2008年1月6日

いづれか歌を詠まざりける(1)

 
 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

『万葉集』柿本人麻呂の歌。「あしびきの」は「山」にかかる枕詞、「山鳥の尾のしだり尾の」は「長い」にかかる序詞。要は、三十一文字も使って「長~い夜をひとりで寝るのかよ……」と言ってるだけ。ムダが多いのである。そのムダが情緒を織りなす。イイじゃないの、と思う。

『新古今』になると、これを本歌として、次のような歌が生まれる。後鳥羽上皇の作。

 桜さく遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな 

 こちらは「長~い1日」だけど、桜を飽かず眺めている。しかも、「山鳥」に「遠」がついているせいで、桜は近くにあっても、「山」は遠いことがわかる。さすが承久の乱を起こして文武両道に聞こえた帝、堂々としていらっしゃる。桜を1日中眺めているし(常人にはそんなことできません)、都会(京)のど真ん中にいて、山鳥の声なんざ聞こえなくたって気にもしない。技巧もみごとというほかはない。

2 件のコメント:

takebow さんのコメント...

その昔、古典の授業で先生が「和歌というのは歌なんだから歌謡曲のように歌ったんだ」という言葉を思い起こさせてくれる歌ですね。特に人麻呂の作品は上の句の語呂の良さが抜群ですね。

1TRA さんのコメント...

takebow師匠、こんなマニアックな話題にコメントありがとうございます。
後白河上皇が入れあげた今様なんかは実際に歌謡曲だったらしいですが、古典の先生の「和歌は歌謡曲である」説明は「ホントか?」という気もしないでもないです。歌ったときもあったでしょうが、書くだけだったこともあると思うので。
語呂あわせのおもしろさが和歌の魅力のひとつだ、というのは私も最近気づきました。こういうものがおもしろく感じられるのは私も歳喰ったってことなのかもなー、などと思っております。