2009年2月21日

腹が立って仕方ねえぜ―はっぴいえんど販売停止

 久しぶりに、新聞記事を見て腹が立った。

 例の、中川元大臣の飲酒の一件でさえ、私は怒りはしなかった。驚きあきれ、咄嗟に「国辱」という言葉を思い浮かべはしたけれど、中川さんの酩酊ぶりがおかしくて、やっぱり、笑っちまった。腹は、立たなかったのである。

 でも、次のニュースにはホント、むかっ腹が立った。クレーム電話の一本もかけてやろうかと思ったぐらいだ。今でも、ムカムカしている。

はっぴいえんど:名盤「風街ろまん」出荷・販売停止 鈴木茂容疑者の逮捕で
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090218mog00m200066000c.html?link_id=RAH04

 以前、小室哲哉が詐欺容疑で逮捕されたときも、おかしいと思ったのだ。予定されていたTMネットワークのベスト盤が発売中止になり、各メディアが一斉に、小室の楽曲のオンエアを中止すると発表した。

 小室は、たしかに詐欺をやった。その罪は、彼自身がつぐなわなければならない。でも、作品に罪はないはずなのである。表現者が罪人になったからといって、なぜ作品まで一緒に葬られなければならないのか。
 まして、この時点で小室は刑が確定してはいなかった。罪人ですらない。「容疑者」に過ぎなかったのだ。それをなぜ?

 そのときも腹が立ったのだけど、今回ほどじゃないのは、単に私が小室の音楽になんの思い入れもないからに過ぎない。だが、鈴木茂となると話はちがう。偉大なギタリストだと思っているし、思い入れもじゅうぶんある。それに、レコード会社の行動に、矛盾がありすぎる。何もかもがおかしいのである。

『走れメロス』という文学作品がある。今でも教材になってるかどうかはわからないけれど、私が高校生だったころ(中学だっけ?)には、国語の教科書に載っていた。
 この作品の作者は、戦前は重罪であった共産党の細胞活動をやっていた。れっきとした犯罪者であったのだ。さらに、情死を企て、女は死んじまって自分だけ生き残った。これも何らかの罪になったはずである。情死から生還した後は薬物中毒の治療のために精神病院に入っている。ジャンキーだったのだ。そして、最終的には別の女と情死して、その生涯を終えている。ひとことでいえばロクデナシ。それが、『走れメロス』の作者である。

 そういう人の作品を教科書に載っけて、文学作品ですから鑑賞しましょうとほざいているのは、作者が誰であろうと作品は素晴らしいからだろう。教育に役立つ、と判断されているからだ。作者と作品が同罪とするならば、『走れメロス』をこともあろうに教科書に載せようなんて話が、通るはずがない。
 この国は、作者と作品を分けて考えましょう、というのを、国家がみずからおこなっている国なのである。そういう国の、たかが一企業が、なぜ、作者と作品を一緒くたにして、作品にまで罪を負わせねばならないのか?

 もう一度問う。表現者が罪に問われたからといって、なぜ作品まで罪を負わなければならないのか?

 しかも、はっぴいえんどの音楽を持ち上げ、やれトリビュート・アルバムだの、CMタイアップだのして、大いにカネ儲けしたのはおまえらじゃないか。何十年も売れ続けるロングセラーとして、再販再販で大儲けしたのも、おまえらじゃないか。なぜ、恩を仇で返すようなマネをする? 表現者が苦境に立たされたなら、逆に守ってやるのがおまえらの立ち位置だろう。すこしは道義ってやつをわきまえてくれよ。

 しかも、やり口が不徹底だ。やるならトコトンやりゃいいじゃないか。
 はっぴいえんどの音楽を販売停止にするなら、鈴木茂が在籍したティンパンアレイがバックをつとめたユーミンのアルバムも販売停止にすべきだ。鈴木茂が名をつらねた録音をすべて生産中止にすればいい。鈴木茂ははっぴいえんどでは数曲しか書いてないんだから、「演奏した」にすぎない。それを販売停止にするならば、他のアーティストのアルバムだって同じことをしなければならないはずだ。なぜ、はっぴいえんどだけをスケープゴートにしなくちゃならんのか。やってることが中途半端じゃないか。

 日本の音楽業界と、西洋の音楽業界を同列に並べるのは気がひけるけれど、アメリカやイギリスでこの手の話は聞いたことがない。マイケル・ジャクソンに幼児虐待容疑がかけられたときも、彼のアルバムは堂々と売られていたぜ。私の記憶がたしかならば、チャート1位になった曲を集めたマイケルのベスト盤が発売になり、これがまたチャート1位を記録したときも、裁判は係争中、マイケルは依然として「容疑者」だったはずだ。

 いったい、誰に遠慮して、販売停止なんてことになったのだろうか。しゃあしゃあと売り続けたって、誰も文句はいわないだろう。40年も前のアルバム、40年も前の録音である。そんなもんに目くじら立てるやつがいるとは思えない。

 第一、小室の場合とはちがって、鈴木は誰にも迷惑かけてないじゃないか。大麻汚染が広まるから、それが迷惑だとでもいうのか? 鈴木茂なんて若い連中は誰も知らねえぞ。なんの影響力もないだろう。

 大麻をやってたメンバーのいるはっぴいえんどを販売停止にするなら、ビートルズのアルバムも販売停止にすべきである。大麻持ってて成田で捕まり、入国できなかったポール・マッカートニーがいるバンドだぞ。青少年に与える影響は、そのセールスから考えて、はっぴいえんどの百倍でかいだろう。ストーンズもジミヘンもディランもボブ・マーリーも、みんな売るのやめちまえ。やるならそこまでやってみせろよ馬鹿野郎。

 あー腹が立つ! 頭悪すぎだぜ、ホント。

2009年2月20日

忘却のひと

 吉祥寺で、かなり大切な取材があった。最寄り駅までの道すがら、そのことばかり考えていたのは事実である。所持金が不足していたのは認識していたから、銀行に立ち寄ってお金をおろし、その後電車に乗り込んだ。
 取材はうまくいった。上機嫌で帰路につき、最寄り駅に着いた。私はいつも、駅前の駐輪場に自転車を置いている。ところが、自転車が見あたらない。
 駐輪場をくまなく探した。ゆうに10分は探していた。大した広さもないのに、である。
 その間、「銀行でお金をおろすとき、銀行の前に自転車を停めた。あそこに置きっぱなしなのでは?」とは何度も考えた。しかし、そんなはずはない、と思い直したのである。ふだん、私は銀行から駅に歩いて向かうことはない。銀行→駐輪場→駅というのが通常のルートだ。
 たしかに、銀行から駅までの記憶はすっぽり抜け落ちている。取材前で、もの思いにふけっていたからだ。だが、だからこそ無意識のうちに、駐輪場に自転車を停めているにちがいない、と考えた。習慣だからこそ、無意識化されるのである。日常の習慣とは異なる行動をとっていて、それを記憶していないとは考えにくい。

 もう、自転車は紛失したと思わなければならない。そう覚悟を決めて、一応銀行前も確認しておこう、と銀行へ向かった。
 自転車は、あった。
 あきれずにはいられなかった。銀行から駅まで歩くという、普段とは異なる行動をとっていながら、私はまったくそれを記憶していなかったのである。夢遊病に近い。
 自転車を見つけたときには、ハハハハと乾いた笑い声が出た。

2009年2月10日

親は知らず、子も知らず(後編)

(「親は知らず、子も知らず」前編より続く)

「親知らず?」
「うん、親知らずですね」
「親知らずって、どうやって治療するんですか」
「抜くしかないね」
「抜く……」
 歯を抜くのが怖いわけではない。むしろ小学生のときに乳歯を抜いて以来の体験なので、ちょっとワクワクする。
「でもね、今日は抜けないよ。今日は診察だけ。またあらためて来てください。予約してね」
 予約なしでいきなり来たことがよほど気に障ったらしい。とはいえ、こっちはまだ納得いかないことも多いのである。
「べつに痛くないんですけど、抜かなきゃいけないもんですか」
「それは患者さんが決めることだから。抜かないでそのままにしている人もいるし、抜いちゃう人もいるし」
「虫歯が隣の健康な歯に伝染する、ってことはありませんか」
「ないとは言えないね。でも、かならずあるとも言えない」
「どうなんですか。抜いた方がいいんですか」
「だから、それは患者さんが決めるんですよ」
 質問責めがしつこいのでますます機嫌を損ねたらしい。診察が済んで会計をする際にも、医者はしつこく言った。
「抜歯されるときには、予約入れてくださいね」

 ……それから、1か月近くが経過した。
 じつはまだ、私の親知らずは健在なのである。虫歯はその後も進行し、鍾乳洞のように複雑で、カミソリのごとく尖った形状をより先鋭化させ続けている。舌先で患部にふれる癖も未だ直らず、相変わらず舌の先端は損傷しつづけている。とはいえ、最近は舌の方が慣れてきたのか、舌が痛むことはなくなったのだが。

 聞くところによれば、虫歯っていうやつは大の大人がひいひい泣くぐらい痛いという。ひょっとすると私の歯茎は神経が通ってないのかもしれないな、などとも思う。それとも、ある日とつぜん痛みはじめるものなのか。
 なんとなく、そこまで至らなければウソなような気もして、抜かずにいるのである。虫歯の進行を舌先でたしかめるのも、じつは、楽しかったりするのです。

2009年2月9日

親は知らず、子も知らず(前編)

「ああー、こりゃ親知らずだね」
 予約もなしに突然に訪ねたために、午睡の時間を削られて機嫌を損ねているらしい歯科医は、診察台に横たわり大口を開けた間抜けな私に向かってそう言った。

 左の奥歯に、得体の知れない穴が開いていることに気づいたのは、たしか去年の今頃だったと思う。奥歯なので見ることはできないが、舌でさわると、たしかに歯が欠けている。なるほど、これが虫歯というやつか、と思った。

 私は小学校のとき乳歯を抜きに行って以来、歯医者の世話になったことがない。虫歯になったことがなかったのである。それがちょっとした自慢でもあった。だから、ついに自分の歯が虫歯になったことについては、「ついに人並みになったか」
「ハ・メ・マラの順に使えなくなるらしい。寄る年波には勝てんか」
「もう歯の優良さを自慢できんな」
 など、さまざまな感慨があった。
 すぐに医者にかかっても良かったのだろうけれど、痛みがあるわけじゃなし、しばし経過を見守ることにしたのである。それが1年ほど前の話。

 その後、歯はまるで月が欠けていくように形を変えていった。いつしか、変わりゆく奥歯の形状を舌先でたしかめるのが、癖になっていた。

 今回、とつぜんに歯医者を訪れる決断をしたのは、痛いから、ではない。相変わらず痛みはないのだが、歯の欠けたところがまるで鍾乳洞の内部のようにギザギザに変形し、ところによってはカミソリのような鋭度をもつに至り、舌でふれると舌先が傷つくようになったためである。常に舌上に香辛料を乗せているような痛がゆさをを感じる。

 歯に痛みはないのだから、舌でさわりさえしなければ気になるものでもない。しかし、なにしろ1年間、ずっと舌先で奥歯の欠け具合を確かめてきたのである。さわるなと言われたってさわってしまう。結果、舌先が損傷してしまったのだ。
 とはいえ、舌先でそっとふれる程度であるから、大したことはない。口内のこと、傷ついたとしてもすぐさま治癒する。だから、ほかしておいてもいいのだけれど、ここまで虫歯が進行すると、他の健康な歯にも被害が拡大するかもしれない。それが恐ろしかった。

 舌先の損傷も、虫歯被害の拡大も喜ばしいことではなかった。それで、歯医者にかかることにしたのである。

 なにしろ乳歯を抜いて以来一度も歯医者の世話になってないから、歯医者のシステムがどうなってるかも知らない。歯医者は一般の外来のようにとつぜん訪ねるものではなく、予約を入れて利用するものだということは、今回はじめて知った。とつぜんに訪ねたら、医者は不機嫌そうに診察に応じてくれたのである。

 なにやらものものしい機材の並ぶ診察台に座り、マヌケにも大口を開けて中空を見上げる私の口腔に向かって医者がつぶやいたのが、冒頭のひとことであった。まるで木のうろに向かって秘密をぶちまける人のごとくであった。
「ああー、こりゃ親知らずだね」

(以降、「親は知らず、子も知らず」後編に続く)

2009年2月8日

追いかける旅人

 それはあるアーティストの追っかけをしている人のWeb Pageであって、ライヴ・レビューが掲載されている。いっとう古いものは1984年、もっとも新しいものは昨年、2008年となっている。
 そのアーティストは昨年末からツアーをやっていて、ついこの間終わったばかりだ。そのツアー・レポートはまだ上がってないが、おそらくは近々、まとめてアップされるのだろう。ツアーを追っかけながらメモをとり、最終的にツアーが終わったところで文章をアップする。それが彼のサイクルのようだ。

 彼は、アーティストがコンサートを行う場所には、どんな場所であろうと出かけて行く。まさに全国津々浦々、である。むろん、仕事を持っているわけだから全部に行ってるわけじゃない。しかし、1週間ぐらい旅行を続け、毎日異なる会場のライヴを楽しむ、という程度のことは普通にやっている。
 ツアーのセットリストなんてもんは、そうそう変わるもんじゃない。だから、同じ曲を毎晩聴くことになるわけだが、だからこそちょっとした事故がイベントになる。PAの調子が悪くてアーティストが不機嫌そうだったとか、MCでご当地の話をしたとか。また、バンドのノリが良かったとか悪かったとかも、当然レビューの対象になっている。

 それをはじめて見たとき、モノ好きな人もいるもんだ、と思ったのである。かれこれ20年以上、そればかりをやっていて、よく飽きないもんだ。労力も時間も必要経費も、ハンパなものじゃないだろう。大いに驚き、そしてあきれた。
 しかし、気がついたら彼が綴った1日1日の文章を、すべて読破してしまっていたのである。

 毎日のように見ている。そのことが、彼のライヴ・レビューを、音楽雑誌に掲載される凡百の印象記などより、ずっと熱のある、読み応えのあるものにしているのだ。なにしろ、臨場感が違う。読んでいるだけで、そのライヴの空気が伝わってくる。そんな文章はそうそうお目にかかれるもんじゃないし、書けるもんでもない。
 
 私は追っかけということをしたことがないし、したいと思ったこともない。でも、追っかけの楽しさというものを、彼の文章に教えてもらった。全国津々浦々、違う空気。セットリストは変わらなくても、アーティストの気分は変わるし、ファンの顔ぶれも変わる。彼自身の心持ちも変わる。毎日が、新しい驚きに満ちているのだ。

 本当に好きなものを、ひたむきに追いかける。それ以上に素晴らしいことはない。そこに全身全霊をかけて没入し、気づいたら20年以上。そんな彼を、とてもうらやましいと思った。

2009年2月7日

陶酔の梅花

 梅が咲く季節になった。私は梅の花が大好きなのである。可憐で愛らしい花弁が黒い幹にぽつぽつと白く開きはじめたとき、春がはじまる。それだけで、なにやら心が浮き立ってくるではないか。

 私の家の近所にはちょっとした梅林がある。ふだんは気にもとめないが、この季節だけはここをゆっくりと通りすぎる。つぼみが赤くふくらみはじめたぐらいから観察をはじめ、やがて白いものがのぞき、それが徐々に開くのを、毎日、つぶさに観察する。
 花がひとつ開けば、あとは増える一方だ。2、3日もすれば、殺風景だった黒い林が、美しい白衣裳をまとう。

 今日は5分咲きといったところだろうか。遠くからでも、林が白くなっているのがわかった。うきうきする。梅林に近づくにつれ、甘い香りがしてきた。ああ、なんていい香りだろう! 
 春の香りだ、と思って、私は胸腔いっぱいに吸い込んだ。
 心が洗われるようだ――そう思った途端、やけに香りが強いじゃないか、と気づいた。

 正月に上野公園に行ったとき、蝋梅を見たのである。蝋梅の黄色い花は見た目もかわいらしいけれど、なによりその香りの鮮烈さが特徴的だ。私は蝋梅の香りに、文字どおり陶酔の心地を味わった。
 その記憶が残っていたから、つい梅も、芳香を放つものと思ってしまったのである。だが、言うまでもなく梅はそれほど強い香りを持たない。だとするならば、この甘い香りはいったいなんなのだ?

 梅林と通りをはさんだ向かいの住宅で、壁の塗装をやっていた。甘い香りは、塗料の香り、もっといえばシンナーの香りであった。

 私はなかば酩酊したようになって、梅林を後にした。