2007年11月28日

僕の名前はムハンマド

 スーダンの英語教師が、クマのぬいぐるみにムハンマドと名づけて逮捕されたらしい。
http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY200711280081.html

 なんでも、生徒に多数決で選ばせた結果だそうで、教師ばかりが悪いわけじゃないと思うんだが。
 圧倒的多数の子どもが選ぶということは、イスラム社会に潜在的にそういう欲求があるということだろう。子どもほど正直なものはない。

 とはいえ、先生には本当に気の毒ですが、無知と軽率は否めないですね。

 その昔、マンガ家が偉人(?)の伝記を描くという企画があり、水木しげるがヒットラーを、藤子不二雄A(当時はAはなかった)が毛沢東を、つのだじろうがマホメット(ムハンマド)を描いた。

 現在、ヒットラーと毛沢東は復刻されているが、つのだじろうのマホメットはたぶん、永遠に出版されることはないだろう。昔はマンガも完全にサブカルチャーだったので、世情にまどわされず好き勝手な企画ができていたのである。




●12月4日追記
 この後、テディベアの英国教師は恩赦となったそうだ。スーダン政府が英国に気を遣った結果とのこと。なんにしてもよかったですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000007-jij-int

2007年11月27日

双頭の蛇

 種子島で双頭の蛇が見つかったという。
http://mainichi.jp/select/photo/archive/news/2007/11/27/20071127k0000m040161000c.html

 どうもこういうニュースを見ると、「自然破壊の影響か……」などといらぬ勘繰りをしてしまうが、そういうもんでもないらしいのは、すこし調べるとわかった。
 http://rate.livedoor.biz/archives/50079911.html

 要は、しょっちゅう見つかるもんなのである。今にはじまったことでもなく、昔からあったもんらしい。こういう奇形は、たまには生まれるもんなのだ。

 種子島の双頭の蛇は町役場で保護されたらしいが、当の蛇にとっては僥倖と呼ぶべきものかもしれぬ。蛇がああいう体型をしているのは藪の中を滑るように動くためで、この蛇のように瘤みたいに顔がついていたら邪魔でしかたがない(写真を見てもらえばわかるが、明らかに双頭に主従がある)。
 自然は厳しいから、滑るように動けない蛇はそれだけ捕食者に襲われる危険も高まるのである。

 今後、種子島町役場でどういう扱いをするか知らないが、殺すことはしないだろう。つまり、外敵のいないところで、安全に飯にありつけるのだ。大学の研究室にでも預けられれば、交尾させようなんて話になるかもしれぬ。子孫も残せるわけである。

 ふと、ハーメルンの笛吹きの話で足の悪い子だけが町に残ったことを思い出した。


  

2007年11月20日

恋する中年


 ヒッチコックの「めまい」を見た。

 なんで今頃そんなもんを見てるんだ、と問われると答えに窮するけれど、要は好きなんですよヒッチコック映画が。
 ヒッチコック映画ぐらい、カウチポテトに向いてるものはそうそうないと思うんです。……な~んて言うと、世の映画ファンに袋叩きにされるだろうな。いいんだよ、私にとってのヒッチコックは、ずっとそういうものだった。

 なんとなく退屈するとレンタル・ショップでヒッチコックを借りてきて見る。最低でも年に3作は見てるだろう。当然、同じものを何度も見たりしている。いちばん多いのはたぶん「レベッカ」、次いで「バルカン超特急」だろうか。

 でも、「めまい」を見るのは2度目である。たぶん15年ぶりぐらい。最初に見たときの印象も悪くなかったんだけど、それからもう一度見ようという気にはなかなかならなかった。どうしてなのか理由は判然としないが、たぶん、現在の目で見るとあまりに陳腐な例の総天然色アニメーションの印象が強かったんだろうな。はじめて見たときは力が抜けたもんなー。

 しかし、しかしである。
 今回見た「めまい」は本当に素晴らしかった。ヒッチコックってすげえなあ、と久々に思ってしまった。

 知ってる人も多いと思うけれど、この映画、二部構成になっている。前半はヒッチコックお得意のサスペンス/スリラー。幽霊に取り憑かれた女(キム・ノヴァク)を、探偵役の元刑事(ジェームス・スチュアート)が追う。女は不幸な死に方をしたスペイン系移民の女性に憑依されていて、不可思議な行動をとる。しかも、その間の記憶がまったくない。
 とぎれとぎれの記憶、夢で見た場所……そんな白昼夢のような光景を、ヒッチコックはまるで前衛絵画のようなカメラアングルを駆使して描き出していく。色彩や光の加減も細部まで計算しつくされている。まず、これに圧倒された。「めまい」ってやっぱすげえんだ、と再認識してしまった。

 後半は前半のタネ明かしと、主役の男女の恋愛劇を主軸としている。ハッキリ言って、トリックのネタそのものは大したもんじゃない。だからミステリーとして見れば肩すかしを食らってしまうが、「めまい」がほんとに凄くなるのは後半の方である。前半では健常だったはずの元刑事が、どんどん常軌を逸してくる。サスペンスを喚起する主体が、前半は女だったのが、男の方に移っているのだ。前半で幽霊ネタを使ってさんざん煽っていた不安が、ここにきて効果を現してくる。幽霊なんざいない現実の方が、ずっと不安なのである。

 男が異様さを増していくのは、彼が恋をしているからだ。
 中年男の恋は、偏執的である。マトモじゃないのだ。その異様さ・みっともなさ・どうしようもなさ。それだけでもじゅうぶん異常なのに、ヒッチコックはそこに怒りと復讐心と嫉妬を加えてみせる。凄惨、ここにきわまれりである。そして、とってつけたような幕切れ。2時間の美しき悪夢は、とつぜん、鐘の音とともに終わりを告げる。

 15年前には、わからなかった。むろん、楽しむことはできたんだけど、中年男のキチガイじみた恋愛の凄まじさには、理解が及ばなかった。それを理解するには若すぎたのだ。

 オッサンになんないとわかんないもんって、やっぱりあるんだよな。



 

2007年11月17日

戦争博物館をつくろう

 靖国神社に参拝し、遊就館を見学してきた。
 今まで、行ったことがなかった。はじめて行ったのである。

 遊就館はバリバリの皇国史観による陳列が行われていると聞いていたのだが、思っていたよりずっとマトモだったので少々拍子抜けした。もっとすごいのを想像していたのだ。

 むろん、首をかしげたくなる展示はたくさんあった。見ながらけっこうツッコミ入れてたから、やっぱり偏っていた、というべきなんだろうな。

 日露戦争を扱った映像では、大本営発表もかくやと思われるほどに、日本の(ナレーターは「我が国の」と語っていた)戦勝をはなばなしく喧伝していた。
 乃木大将の旅順攻撃がいかに無謀な作戦だったかとか、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊に勝てたのはいくつかの幸福な偶然(いい言い方をすれば、「読み」が当たった)に支えられていたことなど、大日本帝国の戦意昂揚に役立たないような情報は一切、語られない。日露戦争で日本が疲弊しきっていたことさえ、ひとことの説明もない。あの調子じゃ日比谷焼き討ち事件は再発しちゃうよ。

 大東亜戦争は日露戦争より戦争指導者がずっとアンポンタンになっているから、ツッコミどころはたくさんあるだろうに、やはり一切述べられていない。
 あの悪名高きインパール作戦ですら、「退却を余儀なくされた」としか語られてないのだ。戦死じゃなくて餓死で数万人死んだとか、兵隊には鉄砲さえ支給されなかったとか、参謀ですらバカな大将の命令を聞かなかったとか、ちゃんと書いとけよ。
 戦争の年表展示における、「日本は和平の道を探っていたのに、アメリカはまったく応じなかった」という説明文にはため息が出た。イギリス大使だった吉田茂の単独外交(政府の承認を得てない独断外交)が、「和平の道を探っていた日本」の代表例になっちまっている。本土決戦までやるつもりだったろ、軍部(=当時の日本政府)は。むろん、それに関する説明はまったくない。

 特攻隊の遺影がたくさん並べられ、特攻兵器「桜花」や「回天」も陳列されていた。
 特攻で死んでいった人たちの冥福は祈りたいし、死者を鞭打つようなことは言いたくないが、特攻隊が美しいとはやっぱり思えなかった。バカな戦争指導者たちの立てた愚かな作戦で散っていった若き命。かわいそうだなあ、とは心の底から思うけれど、それだけである。若者に特攻を強要(と、言っていいと思う)した戦争の親玉たちのバカさ加減にどうしても思い至ってしまうから、それが美しい行いだとはとうてい思えないのである。


 私は、日本人の死生観・宗教観から言っても、靖国神社には天皇と首相がそろって参拝すべきだと思っている。ただし、A級戦犯合祀、ありゃまずい。なんとかすべきだ。あれをなんとかしないうちは、国益上、参拝は控えた方がいい、とも思っている。

 去年だったか、当時、総理大臣だった長州出身のA級戦犯の孫が、「東京裁判は正しくない」みたいなことを言って物議をかもしたことがあった。私は、これには全面的に同意する。いかにも、東京裁判は正しくない。戦勝国が勝ったことを傘に着て、好き勝手に裁いた不公平な裁判だと思う。
 でも、A級戦犯の連中の「罪」はそれでチャラになるわけじゃない。東條英機はやっぱり罪人でなければならない。日本人による裁判をやっても、結果は同じ、絞首刑にしかならないだろう。あいつの出した「戦陣訓」でどれだけの人が死んだかを考えれば、切腹ですら甘い。国賊と断じてもいいと思う。実際、ドイツではヒトラーをそういう扱いにしている。


 話がそれた。言いたいことはそれじゃないんだ。

 われわれ戦争を知らない世代が戦争を知るための施設が、あの遊就館しかないというのは、戦後日本の大きな過ちではなかろうか。
 戦後教育は、反戦平和を叫ぶあまり、過去の戦争をタブーにしてしまい、「戦争とはなんぞや?」をきちんと分析する機会を与えなかった。
 そのせいで、かえってああいう戦争を美化するがごとき偏った急進的な施設が、唯一の戦争資料館になってしまうという、本末転倒が行われてしまっている。これは由々しきことじゃないか?
 戦争博物館をつくるべきなのだ、国費で!

 遊就館は、あの戦争を美化しすぎている。極東の島国が世界を相手に戦争をやった、そりゃ立派かもしれんが、その反対の暗黒面――帝都空襲で東京がどんだけズタボロになったかとか、原爆投下に際してアメリカが何を考えていたかとか、戦争のせいで国民生活がどれほど窮乏にさらされたかとか、そういう面がまったく欠落してしまっている。あれが唯一の戦争資料館というのは、どう考えたってまずい。

 かといって、われわれ戦後生まれが学校で教えられてきたように、戦争の悲惨ばかり繰り延べるのはどうかと思うのだ。誇れるところは、誇ったっていい。ゼロ戦がいかに優れた戦闘機だったかとか、第二次大戦は日露戦争とちがって、日本軍の兵器はすべて国産品だったとか、ちゃんと誇ったらいい。ヘンな精神論なんかより、科学力・技術力に優れていたんだ、というアピールの方が、ずっと説得力があるだろう。また、戦争とは国際政治の延長なんだから、そこんとこもキッチリ紹介する必要がある。当時の日本の政治家がテロにビビってなんにもできなかったことや、ヤクザみたいな連中がイケイケドンドンで考えなしに中国を攻めたせいで、アメリカとことを構えざるを得なかったことも含めて。
 そんな戦争博物館が絶対に必要なのだ。ヨーロッパには沢山あるじゃないか。なんで日本にはできないんだ?
 
 グリーンピアつくるカネとヒマがあったら、そういう施設をつくれば良かったのである。
 いや、今からでも遅くない。あのムダにでかい東京都庁の中にでも、戦争博物館をつくればいい。東京空襲を3Dジオラマにして見せればいいじゃないか。修学旅行の生徒を呼べば、観光収入にもつながるぞ。どうですかね、石原さん。
 

2007年11月14日

やっぱりまやかしだった

 大連立構想と小沢の辞任すったもんだにもずいぶん驚かされましたが、次のニュースを見たときにも相当驚きました。

海外派遣の自衛隊員16人、在職中自殺…対テロ・イラク
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071113it14.htm


米兵に自殺が多いってな話は以前から知ってました。
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10043600549.html

まあ、ある意味当然かなと思っていたのです。大儀なき戦争、「イラクの民主化」を旗印に戦っていたはずなのに当のイラク国民から攻撃される毎日。ふつうの神経じゃ耐えられないだろうな、と思うのです。

でも、自衛隊は戦ってるわけではありません。給水活動、および後方支援が任務だったはずです。じっさいに弾が飛んでくるところにはいないはずだし、弾が飛んできたら逃げるのが自衛隊で、事実、死傷者は出てないんです。

それがなぜみずから命を絶たなければならなかったのか。

おそらくは、すごく深いところで精神的に追いつめられる、ということなんでしょうね。
表層的な部分だけでわかったふりをすることはできないもんだな、と思いました。

ひとつだけ明らかなことは、「非戦闘地域」なんてやっぱりまやかしだったんだ、ということです。