2008年9月22日

半額だろうが

 経営破綻したリーマン・ブラザースと政府による救済が決定したAIGの社員に対し、ビール半額にするというサービス。

リーマンとAIGの社員に吉報、シカゴでビール半額
http://www.excite.co.jp/News/odd/E1221982572771.html

 半額だろうがなんだろうが、この店はガッチリ儲かるだろう。
 この日本にまでニュースが伝わるって、物凄い宣伝効果だ。

 やっぱ、大事なのはアイデアなんだよなー。

 

2008年9月13日

ネット・リテラシー雑感

 さいきんはネット用語がいつのまにか市民権を得たかのようにネット以外のメディアで使われはじめたりするから、ついていくのが大変だ。

 某巨大掲示板とかをしょっちゅう見てる人ならとうに了解済みのことでも、こっちははじめて聞く言葉だったりする。

 ずいぶん前だが、orzというのがわかんなくて、その方面に詳しい友人に聞いた。意味と用法を聞いて、なーるほどねと思った記憶がある。

 今日は「喪」という言葉に出くわした。喪。なんじゃらほい。こうなると、もう気分は盆栽老人である。

 調べて、意味がわかった。ふーんと思った。

 ネットで新しい言葉が生まれるのを否定するつもりはない。
 閉じたコミュニティ(仲のいい友達どうしとか、サークルとか)ではどんなところでも仲間内にしかわからない符丁が使われるものだ。ネットの場合は、それがミョーな形で開かれてるから「仲間内」と「外」の区別があいまいになってしまう。
 さらに、閉じたコミュニティとはちがって、言い出しっぺが誰なのか、皆目見当がつかない、という特徴もある。

 まあ、これはそういうもんなんだから、そういうもんだと受け止めるしかないのである。

 
 ネットの普及によって、多くの人が自分のメディアをもち、語るようになった。情報のほとんどがマスコミから一方的に与えられた旧・世界よりも、おもしろい世界になっているんじゃないか、と個人的にはおもっている。

 たぶん、「文章を書く」ことを習慣にしている人の数も、統計をとれるもんじゃないから本当のところはわからないけれど、増えていると思われる。

 でも、どうなんだろ? 一般の人の「民度」といいますか、知的レベルというのは、反対に下がってるんじゃなかろうか。

 まっとうな校正を経た文章は学校の教科書しか知らず、その教科書はロクに読んでなくて、あとはネットで流通するテキストを読む。たいがいは友人知己のブログやら某巨大掲示板やらに記載された文章を読む。

 そうなると、「まっとうな文章」にふれる機会ってないんだよね。

 まあ、何がまっとうで何がまっとうでないかの区別に関しては定義が必要だし、それを定義づけようとするとややっこしいことになるからしないけれど、ときどき、何が言いたいのかサッパリわからない文に出会ったりすると、そういうことを思う。

 私は仕事がら、「ライター」と称する若い連中の文章を読むこともあるんだけど、あまりのひどさに頭痛がしてくることがある。
 あのね、文章というものは、コミュニケーションに向かってるものなのよ。あなたひとりに理解できたって、他人に理解できなきゃ意味ないの。

 まあ、マスコミ周辺の「ライター」とか「デザイナー」なんて、資格試験も入社試験もなくて、ただ自分で「ライター」とか「デザイナー」とか言えばなれちゃうイージーな職業だから、こういう人は昔からいたんだろうな、とは思うんだけど。

 ひょっとしたら、ネットの影響もあるんじゃなかろうか、とも思うわけです。

 もっとも、これだって調査できるこっちゃないから(どっかの独立行政法人にでもやってもらうほかない)、ほんとのところはわかりませんけど。

2008年9月12日

もはや「やりすぎ」ではない

「やりすぎコージー」が“月9革命”を起こす!? 過激な深夜番組がまさかのゴールデン進出!
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20080911-00000011-the_tv-ent

これって、たぶん喜ぶべきことなんだろう。
番組制作スタッフとしては。

でも、俺がこの番組を好きだったのは、ふだんは炊き出しに並んでる芸人とか、屁を何十発も連続で放つのが「芸」の芸人とか、どう考えてもあっちの世界に行っちゃっていて、もはや「芸」ですらない芸をやる芸人とか、そういうやつらが出てくるから好きだったんだ。

言い換えれば、芸の世界の闇。
「華」しか映らないはずのテレビに、真っ黒い闇がのぞく。
笑えないどころか、凍りつくことも多かったが、それでも、好きだった。

コージたちのトークも、深夜だと割り切って好き勝手なこと話すから面白かった。
風俗で豪遊した話、股間にケジラミを発見した話。腹抱えて笑った。
そういうのも、もう出ないだろう。


月9版も、たぶん2~3回は見てやるだろう。
でも、それでつまんなかったらもう見てやんないかんな!!!

2008年8月31日

富野監督吠える a.k.a ガンダムって面白いですか?

 私はどっちかというと、「ガンダムなんて糞つまんねえアニメに何故みんな熱狂するんだ?」と感じてしまう方です。

 モビルスーツというコンセプトの新しさ、正義のロボットが悪いロボットを倒す勧善懲悪を廃し、「戦争」というリアリティを持ち込んだ新しさは評価します。でも言いたい。「ガンダムってそんなに面白いですか?」と。ファースト・ガンダムがあれほど評価される理由が私にはさっぱりわかりません。

 同じガンダム・シリーズでも、格闘ものの要素を採り入れた『機動武闘伝Gガンダム』や、富野さんの監督作でも『ターンAガンダム』の方が楽しめたと思います。また、『ガンダム』の次作であった『ザブングル』や『ダンバイン』の方が面白くないですか? みんなほんとにガンダム好きなの? みんなが好きだから好きって言ってるだけじゃないの?

 まあ、それはともかくとして、富野監督の公演をレポートした次の記事は楽しめました。いいねえ、こういう爺さん。


ガンダムの富野監督が東大でスペースコロニーをぶった切る
http://www.gizmodo.jp/2008/06/post_3833.html

2008年8月14日

或るソウル・シンガーの死


 音楽をネットでダウンロードして購入する、という習慣はない。ネットで流通するmp3をはじめとした圧縮音源に今ひとつ馴染めていないというのもあるし、なんのかんの言って旧態依然のCD/アルバムという流通形態に愛着があって、入手するならそっちを、と考えてしまうからだ。

 でも、過去に一度だけ、音楽をダウンロード購入したことがある。オリトという日本人ソウルシンガーの「感謝の歌」というシングルだった。
 世の中じゃダウンロード購入というもんが流行っているみたいだから、一度試してみよう、などと思ったわけではない。その形でしか流通してなかったから、やむなくダウンロードで買ったのである。
 シンガー・オリトの人気のほどは、この一事をもって伺い知ることができよう。過去には何枚かアルバムを出してたみたいだけど、シングルCDを出せるようなアーティストではなかったのだ。早い話が、誰も知らない歌手。それがオリトだった。

 でも、彼の「感謝の歌」を聴いたときはほんとに衝撃を受けた。

 きょうび、ブラック・ミュージックの一形態としての「R&B」に影響を受けた日本人歌手は、掃いて捨てるほどいるだろう。雨後の筍のように次々出てくるから名前も覚えられないけれど、みな大した歌唱力を持っている。じっくり聴いたわけじゃないから一概には言えないが、サウンドはビヨンセとかメアリー・J・ブライジみたいな打ち込みのヒップホップ・ソウルを模したものが多く、メロディはわりと歌謡曲的だったりすることも多いようだ。

 オリトの「感謝の歌」も、同様にブラック・ミュージックを模したものである。だが、彼の歌はいわゆる「R&B」ではない。本国アメリカではとうに死んだといわれるソウル・ミュージック、ニュー・ソウル・コンボのスタイルを使った、トーキング・ブルース風の日本語の歌。それがオリトの歌なのだ。日本語詞の乗せ方もみごとで、まさに「ソウル」としか言いようのない音楽になっている。こういう表現もあるんだなあ、と大いに感心し、感動した。
 たぶん、一昨年のことだったと思う。私はいそいそと、慣れないダウンロード購入で、彼の歌を手に入れたのだ。


 それから幾星霜。話は昨日のことになる。ディスクユニオンで、オリトのアルバムを見かけた。「感謝の歌」も入っている。へえ、アルバム出せたんだ、良かったじゃん、と思ったのも束の間、ジャケットに穏やかならざるものを感じた。
 アルバム・タイトルは「イモータル・オリト」。ジャケットは、あのオーティス・レディングの遺作「イモータル・オーティス」のパロディになっている。

 これはひょっとすると、と思って帰宅してから調べてみると、やっぱり、そうだった。オリトさんは亡くなっていたのだ。今年の2月、ツアー先の大阪で。享年43。若すぎる死であった。

 売れてない歌手だからこそ、生で聴く機会も簡単に得られるだろうと思っていたが、残念ながらそれも果たせなくなってしまったようだ。オリトは、知る人ぞ知る、知らない人はまるで知らない歌手のまま、あの世に行っちまった。

 訃報を知って、「感謝の歌」をあらためて聴いてみた。偶然だと思うけれど、ひょっとするとオリトさんは、死ぬのがわかっていてこの歌を歌ったんじゃないか、と思ったりした。この曲は彼のラスト・レコーディングになったというが、スワン・ソングが「感謝の歌」なんて、出来すぎじゃないか。

 冥福を祈りたい。
 知っている曲はたった1曲、あとは素性も知らず、それ以上の興味も持たなかったけれど、あなたの歌は、たしかに私に届いた。これもたぶん、なにかの縁だろう。

 おそらくは有志の手によって出されただろうラスト・アルバム「イモータル」は、買おうと思っている。



ラスト・アルバム「イモータル」。1曲目からアル・グリーンのカバー。
http://www.amazon.co.jp/IMMORTAL-SOUL-ORITO/dp/B001A9TJJ8


吉祥寺のライブハウス「JIROKITI」における「感謝の歌」のライヴ演奏。
JIROKITIはこれまた知る人ぞ知るブルース・クラブである。後半部のアドリブが圧巻。
http://jp.youtube.com/watch?v=MdcRztAQoZE

2008年7月18日

人生は死に至る戦ひ

 芥川の『歯車』という小説は、正直ぜんぜん面白くないし、構成もなっちゃいないし、インテリを気取ってるし、そのうえ読めば決まって暗い気持ちになるというオプションつきの、あんまり人にオススメできない作品である。にもかかわらず、私はなぜか何度も読んでいる。

 たぶん、半ば狂気の世界に足をつっこんでいた芥川の混乱しきった頭の中を旅するような、不思議な感興を抱かせるからだろう。

 その芥川の直筆遺書が発見されたそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080718/acd0807181054005-n1.htm

 比較的有名な次の文句、

一、人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず

 の「死に至る」は後から追加されたものだそうだ。

 芥川だなあ、と思った。死ぬ間際まで神経過敏、そして死ぬ間際まで気取ってやがる。

 直筆遺書、見てみたい。写真ぐらい公開しないもんだろうか。

2008年6月22日

秋葉原殺傷事件を考える <1>

 秋葉原殺傷事件に関しては、ずいぶんいろんなことを考えさせられました。

 犯人である「彼」の携帯サイトへの書き込みも熟読してしまいましたし、現在も報道のひとつひとつに、強い興味をもって接しています。正直、ゲンナリしてしまうことが多いので、精神衛生上よろしくないことはよくわかっているのですが、どうしてもやめることができません。

 どうしてこれほどに強い関心を抱いたかといえば、ひとえに「彼」が、犯行に至るまでの心情を、つぶさに記録し、公開していたためだと思います。

 すこし広い視点をもてば、無差別大量殺人というのは、洋の東西を問わず、頻繁に起こっているものだということを知ることができます。有名なものに、横溝正史の『八つ墓村』のモデルになったといわれる津山三十人殺しや、コロンバインの銃乱射事件があります。

 その視点に立ってみれば、「彼」の犯行はとくに珍しいものではありません。
 だが、「彼」ほどに、犯行動機を世間の目にさらし、犯行に至るまでの自己の心情を執拗に綴った殺人者はいなかった。犯行後に手記を残す殺人者は多いでしょうが、犯行前にそれをやった者は、私の知るかぎりいません。その意味で、「彼」は特別な存在なのです。

 とはいえ、私が自分でもちょっと異様と思えるほどに事件に興味をもってしまったのは、単に「彼」が残した心情吐露がめずらしかったから、だけではなかったと思います。

「彼」が通ったのと同じ道を、かつて自分も通ったことがある。
 そんな気がしたからです。「彼」の書き込みを熟読しながら、そこに綴られている言葉のひとつひとつに身をゆだねているうちに、私はそのことに気づきました。誤解を恐れずに言えば、私が「彼」でもおかしくなかったのです。

 とはいえ、私は過去に「彼」と同じような犯罪を犯したわけではありませんし、犯行を考えたことすらありません。ただ、同じように世をすね、疎外感を感じていたことがあるだけです。
 同じようなココロの動きをしていたはずなのに、「彼」は殺人鬼となり、自分はならなかった。その相違はどこにあるのか。私はずいぶん、そのことを考えました。

 安全に暮らしていくためにも、私たちは「彼」のような人間を二度と世に出さないよう努めていかなければなりません。それが社会人の、大人のつとめです。いったいどうしたら「彼」に犯行を思いとどまらせることができるか、という問いは、私に「どうして自分は殺人鬼にならなかったのか」を考えさせることになりました。

「彼」に犯行をやめさせる方法は、すぐに考えつきました。すごく単純なことなのです。
「彼」はみごとな五七調をもって、こう綴っています。

「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」

 彼女さえいれば、「彼」は犯行に至らなかったでしょう。だから、「彼」に犯行をやめさせるためには、「彼」に恋人をつくってあげればいいのです。だが、これが難しい。

「彼」に恋人ができないのは、まわりにいる女性が悪いわけではありません。「彼」自身が悪いのです。それも、「彼」の容姿がふるわないためではない。「彼」の写真を見るとわかりますが、顔立ちは悪くなく、むしろ端正なほうだといえるでしょう。どうやら若ハゲみたいですが、こんなもんは隠そうと思えばどうとでもできますし、開き直ってしまえば気になるほどのもんでもないと思います。

「彼」に恋人ができなかったのは、「彼」みずからが可能性を閉ざしていたためです。じつは、私が「同じ道を通ったことがあるなあ」と感じるのも、このあたりのように思うのですが、長くなるので、また日をあらためて綴ることにいたします。

2008年6月19日

アイ・ラブ・レノボ


 先日の500MBハードディスク増設に気をよくして、また設備投資しました。

 私のノートパソコンはThinkPad X41というしばらく前の機種なのですが、買ったときからメモリは不足気味でした。いつかは増設しなきゃな、と思っていたのですが、めんどくさいのとノート用メモリは高い(と思いこんでいた)のとで、そのまま使い倒していたのです。

 ところが、調べてみるもんですよね。今、メモリってムチャ安いんです。
 PC2-4200の1GBメモリがさ、通販で送料込み3000円未満!!
 デスクトップ用じゃないよ。ノート用だよ?
 むろん無印バルク品ですが、問題はまったくございません。


 驚いたのは、lenovoがメモリの換装手順を映像つきで解説してくれていること。

 ふつう、ノートPCのメモリの増設にたいするメーカーのアティテュードは、お店に頼んでね or 自己責任でね、の二通りしかあり得ないと思うのです。ところが、lenovoはじつにユーザフレンドリー。ご丁寧に映像でガイドしてくれるうえに、増設の手順もきわめて簡単です。

 IBMがThinkPadブランドをlenovoに売却したとき、いちばん心配だったのは、それまでのThinkPadの美点であった細やかなアフターケアがなくなってしまうのじゃないか、ということでした。

 私のノートPC先代はThinkPad240という骨董品だったのですけど、ハードディスクがいかれたとき、どういう理由かは忘れましたが、無償で新しいのに変えてくれたのです。
 そのとき、一生ThinkPadを使い続けるぞ、と誓ったのですが、会社がIBMからlenovoに変わって、そういう良さもなくなってしまうのではないか、と心配しておりました。

 まあ、目に見えないところでいろいろ変わってるんでしょうけど、ユーザのメモリ換装をメーカーみずから推奨してしまうあたり、美点はまだまだ健在と思われます。

 今回のメモリ増設に関する一件で、一生ThinkPadを使い続けるぞ、という意思は、いささかも揺らがず、むしろ強固なものになりました。

2008年6月14日

監視強化と法規制

秋葉原につづき、大阪での殺人予告。

<ネット殺人予告>大学生を事情聴取 大阪府警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080613-00000084-mai-soci

 未然に防がれたのは、警察の対応力が上がったってことだろう。以前は、犯人特定が期日のだいぶ後だったもんね。


 今後、ネットの監視強化と法規制は進むだろう。

 自分が誰かを明かさず、どんな秘密も書き込める「王様の耳はロバの耳」なネットは滅んでいかざるを得ない。

 法制化は致し方ないとしても、どこまで許すかを自分なりに持ってないと、とんでもないところまで禁じられることになるよ。

2008年6月10日

古館株急上昇

古舘氏、自民に謝罪なし「笑う局面ない」
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080610-370453.html


 謝るのかなあどうすんのかなあ、と思いつつ、でも「ぜってー謝るんじゃねえぞ」とは思っていた。

 謝らなかった。
 古館株急上昇である。

「今は笑ってる場合じゃねえんだよ」という返しも秀逸だ。

2008年6月7日

広い家

 500GBの外付けハードディスクを買った。
 1万3千円。ほんと、安くなったものだと思う。昔は2GBの内蔵型で同じぐらいしてた筈だ。ちょっと浦島太郎な気分である。

 朝からせっせとバックアップして、OSの再インストールをした。

 朝9時からはじめて、6時ぐらいまでPCに向かっていた。OSの次はドライバ、ドライバの次はアプリケーション、アプリケーションの次はネットワーク設定、などとやっているとたちまちそんな時間になってしまった。凝りはじめるといい加減にできないタチなので、つまんないところにもずいぶん時間をかけた。

 DELLのデスクトップマシンは新品のようにサクサク動くようになった。外付けディスクも好調である。

 今は新しい家に引っ越したような気分になっている。
 
 それにしても、500GB。広いなあ。
 

2008年5月19日

マニアックな日本人

 べつに購入するつもりはないのだが、Amazonでジミヘンのライヴ盤を眺めていたら、こんな記述を見つけた。

※このCDは全世界1000枚限定で、日本への割り当ては300枚のみですので、ご注文はお早めに!!!

 驚いたねえ。日本に300枚も割り当てられてるとは。
 日本人ってほんとマニアックで、そのあたり海外のレコード会社も知ってるんだよな。

2008年3月26日

ある殺人

ホームから落とされ死亡、容疑の18歳逮捕 JR岡山
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200803260005.html

 犯罪を暴くにはまず動機を洗え。松本清張の社会派推理小説はそれを徹底することでリアリティを獲得していたわけだが、それもすっかりアウト・オブ・デイトになった感がある。洗うべき「動機」なき犯罪が当たり前になってしまった。

 この少年などは、「刑務所に行きたいから」無差別殺人である。被害者の遺族の心中を慮ると胸が痛むが、ここまでいってしまうと天災に近い。

 もっとも、こうした「動機なき」犯罪の背景には、ハッキリ「貧困」が見えている。そこはキッチリ指摘しとかなきゃいけないと思う。自殺者が3万人いることと、動機なき殺人者が続出していることの根は同じなんじゃないか。

 社会が豊かになれば犯罪はなくなる、なんて理想論をぶつつもりはない。だが、減少するのは確かだろう。

2008年3月6日

ネットの書き込みと自警団

「埼玉の小学校の女子を2月29日13時に殺します」

 上記の脅迫文が15日ごろ、ネット上の掲示板(2ちゃんねる)に書き込まれた。「埼玉の小学校」に通う子供を持つ家庭は騒然となった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080228-00000925-san-soci

 29日当日はウチの餓鬼の通う小学校も戒厳令状態となり、登下校の際には大人がつきそい、学校の周囲も、付近の住民が警戒のため終日パトロールをおこなっていた。自然発生的に自警団が結成されたのである。

 私は仕事があるから自警団には加わらなかったけれど、細君によれば、直接、小学校に関わりを持たない方も多数参加されたようである。イザというときに集まってくれる住民を見て、細君は感動したと語っていた。

 3月に入ってから、犯人が判明した。千葉の男子小学生だった。「殺す」ことはおろか、埼玉までひとりで来られないような歳の少年だった。
http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY200802290400.html?ref=rss

「殺す」なんて言葉は小学生なら普通に使うだろう。
 千葉在住ということから考えて、なんかで埼玉と千葉はどっちが都会か、とか、どっちがカッコイイか、みたいな話になったのだろう。この二者は東京の近隣の田舎という位置づけが似ているために、大人ですらよく比較をするのである。そこから、「埼玉の小学校」という場所の特定がされたものと思われる。

 たったひとりの小学生のイタズラが、自警団まで結成させてしまう。
 現代ならではの事件であるなあ、などと思った。

 わかったことはふたつ。
 2ちゃんねるの匿名の書き込みも、書いた主は警察が調べりゃすぐわかります。
 ただし、その特定には2週間という時間を要します。もうすこし早くわかってりゃ、自警団結成なんて事態にはならなかったはずなのだ。

 警察も馬鹿じゃないから、今後、捜査のスピードや効率を上げていくだろう。いいことだと思う。

 便所の落書きと揶揄された2ちゃんねるへの書き込みにも、それなりのモラルが求められていくことになるだろう。あんな野放しの場所でさえ、「書いてはいけないこと」ができるというのは、興味ぶかいことであるなあ。 

2008年2月11日

春はそこまで

 寒い寒いと思っていたが、春はすぐそこまで来ているらしい。

 路傍になんとなく目をやったら、オオイヌノフグリの花が咲いている。のみならず、花には蜂までやってきている。

 おやおや、もう春かいな。そう思ってちと遠回りして、近所の梅林に立ち寄ると、未だ開花はしてないものの、つぼみが大きくふくらんでいる。もう2、3日もすれば咲くのだろう。

 梅の花は大好きなのだけど、毎年この時期は忙しくて、開花に気づいたころには盛りを過ぎてしまっていた。

 今年は見逃さないようにしよう。年にいっぺん、この時期にしか見られないんだから。
 

2008年1月6日

いづれか歌を詠まざりける(1)

 
 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

『万葉集』柿本人麻呂の歌。「あしびきの」は「山」にかかる枕詞、「山鳥の尾のしだり尾の」は「長い」にかかる序詞。要は、三十一文字も使って「長~い夜をひとりで寝るのかよ……」と言ってるだけ。ムダが多いのである。そのムダが情緒を織りなす。イイじゃないの、と思う。

『新古今』になると、これを本歌として、次のような歌が生まれる。後鳥羽上皇の作。

 桜さく遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな 

 こちらは「長~い1日」だけど、桜を飽かず眺めている。しかも、「山鳥」に「遠」がついているせいで、桜は近くにあっても、「山」は遠いことがわかる。さすが承久の乱を起こして文武両道に聞こえた帝、堂々としていらっしゃる。桜を1日中眺めているし(常人にはそんなことできません)、都会(京)のど真ん中にいて、山鳥の声なんざ聞こえなくたって気にもしない。技巧もみごとというほかはない。

2008年1月4日

謎の出版社・成瀬書房、続報

 新年あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 昨年4月に、こんな記事を書きました。

ドキュメント 謎の出版社「成瀬書房」を追え!

 以降、この謎の出版社について、追及を続けることもなく放置していたんですが、今年に入ってから、親切な方がこの記事にAnonymousでコメントをつけてくださり、成瀬書房の連絡先がわかりました。下記で検索をかけると、出てくるようです。

日本図書コード管理センター
http://www.isbn-center.jp/cgi-bin/isbndb/isbn.cgi

 日本で出版される書籍には、かならずISBNコードというものがついています。私は職業柄、こいつを扱うことも多いのですが、本をつくる側にとっては、無意味な文字の羅列のくせに、間違うとエライことになるという、かなり厄介で面倒くさいシロモノです。
 でも、こういう使い方もあるんですね。

 誰とは存じませんが、書き込みしてくださった方、ありがとうございました。
 おかげさまで、成瀬書房が千葉県船橋市に現存する出版社で(2005年確認)、一応、取次経由書店販売をしている出版社であることが確認できました。
 電話で問い合わせもできるようなので、こんど問い合わせしてみようかと思っています。

 それにしても、なんだってこんなネット上のチベットみたいなブログ・サイトにたどりついたのかしら、と思ったのですが、どうやら上記記事、「成瀬書房」でググるとトップに表示されるようです。成瀬書房がいかにネットと距離をおいているかの証左でもありましょう。