2007年6月27日

消えた縄文

 日本の歴史は小学6年生で習うけれど、この教科書に、旧石器時代/縄文時代の記述はないらしい。今日はじめて知った。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061222ur01.htm

 小学6年生の教科書では、日本の歴史は稲作のはじまり、すなわち弥生時代からはじまったことになっている(じっさいには縄文時代にも稲作は行われていたが、ここではそれは置く)。

 なんでだろうかね、これ。
 たしかに、縄文時代というのは茫洋としてとらえにくいところがある。それに比べ、農耕・定住生活が定着した弥生時代というのは、すんなり大和朝廷に接続できる。ゆとり教育で授業時間も減ったことだし、削除もやむなしというところなのかもしれない。

 が。
 私はこれを知ったとき、イヤ~な想像をしちまったのである。
 教育基本法に「愛国心」「宗教的情操の涵養」という気持ち悪い言葉(字義本来の意味をとれば、断じて気持ち悪い言葉ではなく、むしろいい言葉であるはずだが)を入れようと言った連中と、「小学生に縄文時代を教えるのはやめよう」と言った連中って、ひょっとして、同じなんじゃなかろうか。

 旧石器時代/縄文時代が削除され、そこに代入されるのが国造り神話であり、まさにそれこそが「宗教的情操の涵養」なのだとしたら。
 戦前・戦中の国家神道の復活を狙う勢力の陰謀ととれなくもないのである。

 杞憂であればいいけどね。

2007年6月20日

ワウペダル購入記

 ワウペダルを買った。それまで使用していたものが壊れたので、購入したのである。

 ひょっとすると、ワウペダル、と聞いてもなんのことかわからない人もいるかもしれない。ワウとは、足で踏み込むことによって音の周波数帯を変化させるギター・エフェクタである。形状としては、車のアクセルペダルに似ている。音は、その名のとおりワウ・ワウと鳴る。

 ……と、あれこれ説明するより、音を聞いてもらった方がてっとり早いだろうな。便利な時代になったものです。

Jimi Hendrix - Woodstock '69
http://www.youtube.com/watch?v=3h_L9Ud306I


 ワウ本体は映ってないけれど、この映像の冒頭でジミ・ヘンドリックスが足で踏んでいるのがワウペダルである。

 ジミヘンの時代からあるエフェクタであるから、つくりはきわめて原始的だ。裏ブタを開けることで中をのぞくことができるが、回路はラジオなみ、アナログ・トランジスタの世界であって、ICチップなんぞは使われていない。

 私がワウを使いはじめたのは1年ほど前である。現在はバンド活動をしていない友人に借りたのだ。友人のワウは、「クライベイビー」と呼ばれる、「ジミヘンもクラプトンも使っていた!」という触れ込みの機種であった。
 ワウを踏むと、音が古くなる。ヘタクソなのも(若干ではあるが)ごまかせる。こいつはいいや、と思って、以降ギターを弾く際になくてはならぬものになった。

 そのワウが、ここのところ調子が悪かったのである。踏み込むと、ガサガサ、というきわめて不愉快なノイズがまじる。
 私は1年しか使ってないけれど、友人はその前に10年以上使っている。いいかげん寿命だ、ということなのだろう。

 一応、人から借りたもんであるから、修理に出してみることにした。見積もりをとってみると、全パーツ交換で9千円近くかかるという。現在市場に流通しているクライベイビーは1万円程度であるから、新しいのを買ってもほとんど値段が変わらない。

 そこで、新しいワウを購入することにしたのである。

 ワウの新規購入にあたって、わがバンドのスーパーベーシスト、ボンソワールにオススメの機種を聞いてみた。この男、エフェクタ図鑑を眺めているだけで幸せな気持ちになるという、モノホンのエフェクタ・オタクなのである。彼に勧められたのは、floor PODであった。


 Floor PODはすごいやつだ。何がすごいって、アンプ・エミュレータ機能を搭載していて、ギターアンプがどんなタイプのものでも、「目的のアンプ」に似た音をつくり出すことができる。要は、こいつが一台あるだけで、アンプの機種にかかわらず自分好みの音がつくれるのだ。さらに、ワウ・コーラス・トレモロ・ファズ・フランジャー・ディレイと、エフェクタ類はたいがい、こいつ一台で代用できてしまう。一台で十役も二十役もこなすすごいやつなのである。
 当然、ジミヘンの時代にはこんなもんはなかった。近年の技術革新によって製造されるようになったシロモノだ。上記のワウとはちがい、完全なデジタル機材である。

 私は「お徳用」とか「買うともれなくついてくる」とか「10パーセント増量」とか、大好きな人間であるから、一石二鳥ならぬ一石二十鳥を易々と成し遂げてしまうFloor PODはたいへん魅力であった。さっそく、ギターショップで試奏させてもらった。

 噂にたがわぬすごいやつだった。誇張でなく、なんでもできる。「なんでもできる」ということは操作が複雑になるということだから、実際に「なんでも」させるためにはそれなりにこいつの扱いに熟達しなければならないだろうが、機械はキライじゃない。楽しみながら熟達できるだろうな、と思った。

 だが、結局こいつは買わなかったのである。私が購入したのは、以前使っていたのとまったく同じクライベイビーであった。

 理由は明瞭。クライベイビーの方が、ギター+ワウ+アンプの3点セットのみで使用する際に、「イイ音」を出してくれたからである。Floor PODのワウは、単体で鳴らしたときには気づかないが(要するに、微妙なものなのだが)、弾き比べてみると、明らかに音が痩せていたのだ。

 さらに、車のアクセル同様、終始踏み続けることで効果を出すワウは、「踏み心地」もよくなきゃいけない。Floor PODはボディがプラスチック製、図体のわりに軽量なので、強く踏むと本体がガタガタ揺れる。踏み心地は断然、クライベイビーに軍配があがるし、デジタル機材なのだから、振動は決して機械にいい影響を与えないだろう。
 私はバンド演奏の際つねに酩酊しているきわめて不真面目なプレイヤーなので、酔った勢いで暴力的に踏み込んで「バキッ」とか折れる想像も脳裏をかすめた。こいつは、よろしくない。

 と、いうことで、今回のワウ購入は前とまったく同じ、クライベイビーになったのであった。
 クライベイビーは重い。この季節なんざ、持って歩くだけで汗が噴き出てくる。しかし、この「重さ」には理由があるんだ、とはじめて納得がいった。VOXも試奏してみたんだけど、やっぱクライベイビーの音が好きだったな。
 今度の日曜にわがバンド、ザ・ミラクルズのセッションが予定されているので、この新品クライベイビーをバリバリ踏み倒してやる予定である。踏むどー!

 誤解がないように付け加えておくが、断じてPODがよくないと言っているわけではない。ありゃものすごいオモチャだぜ。ワクワクしちゃう。

 今度、おこづかいをためてペダルなしのPOD(ないしはそれに類するマルチエフェクタ)を買おう、と心に決めた。
 

2007年6月18日

その後のホークス・ファン



 以前ここで「今年はソフトバンクを応援します宣言」をおこないましたが、その後どうなったかというと、にわかホークス・ファンを地味~に続けているのです。

 昨日・一昨日は巨人戦だったため、ホークスの試合が二夜連続地上波テレビ放映されていました。むろん、見ましたとも。結果は惜しくも連敗でしたが、両日ともいいゲームでした。

 私が応援してるせいなのかどうだか、先月には首位を走っていたホークスは現在3位。首位ロッテに6ゲーム差をつけられています。どうやら、投手陣の好調を打線がバックアップできず負けている試合が多いようです。
 一昨日は杉内の好投が光っていましたし、昨晩は4人の投手の継投がうまくいって、9回まで巨人打線を1点に抑えていました。じっさい、投手はみなじつによくふんばっている。
 ところが、打者がふるわない。主砲松中の故障がでかいのでしょうけど。松中は昨日、8回裏一死満塁の好機に代打で起用され、球場はむろん大歓声、テレビの前のよい子も手に汗握って応援しましたが、残念ながら快音は聞けずじまいでした。
 王監督も嘆いていましたが、この満塁、ノーアウト満塁ではじまったにも関わらず、松中をふくめ三人の打者が連続三振に終わっています。いかに巨人の中継ぎ・豊田が見事なピッチングを見せたとはいえ、お粗末な攻撃でした。

 もっとも、私が注視しているのは選手ではなく、ベンチの王です。ガリガリに痩せ、およそ元野球選手とは思えぬ体格になり果てた「世界の王」は、それでもまだ猛禽類みたいな「あの目」を失っていません。
 歯に衣を着せず見たままを言えば、今の王は完全な爺さんです。「ヨボヨボ」とまでは言いませんが、その予備軍であることは間違いない。みごとな体格をもつ選手たちが王のまえで頭を垂れている風景は、病を押して出陣した老大名が血気さかんな荒くれ武者にあれこれ指示を出しているようで、一種のシュールささえ感じさせる風景です。
 あの人の下で働く選手は相当なプレッシャーがあるだろうな、と思います。昨日のゲームを見ていても感じましたが、「あの目」は王にはあって原にはないものです。あんな目で眺められたら、不甲斐ないプレイをした選手は相当こたえるものがあるんじゃないかと思います。

 昨年の闘病で胃を摘出してしまいましたから、今の王には食欲がありません。奥さんを亡くして久しいですが浮いた話もないので、たぶん性欲もないと思われます。そんな人間として当然の、健全な欲望を失ってしまった老人が、勝負師としての「勝ちたい」欲だけはまだ濃厚に持っているというのは、ある種、凄絶なものがあると思います。

 昨晩のゲームが終わっての王の感想。
「今日で69試合か。残り、半分以上ある。どうなっているから勝てないのか、はっきり分かったわけだから、明後日からそれを克服すればいい」

 いいこと言いますよね、王さん。残り69試合、にわかファンとしてしっかりフォローしていきたいと思っています。


 ところで、2005年から実施されはじめたセ・パ交流戦ですが、いいシステムですよね。やる方は大変なのかもしれないけど。巨人戦はたいがい地上波中継されますから、パの球団にも順繰りにスポットが当たります。これは、交流戦実施以前はなかったことです。
 笑い飯の昔のネタで、「日本ハムのキャッチャーはマスクを何枚もつけている」というのがありましたが、そんなギャグが通用しちゃうのも、パリーグのBクラス球団の試合なんか誰も見たことがなかったからです。でも、今はさすがに、ギャグとして通用しないでしょう。むろん、日ハムがすごく強いチームになったというのも大きいですが、交流戦のおかげで、パリーグのチームの活躍を目にする機会も増えましたから。
 

2007年6月16日

それは「ツキ」の差(選挙は7月にやれ)

 安倍内閣の支持率が日に日に下がっている。自民党ベッタリの読売調査でさえが支持率32%、朝日では「危険水域」3割を切ったと報道された。

 たしかに、松岡元大臣の自殺に関しては、安倍の責任も大きい。もしかりに、現職閣僚としての責任が松岡に重圧を与えていて、それが自殺の主要因になったとすれば、辞任させなかった安倍は松岡を殺したに等しいのだ。
 また、緑資源機構の疑惑を解明しないまま、機構を解散させちゃったのもひどい。「死人に口なし」をさらに上塗りしたわけだから、一件の落としどころとしては最悪に近い。それとも、巷間で言われているように、安倍本人もふくめ、汚職に関わった人間が安倍内閣や自民党内にもっといるということなのか? そのあたりの不透明さが、支持率下落につながっていることも否定できないだろう。
 
 とはいえ、年金問題、社会保険庁のずさんな年金管理に関しては、安倍内閣に責任はほとんどないのだ。すくなくとも、その「責任」の重さは過去十数年の歴代内閣と同じである。
 これが支持率下落の主要因ならば、ツイてないね、というほかはない。たまたま明るみに出たのが今だったから、矢面に立たされているのである。もしかりに、これが1年前に出ていたとしたら、非難を浴びたのは小泉だったのだ。小泉はおそらく、晩節を汚して退陣ということになっていただろう。要は、小泉と安倍の「ツキ」の差、ということだ。

 国会を会期延長して選挙を先延ばしにしようなんて話も出てるようだが、姑息なことはやめて、選挙は予定どおり7月にやってほしい。国民の批判が高まっているときにやってこそでしょ、選挙って。こういうときこそ国民に政治参加させなさいよ。投票率も悪くないと思うぜ、きっと。

2007年6月1日

獲物を前によだれをたらす「知の巨人」

 立花隆。「知の巨人」の異名をとる男であり、その膨大な知識と深い思索は、誰もが敬服せずにはいられないだろう。私は彼の仕事のほんの一部をかじった程度だが、原発、脳死、サル学に関する論考はおもしろかったし、インターネット黎明期にテレビに出演し、「SEXって入れるだけでこんなに情報が出てくるんですよぉー」と語っている姿も印象深かった。そうそう、映画『地獄の黙示録』の気合いの入った評論も、大いに感服したものである。

 でも、私にとっての立花隆は、やっぱり『田中角栄研究』であり、『巨悪VS言論』なのである。とくに、田中角栄失脚の引き金となった前者は、ジャーナリスト立花隆の出世作であり、若さあふれる情熱が行間にほとばしっていて小気味がいい。ここに書かれた情報は今となってはすべてが周知の事実だったりするのだが、小さなネズミが巨大な象の足に噛みついて、急所を着実に突き、やがて倒してしまうような、そんなダイナミズムがあって、読まされてしまうのである。


 立花隆の政治評論には、確固とした方向性がある。これはあくまで一読者としての感想にすぎないのだけれど、この人、「巨悪」に「言論」で立ち向かっていって、それで社会をよくしようとか、政治腐敗をなくそうとか、そんなことはまるで考えていないのだ。「巨悪」が秘して決して表に出さない秘密を探る、そのこと自体に大いなる喜びを感じているのである、絶対に。

 小泉政権時代、立花隆の政治評論ははっきり言って、つまらなかった。なぜなら、小泉という男は基本的に、クリーンなやつだったからである。郵政選挙や靖国参拝にたいする批判も、長期政権を維持していることに関する論考も、イマイチ切れ味が鈍かったのは、小泉が立花隆の敵になるキャラクターじゃなかったからだ。立花隆がイキイキするのは、権力を傘に着て、ウラで汚え金儲けをやってるような、そんな政治家なのである。そういう政治家を前にしたとき、立花隆の目はらんらんと輝きはじめるのだ(見たわけじゃないけどさ)。

 その立花隆が、久々に目を輝かせている。例の、松岡利勝前農林水産大臣の自殺である。
 現職の大臣が、なぜ死ななければならなかったのか。例の「ナントカ還元水」程度の話じゃないぞ、とは誰もが思うことだろう。「緑資源機構」の談合事件で受け取った献金も数百万円というし、死ぬほどのことじゃない。じゃあ、何があったんだ、と立花隆は追いつめていく。
 それがこのコラムである。
 
 このコラム、私は以前から愛読してたんだけど、更新は基本的に週イチ・ペースだった。
 ところが、松岡が死んで以降、立花隆はこのコラムを毎日更新しているのである。むろん、題材は松岡の自殺の原因とその背後にある(だろう)汚職収賄事件。立花の論拠は今のところまだ弱いと思うけれど、彼はその尻尾をつかもうと着々と論を重ねている。「知の巨人」と呼ばれる男が、久々においしい獲物を見つけたのだ。獲物を前に喜々としているさまが伝わってきて、(人が3人も自殺しているのに不謹慎ではあるけれど)こっちまで嬉しくなってくる。

 政治っておもしれえなあ、と思わせてくれたのも、そういえばこの人だったかもしれないなあ。