2008年5月19日

マニアックな日本人

 べつに購入するつもりはないのだが、Amazonでジミヘンのライヴ盤を眺めていたら、こんな記述を見つけた。

※このCDは全世界1000枚限定で、日本への割り当ては300枚のみですので、ご注文はお早めに!!!

 驚いたねえ。日本に300枚も割り当てられてるとは。
 日本人ってほんとマニアックで、そのあたり海外のレコード会社も知ってるんだよな。

2008年3月26日

ある殺人

ホームから落とされ死亡、容疑の18歳逮捕 JR岡山
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200803260005.html

 犯罪を暴くにはまず動機を洗え。松本清張の社会派推理小説はそれを徹底することでリアリティを獲得していたわけだが、それもすっかりアウト・オブ・デイトになった感がある。洗うべき「動機」なき犯罪が当たり前になってしまった。

 この少年などは、「刑務所に行きたいから」無差別殺人である。被害者の遺族の心中を慮ると胸が痛むが、ここまでいってしまうと天災に近い。

 もっとも、こうした「動機なき」犯罪の背景には、ハッキリ「貧困」が見えている。そこはキッチリ指摘しとかなきゃいけないと思う。自殺者が3万人いることと、動機なき殺人者が続出していることの根は同じなんじゃないか。

 社会が豊かになれば犯罪はなくなる、なんて理想論をぶつつもりはない。だが、減少するのは確かだろう。

2008年3月6日

ネットの書き込みと自警団

「埼玉の小学校の女子を2月29日13時に殺します」

 上記の脅迫文が15日ごろ、ネット上の掲示板(2ちゃんねる)に書き込まれた。「埼玉の小学校」に通う子供を持つ家庭は騒然となった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080228-00000925-san-soci

 29日当日はウチの餓鬼の通う小学校も戒厳令状態となり、登下校の際には大人がつきそい、学校の周囲も、付近の住民が警戒のため終日パトロールをおこなっていた。自然発生的に自警団が結成されたのである。

 私は仕事があるから自警団には加わらなかったけれど、細君によれば、直接、小学校に関わりを持たない方も多数参加されたようである。イザというときに集まってくれる住民を見て、細君は感動したと語っていた。

 3月に入ってから、犯人が判明した。千葉の男子小学生だった。「殺す」ことはおろか、埼玉までひとりで来られないような歳の少年だった。
http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY200802290400.html?ref=rss

「殺す」なんて言葉は小学生なら普通に使うだろう。
 千葉在住ということから考えて、なんかで埼玉と千葉はどっちが都会か、とか、どっちがカッコイイか、みたいな話になったのだろう。この二者は東京の近隣の田舎という位置づけが似ているために、大人ですらよく比較をするのである。そこから、「埼玉の小学校」という場所の特定がされたものと思われる。

 たったひとりの小学生のイタズラが、自警団まで結成させてしまう。
 現代ならではの事件であるなあ、などと思った。

 わかったことはふたつ。
 2ちゃんねるの匿名の書き込みも、書いた主は警察が調べりゃすぐわかります。
 ただし、その特定には2週間という時間を要します。もうすこし早くわかってりゃ、自警団結成なんて事態にはならなかったはずなのだ。

 警察も馬鹿じゃないから、今後、捜査のスピードや効率を上げていくだろう。いいことだと思う。

 便所の落書きと揶揄された2ちゃんねるへの書き込みにも、それなりのモラルが求められていくことになるだろう。あんな野放しの場所でさえ、「書いてはいけないこと」ができるというのは、興味ぶかいことであるなあ。 

2008年2月11日

春はそこまで

 寒い寒いと思っていたが、春はすぐそこまで来ているらしい。

 路傍になんとなく目をやったら、オオイヌノフグリの花が咲いている。のみならず、花には蜂までやってきている。

 おやおや、もう春かいな。そう思ってちと遠回りして、近所の梅林に立ち寄ると、未だ開花はしてないものの、つぼみが大きくふくらんでいる。もう2、3日もすれば咲くのだろう。

 梅の花は大好きなのだけど、毎年この時期は忙しくて、開花に気づいたころには盛りを過ぎてしまっていた。

 今年は見逃さないようにしよう。年にいっぺん、この時期にしか見られないんだから。
 

2008年1月6日

いづれか歌を詠まざりける(1)

 
 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

『万葉集』柿本人麻呂の歌。「あしびきの」は「山」にかかる枕詞、「山鳥の尾のしだり尾の」は「長い」にかかる序詞。要は、三十一文字も使って「長~い夜をひとりで寝るのかよ……」と言ってるだけ。ムダが多いのである。そのムダが情緒を織りなす。イイじゃないの、と思う。

『新古今』になると、これを本歌として、次のような歌が生まれる。後鳥羽上皇の作。

 桜さく遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな 

 こちらは「長~い1日」だけど、桜を飽かず眺めている。しかも、「山鳥」に「遠」がついているせいで、桜は近くにあっても、「山」は遠いことがわかる。さすが承久の乱を起こして文武両道に聞こえた帝、堂々としていらっしゃる。桜を1日中眺めているし(常人にはそんなことできません)、都会(京)のど真ん中にいて、山鳥の声なんざ聞こえなくたって気にもしない。技巧もみごとというほかはない。

2008年1月4日

謎の出版社・成瀬書房、続報

 新年あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 昨年4月に、こんな記事を書きました。

ドキュメント 謎の出版社「成瀬書房」を追え!

 以降、この謎の出版社について、追及を続けることもなく放置していたんですが、今年に入ってから、親切な方がこの記事にAnonymousでコメントをつけてくださり、成瀬書房の連絡先がわかりました。下記で検索をかけると、出てくるようです。

日本図書コード管理センター
http://www.isbn-center.jp/cgi-bin/isbndb/isbn.cgi

 日本で出版される書籍には、かならずISBNコードというものがついています。私は職業柄、こいつを扱うことも多いのですが、本をつくる側にとっては、無意味な文字の羅列のくせに、間違うとエライことになるという、かなり厄介で面倒くさいシロモノです。
 でも、こういう使い方もあるんですね。

 誰とは存じませんが、書き込みしてくださった方、ありがとうございました。
 おかげさまで、成瀬書房が千葉県船橋市に現存する出版社で(2005年確認)、一応、取次経由書店販売をしている出版社であることが確認できました。
 電話で問い合わせもできるようなので、こんど問い合わせしてみようかと思っています。

 それにしても、なんだってこんなネット上のチベットみたいなブログ・サイトにたどりついたのかしら、と思ったのですが、どうやら上記記事、「成瀬書房」でググるとトップに表示されるようです。成瀬書房がいかにネットと距離をおいているかの証左でもありましょう。

2007年12月25日

M1グランプリ2007

 毎年、M1を見ると今年も終わりだなあと思う。M1は私にとって、街のクリスマス・イルミネーションなんかよりずっと「年の瀬」を感じさせてくれるイベントなのだ。
 今年もじっくりと鑑賞しましたので、以下、感想を述べてみたいと思います。

 あまり話題にならなかったけど、今年のM1のトピックのひとつは、麒麟の予選落ちだろう。麒麟は笑い飯とともに、M1の「顔」だったわけで、いないのはやはりさみしい。
 まあ、田村くんはベストセラーで億単位のカネが転がりこんでいるというし、川島くんは真鍋かをりに番組中でコクられてつき合いはじめているしで、今年の麒麟はツキすぎの感があった。たぶん、審査員もそのへんの斟酌があったのだろう。

 去年も書いたのだけど、私は笑い飯をとくに贔屓にしていて、彼らに優勝して欲しいと思いながら毎年M1を見てきた。今年の顔ぶれを見て、ひょっとするとひょっとするかもしれないぞ、と期待していたのだが、今年の彼らのネタはふるわなかった。正直、これまでのM1ネタでいちばんつまらなかったと思う。
 思うに、2005年の優勝決定戦における「ハッピーバースデー」のネタがうまくいったから、今回のネタもその路線で、ということなんだろう。でも、今回のロボット・ネタはかなりクオリティが落ちた。擬音だけで笑いがとれると思ったら大間違いだよ。ポテンシャルは高いのだから、もうちっと頑張って欲しい。
 本人たちも相当悩んで今回のネタをつくったんだろうなあ、というのは伝わってくるんだけどね。それが伝わってくるようじゃまずいだろう。
 紹介のときの西田くんのコスプレと、3位外に転落したときの二人のリアクションはムチャ笑えたが、そんなもんばっかり面白くてもしょうがない。来年こそは、と期待している。……って、ちゃんと来年も決勝あがってこいよ。心配になってくるな、もう。

 トータルテンボスの健闘は嬉しかった。彼らは着実に成長している。その成長が自分のことのように嬉しかった。ネタも極限までムダが省かれているし、演技もじつに堂々している。私は彼らと出身地が同じなので(3歳までしか住んでないけど)、とくに目をかけて応援してたのである。今年ラストということで、来年見られないのが残念だけど、今後も活躍してほしいコンビである。

 敗者復活から優勝をかっさらったサンドウィッチマンは大したもんだった。完成度も勢いもちがった。ひょっとするとM1は出来レースなんじゃないか、と思う瞬間が過去何度かあったのだけど、彼らはその疑惑を払拭してくれた。オートバックスはあのオッサンふたりを来年のCMに起用せにゃならぬ。どんなCMになるか、今から楽しみだ。

 ネタは思ったとおりイマイチだったけど、個人的に応援していたコンビがもうひとつ。ハリセンボンである。私は女性の芸人をあまり面白いと思ったことがなくて、彼女たちもその範疇を出ないのだけど、毎週「本番で~す!」を見ていたせいで、好きになってしまった(毎週楽しみに見ているのは「やりすぎコージー」で、「本番で~す!」はその後番組だから、流れでなんとなく見てただけなんだけど)。
 出っ歯のはるかちゃんがお気に入りである。ゲテモノ喰いと誤解を受けそうだけど、かわいいと思う。彼女の顔を見るとなぜかほっとする。

 ……とまあ、今年のM1総括はそんな感じでしょうか。イマイチ笑えなかったなあ今年は。それもこれも笑い飯がふるわねえせいだよ。

2007年12月8日

ソクーロフ『太陽』を観る


 ソクーロフの映画『太陽』をようやく見た。
 takebow師匠のブログで紹介されていたときから気になっていたんだけど、なにぶんにも映画館は得意じゃない。見たい見たいと思いつつ、ついつい見そびれてしまった。

 これは見る機会を逸してしまったかな、と思っていたら、しっかりDVDソフトが発売されたし、レンタル店にも話題作として入荷した。むろん、「外国映画だから」ということもあるんだろうが、たぶん昭和天皇が「歴史」になったということも大きいんだろう。

 見ながら、ぼんやりとベルトリッチの『ラストエンペラー』を思い出していた。あれは歴史の波をもろにひっかぶって庭師として人生を終えた皇帝の物語だった。だが、エンペラー・ヒロヒトはついに「ふつうの人」になることはなかった。
 中国の歴代皇帝の中には、皇帝として生まれながらも、「ふつうの人」として人生を終えた人はたくさんいる。しかし、日本の天皇の中にはそんな人はいない。万世一系、なんて眉唾くさいことを言うつもりはないが、皇室というのはやはり唯一無二なのだ。そんなことを今更ながらに思ったりした。

 ソクーロフ監督についてはよく知らないが、生物学者でもあったエンペラー・ヒロヒトの内面を、じつに見事にフィルムに収めていたと思う。ことに、帝都空襲の描き方は見事だった。
 エンペラーは帝都に住んでいながら、帝都の惨状を見てはいないのである。爆撃の音は聞いていても、被害にはあっていない(皇居は爆撃されなかった)。だから、空襲は彼の頭の中にしかないのである。
 ソクーロフはそれを、空を泳ぐ巨大な魚と燃える街のイメージで、見事に描き出していた。あれがリアルなB29の編隊だったなら、映画は一気に安っぽくなってしまっただろう。限られた予算でも、美しい映画はつくれるのだ。大いに感動させられた。

 エンペラーを演じたイッセー尾形は、一世一代の名演をしている。たぶん、あれほどまでにエンペラーその人に肉迫することができる俳優は、(さまざまな制約のせいもあって)二度と現れないだろう。彼は得意の形態模写を駆使して、エンペラーの苦悩も不幸も神々しさ(と、言っていいと思う)も、みごとに表現していた。
 エンペラーも草葉の陰でお喜びになっているのではないか。あれほどの表現力を持つ俳優は、世界に二人といるまい。まさしく日本の宝である。

 エンペラー・ヒロヒトには個人的に興味があって、いろいろ本を読んだりしたこともある。それゆえ、なのかもしれないが、くりかえし見たくなるような、本当にいい映画だったと思う。


ソクーロフ『太陽』インタビュー
http://www.cinematopics.com/cinema/topics/topics.php?number=877
http://www.sbbit.jp/article/art.asp?newsid=2062

2007年11月28日

僕の名前はムハンマド

 スーダンの英語教師が、クマのぬいぐるみにムハンマドと名づけて逮捕されたらしい。
http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY200711280081.html

 なんでも、生徒に多数決で選ばせた結果だそうで、教師ばかりが悪いわけじゃないと思うんだが。
 圧倒的多数の子どもが選ぶということは、イスラム社会に潜在的にそういう欲求があるということだろう。子どもほど正直なものはない。

 とはいえ、先生には本当に気の毒ですが、無知と軽率は否めないですね。

 その昔、マンガ家が偉人(?)の伝記を描くという企画があり、水木しげるがヒットラーを、藤子不二雄A(当時はAはなかった)が毛沢東を、つのだじろうがマホメット(ムハンマド)を描いた。

 現在、ヒットラーと毛沢東は復刻されているが、つのだじろうのマホメットはたぶん、永遠に出版されることはないだろう。昔はマンガも完全にサブカルチャーだったので、世情にまどわされず好き勝手な企画ができていたのである。




●12月4日追記
 この後、テディベアの英国教師は恩赦となったそうだ。スーダン政府が英国に気を遣った結果とのこと。なんにしてもよかったですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000007-jij-int

2007年11月27日

双頭の蛇

 種子島で双頭の蛇が見つかったという。
http://mainichi.jp/select/photo/archive/news/2007/11/27/20071127k0000m040161000c.html

 どうもこういうニュースを見ると、「自然破壊の影響か……」などといらぬ勘繰りをしてしまうが、そういうもんでもないらしいのは、すこし調べるとわかった。
 http://rate.livedoor.biz/archives/50079911.html

 要は、しょっちゅう見つかるもんなのである。今にはじまったことでもなく、昔からあったもんらしい。こういう奇形は、たまには生まれるもんなのだ。

 種子島の双頭の蛇は町役場で保護されたらしいが、当の蛇にとっては僥倖と呼ぶべきものかもしれぬ。蛇がああいう体型をしているのは藪の中を滑るように動くためで、この蛇のように瘤みたいに顔がついていたら邪魔でしかたがない(写真を見てもらえばわかるが、明らかに双頭に主従がある)。
 自然は厳しいから、滑るように動けない蛇はそれだけ捕食者に襲われる危険も高まるのである。

 今後、種子島町役場でどういう扱いをするか知らないが、殺すことはしないだろう。つまり、外敵のいないところで、安全に飯にありつけるのだ。大学の研究室にでも預けられれば、交尾させようなんて話になるかもしれぬ。子孫も残せるわけである。

 ふと、ハーメルンの笛吹きの話で足の悪い子だけが町に残ったことを思い出した。


  

2007年11月20日

恋する中年


 ヒッチコックの「めまい」を見た。

 なんで今頃そんなもんを見てるんだ、と問われると答えに窮するけれど、要は好きなんですよヒッチコック映画が。
 ヒッチコック映画ぐらい、カウチポテトに向いてるものはそうそうないと思うんです。……な~んて言うと、世の映画ファンに袋叩きにされるだろうな。いいんだよ、私にとってのヒッチコックは、ずっとそういうものだった。

 なんとなく退屈するとレンタル・ショップでヒッチコックを借りてきて見る。最低でも年に3作は見てるだろう。当然、同じものを何度も見たりしている。いちばん多いのはたぶん「レベッカ」、次いで「バルカン超特急」だろうか。

 でも、「めまい」を見るのは2度目である。たぶん15年ぶりぐらい。最初に見たときの印象も悪くなかったんだけど、それからもう一度見ようという気にはなかなかならなかった。どうしてなのか理由は判然としないが、たぶん、現在の目で見るとあまりに陳腐な例の総天然色アニメーションの印象が強かったんだろうな。はじめて見たときは力が抜けたもんなー。

 しかし、しかしである。
 今回見た「めまい」は本当に素晴らしかった。ヒッチコックってすげえなあ、と久々に思ってしまった。

 知ってる人も多いと思うけれど、この映画、二部構成になっている。前半はヒッチコックお得意のサスペンス/スリラー。幽霊に取り憑かれた女(キム・ノヴァク)を、探偵役の元刑事(ジェームス・スチュアート)が追う。女は不幸な死に方をしたスペイン系移民の女性に憑依されていて、不可思議な行動をとる。しかも、その間の記憶がまったくない。
 とぎれとぎれの記憶、夢で見た場所……そんな白昼夢のような光景を、ヒッチコックはまるで前衛絵画のようなカメラアングルを駆使して描き出していく。色彩や光の加減も細部まで計算しつくされている。まず、これに圧倒された。「めまい」ってやっぱすげえんだ、と再認識してしまった。

 後半は前半のタネ明かしと、主役の男女の恋愛劇を主軸としている。ハッキリ言って、トリックのネタそのものは大したもんじゃない。だからミステリーとして見れば肩すかしを食らってしまうが、「めまい」がほんとに凄くなるのは後半の方である。前半では健常だったはずの元刑事が、どんどん常軌を逸してくる。サスペンスを喚起する主体が、前半は女だったのが、男の方に移っているのだ。前半で幽霊ネタを使ってさんざん煽っていた不安が、ここにきて効果を現してくる。幽霊なんざいない現実の方が、ずっと不安なのである。

 男が異様さを増していくのは、彼が恋をしているからだ。
 中年男の恋は、偏執的である。マトモじゃないのだ。その異様さ・みっともなさ・どうしようもなさ。それだけでもじゅうぶん異常なのに、ヒッチコックはそこに怒りと復讐心と嫉妬を加えてみせる。凄惨、ここにきわまれりである。そして、とってつけたような幕切れ。2時間の美しき悪夢は、とつぜん、鐘の音とともに終わりを告げる。

 15年前には、わからなかった。むろん、楽しむことはできたんだけど、中年男のキチガイじみた恋愛の凄まじさには、理解が及ばなかった。それを理解するには若すぎたのだ。

 オッサンになんないとわかんないもんって、やっぱりあるんだよな。



 

2007年11月17日

戦争博物館をつくろう

 靖国神社に参拝し、遊就館を見学してきた。
 今まで、行ったことがなかった。はじめて行ったのである。

 遊就館はバリバリの皇国史観による陳列が行われていると聞いていたのだが、思っていたよりずっとマトモだったので少々拍子抜けした。もっとすごいのを想像していたのだ。

 むろん、首をかしげたくなる展示はたくさんあった。見ながらけっこうツッコミ入れてたから、やっぱり偏っていた、というべきなんだろうな。

 日露戦争を扱った映像では、大本営発表もかくやと思われるほどに、日本の(ナレーターは「我が国の」と語っていた)戦勝をはなばなしく喧伝していた。
 乃木大将の旅順攻撃がいかに無謀な作戦だったかとか、日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊に勝てたのはいくつかの幸福な偶然(いい言い方をすれば、「読み」が当たった)に支えられていたことなど、大日本帝国の戦意昂揚に役立たないような情報は一切、語られない。日露戦争で日本が疲弊しきっていたことさえ、ひとことの説明もない。あの調子じゃ日比谷焼き討ち事件は再発しちゃうよ。

 大東亜戦争は日露戦争より戦争指導者がずっとアンポンタンになっているから、ツッコミどころはたくさんあるだろうに、やはり一切述べられていない。
 あの悪名高きインパール作戦ですら、「退却を余儀なくされた」としか語られてないのだ。戦死じゃなくて餓死で数万人死んだとか、兵隊には鉄砲さえ支給されなかったとか、参謀ですらバカな大将の命令を聞かなかったとか、ちゃんと書いとけよ。
 戦争の年表展示における、「日本は和平の道を探っていたのに、アメリカはまったく応じなかった」という説明文にはため息が出た。イギリス大使だった吉田茂の単独外交(政府の承認を得てない独断外交)が、「和平の道を探っていた日本」の代表例になっちまっている。本土決戦までやるつもりだったろ、軍部(=当時の日本政府)は。むろん、それに関する説明はまったくない。

 特攻隊の遺影がたくさん並べられ、特攻兵器「桜花」や「回天」も陳列されていた。
 特攻で死んでいった人たちの冥福は祈りたいし、死者を鞭打つようなことは言いたくないが、特攻隊が美しいとはやっぱり思えなかった。バカな戦争指導者たちの立てた愚かな作戦で散っていった若き命。かわいそうだなあ、とは心の底から思うけれど、それだけである。若者に特攻を強要(と、言っていいと思う)した戦争の親玉たちのバカさ加減にどうしても思い至ってしまうから、それが美しい行いだとはとうてい思えないのである。


 私は、日本人の死生観・宗教観から言っても、靖国神社には天皇と首相がそろって参拝すべきだと思っている。ただし、A級戦犯合祀、ありゃまずい。なんとかすべきだ。あれをなんとかしないうちは、国益上、参拝は控えた方がいい、とも思っている。

 去年だったか、当時、総理大臣だった長州出身のA級戦犯の孫が、「東京裁判は正しくない」みたいなことを言って物議をかもしたことがあった。私は、これには全面的に同意する。いかにも、東京裁判は正しくない。戦勝国が勝ったことを傘に着て、好き勝手に裁いた不公平な裁判だと思う。
 でも、A級戦犯の連中の「罪」はそれでチャラになるわけじゃない。東條英機はやっぱり罪人でなければならない。日本人による裁判をやっても、結果は同じ、絞首刑にしかならないだろう。あいつの出した「戦陣訓」でどれだけの人が死んだかを考えれば、切腹ですら甘い。国賊と断じてもいいと思う。実際、ドイツではヒトラーをそういう扱いにしている。


 話がそれた。言いたいことはそれじゃないんだ。

 われわれ戦争を知らない世代が戦争を知るための施設が、あの遊就館しかないというのは、戦後日本の大きな過ちではなかろうか。
 戦後教育は、反戦平和を叫ぶあまり、過去の戦争をタブーにしてしまい、「戦争とはなんぞや?」をきちんと分析する機会を与えなかった。
 そのせいで、かえってああいう戦争を美化するがごとき偏った急進的な施設が、唯一の戦争資料館になってしまうという、本末転倒が行われてしまっている。これは由々しきことじゃないか?
 戦争博物館をつくるべきなのだ、国費で!

 遊就館は、あの戦争を美化しすぎている。極東の島国が世界を相手に戦争をやった、そりゃ立派かもしれんが、その反対の暗黒面――帝都空襲で東京がどんだけズタボロになったかとか、原爆投下に際してアメリカが何を考えていたかとか、戦争のせいで国民生活がどれほど窮乏にさらされたかとか、そういう面がまったく欠落してしまっている。あれが唯一の戦争資料館というのは、どう考えたってまずい。

 かといって、われわれ戦後生まれが学校で教えられてきたように、戦争の悲惨ばかり繰り延べるのはどうかと思うのだ。誇れるところは、誇ったっていい。ゼロ戦がいかに優れた戦闘機だったかとか、第二次大戦は日露戦争とちがって、日本軍の兵器はすべて国産品だったとか、ちゃんと誇ったらいい。ヘンな精神論なんかより、科学力・技術力に優れていたんだ、というアピールの方が、ずっと説得力があるだろう。また、戦争とは国際政治の延長なんだから、そこんとこもキッチリ紹介する必要がある。当時の日本の政治家がテロにビビってなんにもできなかったことや、ヤクザみたいな連中がイケイケドンドンで考えなしに中国を攻めたせいで、アメリカとことを構えざるを得なかったことも含めて。
 そんな戦争博物館が絶対に必要なのだ。ヨーロッパには沢山あるじゃないか。なんで日本にはできないんだ?
 
 グリーンピアつくるカネとヒマがあったら、そういう施設をつくれば良かったのである。
 いや、今からでも遅くない。あのムダにでかい東京都庁の中にでも、戦争博物館をつくればいい。東京空襲を3Dジオラマにして見せればいいじゃないか。修学旅行の生徒を呼べば、観光収入にもつながるぞ。どうですかね、石原さん。
 

2007年11月14日

やっぱりまやかしだった

 大連立構想と小沢の辞任すったもんだにもずいぶん驚かされましたが、次のニュースを見たときにも相当驚きました。

海外派遣の自衛隊員16人、在職中自殺…対テロ・イラク
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071113it14.htm


米兵に自殺が多いってな話は以前から知ってました。
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10043600549.html

まあ、ある意味当然かなと思っていたのです。大儀なき戦争、「イラクの民主化」を旗印に戦っていたはずなのに当のイラク国民から攻撃される毎日。ふつうの神経じゃ耐えられないだろうな、と思うのです。

でも、自衛隊は戦ってるわけではありません。給水活動、および後方支援が任務だったはずです。じっさいに弾が飛んでくるところにはいないはずだし、弾が飛んできたら逃げるのが自衛隊で、事実、死傷者は出てないんです。

それがなぜみずから命を絶たなければならなかったのか。

おそらくは、すごく深いところで精神的に追いつめられる、ということなんでしょうね。
表層的な部分だけでわかったふりをすることはできないもんだな、と思いました。

ひとつだけ明らかなことは、「非戦闘地域」なんてやっぱりまやかしだったんだ、ということです。

2007年10月27日

日本は資源大国?

 日本は「資源のない国」と言われて久しいですが、日本近海には石油に代わるメタンハイドレートなる資源が豊富にありまして、中国の探査船が日本海をウロウロしてるのは、じつはこいつを探ってるんだそうです。

 こいつがあれば石油なんざ輸入する必要はないんだが、石油取引にまつわる利権があるから、エネルギーをこっちにシフトすることができないんだそうで。

 ……てな話を、最近ある高名なシンクタンカーの方に聞きました。

 まあ、「ある」のは事実なわけで、それが実用化されないとすれば、「安全性の問題」か「既得権益の破壊」か、どちらかの理由しか考えられないですよね。前者もでかいんじゃないかという気がしますが。なんか沈没しそうじゃん、日本列島。

 これが100年早く実用化されてれば日本が戦争する必要もなかったのかな。いや、そんなことはないな。むしろイケイケドンドンでもっと悲惨な目に合ってたかも。

 いずれにしても、こんなもんが実用化されたら世界の勢力図は変わってくるでしょうねえ。

2007年9月3日

鬼門の農水省

 このたびの遠藤農水相辞任で、たった3か月の間に3人の農林水産大臣が辞めたことになる。

http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY200709030101.html

「農水省は鬼門だ」。
 そんな迷信めいた浮言がささやかれてもおかしくない。

 なんでも、政府は今年度から耕作面積が一定規模以上の農家などに絞って補助金を出す「品目横断的経営安定対策」をはじめているらしい。詳しいことはわからないが、民主党によれば、これは「小規模農家の切り捨て」に当たるのだそうだ。
 それゆえ、民主党は「すべての販売農家への個別所得補償制度創設法案」を提出しようとしており、これが夏の参院選の大きな勝因となった。私はこれを「バラマキ行政にほかならない」と考えているけれど、農政事情には明るくないので、これが良いのか悪いのかの評価は留保している。

 ただ、当の農家にとっては、民主党の政策のほうがいいに決まっている。このたびの相次ぐ農水相辞任劇に、そうした「農家の思惑」がひょっとしたら絡んでいるのではないか、と思うのは、陰謀論に傾きすぎかな。

2007年8月27日

つまんない知事選に思う

 昨日は埼玉県知事選挙であった。

 私はこうしてプライベートでも政治に関してコメントしているし、仕事でもときどき、政治について書くことがある。
 選挙に行かずして、政治を語ってはならない。選挙に行かない人間は、政治にたいして文句を言う資格はない。

 それは、最低限守らなければならないマナーだと思っているから、どんなに小さなものであろうと、選挙にはかならず行くことにしている。

 でも、今回の埼玉県知事選挙はつまんねえ選挙だったなあ。対立する有力候補がおらず、現職ひとり勝ちがはなっから決まっていた。
 そんな選挙、行ってもなあ、とはさすがの私も思いました。一応、投票はしましたけどね。
 案の定、投票率は過去最低で3割を切ったそうだ。

 選挙は丁々発止がないとつまらない。選挙はゲームではないのだから、という意見もあろうが、ゲーム性が高くないと、投票に行こうという気も起きないもんである。

2007年8月23日

アザラシの怪


 山口県宇部市の真締(まじめ)川河口近くで、アザラシ発見のニュース

 宇部市役所はアザラシにかこつけて市の名前を売るべく、市名から「ウベちゃん」と命名しようとしたが、すでに住民が川の名前から「マジちゃん」と名付けていて、結局マジちゃんに落ち着いたとか。

 のどかなニュースだなあ、とは思うけどさ。
 そもそも、瀬戸内海にアザラシがいる、ということ自体が、おかしなことなんだ。瀬戸内海にアザラシは「いない」はずの動物じゃないか。
 北の海から迷い込んできたんじゃないか、なんて推測が語られているが、どうしてそんなことが起こったのか、しっかり原因を究明してもらいたい。ひょっとすると、喜んでる場合じゃないのかもしれないぜ。

2007年7月30日

参院選、一夜明けての感想

「私と小沢さん、どっちが首相にふさわしいか、国民の考えを問いたい」
 たしかにそう言ったはずなのに、安倍さんは総理大臣をお辞めにならないそうです。それでいいのかよ、国民の考えは示されたんじゃねえのかよ、と言いたくもなりますが、捕らぬ狸で強気なことを言うのはやっぱりよした方がいいよな、と我が身を振り返る材料ともなりましたから、この件は不問とすることにいたします。今後の動向を見守っていくことにいたしましょう。

 選挙の翌日ほど新聞がおもしろい日はございません。数紙を熟読いたしました。いろんな人がいろんなことを述べているのですが、印象に残ったのは、国民新党の綿貫代表のセリフです。彼は「郵政選挙の裏返しだ」みたいなことを述べていました。
 誰でも言えそうな感想ですし、郵政選挙で痛い目を見た彼なりのルサンチマンも濃厚に漂っているセリフではありますが、私も同様の感想をもったのです。今後ますます、選挙は「風」次第で強くどちらかにふれるものになっていくのだろうと思います。

 今回の選挙にはいくつかトピックがあって、岡山の「姫の虎退治」もドラマチックでおもしろかったのですが(この件に関しては後述)、象徴的だなあと思ったのは、東京選挙区の丸川珠代さんのギリギリでの当選でした。
 丸川さんは知名度もありますし、なにより美人でお若いですから、私は選挙前、川田龍平くんとともに、この人の当選は間違いなかろうと思っていました。
 じじつ、このふたりは私の読みどおり当選を果たし、議員になることができたのですが、丸川さんは私が考えていた以上に苦戦したのです。彼女自身、こんなに苦戦するとは思っていなかったのではないでしょうか。彼女は民主新顔の大河原雅子さんにダブルポイント近い差をつけられていて、当確がなかなか出ませんでした。
 
 これは、国政選挙は候補者個人に投票するんじゃなくて、政党に投票するもんなんだ、という「常識」が浸透したということなんじゃないかな、と思いました。

 今更なにを言う、と言われてしまうかもしれませんが、我が国においては、教育機関で選挙教育というものがほとんど行われていません。議院内閣制のしくみは一応、学校で習うのですが、それがいわば政党の「椅子取りゲーム」であることは、通り一遍の教育を受けただけでは見えないようになっているのです(わざとそうしているのかどうかは定かじゃありませんが)。

 それゆえ、「選挙は候補者個人の人柄や政策を見て投票するもの」みたいな誤解(と、言っていいと思います)はすごく根強いのです。学校における唯一の選挙教育、生徒会選挙の影響ですかね。じっさいには、国会で審議される法案は多数決で可決/否決されるのですから、議員個人の人柄や能力なんざ二の次なのです。重要なのは、どの政党がたくさん議席をとるか、なのですから。

 丸川さんの苦戦は、そのことを国民が理解した証左ではなかろうか。私はそんなふうに考えました。だって、トップ当選の大河原さんって、どういう人かよくわかんないじゃん。明らかな知名度不足なのに、トップ当選できるんですよ。

 もうひとつ、今回の選挙で印象的だったのは、公明党がふるわなかったことです。公明党は宗教団体・創価学会を支持母体とし、磐石の組織力をもつ政党です。選挙も基本的に負け知らずで、私の記憶がたしかなら、前回の都議会選挙、公明党から立候補してすべった候補はいなかったと思います。
 ところが今回、公明党は一人区2勝3敗の負け越しです。そんなこともあるんだなあ、と思いました。宗教団体の組織票なんて、投票率があがればどうってことはないんですね(もっとも、今回の投票率が高いとはぜんぜん思わないですが)。


 さて、民主大躍進、自民惨敗に終わった今回の選挙ですが、一般には「民主が勝ったのではなく、自民が自滅したのだ」という評価が大勢を占めているようです。
 まあ、政府の年金問題への対応が後手後手だったのも事実ですし、閣僚がいきなり謎の自殺を遂げたり、その後釜に座った男がなぜか顔中バンソウコウだらけだったり、「原爆しょうがない」だの「生む機械」だの、まあよくもこれだけ出てくるわという不祥事の嵐で、自民自滅、という評価はまさにそのとおりなのだと思います。

 とはいえ、小沢一郎の選挙戦術もあなどれないよな、と思いました。農村を重点的に回り、明らかにバラマキ行政ととれる口約束をして回って、農村部の支持をとりつける。これは、これまでの民主党代表がまったくやってこなかったことです。民主党は「都市の政党」だったのですから。それをあえて変革していったことは、(バラマキの是非はともかく)「選挙の小沢」の面目躍如と言っていいでしょう。

 また、公示後の選挙応援一発目に岡山を設定していることも見逃せません。明らかに小沢は、参院自民のドン・片山虎之助を落とすことが選挙の明暗を分けると意識して、岡山に出かけているわけです。かりに、今回の選挙がこれほどの大差をつけずに終わったとしても、片山の落選が自民党に与えるショックは決して小さくない。当然、そこまで見込んでの行動でしょう。大したもんだと思います。

 勝つべくして勝った、と本人はまちがいなく思っているだろう党首・小沢。しかし、彼は昨晩の選挙特番に、まったく顔を見せませんでした。代わりにテレビに出てあれこれしゃべっていたのは、代表代行の菅直人です。なんでも小沢は、選挙応援の疲れが出てドクターストップがかかり、大事をとって自宅療養、てな話なんですが、私はこれ、ウソだと思っています。

 小沢は民主党の代表選挙に勝った後も、やはり病気療養と称して、姿を見せませんでした。検査入院していたということですが、今回で二度目ですから、怪しいなあ、と思うのです。彼は計算ずくで、メディア露出を避けているのではないでしょうか。

 小沢は自分でも言ってますが、口が達者じゃありません。しかも、あのいかにも腹黒そうな顔ですから、ハッキリいってイメージもよろしくない。勝利を確信した小沢のにやけヅラは、たぶんテレビの視聴者にいいイメージを与えないでしょう。それで隠れているのだと思います。

 その点、菅直人は小沢とはまったく正反対のキャラクターです。市民運動出身で、薬害エイズ事件のヒーロー。お茶の間のイメージも上々です。
 口もたいそう達者で、小泉政権時代、首相の失言の数々は、菅直人が引き出したものがとても多いのです。公約不履行を問いつめられた際の「この程度の約束を守らないのは大したこっちゃない」や、イラク派兵の際の「どこが非戦闘区域か私に聞いたって知るもんか」などの小泉無責任語録は、相手が菅直人のときに出ています。
 マスコミが意地悪な質問をしても、菅ならサラリとかわせるわけです。

 小沢は自民党時代、竹下・金丸とつるんでさんざっぱら汚え金儲けをやっておりました。そうじゃなきゃ議員の給料で五億の豪邸が建つはずがない。そういう出自は、隠そうったって顔に出てしまいます。また彼は、不意に襲いかかる質問に臨機応変に対応できる能力を、はなっから持ち合わせていません。

 彼は、自分のパブリック・イメージや能力をしっかり理解しているのでしょう。それゆえの隠遁。大した戦略家だと思います。老獪とはこういう人のことを言うんでしょうね。

 冒頭の話題に戻りましょう。
 小沢と安倍、どっちが首相にふさわしいかは、いずれ問われる機会があるでしょうから、ここでは述べません。
 でも、ボロ負けして挙動不審になりつつ、根拠なく首相続投を宣言した安倍と、いっさいメディアに姿を見せず、隠れることでかえって存在感をアピールした小沢では、その老獪さにおいて、明らかな差があったとは言えるのではないでしょうか。

2007年6月27日

消えた縄文

 日本の歴史は小学6年生で習うけれど、この教科書に、旧石器時代/縄文時代の記述はないらしい。今日はじめて知った。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061222ur01.htm

 小学6年生の教科書では、日本の歴史は稲作のはじまり、すなわち弥生時代からはじまったことになっている(じっさいには縄文時代にも稲作は行われていたが、ここではそれは置く)。

 なんでだろうかね、これ。
 たしかに、縄文時代というのは茫洋としてとらえにくいところがある。それに比べ、農耕・定住生活が定着した弥生時代というのは、すんなり大和朝廷に接続できる。ゆとり教育で授業時間も減ったことだし、削除もやむなしというところなのかもしれない。

 が。
 私はこれを知ったとき、イヤ~な想像をしちまったのである。
 教育基本法に「愛国心」「宗教的情操の涵養」という気持ち悪い言葉(字義本来の意味をとれば、断じて気持ち悪い言葉ではなく、むしろいい言葉であるはずだが)を入れようと言った連中と、「小学生に縄文時代を教えるのはやめよう」と言った連中って、ひょっとして、同じなんじゃなかろうか。

 旧石器時代/縄文時代が削除され、そこに代入されるのが国造り神話であり、まさにそれこそが「宗教的情操の涵養」なのだとしたら。
 戦前・戦中の国家神道の復活を狙う勢力の陰謀ととれなくもないのである。

 杞憂であればいいけどね。

2007年6月20日

ワウペダル購入記

 ワウペダルを買った。それまで使用していたものが壊れたので、購入したのである。

 ひょっとすると、ワウペダル、と聞いてもなんのことかわからない人もいるかもしれない。ワウとは、足で踏み込むことによって音の周波数帯を変化させるギター・エフェクタである。形状としては、車のアクセルペダルに似ている。音は、その名のとおりワウ・ワウと鳴る。

 ……と、あれこれ説明するより、音を聞いてもらった方がてっとり早いだろうな。便利な時代になったものです。

Jimi Hendrix - Woodstock '69
http://www.youtube.com/watch?v=3h_L9Ud306I


 ワウ本体は映ってないけれど、この映像の冒頭でジミ・ヘンドリックスが足で踏んでいるのがワウペダルである。

 ジミヘンの時代からあるエフェクタであるから、つくりはきわめて原始的だ。裏ブタを開けることで中をのぞくことができるが、回路はラジオなみ、アナログ・トランジスタの世界であって、ICチップなんぞは使われていない。

 私がワウを使いはじめたのは1年ほど前である。現在はバンド活動をしていない友人に借りたのだ。友人のワウは、「クライベイビー」と呼ばれる、「ジミヘンもクラプトンも使っていた!」という触れ込みの機種であった。
 ワウを踏むと、音が古くなる。ヘタクソなのも(若干ではあるが)ごまかせる。こいつはいいや、と思って、以降ギターを弾く際になくてはならぬものになった。

 そのワウが、ここのところ調子が悪かったのである。踏み込むと、ガサガサ、というきわめて不愉快なノイズがまじる。
 私は1年しか使ってないけれど、友人はその前に10年以上使っている。いいかげん寿命だ、ということなのだろう。

 一応、人から借りたもんであるから、修理に出してみることにした。見積もりをとってみると、全パーツ交換で9千円近くかかるという。現在市場に流通しているクライベイビーは1万円程度であるから、新しいのを買ってもほとんど値段が変わらない。

 そこで、新しいワウを購入することにしたのである。

 ワウの新規購入にあたって、わがバンドのスーパーベーシスト、ボンソワールにオススメの機種を聞いてみた。この男、エフェクタ図鑑を眺めているだけで幸せな気持ちになるという、モノホンのエフェクタ・オタクなのである。彼に勧められたのは、floor PODであった。


 Floor PODはすごいやつだ。何がすごいって、アンプ・エミュレータ機能を搭載していて、ギターアンプがどんなタイプのものでも、「目的のアンプ」に似た音をつくり出すことができる。要は、こいつが一台あるだけで、アンプの機種にかかわらず自分好みの音がつくれるのだ。さらに、ワウ・コーラス・トレモロ・ファズ・フランジャー・ディレイと、エフェクタ類はたいがい、こいつ一台で代用できてしまう。一台で十役も二十役もこなすすごいやつなのである。
 当然、ジミヘンの時代にはこんなもんはなかった。近年の技術革新によって製造されるようになったシロモノだ。上記のワウとはちがい、完全なデジタル機材である。

 私は「お徳用」とか「買うともれなくついてくる」とか「10パーセント増量」とか、大好きな人間であるから、一石二鳥ならぬ一石二十鳥を易々と成し遂げてしまうFloor PODはたいへん魅力であった。さっそく、ギターショップで試奏させてもらった。

 噂にたがわぬすごいやつだった。誇張でなく、なんでもできる。「なんでもできる」ということは操作が複雑になるということだから、実際に「なんでも」させるためにはそれなりにこいつの扱いに熟達しなければならないだろうが、機械はキライじゃない。楽しみながら熟達できるだろうな、と思った。

 だが、結局こいつは買わなかったのである。私が購入したのは、以前使っていたのとまったく同じクライベイビーであった。

 理由は明瞭。クライベイビーの方が、ギター+ワウ+アンプの3点セットのみで使用する際に、「イイ音」を出してくれたからである。Floor PODのワウは、単体で鳴らしたときには気づかないが(要するに、微妙なものなのだが)、弾き比べてみると、明らかに音が痩せていたのだ。

 さらに、車のアクセル同様、終始踏み続けることで効果を出すワウは、「踏み心地」もよくなきゃいけない。Floor PODはボディがプラスチック製、図体のわりに軽量なので、強く踏むと本体がガタガタ揺れる。踏み心地は断然、クライベイビーに軍配があがるし、デジタル機材なのだから、振動は決して機械にいい影響を与えないだろう。
 私はバンド演奏の際つねに酩酊しているきわめて不真面目なプレイヤーなので、酔った勢いで暴力的に踏み込んで「バキッ」とか折れる想像も脳裏をかすめた。こいつは、よろしくない。

 と、いうことで、今回のワウ購入は前とまったく同じ、クライベイビーになったのであった。
 クライベイビーは重い。この季節なんざ、持って歩くだけで汗が噴き出てくる。しかし、この「重さ」には理由があるんだ、とはじめて納得がいった。VOXも試奏してみたんだけど、やっぱクライベイビーの音が好きだったな。
 今度の日曜にわがバンド、ザ・ミラクルズのセッションが予定されているので、この新品クライベイビーをバリバリ踏み倒してやる予定である。踏むどー!

 誤解がないように付け加えておくが、断じてPODがよくないと言っているわけではない。ありゃものすごいオモチャだぜ。ワクワクしちゃう。

 今度、おこづかいをためてペダルなしのPOD(ないしはそれに類するマルチエフェクタ)を買おう、と心に決めた。