2007年11月17日

戦争博物館をつくろう

 靖国神社に参拝し、遊就館を見学してきた。
 今まで、行ったことがなかった。はじめて行ったのである。

 遊就館はバリバリの皇国史観による陳列が行われていると聞いていたのだが、思っていたよりずっとマトモだったので少々拍子抜けした。もっとすごいのを想像していたのだ。

 むろん、首をかしげたくなる展示はたくさんあった。見ながらけっこうツッコミ入れてたから、やっぱり偏っていた、というべきなんだろうな。

 日露戦争を扱った映像では、大本営発表もかくやと思われるほどに、日本の(ナレーターは「我が国の」と語っていた)戦勝をはなばなしく喧伝していた。
 乃木大将の旅順攻撃がいかに無謀な作戦だったかとか、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊に勝てたのはいくつかの幸福な偶然(いい言い方をすれば、「読み」が当たった)に支えられていたことなど、大日本帝国の戦意昂揚に役立たないような情報は一切、語られない。日露戦争で日本が疲弊しきっていたことさえ、ひとことの説明もない。あの調子じゃ日比谷焼き討ち事件は再発しちゃうよ。

 大東亜戦争は日露戦争より戦争指導者がずっとアンポンタンになっているから、ツッコミどころはたくさんあるだろうに、やはり一切述べられていない。
 あの悪名高きインパール作戦ですら、「退却を余儀なくされた」としか語られてないのだ。戦死じゃなくて餓死で数万人死んだとか、兵隊には鉄砲さえ支給されなかったとか、参謀ですらバカな大将の命令を聞かなかったとか、ちゃんと書いとけよ。
 戦争の年表展示における、「日本は和平の道を探っていたのに、アメリカはまったく応じなかった」という説明文にはため息が出た。イギリス大使だった吉田茂の単独外交(政府の承認を得てない独断外交)が、「和平の道を探っていた日本」の代表例になっちまっている。本土決戦までやるつもりだったろ、軍部(=当時の日本政府)は。むろん、それに関する説明はまったくない。

 特攻隊の遺影がたくさん並べられ、特攻兵器「桜花」や「回天」も陳列されていた。
 特攻で死んでいった人たちの冥福は祈りたいし、死者を鞭打つようなことは言いたくないが、特攻隊が美しいとはやっぱり思えなかった。バカな戦争指導者たちの立てた愚かな作戦で散っていった若き命。かわいそうだなあ、とは心の底から思うけれど、それだけである。若者に特攻を強要(と、言っていいと思う)した戦争の親玉たちのバカさ加減にどうしても思い至ってしまうから、それが美しい行いだとはとうてい思えないのである。


 私は、日本人の死生観・宗教観から言っても、靖国神社には天皇と首相がそろって参拝すべきだと思っている。ただし、A級戦犯合祀、ありゃまずい。なんとかすべきだ。あれをなんとかしないうちは、国益上、参拝は控えた方がいい、とも思っている。

 去年だったか、当時、総理大臣だった長州出身のA級戦犯の孫が、「東京裁判は正しくない」みたいなことを言って物議をかもしたことがあった。私は、これには全面的に同意する。いかにも、東京裁判は正しくない。戦勝国が勝ったことを傘に着て、好き勝手に裁いた不公平な裁判だと思う。
 でも、A級戦犯の連中の「罪」はそれでチャラになるわけじゃない。東條英機はやっぱり罪人でなければならない。日本人による裁判をやっても、結果は同じ、絞首刑にしかならないだろう。あいつの出した「戦陣訓」でどれだけの人が死んだかを考えれば、切腹ですら甘い。国賊と断じてもいいと思う。実際、ドイツではヒトラーをそういう扱いにしている。


 話がそれた。言いたいことはそれじゃないんだ。

 われわれ戦争を知らない世代が戦争を知るための施設が、あの遊就館しかないというのは、戦後日本の大きな過ちではなかろうか。
 戦後教育は、反戦平和を叫ぶあまり、過去の戦争をタブーにしてしまい、「戦争とはなんぞや?」をきちんと分析する機会を与えなかった。
 そのせいで、かえってああいう戦争を美化するがごとき偏った急進的な施設が、唯一の戦争資料館になってしまうという、本末転倒が行われてしまっている。これは由々しきことじゃないか?
 戦争博物館をつくるべきなのだ、国費で!

 遊就館は、あの戦争を美化しすぎている。極東の島国が世界を相手に戦争をやった、そりゃ立派かもしれんが、その反対の暗黒面――帝都空襲で東京がどんだけズタボロになったかとか、原爆投下に際してアメリカが何を考えていたかとか、戦争のせいで国民生活がどれほど窮乏にさらされたかとか、そういう面がまったく欠落してしまっている。あれが唯一の戦争資料館というのは、どう考えたってまずい。

 かといって、われわれ戦後生まれが学校で教えられてきたように、戦争の悲惨ばかり繰り延べるのはどうかと思うのだ。誇れるところは、誇ったっていい。ゼロ戦がいかに優れた戦闘機だったかとか、第二次大戦は日露戦争とちがって、日本軍の兵器はすべて国産品だったとか、ちゃんと誇ったらいい。ヘンな精神論なんかより、科学力・技術力に優れていたんだ、というアピールの方が、ずっと説得力があるだろう。また、戦争とは国際政治の延長なんだから、そこんとこもキッチリ紹介する必要がある。当時の日本の政治家がテロにビビってなんにもできなかったことや、ヤクザみたいな連中がイケイケドンドンで考えなしに中国を攻めたせいで、アメリカとことを構えざるを得なかったことも含めて。
 そんな戦争博物館が絶対に必要なのだ。ヨーロッパには沢山あるじゃないか。なんで日本にはできないんだ?
 
 グリーンピアつくるカネとヒマがあったら、そういう施設をつくれば良かったのである。
 いや、今からでも遅くない。あのムダにでかい東京都庁の中にでも、戦争博物館をつくればいい。東京空襲を3Dジオラマにして見せればいいじゃないか。修学旅行の生徒を呼べば、観光収入にもつながるぞ。どうですかね、石原さん。
 

2 件のコメント:

takebow さんのコメント...

遊就館は小生も一度行くべきだなぁとは思っているのですが、何分、触手が伸びません。
戦争博物館のご提案、大賛成です。軍事オタクではなく、また左翼的なイデオロギー丸出しでもない、生な「戦争」の姿は遺すべきだし、まさに日本の責任だろうと思います。

1TRA さんのコメント...

takebow師匠、いつもコメントありがとうございます。
遊就館の収蔵品はけっこう貴重なのではないかと思います。特攻兵器とか、他じゃ見られないですからね。日本の近代史を展示した希有の博物館だと思いますが、やはり見る際には眉にツバつける態度がどうしても必要になります。本文の方に書きましたが、戦争を遠ざけるあまり、あんないびつな施設が唯一の戦争資料館になってしまうという転倒が起こっている。やばいなあ、と思いました、ほんとに。