2006年5月27日

ウィキペディアを考える

 仕事上、ウィキペディアにお世話になる機会はとても多い。

 ちょっとわからないことがあったり、調べ物をしたりする際、ウィキペディアはとても便利だ。単純に百科事典として重宝するばかりでなく、通常、百科事典には掲載されないような情報も、ウィキペディアには詳細に解説されているからである。
 たとえば、あるテレビドラマに関して知りたい、と思ったとき、一般の百科事典はまったく役に立たない。だが、ウィキペディアなら、ドラマの放映局、放映期間、スタッフやキャストなどについて、きわめて詳細な情報を得ることができる。場合によっては、放映時の視聴率まで掲載されていることもある。

 私がマスコミのはじっこの方で仕事をはじめた頃、こういう情報を調べるのはまことに骨が折れる作業であった。たとえば視聴率を知るためには、その手の情報が出ている新聞や雑誌の記事を探すか、しかるべき機関に依頼して問い合わせなければならなかった。そういう機関はたいがい有料なのである。要は、手間をかけるか、お金をかけるかしなければならなかったのだ。

 ところが、ウィキペディアで調べれば、そんなもんは瞬時にわかってしまう。このちがいは大きい。

 もっとも、これはいろんなところで指摘されてることなのだが、ウィキペディアの情報とは、基本的に信頼のおけないものなのである。情報の信憑性はきわめて低い。たとえば平凡社の百科事典では絶対にあり得ないようなウソが、ウィキペディアには平気で書かれているのだ。一般の百科事典の情報は鵜呑みにしたって大きな問題はないが、ウィキペディアの情報を扱う際は、眉にツバしてかかる必要がある。情報の裏づけを得るためには、結局、手間をかけるか、カネをかけるかしなければならない。それを考えると、じつは事態は数年前から一歩も進歩しておらず、むしろややこしくなっているのでは、という気さえする。

 事実、「ウィキペディアのウソ」は私も何度か発見したことがあった。その都度ログインして訂正をくわえるようにはしているが、その訂正だって、信憑性が高いとはいえない。誤った方向に改竄している可能性をぬぐい去ることはできない。

 また、情報が恣意的である、という問題もある。
 ある作家について調べたとき、こんな記事が掲載されていた。

「この作家Aは、ある新人賞で新人作家Bの作品を『たいへん優れた作品である』と激賞した」

 おそらくは、新人作家Bの熱心なファンが書いた解説文だったのだろう。作家Aの解説に、新人賞でのちょっとした発言があげられてしまっている。言うまでもないことだが、新人賞での発言など、作家Aの重要な仕事であるはずがない。百科事典の解説としては、これはきわめて不適当である。
 もっとも、不適当ではあるが、それを消そうとは思わなかった。作家Bのファンがわざわざ書き入れた一文なのだから、信憑性はきわめて高いと思われるからだ。ウソでないのなら、直す必要はない。ただ、だいぶ偏向したものにはなっているなあ、とは思うけれど。

 誰もが記事の解説者であり、誰もが記事の校正者であるというシステムは、こういうレベルの低い争いを生み出すこともある。あるポップ・スターの身長に関する記述が、タチの悪いイタズラに発展した例だ。

 ここで問題となったポップ・スターの身長が、本当は何センチなのかは、本人にあたってみないとわからない。どうだっていいことだとは思うが、どうだっていいと思っていない人がいるから、こういう争いも起こるのだろう。情報の重要性は人によってちがうのである。

 便利な反面、ウィキペディアは数多くの問題をはらんでいる。その問題は、じつは「真理とはなんぞや?」というきわめて哲学的な問題を内包しているために、とても厄介だ。問題解決の手だても目下のところ、なさそうである。

 ただ、ウィキペディアのある世界とない世界、どっちが好きですかと問われれば、私は前者が好きですと答えると思う。「誰もが記事の解説者であり校正者である百科事典」それはもしかしたら、「百科事典」のあるべき姿にむしろ近いのかもしれない、と思うからだ。


6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

岩谷理論的にはOKだと思うのだが。

1TRA さんのコメント...

最近岩谷氏は雑誌連載ももってないようで、ひょっとしたら好き勝手書くので干されてるのでは、と心配です。

匿名 さんのコメント...

岩山狭士の筆名でオレのブログに書いてたぞ

takebow さんのコメント...

ちょっと見は便利そうに見えて、結構危ないですよね。ウィキペディアの管理者が言ってたけど、これらの誤謬や明らかなでたらめはネット社会が成熟化すると無くなっていくはずだ、との考えだそうです。確かに一理あると思いつつ、ガセを後生大事に抱えている己の姿を想像すると、間違えは最初から載せない方がいいのでは、という至極常識的な見解になってしまいます。

1TRA さんのコメント...

ネット社会が成熟しても、あえてガセを書こうとすれば書けるシステムですからねえ。ガセかガセでないかの判断も利用者がしなければならないのは相変わらずで。でも、ガセが含まれてるとわかっていても、すでに「ないと困る」域に達しております、私は(笑)。

takebow さんのコメント...

「ないと困る」のは小生も一緒です。ちょっとした調べモノの便利さと言ったらないですからねぇ。