今後、種子島町役場でどういう扱いをするか知らないが、殺すことはしないだろう。つまり、外敵のいないところで、安全に飯にありつけるのだ。大学の研究室にでも預けられれば、交尾させようなんて話になるかもしれぬ。子孫も残せるわけである。

 ふと、ハーメルンの笛吹きの話で足の悪い子だけが町に残ったことを思い出した。


  

2007年11月20日

恋する中年


 ヒッチコックの「めまい」を見た。

 なんで今頃そんなもんを見てるんだ、と問われると答えに窮するけれど、要は好きなんですよヒッチコック映画が。
 ヒッチコック映画ぐらい、カウチポテトに向いてるものはそうそうないと思うんです。……な~んて言うと、世の映画ファンに袋叩きにされるだろうな。いいんだよ、私にとってのヒッチコックは、ずっとそういうものだった。

 なんとなく退屈するとレンタル・ショップでヒッチコックを借りてきて見る。最低でも年に3作は見てるだろう。当然、同じものを何度も見たりしている。いちばん多いのはたぶん「レベッカ」、次いで「バルカン超特急」だろうか。

 でも、「めまい」を見るのは2度目である。たぶん15年ぶりぐらい。最初に見たときの印象も悪くなかったんだけど、それからもう一度見ようという気にはなかなかならなかった。どうしてなのか理由は判然としないが、たぶん、現在の目で見るとあまりに陳腐な例の総天然色アニメーションの印象が強かったんだろうな。はじめて見たときは力が抜けたもんなー。

 しかし、しかしである。
 今回見た「めまい」は本当に素晴らしかった。ヒッチコックってすげえなあ、と久々に思ってしまった。

 知ってる人も多いと思うけれど、この映画、二部構成になっている。前半はヒッチコックお得意のサスペンス/スリラー。幽霊に取り憑かれた女(キム・ノヴァク)を、探偵役の元刑事(ジェームス・スチュアート)が追う。女は不幸な死に方をしたスペイン系移民の女性に憑依されていて、不可思議な行動をとる。しかも、その間の記憶がまったくない。
 とぎれとぎれの記憶、夢で見た場所……そんな白昼夢のような光景を、ヒッチコックはまるで前衛絵画のようなカメラアングルを駆使して描き出していく。色彩や光の加減も細部まで計算しつくされている。まず、これに圧倒された。「めまい」ってやっぱすげえんだ、と再認識してしまった。

 後半は前半のタネ明かしと、主役の男女の恋愛劇を主軸としている。ハッキリ言って、トリックのネタそのものは大したもんじゃない。だからミステリーとして見れば肩すかしを食らってしまうが、「めまい」がほんとに凄くなるのは後半の方である。前半では健常だったはずの元刑事が、どんどん常軌を逸してくる。サスペンスを喚起する主体が、前半は女だったのが、男の方に移っているのだ。前半で幽霊ネタを使ってさんざん煽っていた不安が、ここにきて効果を現してくる。幽霊なんざいない現実の方が、ずっと不安なのである。

 男が異様さを増していくのは、彼が恋をしているからだ。
 中年男の恋は、偏執的である。マトモじゃないのだ。その異様さ・みっともなさ・どうしようもなさ。それだけでもじゅうぶん異常なのに、ヒッチコックはそこに怒りと復讐心と嫉妬を加えてみせる。凄惨、ここにきわまれりである。そして、とってつけたような幕切れ。2時間の美しき悪夢は、とつぜん、鐘の音とともに終わりを告げる。

 15年前には、わからなかった。むろん、楽しむことはできたんだけど、中年男のキチガイじみた恋愛の凄まじさには、理解が及ばなかった。それを理解するには若すぎたのだ。

 オッサンになんないとわかんないもんって、やっぱりあるんだよな。



 

2007年11月17日

戦争博物館をつくろう

 靖国神社に参拝し、遊就館を見学してきた。
 今まで、行ったことがなかった。はじめて行ったのである。

 遊就館はバリバリの皇国史観による陳列が行われていると聞いていたのだが、思っていたよりずっとマトモだったので少々拍子抜けした。もっとすごいのを想像していたのだ。

 むろん、首をかしげたくなる展示はたくさんあった。見ながらけっこうツッコミ入れてたから、やっぱり偏っていた、というべきなんだろうな。

 日露戦争を扱った映像では、大本営発表もかくやと思われるほどに、日本の(ナレーターは「我が国の」と語っていた)戦勝をはなばなしく喧伝していた。
 乃木大将の旅順攻撃がいかに無謀な作戦だったかとか、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊に勝てたのはいくつかの幸福な偶然(いい言い方をすれば、「読み」が当たった)に支えられていたことなど、大日本帝国の戦意昂揚に役立たないような情報は一切、語られない。日露戦争で日本が疲弊しきっていたことさえ、ひとことの説明もない。あの調子じゃ日比谷焼き討ち事件は再発しちゃうよ。

 大東亜戦争は日露戦争より戦争指導者がずっとアンポンタンになっているから、ツッコミどころはたくさんあるだろうに、やはり一切述べられていない。
 あの悪名高きインパール作戦ですら、「退却を余儀なくされた」としか語られてないのだ。戦死じゃなくて餓死で数万人死んだとか、兵隊には鉄砲さえ支給されなかったとか、参謀ですらバカな大将の命令を聞かなかったとか、ちゃんと書いとけよ。
 戦争の年表展示における、「日本は和平の道を探っていたのに、アメリカはまったく応じなかった」という説明文にはため息が出た。イギリス大使だった吉田茂の単独外交(政府の承認を得てない独断外交)が、「和平の道を探っていた日本」の代表例になっちまっている。本土決戦までやるつもりだったろ、軍部(=当時の日本政府)は。むろん、それに関する説明はまったくない。

 特攻隊の遺影がたくさん並べられ、特攻兵器「桜花」や「回天」も陳列されていた。
 特攻で死んでいった人たちの冥福は祈りたいし、死者を鞭打つようなことは言いたくないが、特攻隊が美しいとはやっぱり思えなかった。バカな戦争指導者たちの立てた愚かな作戦で散っていった若き命。かわいそうだなあ、とは心の底から思うけれど、それだけである。若者に特攻を強要(と、言っていいと思う)した戦争の親玉たちのバカさ加減にどうしても思い至ってしまうから、それが美しい行いだとはとうてい思えないのである。


 私は、日本人の死生観・宗教観から言っても、靖国神社には天皇と首相がそろって参拝すべきだと思っている。ただし、A級戦犯合祀、ありゃまずい。なんとかすべきだ。あれをなんとかしないうちは、国益上、参拝は控えた方がいい、とも思っている。

 去年だったか、当時、総理大臣だった長州出身のA級戦犯の孫が、「東京裁判は正しくない」みたいなことを言って物議をかもしたことがあった。私は、これには全面的に同意する。いかにも、東京裁判は正しくない。戦勝国が勝ったことを傘に着て、好き勝手に裁いた不公平な裁判だと思う。
 でも、A級戦犯の連中の「罪」はそれでチャラになるわけじゃない。東條英機はやっぱり罪人でなければならない。日本人による裁判をやっても、結果は同じ、絞首刑にしかならないだろう。あいつの出した「戦陣訓」でどれだけの人が死んだかを考えれば、切腹ですら甘い。国賊と断じてもいいと思う。実際、ドイツではヒトラーをそういう扱いにしている。


 話がそれた。言いたいことはそれじゃないんだ。

 われわれ戦争を知らない世代が戦争を知るための施設が、あの遊就館しかないというのは、戦後日本の大きな過ちではなかろうか。
 戦後教育は、反戦平和を叫ぶあまり、過去の戦争をタブーにしてしまい、「戦争とはなんぞや?」をきちんと分析する機会を与えなかった。
 そのせいで、かえってああいう戦争を美化するがごとき偏った急進的な施設が、唯一の戦争資料館になってしまうという、本末転倒が行われてしまっている。これは由々しきことじゃないか?
 戦争博物館をつくるべきなのだ、国費で!

 遊就館は、あの戦争を美化しすぎている。極東の島国が世界を相手に戦争をやった、そりゃ立派かもしれんが、その反対の暗黒面――帝都空襲で東京がどんだけズタボロになったかとか、原爆投下に際してアメリカが何を考えていたかとか、戦争のせいで国民生活がどれほど窮乏にさらされたかとか、そういう面がまったく欠落してしまっている。あれが唯一の戦争資料館というのは、どう考えたってまずい。

 かといって、われわれ戦後生まれが学校で教えられてきたように、戦争の悲惨ばかり繰り延べるのはどうかと思うのだ。誇れるところは、誇ったっていい。ゼロ戦がいかに優れた戦闘機だったかとか、第二次大戦は日露戦争とちがって、日本軍の兵器はすべて国産品だったとか、ちゃんと誇ったらいい。ヘンな精神論なんかより、科学力・技術力に優れていたんだ、というアピールの方が、ずっと説得力があるだろう。また、戦争とは国際政治の延長なんだから、そこんとこもキッチリ紹介する必要がある。当時の日本の政治家がテロにビビってなんにもできなかったことや、ヤクザみたいな連中がイケイケドンドンで考えなしに中国を攻めたせいで、アメリカとことを構えざるを得なかったことも含めて。
 そんな戦争博物館が絶対に必要なのだ。ヨーロッパには沢山あるじゃないか。なんで日本にはできないんだ?
 
 グリーンピアつくるカネとヒマがあったら、そういう施設をつくれば良かったのである。
 いや、今からでも遅くない。あのムダにでかい東京都庁の中にでも、戦争博物館をつくればいい。東京空襲を3Dジオラマにして見せればいいじゃないか。修学旅行の生徒を呼べば、観光収入にもつながるぞ。どうですかね、石原さん。
 

2007年11月14日

やっぱりまやかしだった

 大連立構想と小沢の辞任すったもんだにもずいぶん驚かされましたが、次のニュースを見たときにも相当驚きました。

海外派遣の自衛隊員16人、在職中自殺…対テロ・イラク
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071113it14.htm


米兵に自殺が多いってな話は以前から知ってました。
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10043600549.html

まあ、ある意味当然かなと思っていたのです。大儀なき戦争、「イラクの民主化」を旗印に戦っていたはずなのに当のイラク国民から攻撃される毎日。ふつうの神経じゃ耐えられないだろうな、と思うのです。

でも、自衛隊は戦ってるわけではありません。給水活動、および後方支援が任務だったはずです。じっさいに弾が飛んでくるところにはいないはずだし、弾が飛んできたら逃げるのが自衛隊で、事実、死傷者は出てないんです。

それがなぜみずから命を絶たなければならなかったのか。

おそらくは、すごく深いところで精神的に追いつめられる、ということなんでしょうね。
表層的な部分だけでわかったふりをすることはできないもんだな、と思いました。

ひとつだけ明らかなことは、「非戦闘地域」なんてやっぱりまやかしだったんだ、ということです。

2007年10月27日

日本は資源大国?

 日本は「資源のない国」と言われて久しいですが、日本近海には石油に代わるメタンハイドレートなる資源が豊富にありまして、中国の探査船が日本海をウロウロしてるのは、じつはこいつを探ってるんだそうです。

 こいつがあれば石油なんざ輸入する必要はないんだが、石油取引にまつわる利権があるから、エネルギーをこっちにシフトすることができないんだそうで。

 ……てな話を、最近ある高名なシンクタンカーの方に聞きました。

 まあ、「ある」のは事実なわけで、それが実用化されないとすれば、「安全性の問題」か「既得権益の破壊」か、どちらかの理由しか考えられないですよね。前者もでかいんじゃないかという気がしますが。なんか沈没しそうじゃん、日本列島。

 これが100年早く実用化されてれば日本が戦争する必要もなかったのかな。いや、そんなことはないな。むしろイケイケドンドンでもっと悲惨な目に合ってたかも。

 いずれにしても、こんなもんが実用化されたら世界の勢力図は変わってくるでしょうねえ。

2007年9月3日

鬼門の農水省

 このたびの遠藤農水相辞任で、たった3か月の間に3人の農林水産大臣が辞めたことになる。

http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200709030101.html

「農水省は鬼門だ」。
 そんな迷信めいた浮言がささやかれてもおかしくない。

 なんでも、政府は今年度から耕作面積が一定規模以上の農家などに絞って補助金を出す「品目横断的経営安定対策」をはじめているらしい。詳しいことはわからないが、民主党によれば、これは「小規模農家の切り捨て」に当たるのだそうだ。
 それゆえ、民主党は「すべての販売農家への個別所得補償制度創設法案」を提出しようとしており、これが夏の参院選の大きな勝因となった。私はこれを「バラマキ行政にほかならない」と考えているけれど、農政事情には明るくないので、これが良いのか悪いのかの評価は留保している。

 ただ、当の農家にとっては、民主党の政策のほうがいいに決まっている。このたびの相次ぐ農水相辞任劇に、そうした「農家の思惑」がひょっとしたら絡んでいるのではないか、と思うのは、陰謀論に傾きすぎかな。

2007年8月27日

つまんない知事選に思う

 昨日は埼玉県知事選挙であった。

 私はこうしてプライベートでも政治に関してコメントしているし、仕事でもときどき、政治について書くことがある。
 選挙に行かずして、政治を語ってはならない。選挙に行かない人間は、政治にたいして文句を言う資格はない。

 それは、最低限守らなければならないマナーだと思っているから、どんなに小さなものであろうと、選挙にはかならず行くことにしている。

 でも、今回の埼玉県知事選挙はつまんねえ選挙だったなあ。対立する有力候補がおらず、現職ひとり勝ちがはなっから決まっていた。
 そんな選挙、行ってもなあ、とはさすがの私も思いました。一応、投票はしましたけどね。
 案の定、投票率は過去最低で3割を切ったそうだ。

 選挙は丁々発止がないとつまらない。選挙はゲームではないのだから、という意見もあろうが、ゲーム性が高くないと、投票に行こうという気も起きないもんである。

2007年8月23日

アザラシの怪


 山口県宇部市の真締(まじめ)川河口近くで、アザラシ発見のニュース

 宇部市役所はアザラシにかこつけて市の名前を売るべく、市名から「ウベちゃん」と命名しようとしたが、すでに住民が川の名前から「マジちゃん」と名付けていて、結局マジちゃんに落ち着いたとか。

 のどかなニュースだなあ、とは思うけどさ。
 そもそも、瀬戸内海にアザラシがいる、ということ自体が、おかしなことなんだ。瀬戸内海にアザラシは「いない」はずの動物じゃないか。
 北の海から迷い込んできたんじゃないか、なんて推測が語られているが、どうしてそんなことが起こったのか、しっかり原因を究明してもらいたい。ひょっとすると、喜んでる場合じゃないのかもしれないぜ。

2007年7月30日

参院選、一夜明けての感想

「私と小沢さん、どっちが首相にふさわしいか、国民の考えを問いたい」
 たしかにそう言ったはずなのに、安倍さんは総理大臣をお辞めにならないそうです。それでいいのかよ、国民の考えは示されたんじゃねえのかよ、と言いたくもなりますが、捕らぬ狸で強気なことを言うのはやっぱりよした方がいいよな、と我が身を振り返る材料ともなりましたから、この件は不問とすることにいたします。今後の動向を見守っていくことにいたしましょう。

 選挙の翌日ほど新聞がおもしろい日はございません。数紙を熟読いたしました。いろんな人がいろんなことを述べているのですが、印象に残ったのは、国民新党の綿貫代表のセリフです。彼は「郵政選挙の裏返しだ」みたいなことを述べていました。
 誰でも言えそうな感想ですし、郵政選挙で痛い目を見た彼なりのルサンチマンも濃厚に漂っているセリフではありますが、私も同様の感想をもったのです。今後ますます、選挙は「風」次第で強くどちらかにふれるものになっていくのだろうと思います。

 今回の選挙にはいくつかトピックがあって、岡山の「姫の虎退治」もドラマチックでおもしろかったのですが(この件に関しては後述)、象徴的だなあと思ったのは、東京選挙区の丸川珠代さんのギリギリでの当選でした。
 丸川さんは知名度もありますし、なにより美人でお若いですから、私は選挙前、川田龍平くんとともに、この人の当選は間違いなかろうと思っていました。
 じじつ、このふたりは私の読みどおり当選を果たし、議員になることができたのですが、丸川さんは私が考えていた以上に苦戦したのです。彼女自身、こんなに苦戦するとは思っていなかったのではないでしょうか。彼女は民主新顔の大河原雅子さんにダブルポイント近い差をつけられていて、当確がなかなか出ませんでした。
 
 これは、国政選挙は候補者個人に投票するんじゃなくて、政党に投票するもんなんだ、という「常識」が浸透したということなんじゃないかな、と思いました。

 今更なにを言う、と言われてしまうかもしれませんが、我が国においては、教育機関で選挙教育というものがほとんど行われていません。議院内閣制のしくみは一応、学校で習うのですが、それがいわば政党の「椅子取りゲーム」であることは、通り一遍の教育を受けただけでは見えないようになっているのです(わざとそうしているのかどうかは定かじゃありませんが)。

 それゆえ、「選挙は候補者個人の人柄や政策を見て投票するもの」みたいな誤解(と、言っていいと思います)はすごく根強いのです。学校における唯一の選挙教育、生徒会選挙の影響ですかね。じっさいには、国会で審議される法案は多数決で可決/否決されるのですから、議員個人の人柄や能力なんざ二の次なのです。重要なのは、どの政党がたくさん議席をとるか、なのですから。

 丸川さんの苦戦は、そのことを国民が理解した証左ではなかろうか。私はそんなふうに考えました。だって、トップ当選の大河原さんって、どういう人かよくわかんないじゃん。明らかな知名度不足なのに、トップ当選できるんですよ。

 もうひとつ、今回の選挙で印象的だったのは、公明党がふるわなかったことです。公明党は宗教団体・創価学会を支持母体とし、磐石の組織力をもつ政党です。選挙も基本的に負け知らずで、私の記憶がたしかなら、前回の都議会選挙、公明党から立候補してすべった候補はいなかったと思います。
 ところが今回、公明党は一人区2勝3敗の負け越しです。そんなこともあるんだなあ、と思いました。宗教団体の組織票なんて、投票率があがればどうってことはないんですね(もっとも、今回の投票率が高いとはぜんぜん思わないですが)。


 さて、民主大躍進、自民惨敗に終わった今回の選挙ですが、一般には「民主が勝ったのではなく、自民が自滅したのだ」という評価が大勢を占めているようです。
 まあ、政府の年金問題への対応が後手後手だったのも事実ですし、閣僚がいきなり謎の自殺を遂げたり、その後釜に座った男がなぜか顔中バンソウコウだらけだったり、「原爆しょうがない」だの「生む機械」だの、まあよくもこれだけ出てくるわという不祥事の嵐で、自民自滅、という評価はまさにそのとおりなのだと思います。

 とはいえ、小沢一郎の選挙戦術もあなどれないよな、と思いました。農村を重点的に回り、明らかにバラマキ行政ととれる口約束をして回って、農村部の支持をとりつける。これは、これまでの民主党代表がまったくやってこなかったことです。民主党は「都市の政党」だったのですから。それをあえて変革していったことは、(バラマキの是非はともかく)「選挙の小沢」の面目躍如と言っていいでしょう。

 また、公示後の選挙応援一発目に岡山を設定していることも見逃せません。明らかに小沢は、参院自民のドン・片山虎之助を落とすことが選挙の明暗を分けると意識して、岡山に出かけているわけです。かりに、今回の選挙がこれほどの大差をつけずに終わったとしても、片山の落選が自民党に与えるショックは決して小さくない。当然、そこまで見込んでの行動でしょう。大したもんだと思います。

 勝つべくして勝った、と本人はまちがいなく思っているだろう党首・小沢。しかし、彼は昨晩の選挙特番に、まったく顔を見せませんでした。代わりにテレビに出てあれこれしゃべっていたのは、代表代行の菅直人です。なんでも小沢は、選挙応援の疲れが出てドクターストップがかかり、大事をとって自宅療養、てな話なんですが、私はこれ、ウソだと思っています。

 小沢は民主党の代表選挙に勝った後も、やはり病気療養と称して、姿を見せませんでした。検査入院していたということですが、今回で二度目ですから、怪しいなあ、と思うのです。彼は計算ずくで、メディア露出を避けているのではないでしょうか。

 小沢は自分でも言ってますが、口が達者じゃありません。しかも、あのいかにも腹黒そうな顔ですから、ハッキリいってイメージもよろしくない。勝利を確信した小沢のにやけヅラは、たぶんテレビの視聴者にいいイメージを与えないでしょう。それで隠れているのだと思います。

 その点、菅直人は小沢とはまったく正反対のキャラクターです。市民運動出身で、薬害エイズ事件のヒーロー。お茶の間のイメージも上々です。
 口もたいそう達者で、小泉政権時代、首相の失言の数々は、菅直人が引き出したものがとても多いのです。公約不履行を問いつめられた際の「この程度の約束を守らないのは大したこっちゃない」や、イラク派兵の際の「どこが非戦闘区域か私に聞いたって知るもんか」などの小泉無責任語録は、相手が菅直人のときに出ています。
 マスコミが意地悪な質問をしても、菅ならサラリとかわせるわけです。

 小沢は自民党時代、竹下・金丸とつるんでさんざっぱら汚え金儲けをやっておりました。そうじゃなきゃ議員の給料で五億の豪邸が建つはずがない。そういう出自は、隠そうったって顔に出てしまいます。また彼は、不意に襲いかかる質問に臨機応変に対応できる能力を、はなっから持ち合わせていません。

 彼は、自分のパブリック・イメージや能力をしっかり理解しているのでしょう。それゆえの隠遁。大した戦略家だと思います。老獪とはこういう人のことを言うんでしょうね。

 冒頭の話題に戻りましょう。
 小沢と安倍、どっちが首相にふさわしいかは、いずれ問われる機会があるでしょうから、ここでは述べません。
 でも、ボロ負けして挙動不審になりつつ、根拠なく首相続投を宣言した安倍と、いっさいメディアに姿を見せず、隠れることでかえって存在感をアピールした小沢では、その老獪さにおいて、明らかな差があったとは言えるのではないでしょうか。

2007年6月27日

消えた縄文

 日本の歴史は小学6年生で習うけれど、この教科書に、旧石器時代/縄文時代の記述はないらしい。今日はじめて知った。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061222ur01.htm

 小学6年生の教科書では、日本の歴史は稲作のはじまり、すなわち弥生時代からはじまったことになっている(じっさいには縄文時代にも稲作は行われていたが、ここではそれは置く)。

 なんでだろうかね、これ。
 たしかに、縄文時代というのは茫洋としてとらえにくいところがある。それに比べ、農耕・定住生活が定着した弥生時代というのは、すんなり大和朝廷に接続できる。ゆとり教育で授業時間も減ったことだし、削除もやむなしというところなのかもしれない。

 が。
 私はこれを知ったとき、イヤ~な想像をしちまったのである。
 教育基本法に「愛国心」「宗教的情操の涵養」という気持ち悪い言葉(字義本来の意味をとれば、断じて気持ち悪い言葉ではなく、むしろいい言葉であるはずだが)を入れようと言った連中と、「小学生に縄文時代を教えるのはやめよう」と言った連中って、ひょっとして、同じなんじゃなかろうか。

 旧石器時代/縄文時代が削除され、そこに代入されるのが国造り神話であり、まさにそれこそが「宗教的情操の涵養」なのだとしたら。
 戦前・戦中の国家神道の復活を狙う勢力の陰謀ととれなくもないのである。

 杞憂であればいいけどね。

2007年6月20日

ワウペダル購入記

 ワウペダルを買った。それまで使用していたものが壊れたので、購入したのである。

 ひょっとすると、ワウペダル、と聞いてもなんのことかわからない人もいるかもしれない。ワウとは、足で踏み込むことによって音の周波数帯を変化させるギター・エフェクタである。形状としては、車のアクセルペダルに似ている。音は、その名のとおりワウ・ワウと鳴る。

 ……と、あれこれ説明するより、音を聞いてもらった方がてっとり早いだろうな。便利な時代になったものです。

Jimi Hendrix - Woodstock '69
http://www.youtube.com/watch?v=3h_L9Ud306I


 ワウ本体は映ってないけれど、この映像の冒頭でジミ・ヘンドリックスが足で踏んでいるのがワウペダルである。

 ジミヘンの時代からあるエフェクタであるから、つくりはきわめて原始的だ。裏ブタを開けることで中をのぞくことができるが、回路はラジオなみ、アナログ・トランジスタの世界であって、ICチップなんぞは使われていない。

 私がワウを使いはじめたのは1年ほど前である。現在はバンド活動をしていない友人に借りたのだ。友人のワウは、「クライベイビー」と呼ばれる、「ジミヘンもクラプトンも使っていた!」という触れ込みの機種であった。
 ワウを踏むと、音が古くなる。ヘタクソなのも(若干ではあるが)ごまかせる。こいつはいいや、と思って、以降ギターを弾く際になくてはならぬものになった。

 そのワウが、ここのところ調子が悪かったのである。踏み込むと、ガサガサ、というきわめて不愉快なノイズがまじる。
 私は1年しか使ってないけれど、友人はその前に10年以上使っている。いいかげん寿命だ、ということなのだろう。

 一応、人から借りたもんであるから、修理に出してみることにした。見積もりをとってみると、全パーツ交換で9千円近くかかるという。現在市場に流通しているクライベイビーは1万円程度であるから、新しいのを買ってもほとんど値段が変わらない。

 そこで、新しいワウを購入することにしたのである。

 ワウの新規購入にあたって、わがバンドのスーパーベーシスト、ボンソワールにオススメの機種を聞いてみた。この男、エフェクタ図鑑を眺めているだけで幸せな気持ちになるという、モノホンのエフェクタ・オタクなのである。彼に勧められたのは、floor PODであった。


 Floor PODはすごいやつだ。何がすごいって、アンプ・エミュレータ機能を搭載していて、ギターアンプがどんなタイプのものでも、「目的のアンプ」に似た音をつくり出すことができる。要は、こいつが一台あるだけで、アンプの機種にかかわらず自分好みの音がつくれるのだ。さらに、ワウ・コーラス・トレモロ・ファズ・フランジャー・ディレイと、エフェクタ類はたいがい、こいつ一台で代用できてしまう。一台で十役も二十役もこなすすごいやつなのである。
 当然、ジミヘンの時代にはこんなもんはなかった。近年の技術革新によって製造されるようになったシロモノだ。上記のワウとはちがい、完全なデジタル機材である。

 私は「お徳用」とか「買うともれなくついてくる」とか「10パーセント増量」とか、大好きな人間であるから、一石二鳥ならぬ一石二十鳥を易々と成し遂げてしまうFloor PODはたいへん魅力であった。さっそく、ギターショップで試奏させてもらった。

 噂にたがわぬすごいやつだった。誇張でなく、なんでもできる。「なんでもできる」ということは操作が複雑になるということだから、実際に「なんでも」させるためにはそれなりにこいつの扱いに熟達しなければならないだろうが、機械はキライじゃない。楽しみながら熟達できるだろうな、と思った。

 だが、結局こいつは買わなかったのである。私が購入したのは、以前使っていたのとまったく同じクライベイビーであった。

 理由は明瞭。クライベイビーの方が、ギター+ワウ+アンプの3点セットのみで使用する際に、「イイ音」を出してくれたからである。Floor PODのワウは、単体で鳴らしたときには気づかないが(要するに、微妙なものなのだが)、弾き比べてみると、明らかに音が痩せていたのだ。

 さらに、車のアクセル同様、終始踏み続けることで効果を出すワウは、「踏み心地」もよくなきゃいけない。Floor PODはボディがプラスチック製、図体のわりに軽量なので、強く踏むと本体がガタガタ揺れる。踏み心地は断然、クライベイビーに軍配があがるし、デジタル機材なのだから、振動は決して機械にいい影響を与えないだろう。
 私はバンド演奏の際つねに酩酊しているきわめて不真面目なプレイヤーなので、酔った勢いで暴力的に踏み込んで「バキッ」とか折れる想像も脳裏をかすめた。こいつは、よろしくない。

 と、いうことで、今回のワウ購入は前とまったく同じ、クライベイビーになったのであった。
 クライベイビーは重い。この季節なんざ、持って歩くだけで汗が噴き出てくる。しかし、この「重さ」には理由があるんだ、とはじめて納得がいった。VOXも試奏してみたんだけど、やっぱクライベイビーの音が好きだったな。
 今度の日曜にわがバンド、ザ・ミラクルズのセッションが予定されているので、この新品クライベイビーをバリバリ踏み倒してやる予定である。踏むどー!

 誤解がないように付け加えておくが、断じてPODがよくないと言っているわけではない。ありゃものすごいオモチャだぜ。ワクワクしちゃう。

 今度、おこづかいをためてペダルなしのPOD(ないしはそれに類するマルチエフェクタ)を買おう、と心に決めた。
 

2007年6月18日

その後のホークス・ファン



 以前ここで「今年はソフトバンクを応援します宣言」をおこないましたが、その後どうなったかというと、にわかホークス・ファンを地味~に続けているのです。

 昨日・一昨日は巨人戦だったため、ホークスの試合が二夜連続地上波テレビ放映されていました。むろん、見ましたとも。結果は惜しくも連敗でしたが、両日ともいいゲームでした。

 私が応援してるせいなのかどうだか、先月には首位を走っていたホークスは現在3位。首位ロッテに6ゲーム差をつけられています。どうやら、投手陣の好調を打線がバックアップできず負けている試合が多いようです。
 一昨日は杉内の好投が光っていましたし、昨晩は4人の投手の継投がうまくいって、9回まで巨人打線を1点に抑えていました。じっさい、投手はみなじつによくふんばっている。
 ところが、打者がふるわない。主砲松中の故障がでかいのでしょうけど。松中は昨日、8回裏一死満塁の好機に代打で起用され、球場はむろん大歓声、テレビの前のよい子も手に汗握って応援しましたが、残念ながら快音は聞けずじまいでした。
 王監督も嘆いていましたが、この満塁、ノーアウト満塁ではじまったにも関わらず、松中をふくめ三人の打者が連続三振に終わっています。いかに巨人の中継ぎ・豊田が見事なピッチングを見せたとはいえ、お粗末な攻撃でした。

 もっとも、私が注視しているのは選手ではなく、ベンチの王です。ガリガリに痩せ、およそ元野球選手とは思えぬ体格になり果てた「世界の王」は、それでもまだ猛禽類みたいな「あの目」を失っていません。
 歯に衣を着せず見たままを言えば、今の王は完全な爺さんです。「ヨボヨボ」とまでは言いませんが、その予備軍であることは間違いない。みごとな体格をもつ選手たちが王のまえで頭を垂れている風景は、病を押して出陣した老大名が血気さかんな荒くれ武者にあれこれ指示を出しているようで、一種のシュールささえ感じさせる風景です。
 あの人の下で働く選手は相当なプレッシャーがあるだろうな、と思います。昨日のゲームを見ていても感じましたが、「あの目」は王にはあって原にはないものです。あんな目で眺められたら、不甲斐ないプレイをした選手は相当こたえるものがあるんじゃないかと思います。

 昨年の闘病で胃を摘出してしまいましたから、今の王には食欲がありません。奥さんを亡くして久しいですが浮いた話もないので、たぶん性欲もないと思われます。そんな人間として当然の、健全な欲望を失ってしまった老人が、勝負師としての「勝ちたい」欲だけはまだ濃厚に持っているというのは、ある種、凄絶なものがあると思います。

 昨晩のゲームが終わっての王の感想。
「今日で69試合か。残り、半分以上ある。どうなっているから勝てないのか、はっきり分かったわけだから、明後日からそれを克服すればいい」

 いいこと言いますよね、王さん。残り69試合、にわかファンとしてしっかりフォローしていきたいと思っています。


 ところで、2005年から実施されはじめたセ・パ交流戦ですが、いいシステムですよね。やる方は大変なのかもしれないけど。巨人戦はたいがい地上波中継されますから、パの球団にも順繰りにスポットが当たります。これは、交流戦実施以前はなかったことです。
 笑い飯の昔のネタで、「日本ハムのキャッチャーはマスクを何枚もつけている」というのがありましたが、そんなギャグが通用しちゃうのも、パリーグのBクラス球団の試合なんか誰も見たことがなかったからです。でも、今はさすがに、ギャグとして通用しないでしょう。むろん、日ハムがすごく強いチームになったというのも大きいですが、交流戦のおかげで、パリーグのチームの活躍を目にする機会も増えましたから。
 

2007年6月16日

それは「ツキ」の差(選挙は7月にやれ)

 安倍内閣の支持率が日に日に下がっている。自民党ベッタリの読売調査でさえが支持率32%、朝日では「危険水域」3割を切ったと報道された。

 たしかに、松岡元大臣の自殺に関しては、安倍の責任も大きい。もしかりに、現職閣僚としての責任が松岡に重圧を与えていて、それが自殺の主要因になったとすれば、辞任させなかった安倍は松岡を殺したに等しいのだ。
 また、緑資源機構の疑惑を解明しないまま、機構を解散させちゃったのもひどい。「死人に口なし」をさらに上塗りしたわけだから、一件の落としどころとしては最悪に近い。それとも、巷間で言われているように、安倍本人もふくめ、汚職に関わった人間が安倍内閣や自民党内にもっといるということなのか? そのあたりの不透明さが、支持率下落につながっていることも否定できないだろう。
 
 とはいえ、年金問題、社会保険庁のずさんな年金管理に関しては、安倍内閣に責任はほとんどないのだ。すくなくとも、その「責任」の重さは過去十数年の歴代内閣と同じである。
 これが支持率下落の主要因ならば、ツイてないね、というほかはない。たまたま明るみに出たのが今だったから、矢面に立たされているのである。もしかりに、これが1年前に出ていたとしたら、非難を浴びたのは小泉だったのだ。小泉はおそらく、晩節を汚して退陣ということになっていただろう。要は、小泉と安倍の「ツキ」の差、ということだ。

 国会を会期延長して選挙を先延ばしにしようなんて話も出てるようだが、姑息なことはやめて、選挙は予定どおり7月にやってほしい。国民の批判が高まっているときにやってこそでしょ、選挙って。こういうときこそ国民に政治参加させなさいよ。投票率も悪くないと思うぜ、きっと。

2007年6月1日

獲物を前によだれをたらす「知の巨人」

 立花隆。「知の巨人」の異名をとる男であり、その膨大な知識と深い思索は、誰もが敬服せずにはいられないだろう。私は彼の仕事のほんの一部をかじった程度だが、原発、脳死、サル学に関する論考はおもしろかったし、インターネット黎明期にテレビに出演し、「SEXって入れるだけでこんなに情報が出てくるんですよぉー」と語っている姿も印象深かった。そうそう、映画『地獄の黙示録』の気合いの入った評論も、大いに感服したものである。

 でも、私にとっての立花隆は、やっぱり『田中角栄研究』であり、『巨悪VS言論』なのである。とくに、田中角栄失脚の引き金となった前者は、ジャーナリスト立花隆の出世作であり、若さあふれる情熱が行間にほとばしっていて小気味がいい。ここに書かれた情報は今となってはすべてが周知の事実だったりするのだが、小さなネズミが巨大な象の足に噛みついて、急所を着実に突き、やがて倒してしまうような、そんなダイナミズムがあって、読まされてしまうのである。


 立花隆の政治評論には、確固とした方向性がある。これはあくまで一読者としての感想にすぎないのだけれど、この人、「巨悪」に「言論」で立ち向かっていって、それで社会をよくしようとか、政治腐敗をなくそうとか、そんなことはまるで考えていないのだ。「巨悪」が秘して決して表に出さない秘密を探る、そのこと自体に大いなる喜びを感じているのである、絶対に。

 小泉政権時代、立花隆の政治評論ははっきり言って、つまらなかった。なぜなら、小泉という男は基本的に、クリーンなやつだったからである。郵政選挙や靖国参拝にたいする批判も、長期政権を維持していることに関する論考も、イマイチ切れ味が鈍かったのは、小泉が立花隆の敵になるキャラクターじゃなかったからだ。立花隆がイキイキするのは、権力を傘に着て、ウラで汚え金儲けをやってるような、そんな政治家なのである。そういう政治家を前にしたとき、立花隆の目はらんらんと輝きはじめるのだ(見たわけじゃないけどさ)。

 その立花隆が、久々に目を輝かせている。例の、松岡利勝前農林水産大臣の自殺である。
 現職の大臣が、なぜ死ななければならなかったのか。例の「ナントカ還元水」程度の話じゃないぞ、とは誰もが思うことだろう。「緑資源機構」の談合事件で受け取った献金も数百万円というし、死ぬほどのことじゃない。じゃあ、何があったんだ、と立花隆は追いつめていく。
 それがこのコラムである。
 
 このコラム、私は以前から愛読してたんだけど、更新は基本的に週イチ・ペースだった。
 ところが、松岡が死んで以降、立花隆はこのコラムを毎日更新しているのである。むろん、題材は松岡の自殺の原因とその背後にある(だろう)汚職収賄事件。立花の論拠は今のところまだ弱いと思うけれど、彼はその尻尾をつかもうと着々と論を重ねている。「知の巨人」と呼ばれる男が、久々においしい獲物を見つけたのだ。獲物を前に喜々としているさまが伝わってきて、(人が3人も自殺しているのに不謹慎ではあるけれど)こっちまで嬉しくなってくる。

 政治っておもしれえなあ、と思わせてくれたのも、そういえばこの人だったかもしれないなあ。

2007年5月24日

いつの間にやら一周年

 本日は仕事もそこそこに、ブログのメンテナンスを一生懸命やっていた。

 ロック名盤ブログに記事をアップし(ジェファーソン・エアプレインの「ヴォランティアーズ」)、アルバム・タイトル一覧をつくった。
 こちらのブログもサイドバーにカテゴリを設定して、デザイン・テンプレートを変更、フォント・カラーやサイズもあれこれいじったりしたりしていた。

 こういうのは、ふだんはめんどくさくてやらないのだけど、やりはじめるとハマっちまうのである。

 で、ふと見たら、このブログの最初の記事から、ちょうど1年が経過していることがわかった。早いもんですなあ。

 旧ブログに比べると、明らかに更新頻度が落ちているけれど、まあこんなもんだろう。ぼちぼちやれば良い。

 というわけで一周年です。

2007年5月15日

王貞治、あなたは偉大だった


 王貞治ってすげえなあ、とあらためて思った。

 何を言う、世界の王だぞ、すごいのは当たり前じゃないか、と言われてしまうかもしれない。いや、すごいのは知ってたさ。世界一のホームラン・バッターだってことは当然、知ってた。でも、そのすごさにはじめて納得がいったんだ。

 王は、中国人の父と、日本人の母との間に生まれている。したがって、国籍は中国である。日本国民ではないのだ。日本の国民栄誉賞第一号にもかかわらず、選挙権も被選挙権も持ってないのである。これはけっこう、すごいと思う。王は、日本・中華民国・中華人民共和国、3つの国の狭間で生きている男なのだ。
 一説によれば、彼が北京オリンピック日本代表の監督を辞退したのは、中華民国と中華人民共和国の微妙な関係があるから、というのが理由のひとつとしてあるらしい。

 実家は、ラーメン屋である。現役時代には、「ラーメン屋の倅」と陰口を叩かれたらしい。

 高校時代は、早稲田実業の投手として選抜優勝。ノーヒットノーランを達成している。個人的には、この事実にいちばん、驚いた。いや、知識としては前から知っていたんだけど、そのとんでもなさにはじめて気づいたのである。
 ノーヒットノーランをやって甲子園で優勝した投手が、フラミンゴ打法で868本ホームランなんだよ? 現代でいえば、ハンカチ君がホームラン王になるようなもんだ。どう考えたってすごいだろう。

 監督としては、万年最下位のホークスを常勝球団にまで育てあげている。そして、昨年のWBCで監督としても「世界の王」となった。これもすごい。

 たったひとりの人間が、これだけ記録を持っているって、他にないだろう。すくなくとも俺は、王以外に思い浮かばない。あ、ひとつだけあった。ビートルズだ。ひとりじゃないけどね。

 王はすげえぞ、と思ったから、一冊ぐらい伝記を読んでみようと思って、書店に行った。野球の本を買うのは、小学校のときに買った野球入門(王と田淵が表紙だった)以来のことである。

 行ってみて、驚いた。長嶋の本はいっぱいあるのに、王の本は一冊しかないのである。言っとくけど、俺が行ったのはそこらの本屋じゃないぜ。日本最大の書店、ジュンク堂本店だぜ。

 王が長嶋に比べ、キャラ立ちしてないというのはよくわかる。マジメな優等生の王は、キャラとして今ひとつ面白くない。話も浮いたところがない。でもさ、誰が考えたって長嶋より王の方がずっと偉いじゃないか、打者としても監督しても。どうなってんだ、日本の野球ジャーナリズムは。

 選択の余地がないんだから、その一冊しかない本を買ってきて、読んだ。江尻良文の『王貞治 壮絶なる闘い』という本である。おかげで、王に関してはずいぶん詳しくなった。

 胃の摘出手術をした現在の王は、昔の美男子ぶりはどこへやら、ガリガリの亡者みたいになっている。それでも、監督を続けるのである。なんでも、監督としてソフトバンク・ホークスを優勝させ、勇退したいと考えているとか。監督兼ゼネラル・マネージャー(早い話が、球団経営者として、すべての人事権を持っている監督。日本では王がはじめて)にまで引き立ててくれた孫正義にたいして、彼は大いに恩義を感じているらしいのだ。後任ももう決めている。自分が手塩にかけて育てた秋山である。執念だよな、これは。どこまで偉いんだよ王。

 というわけで、今年はホークスを応援します。ちなみに、特定の球団を応援するのははじめてです。王語録も毎日読むぜ。



 なお、私がにわか王ファン・ホークスファンとなったのは、youtubeで下記のビデオを見たせいである。これがまた、感動的なんだ。中華屋で酔っぱらいながら偉そうにしゃべる王もすごくいい。

1999 FUKUOKA HAWKS ZONE
http://www.youtube.com/watch?v=qlFZ6rK_H9g

2007年4月26日

消えたブロントサウルス

 最近、子どもたちの間で『恐竜キング』が流行っているようだが、このゲームが流行る前から、ウチの息子たちは恐竜が大好きだった。恐竜図鑑はウチに4冊(!)もあるし、恐竜の骨格模型を展示している上野の国立科学博物館には幾度となく足を運んでいる。

 今年6歳(幼稚園の年長)になる下の息子が、今日、こんな質問をしてきた。
「パパ、どの恐竜が好き?」
 私は即座に、「ブロントサウルス」と答えた。やはり恐竜はでかいほういいし、後述するが、ブロントサウルスにちょっとした思い入れもあったのである。

 ところが、私の返答を聞いた息子は、意外な反応を返してきた。
「ブロントサウルスって、どんな恐竜?」
「あれ、知らないの?」
 有名どころの恐竜は、たいがい名前を知っていると思っていたのである。ブロントサウルスほどの有名恐竜を知らないなんて!
「よし、図鑑で見せてあげよう」
 私はさっそく図鑑を開き、目次をたぐってブロントサウルスを探した。

 ……なかった。
 4冊の図鑑のどれも、「ブロントサウルス」という名の恐竜を掲載してはいなかった。

 ネットで「ブロントサウルス」を検索してみると、現在は「アパトサウルス」と呼ばれているらしい。
http://big_game.at.infoseek.co.jp/sauropod/brontosaurus.html

 かつて、「ブロントサウルス」「アパトサウルス」それぞれの名で呼ばれる恐竜化石があり、当初は別種とされていたのだが、のちの研究で同じものとわかった。ブロントサウルスの方が断然、人口に膾炙していたのだが、アパトサウルスが先に命名されていたため、こちらが正式名称とされたらしい。

 知らなかった。ブロントサウルスという恐竜は、いないのだ。

 昔、『ひらけ! ポンキッキ』(断じてポンキッキーズではない)の歌で、「恐竜が街にやってきた」という歌があった。昭和52年の歌だそうだから、私が7歳のときの歌である。私はかつて、この曲のシングル盤を持っていたのである。歌は(今日調べてわかったのだが)、上條恒彦が歌っている。

 恐竜が意味もなく列をなして街にやってくるという、ナンセンスな歌なのだが、「どーんどん どどんどーん」という擬音メロディが好きで、今でも恐竜というとこの歌を思い出す。
 街にやってくる恐竜たちの先頭にいるのは、ブロントサウルスだった。だから私は、ブロントサウルスこそ恐竜のリーダー、恐竜の象徴だと思っていたのだ。
 だが、現在ブロントサウルスという恐竜は存在しない。

 さみしい話だ。今の子どもたちに「恐竜が街にやってきた」を聴かせても、ブロントサウルスがどんな恐竜かわかってもらえないんだから。
 名曲なのになあ。

 ……なんて言ってたら、ムショーに聴きたくなってきた。今度レンタルで探してみよう。





 

2007年4月25日

歌う素人

 Youtubeで海外の音楽ビデオを眺めていると、かならず素人バンドや素人音楽家のカバー演奏にぶち当たる。

 自分がバンドで同じようなことやってるせいだと思うけど、素人バンドの演奏もけっこう、楽しく見せてもらっている。へたくそだなあ、と思うことも多いし、見るに(聞くに)耐えないことも多いが、それもふくめて楽しんでいる。こいつらいったい普段何やってんのかなあ、などと想像してみるのも楽しい。

 広いガレージみたいなところで演奏しているのを見ると、アメリカの素人バンド事情が、心底うらやましくなってくる。もしかりに、バンドの演奏能力を偏差値みたいな形で数値化することができるとして、アメリカの素人バンドと日本のそれの平均値を比べたら、アメリカは日本を大きく凌駕することだろう。いつでも寄り集まってでかい音で演奏できるアメリカと、1時間いくらでスタジオ代を支払って演奏する日本では、バンドを取り巻く環境がちがいすぎる。

 ……とここまで書いて、高校時代、自宅にスタジオがあるドラマーがいたことを思い出した。ドラムセットはむろんのこと、ギターアンプもベースアンプもボーカルマイクも室内に置いてあった。
 えらい金持ちだったから、たぶん息子がドラムをやるっていうんで親が用意したんだと思うけど、今考えるととんでもない話である。地方はあなどれないよな。


 話を戻そう。
 Youtubeで素人たちの演奏を眺めていて、「おおこりゃすごい!」と感動した映像がある。それを紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=2oO-WiL9gcc

 ひとりでキーボードを弾きながらモータウン・メドレーをやっているんだけど、これがすごい。何がすごいって、たったひとりでコーラスグループの全パートを歌いこなしているのだ。
 メドレーのアタマはテンプテーションズの「I Can't Get Next to You」。ノーマン・ホイットフィールドの手になるファンク・チューンで、5人のシンガーが声色を変えて交互にリードをとる曲だが、こいつ、たったひとりでその全パートを完全コピーしてやがる。
 楽器ならわかるが、歌だぜ、歌。しかもモータウン。フォー・トップスもスモーキー・ロビンソン(&ミラクルズ!)も完璧に歌いこなしている。大した芸じゃないか。歌ってる顔が笑えるのも好感が持てる。

 背景に見えるCDの列から見て、かなりの音楽オタクだと思うけど、こいつ普段、何やってるんだろう。見た目はきわめてスクエアなので、たぶんサラリーマンかなんかだと思うんだけど、世の中には生産に役立たない才能もたくさんあるんだよなあ、と妙にしみじみしてしまう。
 もともとモータウン・ナンバーが大好きだってのもあるんだけど、選曲の良さや曲のつなぎのスムーズさもあって、何回も見てしまった。

2007年4月18日

「彼女がボス」でいいじゃないか

「女性の時代だ」なんてことがよく言われるが、あまり本気にしたことはなかった。

 私の住んでいる世界が狭いだけなのかもしれないが、会社などでそこそこの役職に就いている人は、たいがい男性である。女性の数は、驚くほどすくない。
 政治の世界を眺めてみても、女性代議士の数はすくないし、わが国では女性の首相は未だ誕生していない。大臣として入閣する女性もすくない。
 皇室においても、お世継ぎが生まれたのをいいことに、「女帝論」は尻つぼみになって立ち消えた感がある(これはあくまで私見だが、ここが改まらないかぎり、日本社会で真に「男女同権」を実現するのは難しいのではないかと思う)。

 でも、最近、女の人ってほんとに元気だなあ、とは思っている。
 仕事柄、いろんな女性に会う。みな、職業意識の高い人ばかりである。対して、男はどうか。絶対数が多いからかもしれないけれど、どうも女性と比べて、怠け者が多いような気がしている。人のことは言えないけどね。

 そういうことを考え合わせると、政治だとか、会社の経営だとか、そういったことも、どんどん女性に任せていった方がいいんじゃないか、とも思うのである。

 その昔、ミック・ジャガーが「She's The Boss/彼女がボス」というフェミニンなソロ・アルバムを出したことがあった。「おまえなんか昨日の新聞だぜ、昨日の新聞なんか誰が読むか」と女性蔑視の歌を歌っていた男が「彼女がボス」だから、一種のジョークなのだろうと思っていた。たしか本人も「ジョークだ」と語っていたはずだ。

 でも、ジョークでもなんでもなく、「彼女がボス」でいいのかもしれない。そう思えるようになった。

2007年4月13日

おまえの顔に反吐が出る

 創価学会には、あまりいい思い出がない。

 いや、どっかに監禁されて、大勢の学会員に入会を迫られた(これを折伏という)とか、そういう経験があるわけじゃない。むろん、勧誘されたことがないわけじゃないが、きわめて穏やかな勧誘で、すくなくとも自由を奪われるような経験はしていないのである。

 もう時効だと思うから言うけれど、私は以前、創価学会のきわめて熱心な信者の女の子と、交際していたのである。学生の頃の話だ。

 つきあいはじめた頃は、彼女が学会員だということは知らなかった。知っていたらつきあわなかったか、と問われれば、「知っててもつきあっていた」と答えるしかない。なにしろ、私の方が惚れ込んではじまった交際だったから。

 その彼女との交際がはじまって、間もないころの話である。
 今もそうだけれど、学生の頃の私は、かなり躁鬱のハッキリしてる方だった。ちょっとしたことでふさぎ込んだり、つまんないことで悩んだりすることも多かった。その様子を見た彼女が、ポツリとこう言ったのだ。
「私が1TRAくんを変えてあげるから」
 人が人を変化させる。そんなことは日常、ありふれていることかもしれない。だが、当時の私はそんなふうには思っていなかった。だいいち、「変えてあげる」といわれてハイそうですかお願いしますというほど、素直な性格でもないのである。
 だが、その言葉は妙に印象に残った。誰かに面と向かって「あなたを変えてあげます」と言われるなんて、そうそうできる経験でもないだろう。すくなくとも私は、このとき以外経験したことがない。たぶん、今後もないんじゃないかと思う。

 彼女が言う「変えてあげる」が、「私を創価学会に入会させる」ということだと知ったのは、それからしばらく経ってからだったと思う。ああそういうことかと納得した。
 以降、彼女と口論することが増えた。男女の痴情のもつれによる喧嘩ではない。これは断言できるけれど、彼女と私は、そうした低レベルなぶつかり合いは一切、なかった。だが、しょっちゅう言い争っていた。議題は、宗教論争である。熱烈な信仰者と、かたくなな無神論者のシビアな論争だ。
 ハッキリいって、不毛な議論だった。どこまでいっても平行線、どちらかが折れて妥協点を見出すということがあり得ないのだから。たぶん、彼女の方では私がいつか折れてくれるだろうと期待していたのだろうが、私は絶対に折れることはなかったし、折れるつもりもなかった。

 考えてみれば、おかしなカップルであった。会うたびに宗教論争を戦わせるカップルなんか、世の中にそうそうあるもんじゃないだろう。
 会うたびにガチンコの議論をすることになるわけだから、会うとむちゃくちゃ消耗した。ぜんぜん楽しくなかったし、ものすごく苦しかった。だったらサッサと別れればいいじゃないか、と思うかもしれないが、そこは男女関係である。理詰めでは動かない。別れようとは何度も思ったが別れなかったのは、やはり、彼女が好きだったからだ。腹立たしいことも多かったし、自分がみじめに思えることもしょっちゅうあったが、それでも、私は彼女と一緒にいたかったのだ。たぶん、彼女もそうだったんじゃなかろうか。

 とはいえ、はなっから終わりの見えている交際である。1年以上そんな状態が続いた後、私は失恋することになった。
 男女というものは、お互い好き合っていても別れなければならない局面がある。知識としては当然、知っていたことであったけれど、実体験でそれを経験するとは思ってもみなかった。

 彼女はそれからしばらくして、会社の先輩と交際しはじめ、やがて結婚した。相手の男性は学会員ではなかったが、学会員となることで彼女を受け入れたのである。

 創価学会、もしくは池田大作の名前を聞くと、彼女のことを思い出す。苦しくて悲しい青春の1ページである。

 なんでこんなことを長々と書いたかというと、次のニュースを目にしたからだ。

温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談
http://www.asahi.com/politics/update/0412/TKY200704120252.html

 この記事の中に、ふたりの会談の様子を描写したくだりがある。引用しよう。

 池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。
 
 庶民の王者!
 俺は目下のところまちがいなく庶民のひとりだと思うけど、てめえを王様と思ったことなんざ一度もねえよ。だいいち、「不滅の名演説」たあ何だ。日本人らしさのかけらもない、見え透いたお世辞じゃねえか。てめえのそういうところが気にいらねえから、俺は彼女の熱心な勧誘にもかかわらず、入信する気にはなれなかったんだ。

 マジメな話、これは政治的にも危険な兆候である。池田大作は温家宝を通して自民党にまたも大きな貸しをつくった。温家宝は明らかに、自民党政権が公明党なしで成り立たない(公明党の選挙協力がなかったら、落選する議員が山ほどいる)ことを知っていて、公明党を通じて日本政府をコントロールしようとしている。いいのかよ、それで?

 さきの彼女は、池田大作の公演を聞いて、涙が止まらなかったそうだ。
「なんで涙が出てくるかわからないんだけど、涙がぼろぼろ出てくるの」
 信者はそれでもいいだろうさ。でも俺はそんなの、嫌だ。今だって、絶対に嫌だ。あの腹黒さを全面に出した面がまえを見るだけで、(個人的怨念も相当あって)反吐が出る。

 最後にトリヴィアをひとつ。
 世界でいちばん勲章をたくさんもらった人を知ってるかい? 池田大作なんだぜ。やつは、勲章を200個持ってるんだ。勲章のコレクターなのさ。くだらねえ野郎だと思うだろ?

2007年4月11日

父親を喰った男


 キース・リチャーズが父親の遺灰を吸飲したとかで、物議をかもしている。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704040033.html

 キースの父親、バート・リチャーズが死んだのは2002年。キースはこのときに、父親の遺灰をコカインに混ぜて吸ったというのだ。その後、マスコミに「カニバリズムだ」などと批判され、「あれはジョークだ」と発言を撤回している。

 でもね、これはあくまでファンの推測にすぎないのだけど、キースはホントに親父を吸ったんじゃないかと思う。

 キースは父親と、長く絶縁状態が続いていた。私の記憶が確かならば、関係が修復したのは80年代後半だったと思う。
 大した親父だと思うのだ。要は、息子がロック・バンドなどという浮き世離れした職業に就くことが許せず、息子が二十歳そこそこのときに勘当したわけである。その後、ローリング・ストーンズは名実ともにトップ・バンドになっていって、息子は億万長者になった。それでもこの父親は息子を許そうとはしなかったのだ。息子にすり寄っていけば、贅沢な暮らしも簡単に手に入るのに、頑として認めなかったのである。ホンモノのガンコ親父。男だよねえ。

 関係修復は、キースが40歳を越えて、立派な中年になってからのことだったし、これも私の記憶が確かならば、キースの方から打診したということだったと思う。でっぷり太ったバート爺さんと、年齢不詳の妖怪となったキース、いっぱしの大人になったロックンロール・チャイルド、マーロン(キースとアニタ・パレンバーグの子)の三世代揃い踏み写真を雑誌で見たのは、それから数年後のことだったと記憶している。

 富も名声も、すべてを手に入れたキース・リチャーズにとって、唯一、自分の思い通りにならなかったもの。それが父親だったわけだ。その父親が死んだ後に、遺灰を吸う。カニバリズムというよりは、一種のイニシエーションとして、やりそうなことだと思うのだ。

 男とは厄介なもんで、父親と戦い、父親を越えていくことを宿命づけられている。いわゆるエディプス・コンプレックスであるが、これは心情としてとてもよくわかる。私の父親は一介のサラリーマンであるけれど、まだ越えられたとは思っていない。父親を越えることができるのは、父親が死んだときなのかもしれないな、とも思っている。たぶん、キースもそうだったんじゃなかろうか。
 それにしても、90年代にキースは「ドラッグからは完全に足を洗った。今は酒と煙草だけだ」と語り、私もすっかりクリーンになったもんだと思っていた。ことの真偽はどうあれ、「親父の遺灰をコカインに混ぜて吸った」という表現が出てくるあたり、まだたまにはやるってことなのね。それとも、コカインは常習性がないからドラッグのうちに入ってないのだろうか。
 文字どおり釈迦に説法だけど、ヘロインだけはやめとけよ、と思っている。

2007年4月10日

謎の人、石原莞爾



 仕事で多少の必要もあり、また個人的興味もあって石原莞爾について調べていたら、(すくなくとも私にとっては)驚くべき記述にぶつかった。

 戦後の軍事裁判で石原は、次のように発言したといわれている。

『裁判長は、石原に質問した。「訊問の前に何か言うことはないか」
 石原は答えた。「ある。不思議にたえないことがある。満州事変の中心はすべて自分である。事変終末の錦州爆撃にしても、軍の満州国立案者にしても皆自分である。それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない。」』

 これって、後世の捏造で、実際には石原は戦犯容疑がかからないよう、あれこれ工作していたというのだ。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/isihara-1.htm

 これだけ資料を列挙して反証をあげているのだから、たぶん本当に捏造なのだろう。

 石原莞爾はすごい人である。満州事変を立案し、成功させた不世出の軍略家であり、核抑止力による冷戦の到来を核爆弾の製造がはじまる前に言い当てた予言者的資質も持っていた。さらに、バリバリ右翼の法華団体「国柱会」の狂信者でもあった(これは宮沢賢治も同様である)。大東亜戦争はこの人がはじめたと言っても過言ではない。
 それゆえ、こうした伝説が生まれたということなのだろう。石原という人は、伝説のよく似合う人だ。

 ただ、未だに腑に落ちないことがひとつ。
 石原はなぜ、満州事変を起こしたのだろう? 満州事変がなければ、日本が戦争に突入することもなかったんじゃないか。そのくせ、石原はその後中国戦線不拡大を唱え東条英機と対立、予備役という閑職に追いやられたりもしている。自分で火をつけておいて、後で火消しに回っているわけだ。そのへんも、よくわからない。あのきわめて論理的かつ精緻な理論『最終戦争論』『戦争史大観』の著者の行動が、なんでこんなに支離滅裂なのだ?

 まあたぶん、いろんな本を読んだりしていくうちに、なるほど、と得心することもあるのだろう。でも、今のところ私にとって、石原莞爾は謎の人である。

 最後にトリヴィアをひとつ。指揮者の小澤征爾の名前は、板垣征四郎と石原莞爾からとられたもんだそうな。小澤のお父さんはこの2人に心酔していたらしい。やはり、英雄だったってことだよなあ。

2007年4月8日

ドキュメント 謎の出版社「成瀬書房」を追え!

 Books.or.jpというサイトがあります。

 社団法人・日本書籍出版協会によって運営されるサイトで、現在、書店で入手可能な書籍を検索できるようになっています。なにやら天下りの匂いがプンプン漂ってきますが、それを批判することが本稿の目的ではないのでここでは置くことにいたしましょう。
 現在でこそ、大書店やAmazonなどの通販会社のサイトが充実してきましたから、その利便性が伝わってきませんが、インターネット黎明期にはずいぶんお世話になったものです。

 先日、ここである作家の本を検索いたしました。
 検索結果がこれです。

 この検索結果をよく見ると、「成瀬書房」なる出版社があることがわかります。さらによく見ると、成瀬書房は30,582円とか、べらぼうに高い本を出版していることがうかがえます。

 森敦の『月山』は芥川賞受賞作ですが、多くの芥川賞作品がそうであるように、決して長大な作品ではありません。
 上の検索結果にも出ていますが、文藝春秋社から文庫が出ています。これが、他に7作品を収録して、定価は580円です。平素から文庫に親しんでいる方ならば、この値段の文庫がどのくらいのページ数かはだいたい、わかってもらえるのではないでしょうか。

 いったい、3万円以上の本とはどのような豪華本なのか。あるいは目の不自由な方向けの点字の本とか、そういった特別な加工のほどこされた本なのかもしれない、とも思ったのですが、そうした本にしては、少々値段が張りすぎるように思いました。

 試みに「成瀬書房」でググってみましたが、同社のサイトは検索されません。どうやら、インターネットでの宣伝活動はしていない会社のようです。

 どんな会社なのか、どんな本を出しているのか、さっぱり手がかりが得られないので、ジュンク堂書店のサイトで検索してみることにしました。ジュンク堂は、池袋をターミナルにして生活する私のような人間にとっては、もっとも利用頻度の多い大書店であります。
 その検索結果がこれ

 驚いたことに、ジュンク堂のような大書店でさえ、すべての本が「在庫無し 現在この商品はご注文いただけません」という扱いになっています。同じことを紀伊国屋書店のサイトでもやってみましたが、結果は同じでした。

 ようやく見つけることができた小さな手がかりがこれ
 福岡女子大学付属図書館の資料展パンフレットを、pdf形式で公開したものです。成瀬書房から刊行された丹羽文雄の『鮎』を、こう解説しています。少々長いですが引用しましょう。

●(8)丹羽文雄『鮎』(成瀬書房、特別愛蔵本、1973年、85000円)
 対照の妙を考えて、同じ丹羽の『鮎』の大型の豪華本をもう一冊展示する。
 1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った成瀬書房が刊行したもの。成瀬書房は「署名入り限定版文学全集」を意図し、200部前後、20000円前後の限定本を約80種刊行している。部数の多さや、求めやすい価格など、これらはいわば限定版の普及版とも言うべきものである。成瀬書房は、更にこの中から10数種を、大型の「特別愛蔵本」として別途刊行している。こちらは11部から30部程度、価格も35万、40万というものまである。本書は「特別愛蔵本」の第一冊目を飾るもの。永田一脩が岐阜県馬瀬川で釣った鮎の魚拓をそのまま表装したもの。見返しに金布目和紙、三方金は22金を使用という贅沢な作りである。二重箱入り、内箱は会津産桐箱、外箱蓋裏に鮎の郵便切手と限定番号を記した小紙片を貼付。市販限定30部のうち第21番本。


 どうやら、著者のサイン入り豪華本、ということのようです。それが85000円。装丁も相当豪華なんだろうな、と思わせますが、驚くべきは、もっと豪華な本があるということ。「金布目和紙、三方金は22金を使用」して35万~40万円。どんなものだかハッキリとはわかりませんが、「金」という字が3回も使用されていることから考えても、相当豪華な本であるといえるでしょう。おそらくは、本そのものにもゴールドと同じ価値があるような。
『鮎』という小説だから鮎の魚拓をそのままデザインに使っているとありますが、上記の『月山』ならどんなデザインを使うんでしょうか。有名画家が描いた月山の絵とか?

 いずれにせよ、豪華本を出版している出版社だということはわかりました。値段と装丁、発行部数から考えて、受注生産であることも想像がつきます。

 でも、まだ謎が残っています。
 私は本にたいするフェティシズムは一切持っていない人間なので、「絶対にあり得ない」と断言できますが、かりに私が、成瀬書房刊の『月山』30,582円を購入したいと思ったとします。
 いったい、どこで買えばいいのでしょう? 大書店では「現在この商品はご注文いただけません」だし、なおかつネットで受注を受けつけているわけでもない。
 自分でも暇なことやってんなと思いつつ、104で問い合わせもしてみましたが、「成瀬書房」で届けはないそうです。つまり、電話でのアクセスもできないのです!

 上記の福岡女子大学のパンフには、「1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った」とありますから、現在は存在しない、高度経済成長を背景とした成金向け出版社である、と考えることは可能です。ですが、だとすると矛盾が出てきます。

「現在入手可能な書籍を収録する書籍検索サイト」Books.or.jpに、なぜ堂々と掲載されているのか。上記の検索結果を見るとわかりますが、成瀬書房の本はいずれも80年代に刊行されており、Books.or.jpのサイトの方がずっと新しいのです。データのデジタル化に際してチェックしてるものと思いますし、もし消去忘れだとすれば、「社団法人 日本書籍出版協会」の職務怠慢だということになります。オレ様が身を削って払った税金から補助金出てんだろ、カネ返せ、てな話にもなるでしょう。

「日本書籍出版協会」に問い合わせてみようかと思いましたが、なんとなく自分がタチの悪いクレーマーになりそうなので、やめておきました。気分が乗ったらやるかもしれませんが。

 謎の出版社「成瀬書房」。その正体に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報を。


 

2007年4月5日

ファッキン・アメリカ!

 もう10年以上前の話である。
 カルカッタ(現コルカタ)の空港からタクシーに乗った。
 ベンガル人のタクシー・ドライバーが声をかけてきた。

「おまえ、ジャパニ(日本人)か」
「そうだよ」
「テレビでヒロシマ・ナガサキを見たよ。ひどい行いだ。ファッキン・アメリカ! オレはアメリカが大嫌いだ。おまえもそうだろう?」
「ああ、嫌いだ」
 そう答えると、褐色の肌のタクシー・ドライバーは再度「ファッキン・アメリカ!」と叫んだ。
 その後しばらく話をしていた記憶があるが、何を話したかは覚えていない。

 ファッキン・アメリカ。そう言いたくなることはしばしばある。イラク戦争のときもそうだったし、その前のアフガン侵攻も、911の報復攻撃という大義名分は理解しつつも、やはりファッキン・アメリカだと思った。ヒロシマ・ナガサキに関しては言わずもがなである。コカコーラもマクドナルドもファッキン・アメリカだ。

 だが、私はアメリカが好きなのである。えんえんと1年かけて大統領を選ぶ政治制度も立派なもんだと思うし、その選挙に際してたとえばマイケル・ムーアのような人が出てきて大騒ぎする土壌も素晴らしいと思う。日本では考えられないことだ。そしてなにより、私が愛するロックンロールはアメリカ産の文化なのだ。嫌いになれるはずがない。

 アメリカにはいつか、時間をかけてゆっくり行ってみたい。NYやLAはむろんのこと、シスコやシカゴ、ボストンにテキサスなど、行ってみたいところはたくさんある。
 それと、インドはけっこう時間をかけて行ったけれど(半年)、また行ってみたいと思っている。私が行ったころとは国力がちがうだろう。経済発展を遂げつつあるインドがどう変わっているのか、またどう変わっていないのかに、とても興味がある。

2007年3月23日

子どもを使った車爆弾

 イラクで、車に子供を乗せて米兵を油断させ、子供もろとも爆破する「車爆弾テロ」があったらしい。

 子供使った車爆弾テロ 米軍、新戦術と警戒 イラク
http://www2.asahi.com/special/iraq/JJT200703210014.html

 そこまでやるか、とまず思った。子どもを囮に使ってまで貫かねばならぬ正義とは何だ。
 その後、感情の行き先に困った。こういう場合、第三者は怒るべきなのか、嘆くべきなのか。怒るとするなら誰に怒るのか。悪事が行われている、それは事実だ。で、本当に悪い奴はどいつなんだ?
 テレビのアナウンサーなら、一刻も早く平和になって欲しいですね、というだろう。そんなもん何も言ってないのと同じなのだ。

2007年3月22日

きばれよ、笑い飯

 笑い飯のトランジスタラジオくんが来週で終わるらしい。

 私は深夜ラジオを聞く習慣がないので、ラジオ本編の方は聞いたことがないのだが、それとは別に毎週ポッドキャストで配信される放送はいつも楽しみにしていた。

 たぶん終了は本人たちが望んだことではないだろう。昨年のM1でイマイチふるわなかったことが、影を落としているのだろうな。放送の内容も(あくまでポッドキャストだけで判断するしかないが)、だんだん面白味がなくなっていったように思う。
 以前は「世界の国」という、国名を毎週アイウエオ順にあげていって、その国に関してあることないこと好き勝手しゃべる、というネタをやっていて、これはすごく面白かったのだけど、それが終わったあたりから、次第にトーンダウンしたようなイメージがある。baseよしもとに出演しているマイジャー芸人のゲストを呼んで、楽屋オチみたいなネタを話すのは、本人たちは楽しいかもしれないが、リスナーとしては決して楽しいものではなかった。

 彼らの漫才ネタは時事ネタとか一切なくて、老若男女すべてが笑える一般性を持っているのだけど(そのあたり、『エンタの神様』に出演している芸人未満どもとは雲泥の差がある)、ことラジオに関しては、そういう一般性を意識できていなかったのではないか。吉本の若手芸人がカルトな人気を持っていて、そういう人たちばかり注目するお笑いファンもいるのは知っているけれど、そうしたカルト・ファンにしかアピールしない放送内容は、やはり退屈というほかなかった。

 深夜ラジオこそ聞いていなかったけれど、私はきわめて熱心な彼らのファンである。Youtubeにあがったネタは全部ダウンロードして保存してあるし、テレビ出演はこまめにチェックして欠かさず見ている。だが、ここんとこテレビで見る彼らのネタは、今ひとつ精彩に欠けているような気がしてならない。先週放映された『爆笑レッドカーペット』はなかなかふるっていて、久々に溜飲を下げたけれども、正月以降放映された漫才番組でのネタは、「うーん……」なものが多かった。いや、面白いんだけどね、でも笑い飯ならもっとさあ……と感じてしまうような。ひょっとすると、スランプなのではなかろうか、と心配してしまう。

 ダブルボケ/ダブルツッコミという彼らのスタイルの爆発力は、とんでもないものがある。「奈良県立歴史民族博物館」「ワシントン」などのネタは、何度見ても笑える。もう100回ぐらい見てると思うのだが、飽きるということがないのだ。「くだらないこと」「しょうもないこと」にたいする彼らの観察眼の鋭さと、独特のリズム感に笑わされてしまうのだろう。

 バラエティとかイケるタイプでもないし、ここから一皮むけるのはたぶん、苦労するだろう。それは本人たちがいちばん感じているはずだ。切磋琢磨して新ネタをつくり、なんとか突破口を開いて欲しい。それができるだけの力は間違いなくあるんだから。俺はもっと笑い飯をテレビで見たいんだよ。

2007年3月19日

おまえらの方が

 どういうわけか今頃になって、米議会が元従軍慰安婦への謝罪要求決議案を出してきた。これはかの国でけっこう話題になったらしく、雑誌なんかにも大きく取り上げられたらしい。日本政府は対応にてんやわんやである。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070308dde007030048000c.html

 たぶん、安倍のタカ派的言動は、アメリカでも警戒されているのだ。早い話が、出そうな釘は出る前に打て、てなもんで、インネンつけて牽制してるわけである。われわれが考える以上に、アメリカ人は日本人を恐れている、ということかもしれない。

 まあ韓国や中国が騒ぐならともかく、アメリカ様がそうおっしゃってるわけだから、安倍は河野談話のとおりでございますとのたまうしかない。忸怩たるものがあるだろうなあ、たぶん。

 強制連行があったか、なかったかについては、正直よくわからない。戦争とは狂気だから、あってもおかしくないとは思う。あったからといって、それがどれほどのもんなんだ、というのが「戦争を知らない世代」である自分の正直な気持ちである。

 くちばしとんがらして従軍慰安婦に謝れとか言ってる奴らの祖先は、新大陸の原住民を殺しまくって絶滅に追い込み、そこに黒人奴隷を山ほど連れてきて強制労働させてた連中じゃん。おまえらの方が鬼畜なんだよ――という首相談話を発表するという選択肢がないのが残念なだけだ。

2007年3月6日

そんな事もある

 ひと月ほど前だが、Amazonのマーケットプレイスで、古い文庫本を買った。
 大好きな作家のエッセイで、20年ほど前に発刊されたもの。
 元値が300円ぐらいで、送料込みで700円ぐらいだったと思う。
 ずっと欲しいと思っていたので、じゅうぶん満足した。

 今日、たまたま出先で古本屋をのぞいたら、同じ本が100円で売っていた。
 今まで、どこの古本屋でも見かけたことなんかなかったのに!

とつぜん思い出した分かれ道

 ふと、思い出した。これまで、一度も回想したことのなかった記憶である。
 
 大学に入学してすぐぐらいの頃だろう、アルバイトの面接に行った。場所は新宿歌舞伎町。寿司屋の出前のバイトだった。求人は、リクルート刊の雑誌に載っていたものと記憶している。時給は、1500円だった。

 当時はバブルまっさかりであったから、ひょっとすると今より学生バイトの給料は高かったのかもしれない。それにしても、時給1500円は破格であった。コンビニの深夜店員が900円台、飲食店が800円台というのが、当時の相場だったように思う。

 結論から言うと、私はそのバイトをやらなかったのだ。理由は覚えていない。求人がいっぱいでもう決まっちゃっていたのか、出前のバイトだから原付免許とかが必要だったのか、それとも面接だけで行くのがイヤになっちゃったのか、まるで覚えていないのだが、やってないことだけはたしかである。

 大学に入りたて、上京して2年目である。1年目は浪人生だったから、バイトなんかしてなかった。世間知らずである。
 歌舞伎町で時給1500円の寿司屋のバイトを、怪しいともなんとも思わなかった。

 じつは、怪しいバイトだなあ、と思ったのは今日、ふと思い出してはじめて思ったのである。いったい、どこに寿司を運ぶ仕事だったのだろう? 会員制の危険な匂いのするクラブだの、オカマがやってるバーだのはまだいい方で、ヤクザの事務所なんかも、当然、配達先に入っていただろう。なんてったって歌舞伎町なのである。

 あのとき、寿司屋の出前をやっていたら、たぶん今とはだいぶちがった人生を送っていただろう。そんな気がする。

 それにしても、なんだって急にこんなことを思い出したんだろう。今まで、思い出したことなんかなかったのに。

2007年1月23日

保守的な、あまりに保守的な(ヘッドホン購入記)

 毎日使っているヘッドホンが壊れて、新しいのを買いに行った。

 昨年夏ぐらいだろうか、ウチの餓鬼に踏みつけられて崩壊の兆しを見せて以来、修繕できるところは修繕しつつ、だましだまし使っていたのだが、ついに完全にオシャカになってしまったのである。

 ヘッドホンは私にとって、生活必需品である。こいつがないと、普段から情緒不安定な人間が、ますます情緒不安定になってしまう。したがって、壊れた以上はすぐさま次のヘッドホンを購入しに行かなければならない。寸毫の空白も許されないのだ、ことは死活問題なんだから。
 私はさっそく、ビッグカメラ池袋本店におもむいた。

 ヘッドホン購入にあたっては、2つの条件がある。こいつをクリアした商品でなければ、私のヘッドホンとなる資格はない。

1,毎日持ち歩くものなので、頑丈で壊れにくく、コンパクトであること

2,ある程度の音質で再生できること

 ヘッドホンは高音質を望めばいくらでもいいものが手に入るけれども、そういうのはたいがい室内用なので、でかくて持ち運びに不便である。また、室内用はつくりが華奢なので、「壊れにくい」という条件をクリアすることができない。
 さらに、音質はほどほどによくなければ困るのだ。安っぽいペナペナの音では、情緒不安定が助長されてしまうではないか。

 したがって、選択肢は意外に狭い。上記2つの条件をクリアできるヘッドホンは、DJ用のやつしかないのだ。

 DJ用ヘッドホンも各社いろいろ出てるけれども、ビッグカメラ池袋本店で試聴できて、なおかつ当日の持ち帰りが可能なものとなると、選択肢は限られてくる。何度も言うけど、情緒不安定になっちゃうんだから、今日買って今日聴けなきゃ困るのだ。

 いくつか試聴してみて、最終的に候補に残ったのは、以下の2機種であった。

MDR-Z700DJ(ソニー)
http://www.ecat.sony.co.jp/avacc/headphone/acc/index.cfm?PD=826&KM=MDR-Z700DJ

RP-DH1200 (松下/テクニクス)
http://prodb.matsushita.co.jp/product/info.do?pg=04&hb=RP-DH1200

 じつは、壊れたヘッドホンというのは、ソニーのMDR-Z700DJなのである。つまり、同じものを買うか、新しいものを買うかという選択を迫られたのだ。

 この2つ、同じ価格帯なのだけれど、音質はまるでちがう。むろん、「ある程度の音質」という上記の条件をクリアした機種だから、いずれもイイ音で再生してくれる。だが、文字どおり「音の質」がまるでちがっているのだ。

 ソニーの方は、低音の再生に重点が置かれ、音像が安定している。だが、そのぶん音が奥まって聞こえる難点があった。一方、松下の方は、音の分離がよくクリアだが、反面、キンキンして耳障りな感じがある。

 どっちにするかさんざん迷い、何度も交互に試聴したあげく、結局ソニーのものを買ってしまった。要は、壊れたやつと同じものを買ったわけである。今考えると、試聴用の音源がスピッツだったことが、この選択に大きな影響を及ぼしているような気がする。1時間ぐらいスピッツ聴いてたぜ、俺。こんな経験ははじめてだ。

 購入したての新ヘッドホンで最初に再生したのは、アイズレー・ブラザース1973年のアルバム『3+3』。ビリビリ来る破天荒なファズ・ギターとファンキーかつメロディアスな楽曲の組み合わせは、時折ムショーに聴きたくなるのである。今日がたまたまその日に当たっていたというわけだ(私は未だにポータブルCDプレイヤーを持ち歩いているので、音楽を聴くときは依然としてアルバム単位である)。

 新ヘッドホンは、新しいので多少密閉率がいいものの、昨日までとまったく同じ音で『3+3』を再生した。
 同じ製品なんだから当たり前なんだけど、ちょっとさみしかった。「ザット・レディ」のビリビリ・ファズを松下のクリアなヘッドホンで聴きたかったなあ。まさに絢爛という感じだろうなあ、などと思うと、選択を大きく誤ったような気がしてくる。……まあ、こんなのは今思うだけなんですけどね。

 長期にわたって使うものだから、耳障りでない安定した音質のものを、と考えてソニーにしたのだ。その選択に誤りはなかったとは思っている。だが、さんざん迷って前と同じものを買うあたりに、私個人のケチな保守性が見え隠れしてるような気がして、なんとなくケツの座りが悪いのであった。

 さて、今度のヘッドホンは何年保つかなあ。

2007年1月14日

コナン・ドイルの妖精写真

 調べ物をしていたら、こんな写真を見つけた。わりと有名な写真だから、知ってる人も多いかもしれない。



「コティングリーの妖精写真」と呼ばれる写真で、1916年、イギリスはブラッドフォード近くのコティングリー村に住む幼い女の子が撮影したものである。

 こうしたものに目の肥えた我々は、この写真がチャチな捏造だとすぐさま見抜くことができる。じっくり調査するまでもなく、見るからにニセモノではないか。

 ところが、かのシャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルがこれを妖精実在の根拠として大きく取り上げたことから、この写真はかなり長期にわたってイギリスのモノ好きたちの間で論議の的になったという。

 詳細はここに譲るが、面白い話だと思う。

 20世紀初頭の人々にとっていかに写真が新しいメディアであったかとか、コナン・ドイルのような一流の文化人の発言がいかに影響力を持っていたかとか、いろいろ興味深いことも多いけれど、もっとも興味を惹くのは、コナン・ドイルという人の妄想力のたくましさである。
 晩年のドイルは心霊研究に没頭していたというが、これをホンモノだと信じさせたのは、あのシャーロック・ホームズを生み出したイマジネーションと同じものなのだ。
 

2007年1月12日

Since You've been Gone


 昨年末にジェームス・ブラウンが亡くなった。
 ニュースを聞いて驚きはしたけれど、いまだに現実感がもてないでいる。明日にでも次の来日公演の日程が発表されそうな気がするのだ。こういうと冷たいようだけれど、外タレの死なんて、そんなもんなのかもしれない。

 現実感が持てない理由はもうひとつある。昨年の3月、私はJBの芸能生活50周年を記念する来日公演を目にしているのだ。

 JBはとにかく、とても元気だった。70歳を越える病み上がりの老人(彼は一昨年、ガンの手術をしたばかりだった)とはとても思えないほど、パワーがあった。
「JBが死ぬ前に、一度見ておこう」というような消極的な理由から行ったコンサートだったから、ぜんぜん期待していなかったのだけれど、凄いパフォーマンスを見せつけられた。文字どおり、度肝を抜かれたのである。
 そのコンサート鑑賞記を、私は下記に記している。

JB最後の日本公演レポート「生ける伝説を見た」
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10009813729.html

 このコンサートを見た後、私は確信をもったのである。JBはあと二、三回は来日できるだろう、と。この爺さんは殺しても死なねえ。そう思ったのだ。

 でも、どうやらそういうことでもなかったらしい。JB自身は、「もう日本には来られない」と語っていたそうなのだ。JBが亡くなってしばらくして、そういう情報が入ってきた。

 上のコンサート・レポートにも書いているけれど、JBはこの最後の来日公演において、ショーの中盤、ステージ上に黒いドレスを着た翻訳者を呼び出して、自分の言葉を同時通訳させている。それは、こんな言葉だった。

「今、この時間にも、戦争でたくさんの命が失われています。今、私たちに必要なことは、『愛する』ということです。さあ、あなたの右隣の人に『愛してます』と伝えてください。それが終わったら、左隣の人に、『愛してます』と伝えてください」

 JBは私にとって神様みたいなもんだから、もちろん呼びかけに従ったけれど、ちょっと照れくさかったのを覚えている。
 それと同時に、大いに感動もした。JBは60年代・70年代を通じて、アフロ・アメリカンのオピニオン・リーダーであり、メッセージ・メイカーだった人である。70歳を越えてもJBがJBであり続け、メッセージを発し続けているというのは、正直、驚きだった。伝説のJBは生きていたのだ。

 私はてっきり、このくだりはあのマント・ショーと同じように、彼がコンサートの通過儀礼として毎回のようにおこなっているのだと思っていた。でも、どうやらそういうことではなかったらしい。

 初来日以来、JBの来日公演を見続けた熱心なファンの方が、同じ日の公演を見て、次のように記している。

「曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。
だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。」
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_12.html

 JBは明らかに、あのコンサートが最後の日本公演になることを、意識していたのである。そして、日本のファンに向けて、最後のメッセージを伝えていったのだ。どうしても伝えたかったから、ショーの流れが多少悪くなっても、ステージに翻訳者を呼び寄せたりしたのである。

「あなたの隣にいる人を愛しなさい」なんて、笑っちゃうようなベタベタなメッセージではあるけれど、いわば遺言として語られた言葉だったとすれば、これは重い。大切にしていかなければならないな、と思っている。
 最初に書いたけど、JBが死んだということがどういうことなのか、未だに整理できていない。現実感もまるでない。でもみなさん、隣人を愛しましょうね。それがJBの遺志だから。


 なお、上記のブログで、JBの臨終の様子がレポートされている。リトル・リチャード、スヌープ・ドッグ、ミック・ジャガー、そしてブッシュ大統領が弔辞を捧げたそうだ。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_27.html

2007年1月8日

トリヴィア2本

 もともとマニア気質だから、一般性のないことばかりよく知っていて、常識に属することをまるで知らなかったりする。

 最近、また一般性のない知識をふたつ得た。偶然にも両方ともロック・トリヴィアである。どちらも、知ったときには思わず「へえー」と口走ってしまったのだが、残念ながら伝える相手がいない。一般性がなさすぎて。

 でも、こういうことは誰かに伝えないと忘れてしまうから、書きつけておこう。

1,トニー・ヴィスコンティーの奥さんは、メリー・ホプキンである。(へえー!)

2,クリス・トーマスの奥さんは、サディスティック・ミカ・バンドのミカちゃんである。(へえー!)

 2の方はなるほどね、だったけど、1の方はけっこう驚いた。

 どうでもいいけど、このブログ、木のうろみたいになってきてるな、最近。そのうち、「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶようになるかもしれぬ。




*この記事アップ後、以下のご指摘を受けました。

1は1981年に離婚。2は結婚まで行かなかったそうです。

どちらも音楽関係の書籍からの情報だったのですが、間違ってんじゃねえかよ。ったく。

正しい情報はこちら。

1,メリー・ホプキン

2,福井ミカ




 

2007年1月1日

コロンボ・ファンのつぶやき

 毎年、年の瀬になると、深夜『刑事コロンボ』がテレビ放映される。
 したがって、コロンボ・ファンは毎年、正月番組に興味がなくても、テレビ番組表を目を皿のようにして眺めなければならないのである。
 最近はネットでテレビ番組表が検索できるから、簡単に放映日時を知ることができる。また、mixiのコミュニティとかで、同好の士が放映を知らせてくれる。便利な時代になったもんである。

『刑事コロンボ』には、大きくわけてふたつのシリーズがある。
 ひとつは、70年代に制作されたシリーズ。これが全部で45作ある。もうひとつは、89年から断続的に制作されている『新・刑事コロンボ』のシリーズで、目下23作ある。

 70年代の方は、現在は視聴がきわめて容易である。全話収録のDVDボックスが市販されているし、レンタル・ショップにはたいがい、全巻揃っている。あのスピルバーグの監督作『構想の死角』をふくめ、傑作の多いシリーズで、なんとなく元気がないときには、見ることにしている。不思議なもんで、ピーター・フォークの顔を見てると癒されるのである。子どもの頃から好きだったからかもしれない。

 厄介なのが、新シリーズの方だ。昔はVHSが数点リリースされていたようだが、DVD化は未だ、成されていない。
 まあ、気持ちはわかる。新シリーズはファンである私が見ても首をかしげたくなるような趣向のものが多いし、ピーター・フォークはオッサンを通り越してすっかり爺さんである。ソフト化しても売れるとは思えない。
 
 そうするというと、新シリーズを視聴するためには、地道にテレビ放映を待つほかはない、ということになってくるのである。
 とはいえ、所詮、深夜の映画ワクなんか、テレビ局も穴埋め程度にしか考えていない。すべてのストーリーをまんべんなく放映してくれたりしないのである。同じ話を何度も放映するわりに、いっこうに放映されない話があったりする。昔見てもう一度見たいストーリーや、まだ見たことのないストーリーが沢山あるんだけど、なかなかやらないんだよね、これが。

 さて、去年の大晦日、正確には日付が変わって今年になった時間に、新シリーズの1本『殺意のナイトクラブ』が放映された。
 目下のところ、シリーズ最新作である。制作は2003年。前述のとおり、すっかり爺さんになったピーター・フォークが、なんとレイヴ・パーティーの主催者を追い詰めるというストーリーであった。BGMもテクノである。時代ですなあ。
 コロンボ・シリーズは、例の「ウチのカミさんが……」というセリフに見られるがごとく、吹き替えの妙がウリのひとつだったりするのだけれど、今回は字幕での放映。そのあたりにこのシリーズに吹きすさぶ冷たい風を感じたりもしたけれど、若い脚本家/監督が手がけた作品らしく、きわめて現代的でスピーディーな倒叙ミステリーを堪能することができた。新シリーズの中では、かなり出来のいい部類に属するのではないだろうか。

 で、何が言いたいかというと、「テレビ局さん、『新・刑事コロンボ』放映してください」に尽きる。
 まあ、こんなところで訴えたところで届かないでしょうけど……。