2007年6月27日

消えた縄文

 日本の歴史は小学6年生で習うけれど、この教科書に、旧石器時代/縄文時代の記述はないらしい。今日はじめて知った。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061222ur01.htm

 小学6年生の教科書では、日本の歴史は稲作のはじまり、すなわち弥生時代からはじまったことになっている(じっさいには縄文時代にも稲作は行われていたが、ここではそれは置く)。

 なんでだろうかね、これ。
 たしかに、縄文時代というのは茫洋としてとらえにくいところがある。それに比べ、農耕・定住生活が定着した弥生時代というのは、すんなり大和朝廷に接続できる。ゆとり教育で授業時間も減ったことだし、削除もやむなしというところなのかもしれない。

 が。
 私はこれを知ったとき、イヤ~な想像をしちまったのである。
 教育基本法に「愛国心」「宗教的情操の涵養」という気持ち悪い言葉(字義本来の意味をとれば、断じて気持ち悪い言葉ではなく、むしろいい言葉であるはずだが)を入れようと言った連中と、「小学生に縄文時代を教えるのはやめよう」と言った連中って、ひょっとして、同じなんじゃなかろうか。

 旧石器時代/縄文時代が削除され、そこに代入されるのが国造り神話であり、まさにそれこそが「宗教的情操の涵養」なのだとしたら。
 戦前・戦中の国家神道の復活を狙う勢力の陰謀ととれなくもないのである。

 杞憂であればいいけどね。

2 件のコメント:

takebow さんのコメント...

このニュースは初耳でした。小学生教育から足を洗って久しいので知りませんでした。
1TRAさんが仰る問題も懸念されるのですが、実は古墳以前の歴史の区分というのはかなり曖昧になっています。
ご指摘の通り、縄文時代の稲作しかり、弥生時代の「古墳」の問題(卑弥呼の塚)しかり、銅鐸の出雲での大量発見しかり、なのです。共通認識はどこなのか、また神話の中でも真実性の高い部分はどこなのか、戦後歴史教育の見直し時期に差し掛かっているのは事実だと思います(安倍風に)。

1TRA さんのコメント...

takebow師匠、コメントありがとうございます。なかば師匠の有効なコメントを期待しての記事でした(笑)。勉強になりました。
たしかに、稲作ひとつとってみても、私が小学生のときに習った縄文=狩猟、弥生=農耕という単純な図式は成立しなくなっていますよね。まさに「戦後歴史教育の見直し時期」なのだと思いますが、どうも最近の教育改革/教科書問題のニュースを見ていますと、きなくさい感がぬぐえません。沖縄の集団自決における日本軍の関与が削られたりとか。自虐史観がいいとは思えませんが、戦後教育で育った人間にはなんとなくイヤ~ンな感じがつきまとうのでした。