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2009年9月8日

総選挙、そして罪と罰

 選挙が終わった。民主党が勝った。

 まちがいなく歴史に残るだろう鳩山・次期総理大臣は、ワイドショーでもニュースでも、行動を逐一報道されている。大したフィーバーぶりだ。
 まあ、夏の間、毎日流されたノリP報道にはケッタクソ悪い思いを抱いていたので、選挙で流れが変わってよかったと思う。

 ノリP、いじめすぎだよ。人を殺したわけでも、人のモノを盗ったわけでもない。誰にも迷惑をかけていない彼女をどうしてあそこまでいじめなきゃならんのか。いずれ罪はつぐなうことになるんだから、ほっといてあげればいいじゃないか。

 子どもに、「覚醒剤をやるとどうしていけないの?」と問われ、「ダメな人になってしまうからだよ。体もボロボロになってしまうんだ」としか答えられなかった。それがどうして「悪いこと」なのか、説明できなかった。他人に売ったら「悪いこと」だし、「悪いやつ」だけどさ、やるだけで「悪いやつ」といえるのか?
 誰かマトモな答えをもっているか? 「ダメな人」になるのは事実だけど、それをやって「ダメな人」になるのは本人なのだから、それこそ自己責任の範疇じゃないのか?

 話がそれた。選挙の話をしたいと思っていたんだ。
 個人的には、中川昭一元財務相がきっちり落選したのがいちばん印象的だった。
 あのとおり苦み走ったイイ男、大臣経験者で親父の地盤を継いでいる。本来なら絶対に負けない人なんだが、ちゃんと負けた。北海道民、わかってるじゃないかと思った。
 例の経済サミットでの失態はさすがにひどい。
 本人は断酒をして選挙に臨むといっていたけど、断酒したぐらいで禊ぎが済んで、また議員でございますとデカイ顔できるなんて、あまりに「罰」が軽すぎないか? ノリPは毎日いじめられてるのに!
 きちんと機能してるじゃないか民主主義、と思った次第である。たぶん、毎晩ヤケ酒かっくらってるだろうね中川さんは。

 今回の選挙に関して、当然のこといろんな批評が出てるけど、いちばん腹が立ったのは田原総一郎のコメントだった。
 選挙結果を見て、「日本人はバカなんじゃないか」とかいいやがった。要は、郵政選挙における自民党の勝ちすぎでも学習せず、今回も民主党がバカ勝ちした。一辺倒になりすぎる日本人の性癖が出てる、っていうんだ。
 同様のことは、言葉こそやわらかくなっているけど、このコラムでもいっている。

 バカはおまえだ、といいたいね。
 選挙は秘密投票、誰がどこに投票したかわからないのが原則だ。今回だって、みんなが示し合わせて民主党を選んだわけじゃないんだよ。個人の票を総合したら、結果としてそうなっちゃたんだ。
 たしかに「勝ちすぎ」とはみんな思ってるだろうけど、それは小選挙区比例代表制という選挙システムのせいであって、日本人の性質のせいじゃない。選挙でちょうどよく、いい案配に票を分配するなんてことは、誰もできないんだよ。示し合わせて投票なんか、できないんだから!

 田原総一郎さんは立派なジャーナリストだと思っているし、尊敬もしているけれど、ときどきこういう「誰にも、どうしようもできないこと」を「日本人」という一人格でまとめて、責任をおっかぶせようとする。
 よくないところだと思うんだけど、治らないんだろうな、たぶん死ぬまで。

2007年9月3日

鬼門の農水省

 このたびの遠藤農水相辞任で、たった3か月の間に3人の農林水産大臣が辞めたことになる。

http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200709030101.html

「農水省は鬼門だ」。
 そんな迷信めいた浮言がささやかれてもおかしくない。

 なんでも、政府は今年度から耕作面積が一定規模以上の農家などに絞って補助金を出す「品目横断的経営安定対策」をはじめているらしい。詳しいことはわからないが、民主党によれば、これは「小規模農家の切り捨て」に当たるのだそうだ。
 それゆえ、民主党は「すべての販売農家への個別所得補償制度創設法案」を提出しようとしており、これが夏の参院選の大きな勝因となった。私はこれを「バラマキ行政にほかならない」と考えているけれど、農政事情には明るくないので、これが良いのか悪いのかの評価は留保している。

 ただ、当の農家にとっては、民主党の政策のほうがいいに決まっている。このたびの相次ぐ農水相辞任劇に、そうした「農家の思惑」がひょっとしたら絡んでいるのではないか、と思うのは、陰謀論に傾きすぎかな。

2007年8月27日

つまんない知事選に思う

 昨日は埼玉県知事選挙であった。

 私はこうしてプライベートでも政治に関してコメントしているし、仕事でもときどき、政治について書くことがある。
 選挙に行かずして、政治を語ってはならない。選挙に行かない人間は、政治にたいして文句を言う資格はない。

 それは、最低限守らなければならないマナーだと思っているから、どんなに小さなものであろうと、選挙にはかならず行くことにしている。

 でも、今回の埼玉県知事選挙はつまんねえ選挙だったなあ。対立する有力候補がおらず、現職ひとり勝ちがはなっから決まっていた。
 そんな選挙、行ってもなあ、とはさすがの私も思いました。一応、投票はしましたけどね。
 案の定、投票率は過去最低で3割を切ったそうだ。

 選挙は丁々発止がないとつまらない。選挙はゲームではないのだから、という意見もあろうが、ゲーム性が高くないと、投票に行こうという気も起きないもんである。

2007年7月30日

参院選、一夜明けての感想

「私と小沢さん、どっちが首相にふさわしいか、国民の考えを問いたい」
 たしかにそう言ったはずなのに、安倍さんは総理大臣をお辞めにならないそうです。それでいいのかよ、国民の考えは示されたんじゃねえのかよ、と言いたくもなりますが、捕らぬ狸で強気なことを言うのはやっぱりよした方がいいよな、と我が身を振り返る材料ともなりましたから、この件は不問とすることにいたします。今後の動向を見守っていくことにいたしましょう。

 選挙の翌日ほど新聞がおもしろい日はございません。数紙を熟読いたしました。いろんな人がいろんなことを述べているのですが、印象に残ったのは、国民新党の綿貫代表のセリフです。彼は「郵政選挙の裏返しだ」みたいなことを述べていました。
 誰でも言えそうな感想ですし、郵政選挙で痛い目を見た彼なりのルサンチマンも濃厚に漂っているセリフではありますが、私も同様の感想をもったのです。今後ますます、選挙は「風」次第で強くどちらかにふれるものになっていくのだろうと思います。

 今回の選挙にはいくつかトピックがあって、岡山の「姫の虎退治」もドラマチックでおもしろかったのですが(この件に関しては後述)、象徴的だなあと思ったのは、東京選挙区の丸川珠代さんのギリギリでの当選でした。
 丸川さんは知名度もありますし、なにより美人でお若いですから、私は選挙前、川田龍平くんとともに、この人の当選は間違いなかろうと思っていました。
 じじつ、このふたりは私の読みどおり当選を果たし、議員になることができたのですが、丸川さんは私が考えていた以上に苦戦したのです。彼女自身、こんなに苦戦するとは思っていなかったのではないでしょうか。彼女は民主新顔の大河原雅子さんにダブルポイント近い差をつけられていて、当確がなかなか出ませんでした。
 
 これは、国政選挙は候補者個人に投票するんじゃなくて、政党に投票するもんなんだ、という「常識」が浸透したということなんじゃないかな、と思いました。

 今更なにを言う、と言われてしまうかもしれませんが、我が国においては、教育機関で選挙教育というものがほとんど行われていません。議院内閣制のしくみは一応、学校で習うのですが、それがいわば政党の「椅子取りゲーム」であることは、通り一遍の教育を受けただけでは見えないようになっているのです(わざとそうしているのかどうかは定かじゃありませんが)。

 それゆえ、「選挙は候補者個人の人柄や政策を見て投票するもの」みたいな誤解(と、言っていいと思います)はすごく根強いのです。学校における唯一の選挙教育、生徒会選挙の影響ですかね。じっさいには、国会で審議される法案は多数決で可決/否決されるのですから、議員個人の人柄や能力なんざ二の次なのです。重要なのは、どの政党がたくさん議席をとるか、なのですから。

 丸川さんの苦戦は、そのことを国民が理解した証左ではなかろうか。私はそんなふうに考えました。だって、トップ当選の大河原さんって、どういう人かよくわかんないじゃん。明らかな知名度不足なのに、トップ当選できるんですよ。

 もうひとつ、今回の選挙で印象的だったのは、公明党がふるわなかったことです。公明党は宗教団体・創価学会を支持母体とし、磐石の組織力をもつ政党です。選挙も基本的に負け知らずで、私の記憶がたしかなら、前回の都議会選挙、公明党から立候補してすべった候補はいなかったと思います。
 ところが今回、公明党は一人区2勝3敗の負け越しです。そんなこともあるんだなあ、と思いました。宗教団体の組織票なんて、投票率があがればどうってことはないんですね(もっとも、今回の投票率が高いとはぜんぜん思わないですが)。


 さて、民主大躍進、自民惨敗に終わった今回の選挙ですが、一般には「民主が勝ったのではなく、自民が自滅したのだ」という評価が大勢を占めているようです。
 まあ、政府の年金問題への対応が後手後手だったのも事実ですし、閣僚がいきなり謎の自殺を遂げたり、その後釜に座った男がなぜか顔中バンソウコウだらけだったり、「原爆しょうがない」だの「生む機械」だの、まあよくもこれだけ出てくるわという不祥事の嵐で、自民自滅、という評価はまさにそのとおりなのだと思います。

 とはいえ、小沢一郎の選挙戦術もあなどれないよな、と思いました。農村を重点的に回り、明らかにバラマキ行政ととれる口約束をして回って、農村部の支持をとりつける。これは、これまでの民主党代表がまったくやってこなかったことです。民主党は「都市の政党」だったのですから。それをあえて変革していったことは、(バラマキの是非はともかく)「選挙の小沢」の面目躍如と言っていいでしょう。

 また、公示後の選挙応援一発目に岡山を設定していることも見逃せません。明らかに小沢は、参院自民のドン・片山虎之助を落とすことが選挙の明暗を分けると意識して、岡山に出かけているわけです。かりに、今回の選挙がこれほどの大差をつけずに終わったとしても、片山の落選が自民党に与えるショックは決して小さくない。当然、そこまで見込んでの行動でしょう。大したもんだと思います。

 勝つべくして勝った、と本人はまちがいなく思っているだろう党首・小沢。しかし、彼は昨晩の選挙特番に、まったく顔を見せませんでした。代わりにテレビに出てあれこれしゃべっていたのは、代表代行の菅直人です。なんでも小沢は、選挙応援の疲れが出てドクターストップがかかり、大事をとって自宅療養、てな話なんですが、私はこれ、ウソだと思っています。

 小沢は民主党の代表選挙に勝った後も、やはり病気療養と称して、姿を見せませんでした。検査入院していたということですが、今回で二度目ですから、怪しいなあ、と思うのです。彼は計算ずくで、メディア露出を避けているのではないでしょうか。

 小沢は自分でも言ってますが、口が達者じゃありません。しかも、あのいかにも腹黒そうな顔ですから、ハッキリいってイメージもよろしくない。勝利を確信した小沢のにやけヅラは、たぶんテレビの視聴者にいいイメージを与えないでしょう。それで隠れているのだと思います。

 その点、菅直人は小沢とはまったく正反対のキャラクターです。市民運動出身で、薬害エイズ事件のヒーロー。お茶の間のイメージも上々です。
 口もたいそう達者で、小泉政権時代、首相の失言の数々は、菅直人が引き出したものがとても多いのです。公約不履行を問いつめられた際の「この程度の約束を守らないのは大したこっちゃない」や、イラク派兵の際の「どこが非戦闘区域か私に聞いたって知るもんか」などの小泉無責任語録は、相手が菅直人のときに出ています。
 マスコミが意地悪な質問をしても、菅ならサラリとかわせるわけです。

 小沢は自民党時代、竹下・金丸とつるんでさんざっぱら汚え金儲けをやっておりました。そうじゃなきゃ議員の給料で五億の豪邸が建つはずがない。そういう出自は、隠そうったって顔に出てしまいます。また彼は、不意に襲いかかる質問に臨機応変に対応できる能力を、はなっから持ち合わせていません。

 彼は、自分のパブリック・イメージや能力をしっかり理解しているのでしょう。それゆえの隠遁。大した戦略家だと思います。老獪とはこういう人のことを言うんでしょうね。

 冒頭の話題に戻りましょう。
 小沢と安倍、どっちが首相にふさわしいかは、いずれ問われる機会があるでしょうから、ここでは述べません。
 でも、ボロ負けして挙動不審になりつつ、根拠なく首相続投を宣言した安倍と、いっさいメディアに姿を見せず、隠れることでかえって存在感をアピールした小沢では、その老獪さにおいて、明らかな差があったとは言えるのではないでしょうか。

2007年6月16日

それは「ツキ」の差(選挙は7月にやれ)

 安倍内閣の支持率が日に日に下がっている。自民党ベッタリの読売調査でさえが支持率32%、朝日では「危険水域」3割を切ったと報道された。

 たしかに、松岡元大臣の自殺に関しては、安倍の責任も大きい。もしかりに、現職閣僚としての責任が松岡に重圧を与えていて、それが自殺の主要因になったとすれば、辞任させなかった安倍は松岡を殺したに等しいのだ。
 また、緑資源機構の疑惑を解明しないまま、機構を解散させちゃったのもひどい。「死人に口なし」をさらに上塗りしたわけだから、一件の落としどころとしては最悪に近い。それとも、巷間で言われているように、安倍本人もふくめ、汚職に関わった人間が安倍内閣や自民党内にもっといるということなのか? そのあたりの不透明さが、支持率下落につながっていることも否定できないだろう。
 
 とはいえ、年金問題、社会保険庁のずさんな年金管理に関しては、安倍内閣に責任はほとんどないのだ。すくなくとも、その「責任」の重さは過去十数年の歴代内閣と同じである。
 これが支持率下落の主要因ならば、ツイてないね、というほかはない。たまたま明るみに出たのが今だったから、矢面に立たされているのである。もしかりに、これが1年前に出ていたとしたら、非難を浴びたのは小泉だったのだ。小泉はおそらく、晩節を汚して退陣ということになっていただろう。要は、小泉と安倍の「ツキ」の差、ということだ。

 国会を会期延長して選挙を先延ばしにしようなんて話も出てるようだが、姑息なことはやめて、選挙は予定どおり7月にやってほしい。国民の批判が高まっているときにやってこそでしょ、選挙って。こういうときこそ国民に政治参加させなさいよ。投票率も悪くないと思うぜ、きっと。

2007年6月1日

獲物を前によだれをたらす「知の巨人」

 立花隆。「知の巨人」の異名をとる男であり、その膨大な知識と深い思索は、誰もが敬服せずにはいられないだろう。私は彼の仕事のほんの一部をかじった程度だが、原発、脳死、サル学に関する論考はおもしろかったし、インターネット黎明期にテレビに出演し、「SEXって入れるだけでこんなに情報が出てくるんですよぉー」と語っている姿も印象深かった。そうそう、映画『地獄の黙示録』の気合いの入った評論も、大いに感服したものである。

 でも、私にとっての立花隆は、やっぱり『田中角栄研究』であり、『巨悪VS言論』なのである。とくに、田中角栄失脚の引き金となった前者は、ジャーナリスト立花隆の出世作であり、若さあふれる情熱が行間にほとばしっていて小気味がいい。ここに書かれた情報は今となってはすべてが周知の事実だったりするのだが、小さなネズミが巨大な象の足に噛みついて、急所を着実に突き、やがて倒してしまうような、そんなダイナミズムがあって、読まされてしまうのである。


 立花隆の政治評論には、確固とした方向性がある。これはあくまで一読者としての感想にすぎないのだけれど、この人、「巨悪」に「言論」で立ち向かっていって、それで社会をよくしようとか、政治腐敗をなくそうとか、そんなことはまるで考えていないのだ。「巨悪」が秘して決して表に出さない秘密を探る、そのこと自体に大いなる喜びを感じているのである、絶対に。

 小泉政権時代、立花隆の政治評論ははっきり言って、つまらなかった。なぜなら、小泉という男は基本的に、クリーンなやつだったからである。郵政選挙や靖国参拝にたいする批判も、長期政権を維持していることに関する論考も、イマイチ切れ味が鈍かったのは、小泉が立花隆の敵になるキャラクターじゃなかったからだ。立花隆がイキイキするのは、権力を傘に着て、ウラで汚え金儲けをやってるような、そんな政治家なのである。そういう政治家を前にしたとき、立花隆の目はらんらんと輝きはじめるのだ(見たわけじゃないけどさ)。

 その立花隆が、久々に目を輝かせている。例の、松岡利勝前農林水産大臣の自殺である。
 現職の大臣が、なぜ死ななければならなかったのか。例の「ナントカ還元水」程度の話じゃないぞ、とは誰もが思うことだろう。「緑資源機構」の談合事件で受け取った献金も数百万円というし、死ぬほどのことじゃない。じゃあ、何があったんだ、と立花隆は追いつめていく。
 それがこのコラムである。
 
 このコラム、私は以前から愛読してたんだけど、更新は基本的に週イチ・ペースだった。
 ところが、松岡が死んで以降、立花隆はこのコラムを毎日更新しているのである。むろん、題材は松岡の自殺の原因とその背後にある(だろう)汚職収賄事件。立花の論拠は今のところまだ弱いと思うけれど、彼はその尻尾をつかもうと着々と論を重ねている。「知の巨人」と呼ばれる男が、久々においしい獲物を見つけたのだ。獲物を前に喜々としているさまが伝わってきて、(人が3人も自殺しているのに不謹慎ではあるけれど)こっちまで嬉しくなってくる。

 政治っておもしれえなあ、と思わせてくれたのも、そういえばこの人だったかもしれないなあ。

2007年4月13日

おまえの顔に反吐が出る

 創価学会には、あまりいい思い出がない。

 いや、どっかに監禁されて、大勢の学会員に入会を迫られた(これを折伏という)とか、そういう経験があるわけじゃない。むろん、勧誘されたことがないわけじゃないが、きわめて穏やかな勧誘で、すくなくとも自由を奪われるような経験はしていないのである。

 もう時効だと思うから言うけれど、私は以前、創価学会のきわめて熱心な信者の女の子と、交際していたのである。学生の頃の話だ。

 つきあいはじめた頃は、彼女が学会員だということは知らなかった。知っていたらつきあわなかったか、と問われれば、「知っててもつきあっていた」と答えるしかない。なにしろ、私の方が惚れ込んではじまった交際だったから。

 その彼女との交際がはじまって、間もないころの話である。
 今もそうだけれど、学生の頃の私は、かなり躁鬱のハッキリしてる方だった。ちょっとしたことでふさぎ込んだり、つまんないことで悩んだりすることも多かった。その様子を見た彼女が、ポツリとこう言ったのだ。
「私が1TRAくんを変えてあげるから」
 人が人を変化させる。そんなことは日常、ありふれていることかもしれない。だが、当時の私はそんなふうには思っていなかった。だいいち、「変えてあげる」といわれてハイそうですかお願いしますというほど、素直な性格でもないのである。
 だが、その言葉は妙に印象に残った。誰かに面と向かって「あなたを変えてあげます」と言われるなんて、そうそうできる経験でもないだろう。すくなくとも私は、このとき以外経験したことがない。たぶん、今後もないんじゃないかと思う。

 彼女が言う「変えてあげる」が、「私を創価学会に入会させる」ということだと知ったのは、それからしばらく経ってからだったと思う。ああそういうことかと納得した。
 以降、彼女と口論することが増えた。男女の痴情のもつれによる喧嘩ではない。これは断言できるけれど、彼女と私は、そうした低レベルなぶつかり合いは一切、なかった。だが、しょっちゅう言い争っていた。議題は、宗教論争である。熱烈な信仰者と、かたくなな無神論者のシビアな論争だ。
 ハッキリいって、不毛な議論だった。どこまでいっても平行線、どちらかが折れて妥協点を見出すということがあり得ないのだから。たぶん、彼女の方では私がいつか折れてくれるだろうと期待していたのだろうが、私は絶対に折れることはなかったし、折れるつもりもなかった。

 考えてみれば、おかしなカップルであった。会うたびに宗教論争を戦わせるカップルなんか、世の中にそうそうあるもんじゃないだろう。
 会うたびにガチンコの議論をすることになるわけだから、会うとむちゃくちゃ消耗した。ぜんぜん楽しくなかったし、ものすごく苦しかった。だったらサッサと別れればいいじゃないか、と思うかもしれないが、そこは男女関係である。理詰めでは動かない。別れようとは何度も思ったが別れなかったのは、やはり、彼女が好きだったからだ。腹立たしいことも多かったし、自分がみじめに思えることもしょっちゅうあったが、それでも、私は彼女と一緒にいたかったのだ。たぶん、彼女もそうだったんじゃなかろうか。

 とはいえ、はなっから終わりの見えている交際である。1年以上そんな状態が続いた後、私は失恋することになった。
 男女というものは、お互い好き合っていても別れなければならない局面がある。知識としては当然、知っていたことであったけれど、実体験でそれを経験するとは思ってもみなかった。

 彼女はそれからしばらくして、会社の先輩と交際しはじめ、やがて結婚した。相手の男性は学会員ではなかったが、学会員となることで彼女を受け入れたのである。

 創価学会、もしくは池田大作の名前を聞くと、彼女のことを思い出す。苦しくて悲しい青春の1ページである。

 なんでこんなことを長々と書いたかというと、次のニュースを目にしたからだ。

温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談
http://www.asahi.com/politics/update/0412/TKY200704120252.html

 この記事の中に、ふたりの会談の様子を描写したくだりがある。引用しよう。

 池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。
 
 庶民の王者!
 俺は目下のところまちがいなく庶民のひとりだと思うけど、てめえを王様と思ったことなんざ一度もねえよ。だいいち、「不滅の名演説」たあ何だ。日本人らしさのかけらもない、見え透いたお世辞じゃねえか。てめえのそういうところが気にいらねえから、俺は彼女の熱心な勧誘にもかかわらず、入信する気にはなれなかったんだ。

 マジメな話、これは政治的にも危険な兆候である。池田大作は温家宝を通して自民党にまたも大きな貸しをつくった。温家宝は明らかに、自民党政権が公明党なしで成り立たない(公明党の選挙協力がなかったら、落選する議員が山ほどいる)ことを知っていて、公明党を通じて日本政府をコントロールしようとしている。いいのかよ、それで?

 さきの彼女は、池田大作の公演を聞いて、涙が止まらなかったそうだ。
「なんで涙が出てくるかわからないんだけど、涙がぼろぼろ出てくるの」
 信者はそれでもいいだろうさ。でも俺はそんなの、嫌だ。今だって、絶対に嫌だ。あの腹黒さを全面に出した面がまえを見るだけで、(個人的怨念も相当あって)反吐が出る。

 最後にトリヴィアをひとつ。
 世界でいちばん勲章をたくさんもらった人を知ってるかい? 池田大作なんだぜ。やつは、勲章を200個持ってるんだ。勲章のコレクターなのさ。くだらねえ野郎だと思うだろ?

2007年3月23日

子どもを使った車爆弾

 イラクで、車に子供を乗せて米兵を油断させ、子供もろとも爆破する「車爆弾テロ」があったらしい。

 子供使った車爆弾テロ 米軍、新戦術と警戒 イラク
http://www2.asahi.com/special/iraq/JJT200703210014.html

 そこまでやるか、とまず思った。子どもを囮に使ってまで貫かねばならぬ正義とは何だ。
 その後、感情の行き先に困った。こういう場合、第三者は怒るべきなのか、嘆くべきなのか。怒るとするなら誰に怒るのか。悪事が行われている、それは事実だ。で、本当に悪い奴はどいつなんだ?
 テレビのアナウンサーなら、一刻も早く平和になって欲しいですね、というだろう。そんなもん何も言ってないのと同じなのだ。

2007年3月19日

おまえらの方が

 どういうわけか今頃になって、米議会が元従軍慰安婦への謝罪要求決議案を出してきた。これはかの国でけっこう話題になったらしく、雑誌なんかにも大きく取り上げられたらしい。日本政府は対応にてんやわんやである。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070308dde007030048000c.html

 たぶん、安倍のタカ派的言動は、アメリカでも警戒されているのだ。早い話が、出そうな釘は出る前に打て、てなもんで、インネンつけて牽制してるわけである。われわれが考える以上に、アメリカ人は日本人を恐れている、ということかもしれない。

 まあ韓国や中国が騒ぐならともかく、アメリカ様がそうおっしゃってるわけだから、安倍は河野談話のとおりでございますとのたまうしかない。忸怩たるものがあるだろうなあ、たぶん。

 強制連行があったか、なかったかについては、正直よくわからない。戦争とは狂気だから、あってもおかしくないとは思う。あったからといって、それがどれほどのもんなんだ、というのが「戦争を知らない世代」である自分の正直な気持ちである。

 くちばしとんがらして従軍慰安婦に謝れとか言ってる奴らの祖先は、新大陸の原住民を殺しまくって絶滅に追い込み、そこに黒人奴隷を山ほど連れてきて強制労働させてた連中じゃん。おまえらの方が鬼畜なんだよ――という首相談話を発表するという選択肢がないのが残念なだけだ。

2006年12月2日

国歌の胸騒ぎ

 以下、ある人のmixi日記より無断で抜粋。
 元は2ちゃんねるからのコピぺだとか。

 これについて批評じみたことは言わずにおこう。
 でも、これを見たとき起こった嫌な胸騒ぎは忘れずにおこう。

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国歌について

・自由主義国
 アメリカ合衆国 学校での義務付け規定は特にない
 イギリス    学校行事において演奏されることはない。
 フランス    通常,学校では演奏されない。
 ドイツ     連邦に規定はなく各州に扱いは任されている。
 イタリア    通常,演奏される機会はない。
 カナダ     学校の判断に任されている。

・非自由主義国
 ロシア     学校での国歌の演奏を義務づけた法令はないが入学式等の学校行事で演奏される。
 中華人民共和国 教育部(日本の文部省に相当)の内部規定で月曜朝の斉唱が義務付けられている。
 大韓民国    入学式、卒業式等の学校行事において斉唱されている。
→日本国     入学式、卒業式等の学校行事において斉唱が厳命されている。

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2006年11月29日

最良のイジメ対処法は報復?

 呉智英がイジメについて書いたコラムを読んだ。

【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/29130/

 呉智英、いいよなあ。
 やられたらやりかえせ。「唯一最良のイジメ対処法は報復」とはそういうことである。呉智英のすごいところは、良識派がこぞって批判しそうなこういう理屈を、確固とした裏づけのもとに提示できるところだ。反論できるなら反論してみやがれ、という強さがある。
 文の冒頭から「識者と称する恥知らず」の「おためごかしの助言は役に立たない」と語られているとおり、仮想敵はハナっからこいつらである。いじめられっ子に助言を与えると見せて、実際は「恥知らず」たちを攻撃しているのだ。
 かりに「恥知らず」たちがこの言説に否定的な意見を述べれば、呉智英は万の言葉をもってやり返すことができるだろう。この文章は短いけれど、そういう凄みも伝わってくる。いいねえ、呉智英。

 とはいえこの文章、じつは「いじめられて自殺を選ぶような人間に報復なんざできやしない」という肝心なところから目をそむけている。報復できないからこそ自殺するのである。呉智英なら、ショーペンハウアーの自殺論ぐらい知っているだろう。人は生きる苦痛が死の恐怖にまさったとき自殺する。報復とは「生きる苦痛」を自力で排除することだ。それができるバイタリティのある人間は、自殺という手段を選択することはないのではないか。
 もっとも、それを言い出すと一切の「助言」は意味をなさなくなってしまうから、これはこれでいいのだろう。「報復せよ!」の助言で救われる子も、たぶん、いるはずだしね。

 なお、この文章を知ったのは、友人のブログからだ。なんでも2ちゃんねるで話題になってるとか。


2006年11月10日

あのね、「言論弾圧」ってね・・・

 2年ぐらい前から、mixiに加入している。
 mixiはさすが一部上場しただけのことはあって、この1年ぐらいでずいぶん機能が拡張された。

 便利なのはやはり、mixiニュースである。早い話がどこのブログでもたいがいある最新ニュース一覧なのだけれど、mixiが面白いのは、そのニュースにたいする読者のコメントが簡単に閲覧できるところだ。人々がニュースに対してどのような反応をするのか、即座に見ることができて便利である。

 ただ、この機能、幻滅させられることも多い。いや、mixiが悪いんじゃなく、ニュース読者たちのコメントがね。

 たとえば最近、「日本も核について論議すべきだ」と麻生外相が発言した問題。これにたいし、野党四党は外相の罷免を要求した。
http://www.asahi.com/politics/update/1109/012.html

 このニュース(および、この「核論議問題」に関するニュース)についての読者コメントの数々を見ていると、本当にゲンナリする。野党のふるまいにたいして、「言論弾圧だ!」なんて叫んでる連中が、じつにたくさんいるからだ。


 あのね、基本的なことを言わせてもらうよ。
「言論弾圧」というのは権力者が行うもんなの。野党がクチバシそろえて「核論議はおかしい」てなこと言ったって、それは弾圧にはならないんだよ。なぜって、やつらは権力を持ってないから。弾圧するだけの「力」がないんだ。やつらは単に、発言を批判してるだけ。

 権力者は誰が考えたって外相の方でしょ。批判って大事なんだよ。とくに、政府にたいする批判は、三権分立の考え方から言って、国会のもっとも重要な仕事のひとつなんだ。だから、国会はしっかり政府(この場合は外相)を批判しなければならない。野党が批判しなかったら、誰が批判すんのさ。

 そういう小学生の社会科レベルの知識もわきまえない連中が、妙に右傾化したようなことを口走っているのを見ると、思わず「この愚民どもが!」と言いたくなってしまう。

 いや、私も愚民のひとりですけどね。ただ、もうちょっと社会の仕組みを理解してから発言しようぜ、とは言いたいです。
 よくわかってない人の感情的な意見に流されて、日本そのものが妙な方向に行って欲しくないんだよ、俺は。

 

2006年8月7日

未熟な、あまりに未熟な

 小学1年生の餓鬼との朝の会話。
 テレビでイスラエルのレバノン空爆のニュース。
 瓦礫に埋もれた家。

「これ、地震?」
「いや、これは戦争だよ」

 餓鬼はそれ以上、聞こうとはしなかった。一心にテレビの画面を見ていた。
 私もそれ以上、語らなかった。

 子どもに見せるには、あまりに未熟な世界情勢。
 大の大人がなにをやってやがる。


2006年6月19日

首相候補はカルト宗教?

 あまり信じたくないのだが、安倍晋三と統一協会とのつながりが指摘されている。

安倍官房長官が統一教会系集会に祝電
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060619-48487.html

 弁護士連絡会が参議院議員会館で記者会見を開いたというんだから、信憑性はかなり高いだろう。じっさい、「安倍 統一協会」でググッてみると、出るわ出るわ。どうも本当らしい。

 しかも、祝電送った先って、あの悪名高き合同結婚式だぜ。
 こんなのに次期首相になって欲しくないなあ。

 それにしても、どういうつながりなんだ? ……と思って調べてみると、どうやら爺さんの岸信介の頃からのつながりらしい。ウィキペディアにその記述がある。しかも、福田赳夫・中曽根康弘・金丸信・安倍晋太郎(これは当然か)・山崎拓との関わりも指摘されている。

 これ、派閥またがってますよ。自民党と統一協会のつながりは相当根深いと見ていいだろう。
 それだけ根深いんなら、今更やめろと言ってもやめられんだろうが、やっぱりちょっとイヤ、ですよね?



追記:
 ウィキペディアの情報は鵜呑みにしてはならないとは思っているけれど、この項目に関しては相当議論されているようなので、信用してもいいように思う。


2006年6月15日

演説執筆者の辞任

 ブッシュの「悪の枢軸」演説を執筆したライターが辞任したとか。

ブッシュ「悪の枢軸」演説ライター、ガーソン氏辞任へ
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060615i303.htm

 ちとうらやましいのは、こうした演説のライターまできちんと公表されていること。
 我が国では総理もふくめて内閣の演説・答弁はたいがい霞ヶ関で書かれておりますが、いったい誰が書いたのやら、さっぱりわかりません。

 おそらくはこのライター辞任劇はなんかの責任をとって、というようなことだと思うんですが、霞ヶ関には「責任」がまるでないんだよね。誰だかわかんないんだもん。

 たぶん、出来の悪い演説原稿を書いた人間は出世できないだろうけど、やつらは天下りすりゃいいだけの話だしなあ。


2006年6月14日

「電撃」訪問の理由

 ブッシュ、とつぜんのイラク訪問。

ブッシュ米大統領、イラクを電撃訪問 治安対策を協議
http://www.asahi.com/international/update/0613/012.html

 
 上記記事によれば「内外に『成果』をアピールするねらいがあるとみられる」とのこと。

「成果」とはいうまでもなく、イラク戦争の「成果」である。
 ブッシュとしては、できるかぎり早くアピールしたかっただろう。だが、おいそれとはアピールできない事情があった。

 まがりなりにも新政府はできた。でも、イラクは内戦状態になってしまっている。医師をふくめた知識人の虐殺・国外脱出も後を絶たないそうだ。
 これを「成果」と呼んでいいものか。ふつうは呼ばないわな。それで、「アピール」は延び延びになっていた。

 いいタイミングで、ザルカウィがつかまった。しかも後腐れなく殺された。「アピール」するならここしかない。
 それゆえの、イラク訪問である。
 
 とはいえ、前もって「行く」などと言おうものなら、暴動が起こる。
 それゆえの予告なし、「電撃」訪問である。

 滞在時間は5時間。
 一晩でも泊まれば、危険は高まる。
 暴動で済めばまだいい。命を狙われないともかぎらない。

 それゆえの、5時間である。

 たった5時間、予告なしの訪問しかできない国で、いったいなんの「成果」をアピールするのだろう。