2007年4月10日

謎の人、石原莞爾



 仕事で多少の必要もあり、また個人的興味もあって石原莞爾について調べていたら、(すくなくとも私にとっては)驚くべき記述にぶつかった。

 戦後の軍事裁判で石原は、次のように発言したといわれている。

『裁判長は、石原に質問した。「訊問の前に何か言うことはないか」
 石原は答えた。「ある。不思議にたえないことがある。満州事変の中心はすべて自分である。事変終末の錦州爆撃にしても、軍の満州国立案者にしても皆自分である。それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない。」』

 これって、後世の捏造で、実際には石原は戦犯容疑がかからないよう、あれこれ工作していたというのだ。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/isihara-1.htm

 これだけ資料を列挙して反証をあげているのだから、たぶん本当に捏造なのだろう。

 石原莞爾はすごい人である。満州事変を立案し、成功させた不世出の軍略家であり、核抑止力による冷戦の到来を核爆弾の製造がはじまる前に言い当てた予言者的資質も持っていた。さらに、バリバリ右翼の法華団体「国柱会」の狂信者でもあった(これは宮沢賢治も同様である)。大東亜戦争はこの人がはじめたと言っても過言ではない。
 それゆえ、こうした伝説が生まれたということなのだろう。石原という人は、伝説のよく似合う人だ。

 ただ、未だに腑に落ちないことがひとつ。
 石原はなぜ、満州事変を起こしたのだろう? 満州事変がなければ、日本が戦争に突入することもなかったんじゃないか。そのくせ、石原はその後中国戦線不拡大を唱え東条英機と対立、予備役という閑職に追いやられたりもしている。自分で火をつけておいて、後で火消しに回っているわけだ。そのへんも、よくわからない。あのきわめて論理的かつ精緻な理論『最終戦争論』『戦争史大観』の著者の行動が、なんでこんなに支離滅裂なのだ?

 まあたぶん、いろんな本を読んだりしていくうちに、なるほど、と得心することもあるのだろう。でも、今のところ私にとって、石原莞爾は謎の人である。

 最後にトリヴィアをひとつ。指揮者の小澤征爾の名前は、板垣征四郎と石原莞爾からとられたもんだそうな。小澤のお父さんはこの2人に心酔していたらしい。やはり、英雄だったってことだよなあ。

5 件のコメント:

mo_mo_mambo さんのコメント...

元フリッパーズギターの小沢健二も、「じいちゃんが右翼の大物だった」って言ってたので、やはり小沢家はそういうコトなんですね。納得。
って、ワントラブログへの久々のコメントが右翼ネタ…すみません。

ケズル子 さんのコメント...

上のコメント、わたくしでございます…。失礼しました。

1TRA さんのコメント...

おお、ケズルちゃん、来訪&コメントありがとう。小沢健二、あんなかわいい顔してバリバリ右翼の孫っすよ。なんでも、「満州青年同盟」とかいう組織の中心人物だったらしいぜ。

takebow さんのコメント...

ケズル子さんのコメントについて、小生もテレビの歌番組でオザケンが話していたのを思い出しました。

で、本題ですが。
石原(今日は石原づいてるなぁ)莞爾は、満州を「五族協和の王道楽土」にしたいと本気で考えていた。そのため、満州事変後の「十年間は戦争をしては駄目」と主張して、東条英機と衝突した。つまり国防力の増強が先決で、自給自足体制が整ってから、彼の考えた「最終戦争」である東洋の覇者日本と西洋の覇者米国の戦いになる、と主張した訳である。実際の歴史はその間にノモンハンで北進に失敗すると、南進に転じたのであるが、これらは同じ参謀本部の考えで、石原莞爾自身の考えとは相容れなかったのだろう。

1TRA さんのコメント...

takebow師匠、いつも書き込みありがとうございます。師匠なら有効な回答をくださるのではと思っておりました。
日本にも満州にも石油はないわけで、「自給自足体制」は満州の維持だけでは難しいように思えます。最初は友好関係からはじめて、東亜連合をつくり、アメリカと決戦するんだという論旨を石原の著書で読んだ記憶がありますから、たぶん同盟関係を結んだ中国や南方から「友好的に」石油を調達することを考えていたんでしょうね。
ただ、疑問に思うのは、満州事変の成功による陸軍および日本の大衆の増長を、石原ほどの人が予見できなかったのか、ということです。
事変後、石原は226事件の鎮圧に当たっていますが、昭和天皇は「石原はよくわからないヤツだ、満州事件の首謀者ながら226のときはきわめて正当だった」みたいなことを述べたそうで、この人が考えていることはどうも当時からわかりづらかったんじゃないかという気がします。