本日は仕事もそこそこに、ブログのメンテナンスを一生懸命やっていた。
ロック名盤ブログに記事をアップし(ジェファーソン・エアプレインの「ヴォランティアーズ」)、アルバム・タイトル一覧をつくった。
こちらのブログもサイドバーにカテゴリを設定して、デザイン・テンプレートを変更、フォント・カラーやサイズもあれこれいじったりしたりしていた。
こういうのは、ふだんはめんどくさくてやらないのだけど、やりはじめるとハマっちまうのである。
で、ふと見たら、このブログの最初の記事から、ちょうど1年が経過していることがわかった。早いもんですなあ。
旧ブログに比べると、明らかに更新頻度が落ちているけれど、まあこんなもんだろう。ぼちぼちやれば良い。
というわけで一周年です。
2007年5月24日
2007年5月15日
王貞治、あなたは偉大だった
王貞治ってすげえなあ、とあらためて思った。
何を言う、世界の王だぞ、すごいのは当たり前じゃないか、と言われてしまうかもしれない。いや、すごいのは知ってたさ。世界一のホームラン・バッターだってことは当然、知ってた。でも、そのすごさにはじめて納得がいったんだ。
王は、中国人の父と、日本人の母との間に生まれている。したがって、国籍は中国である。日本国民ではないのだ。日本の国民栄誉賞第一号にもかかわらず、選挙権も被選挙権も持ってないのである。これはけっこう、すごいと思う。王は、日本・中華民国・中華人民共和国、3つの国の狭間で生きている男なのだ。
一説によれば、彼が北京オリンピック日本代表の監督を辞退したのは、中華民国と中華人民共和国の微妙な関係があるから、というのが理由のひとつとしてあるらしい。
実家は、ラーメン屋である。現役時代には、「ラーメン屋の倅」と陰口を叩かれたらしい。
高校時代は、早稲田実業の投手として選抜優勝。ノーヒットノーランを達成している。個人的には、この事実にいちばん、驚いた。いや、知識としては前から知っていたんだけど、そのとんでもなさにはじめて気づいたのである。
ノーヒットノーランをやって甲子園で優勝した投手が、フラミンゴ打法で868本ホームランなんだよ? 現代でいえば、ハンカチ君がホームラン王になるようなもんだ。どう考えたってすごいだろう。
監督としては、万年最下位のホークスを常勝球団にまで育てあげている。そして、昨年のWBCで監督としても「世界の王」となった。これもすごい。
たったひとりの人間が、これだけ記録を持っているって、他にないだろう。すくなくとも俺は、王以外に思い浮かばない。あ、ひとつだけあった。ビートルズだ。ひとりじゃないけどね。
王はすげえぞ、と思ったから、一冊ぐらい伝記を読んでみようと思って、書店に行った。野球の本を買うのは、小学校のときに買った野球入門(王と田淵が表紙だった)以来のことである。
行ってみて、驚いた。長嶋の本はいっぱいあるのに、王の本は一冊しかないのである。言っとくけど、俺が行ったのはそこらの本屋じゃないぜ。日本最大の書店、ジュンク堂本店だぜ。
王が長嶋に比べ、キャラ立ちしてないというのはよくわかる。マジメな優等生の王は、キャラとして今ひとつ面白くない。話も浮いたところがない。でもさ、誰が考えたって長嶋より王の方がずっと偉いじゃないか、打者としても監督しても。どうなってんだ、日本の野球ジャーナリズムは。
選択の余地がないんだから、その一冊しかない本を買ってきて、読んだ。江尻良文の『王貞治 壮絶なる闘い』という本である。おかげで、王に関してはずいぶん詳しくなった。
胃の摘出手術をした現在の王は、昔の美男子ぶりはどこへやら、ガリガリの亡者みたいになっている。それでも、監督を続けるのである。なんでも、監督としてソフトバンク・ホークスを優勝させ、勇退したいと考えているとか。監督兼ゼネラル・マネージャー(早い話が、球団経営者として、すべての人事権を持っている監督。日本では王がはじめて)にまで引き立ててくれた孫正義にたいして、彼は大いに恩義を感じているらしいのだ。後任ももう決めている。自分が手塩にかけて育てた秋山である。執念だよな、これは。どこまで偉いんだよ王。
というわけで、今年はホークスを応援します。ちなみに、特定の球団を応援するのははじめてです。王語録も毎日読むぜ。
なお、私がにわか王ファン・ホークスファンとなったのは、youtubeで下記のビデオを見たせいである。これがまた、感動的なんだ。中華屋で酔っぱらいながら偉そうにしゃべる王もすごくいい。
1999 FUKUOKA HAWKS ZONE
http://www.youtube.com/watch?v=qlFZ6rK_H9g
2007年4月26日
消えたブロントサウルス
最近、子どもたちの間で『恐竜キング』が流行っているようだが、このゲームが流行る前から、ウチの息子たちは恐竜が大好きだった。恐竜図鑑はウチに4冊(!)もあるし、恐竜の骨格模型を展示している上野の国立科学博物館には幾度となく足を運んでいる。今年6歳(幼稚園の年長)になる下の息子が、今日、こんな質問をしてきた。
「パパ、どの恐竜が好き?」
私は即座に、「ブロントサウルス」と答えた。やはり恐竜はでかいほういいし、後述するが、ブロントサウルスにちょっとした思い入れもあったのである。
ところが、私の返答を聞いた息子は、意外な反応を返してきた。
「ブロントサウルスって、どんな恐竜?」
「あれ、知らないの?」
有名どころの恐竜は、たいがい名前を知っていると思っていたのである。ブロントサウルスほどの有名恐竜を知らないなんて!
「よし、図鑑で見せてあげよう」
私はさっそく図鑑を開き、目次をたぐってブロントサウルスを探した。
……なかった。
4冊の図鑑のどれも、「ブロントサウルス」という名の恐竜を掲載してはいなかった。
ネットで「ブロントサウルス」を検索してみると、現在は「アパトサウルス」と呼ばれているらしい。
http://big_game.at.infoseek.co.jp/sauropod/brontosaurus.html
かつて、「ブロントサウルス」「アパトサウルス」それぞれの名で呼ばれる恐竜化石があり、当初は別種とされていたのだが、のちの研究で同じものとわかった。ブロントサウルスの方が断然、人口に膾炙していたのだが、アパトサウルスが先に命名されていたため、こちらが正式名称とされたらしい。
知らなかった。ブロントサウルスという恐竜は、いないのだ。
昔、『ひらけ! ポンキッキ』(断じてポンキッキーズではない)の歌で、「恐竜が街にやってきた」という歌があった。昭和52年の歌だそうだから、私が7歳のときの歌である。私はかつて、この曲のシングル盤を持っていたのである。歌は(今日調べてわかったのだが)、上條恒彦が歌っている。
恐竜が意味もなく列をなして街にやってくるという、ナンセンスな歌なのだが、「どーんどん どどんどーん」という擬音メロディが好きで、今でも恐竜というとこの歌を思い出す。
街にやってくる恐竜たちの先頭にいるのは、ブロントサウルスだった。だから私は、ブロントサウルスこそ恐竜のリーダー、恐竜の象徴だと思っていたのだ。
だが、現在ブロントサウルスという恐竜は存在しない。
さみしい話だ。今の子どもたちに「恐竜が街にやってきた」を聴かせても、ブロントサウルスがどんな恐竜かわかってもらえないんだから。
名曲なのになあ。
……なんて言ってたら、ムショーに聴きたくなってきた。今度レンタルで探してみよう。

2007年4月25日
歌う素人
Youtubeで海外の音楽ビデオを眺めていると、かならず素人バンドや素人音楽家のカバー演奏にぶち当たる。
自分がバンドで同じようなことやってるせいだと思うけど、素人バンドの演奏もけっこう、楽しく見せてもらっている。へたくそだなあ、と思うことも多いし、見るに(聞くに)耐えないことも多いが、それもふくめて楽しんでいる。こいつらいったい普段何やってんのかなあ、などと想像してみるのも楽しい。
広いガレージみたいなところで演奏しているのを見ると、アメリカの素人バンド事情が、心底うらやましくなってくる。もしかりに、バンドの演奏能力を偏差値みたいな形で数値化することができるとして、アメリカの素人バンドと日本のそれの平均値を比べたら、アメリカは日本を大きく凌駕することだろう。いつでも寄り集まってでかい音で演奏できるアメリカと、1時間いくらでスタジオ代を支払って演奏する日本では、バンドを取り巻く環境がちがいすぎる。
……とここまで書いて、高校時代、自宅にスタジオがあるドラマーがいたことを思い出した。ドラムセットはむろんのこと、ギターアンプもベースアンプもボーカルマイクも室内に置いてあった。
えらい金持ちだったから、たぶん息子がドラムをやるっていうんで親が用意したんだと思うけど、今考えるととんでもない話である。地方はあなどれないよな。
話を戻そう。
Youtubeで素人たちの演奏を眺めていて、「おおこりゃすごい!」と感動した映像がある。それを紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=2oO-WiL9gcc
ひとりでキーボードを弾きながらモータウン・メドレーをやっているんだけど、これがすごい。何がすごいって、たったひとりでコーラスグループの全パートを歌いこなしているのだ。
メドレーのアタマはテンプテーションズの「I Can't Get Next to You」。ノーマン・ホイットフィールドの手になるファンク・チューンで、5人のシンガーが声色を変えて交互にリードをとる曲だが、こいつ、たったひとりでその全パートを完全コピーしてやがる。
楽器ならわかるが、歌だぜ、歌。しかもモータウン。フォー・トップスもスモーキー・ロビンソン(&ミラクルズ!)も完璧に歌いこなしている。大した芸じゃないか。歌ってる顔が笑えるのも好感が持てる。
背景に見えるCDの列から見て、かなりの音楽オタクだと思うけど、こいつ普段、何やってるんだろう。見た目はきわめてスクエアなので、たぶんサラリーマンかなんかだと思うんだけど、世の中には生産に役立たない才能もたくさんあるんだよなあ、と妙にしみじみしてしまう。
もともとモータウン・ナンバーが大好きだってのもあるんだけど、選曲の良さや曲のつなぎのスムーズさもあって、何回も見てしまった。
自分がバンドで同じようなことやってるせいだと思うけど、素人バンドの演奏もけっこう、楽しく見せてもらっている。へたくそだなあ、と思うことも多いし、見るに(聞くに)耐えないことも多いが、それもふくめて楽しんでいる。こいつらいったい普段何やってんのかなあ、などと想像してみるのも楽しい。
広いガレージみたいなところで演奏しているのを見ると、アメリカの素人バンド事情が、心底うらやましくなってくる。もしかりに、バンドの演奏能力を偏差値みたいな形で数値化することができるとして、アメリカの素人バンドと日本のそれの平均値を比べたら、アメリカは日本を大きく凌駕することだろう。いつでも寄り集まってでかい音で演奏できるアメリカと、1時間いくらでスタジオ代を支払って演奏する日本では、バンドを取り巻く環境がちがいすぎる。
……とここまで書いて、高校時代、自宅にスタジオがあるドラマーがいたことを思い出した。ドラムセットはむろんのこと、ギターアンプもベースアンプもボーカルマイクも室内に置いてあった。
えらい金持ちだったから、たぶん息子がドラムをやるっていうんで親が用意したんだと思うけど、今考えるととんでもない話である。地方はあなどれないよな。
話を戻そう。
Youtubeで素人たちの演奏を眺めていて、「おおこりゃすごい!」と感動した映像がある。それを紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=2oO-WiL9gcc
ひとりでキーボードを弾きながらモータウン・メドレーをやっているんだけど、これがすごい。何がすごいって、たったひとりでコーラスグループの全パートを歌いこなしているのだ。
メドレーのアタマはテンプテーションズの「I Can't Get Next to You」。ノーマン・ホイットフィールドの手になるファンク・チューンで、5人のシンガーが声色を変えて交互にリードをとる曲だが、こいつ、たったひとりでその全パートを完全コピーしてやがる。
楽器ならわかるが、歌だぜ、歌。しかもモータウン。フォー・トップスもスモーキー・ロビンソン(&ミラクルズ!)も完璧に歌いこなしている。大した芸じゃないか。歌ってる顔が笑えるのも好感が持てる。
背景に見えるCDの列から見て、かなりの音楽オタクだと思うけど、こいつ普段、何やってるんだろう。見た目はきわめてスクエアなので、たぶんサラリーマンかなんかだと思うんだけど、世の中には生産に役立たない才能もたくさんあるんだよなあ、と妙にしみじみしてしまう。
もともとモータウン・ナンバーが大好きだってのもあるんだけど、選曲の良さや曲のつなぎのスムーズさもあって、何回も見てしまった。
2007年4月18日
「彼女がボス」でいいじゃないか
「女性の時代だ」なんてことがよく言われるが、あまり本気にしたことはなかった。私の住んでいる世界が狭いだけなのかもしれないが、会社などでそこそこの役職に就いている人は、たいがい男性である。女性の数は、驚くほどすくない。
政治の世界を眺めてみても、女性代議士の数はすくないし、わが国では女性の首相は未だ誕生していない。大臣として入閣する女性もすくない。
皇室においても、お世継ぎが生まれたのをいいことに、「女帝論」は尻つぼみになって立ち消えた感がある(これはあくまで私見だが、ここが改まらないかぎり、日本社会で真に「男女同権」を実現するのは難しいのではないかと思う)。
でも、最近、女の人ってほんとに元気だなあ、とは思っている。
仕事柄、いろんな女性に会う。みな、職業意識の高い人ばかりである。対して、男はどうか。絶対数が多いからかもしれないけれど、どうも女性と比べて、怠け者が多いような気がしている。人のことは言えないけどね。
そういうことを考え合わせると、政治だとか、会社の経営だとか、そういったことも、どんどん女性に任せていった方がいいんじゃないか、とも思うのである。
その昔、ミック・ジャガーが「She's The Boss/彼女がボス」というフェミニンなソロ・アルバムを出したことがあった。「おまえなんか昨日の新聞だぜ、昨日の新聞なんか誰が読むか」と女性蔑視の歌を歌っていた男が「彼女がボス」だから、一種のジョークなのだろうと思っていた。たしか本人も「ジョークだ」と語っていたはずだ。
でも、ジョークでもなんでもなく、「彼女がボス」でいいのかもしれない。そう思えるようになった。
2007年4月13日
おまえの顔に反吐が出る
創価学会には、あまりいい思い出がない。
いや、どっかに監禁されて、大勢の学会員に入会を迫られた(これを折伏という)とか、そういう経験があるわけじゃない。むろん、勧誘されたことがないわけじゃないが、きわめて穏やかな勧誘で、すくなくとも自由を奪われるような経験はしていないのである。
もう時効だと思うから言うけれど、私は以前、創価学会のきわめて熱心な信者の女の子と、交際していたのである。学生の頃の話だ。
つきあいはじめた頃は、彼女が学会員だということは知らなかった。知っていたらつきあわなかったか、と問われれば、「知っててもつきあっていた」と答えるしかない。なにしろ、私の方が惚れ込んではじまった交際だったから。
その彼女との交際がはじまって、間もないころの話である。
今もそうだけれど、学生の頃の私は、かなり躁鬱のハッキリしてる方だった。ちょっとしたことでふさぎ込んだり、つまんないことで悩んだりすることも多かった。その様子を見た彼女が、ポツリとこう言ったのだ。
「私が1TRAくんを変えてあげるから」
人が人を変化させる。そんなことは日常、ありふれていることかもしれない。だが、当時の私はそんなふうには思っていなかった。だいいち、「変えてあげる」といわれてハイそうですかお願いしますというほど、素直な性格でもないのである。
だが、その言葉は妙に印象に残った。誰かに面と向かって「あなたを変えてあげます」と言われるなんて、そうそうできる経験でもないだろう。すくなくとも私は、このとき以外経験したことがない。たぶん、今後もないんじゃないかと思う。
彼女が言う「変えてあげる」が、「私を創価学会に入会させる」ということだと知ったのは、それからしばらく経ってからだったと思う。ああそういうことかと納得した。
以降、彼女と口論することが増えた。男女の痴情のもつれによる喧嘩ではない。これは断言できるけれど、彼女と私は、そうした低レベルなぶつかり合いは一切、なかった。だが、しょっちゅう言い争っていた。議題は、宗教論争である。熱烈な信仰者と、かたくなな無神論者のシビアな論争だ。
ハッキリいって、不毛な議論だった。どこまでいっても平行線、どちらかが折れて妥協点を見出すということがあり得ないのだから。たぶん、彼女の方では私がいつか折れてくれるだろうと期待していたのだろうが、私は絶対に折れることはなかったし、折れるつもりもなかった。
考えてみれば、おかしなカップルであった。会うたびに宗教論争を戦わせるカップルなんか、世の中にそうそうあるもんじゃないだろう。
会うたびにガチンコの議論をすることになるわけだから、会うとむちゃくちゃ消耗した。ぜんぜん楽しくなかったし、ものすごく苦しかった。だったらサッサと別れればいいじゃないか、と思うかもしれないが、そこは男女関係である。理詰めでは動かない。別れようとは何度も思ったが別れなかったのは、やはり、彼女が好きだったからだ。腹立たしいことも多かったし、自分がみじめに思えることもしょっちゅうあったが、それでも、私は彼女と一緒にいたかったのだ。たぶん、彼女もそうだったんじゃなかろうか。
とはいえ、はなっから終わりの見えている交際である。1年以上そんな状態が続いた後、私は失恋することになった。
男女というものは、お互い好き合っていても別れなければならない局面がある。知識としては当然、知っていたことであったけれど、実体験でそれを経験するとは思ってもみなかった。
彼女はそれからしばらくして、会社の先輩と交際しはじめ、やがて結婚した。相手の男性は学会員ではなかったが、学会員となることで彼女を受け入れたのである。
創価学会、もしくは池田大作の名前を聞くと、彼女のことを思い出す。苦しくて悲しい青春の1ページである。
なんでこんなことを長々と書いたかというと、次のニュースを目にしたからだ。
温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談
http://www.asahi.com/politics/update/0412/TKY200704120252.html
この記事の中に、ふたりの会談の様子を描写したくだりがある。引用しよう。
池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。
庶民の王者!
俺は目下のところまちがいなく庶民のひとりだと思うけど、てめえを王様と思ったことなんざ一度もねえよ。だいいち、「不滅の名演説」たあ何だ。日本人らしさのかけらもない、見え透いたお世辞じゃねえか。てめえのそういうところが気にいらねえから、俺は彼女の熱心な勧誘にもかかわらず、入信する気にはなれなかったんだ。
マジメな話、これは政治的にも危険な兆候である。池田大作は温家宝を通して自民党にまたも大きな貸しをつくった。温家宝は明らかに、自民党政権が公明党なしで成り立たない(公明党の選挙協力がなかったら、落選する議員が山ほどいる)ことを知っていて、公明党を通じて日本政府をコントロールしようとしている。いいのかよ、それで?
さきの彼女は、池田大作の公演を聞いて、涙が止まらなかったそうだ。
「なんで涙が出てくるかわからないんだけど、涙がぼろぼろ出てくるの」
信者はそれでもいいだろうさ。でも俺はそんなの、嫌だ。今だって、絶対に嫌だ。あの腹黒さを全面に出した面がまえを見るだけで、(個人的怨念も相当あって)反吐が出る。
最後にトリヴィアをひとつ。
世界でいちばん勲章をたくさんもらった人を知ってるかい? 池田大作なんだぜ。やつは、勲章を200個持ってるんだ。勲章のコレクターなのさ。くだらねえ野郎だと思うだろ?
いや、どっかに監禁されて、大勢の学会員に入会を迫られた(これを折伏という)とか、そういう経験があるわけじゃない。むろん、勧誘されたことがないわけじゃないが、きわめて穏やかな勧誘で、すくなくとも自由を奪われるような経験はしていないのである。
もう時効だと思うから言うけれど、私は以前、創価学会のきわめて熱心な信者の女の子と、交際していたのである。学生の頃の話だ。
つきあいはじめた頃は、彼女が学会員だということは知らなかった。知っていたらつきあわなかったか、と問われれば、「知っててもつきあっていた」と答えるしかない。なにしろ、私の方が惚れ込んではじまった交際だったから。
その彼女との交際がはじまって、間もないころの話である。
今もそうだけれど、学生の頃の私は、かなり躁鬱のハッキリしてる方だった。ちょっとしたことでふさぎ込んだり、つまんないことで悩んだりすることも多かった。その様子を見た彼女が、ポツリとこう言ったのだ。
「私が1TRAくんを変えてあげるから」
人が人を変化させる。そんなことは日常、ありふれていることかもしれない。だが、当時の私はそんなふうには思っていなかった。だいいち、「変えてあげる」といわれてハイそうですかお願いしますというほど、素直な性格でもないのである。
だが、その言葉は妙に印象に残った。誰かに面と向かって「あなたを変えてあげます」と言われるなんて、そうそうできる経験でもないだろう。すくなくとも私は、このとき以外経験したことがない。たぶん、今後もないんじゃないかと思う。
彼女が言う「変えてあげる」が、「私を創価学会に入会させる」ということだと知ったのは、それからしばらく経ってからだったと思う。ああそういうことかと納得した。
以降、彼女と口論することが増えた。男女の痴情のもつれによる喧嘩ではない。これは断言できるけれど、彼女と私は、そうした低レベルなぶつかり合いは一切、なかった。だが、しょっちゅう言い争っていた。議題は、宗教論争である。熱烈な信仰者と、かたくなな無神論者のシビアな論争だ。
ハッキリいって、不毛な議論だった。どこまでいっても平行線、どちらかが折れて妥協点を見出すということがあり得ないのだから。たぶん、彼女の方では私がいつか折れてくれるだろうと期待していたのだろうが、私は絶対に折れることはなかったし、折れるつもりもなかった。
考えてみれば、おかしなカップルであった。会うたびに宗教論争を戦わせるカップルなんか、世の中にそうそうあるもんじゃないだろう。
会うたびにガチンコの議論をすることになるわけだから、会うとむちゃくちゃ消耗した。ぜんぜん楽しくなかったし、ものすごく苦しかった。だったらサッサと別れればいいじゃないか、と思うかもしれないが、そこは男女関係である。理詰めでは動かない。別れようとは何度も思ったが別れなかったのは、やはり、彼女が好きだったからだ。腹立たしいことも多かったし、自分がみじめに思えることもしょっちゅうあったが、それでも、私は彼女と一緒にいたかったのだ。たぶん、彼女もそうだったんじゃなかろうか。
とはいえ、はなっから終わりの見えている交際である。1年以上そんな状態が続いた後、私は失恋することになった。
男女というものは、お互い好き合っていても別れなければならない局面がある。知識としては当然、知っていたことであったけれど、実体験でそれを経験するとは思ってもみなかった。
彼女はそれからしばらくして、会社の先輩と交際しはじめ、やがて結婚した。相手の男性は学会員ではなかったが、学会員となることで彼女を受け入れたのである。
創価学会、もしくは池田大作の名前を聞くと、彼女のことを思い出す。苦しくて悲しい青春の1ページである。
なんでこんなことを長々と書いたかというと、次のニュースを目にしたからだ。
温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談
http://www.asahi.com/politics/update/0412/TKY200704120252.html
この記事の中に、ふたりの会談の様子を描写したくだりがある。引用しよう。
池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。
庶民の王者!
俺は目下のところまちがいなく庶民のひとりだと思うけど、てめえを王様と思ったことなんざ一度もねえよ。だいいち、「不滅の名演説」たあ何だ。日本人らしさのかけらもない、見え透いたお世辞じゃねえか。てめえのそういうところが気にいらねえから、俺は彼女の熱心な勧誘にもかかわらず、入信する気にはなれなかったんだ。
マジメな話、これは政治的にも危険な兆候である。池田大作は温家宝を通して自民党にまたも大きな貸しをつくった。温家宝は明らかに、自民党政権が公明党なしで成り立たない(公明党の選挙協力がなかったら、落選する議員が山ほどいる)ことを知っていて、公明党を通じて日本政府をコントロールしようとしている。いいのかよ、それで?
さきの彼女は、池田大作の公演を聞いて、涙が止まらなかったそうだ。
「なんで涙が出てくるかわからないんだけど、涙がぼろぼろ出てくるの」
信者はそれでもいいだろうさ。でも俺はそんなの、嫌だ。今だって、絶対に嫌だ。あの腹黒さを全面に出した面がまえを見るだけで、(個人的怨念も相当あって)反吐が出る。
最後にトリヴィアをひとつ。
世界でいちばん勲章をたくさんもらった人を知ってるかい? 池田大作なんだぜ。やつは、勲章を200個持ってるんだ。勲章のコレクターなのさ。くだらねえ野郎だと思うだろ?
2007年4月11日
父親を喰った男

キース・リチャーズが父親の遺灰を吸飲したとかで、物議をかもしている。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704040033.html
キースの父親、バート・リチャーズが死んだのは2002年。キースはこのときに、父親の遺灰をコカインに混ぜて吸ったというのだ。その後、マスコミに「カニバリズムだ」などと批判され、「あれはジョークだ」と発言を撤回している。
でもね、これはあくまでファンの推測にすぎないのだけど、キースはホントに親父を吸ったんじゃないかと思う。
キースは父親と、長く絶縁状態が続いていた。私の記憶が確かならば、関係が修復したのは80年代後半だったと思う。
大した親父だと思うのだ。要は、息子がロック・バンドなどという浮き世離れした職業に就くことが許せず、息子が二十歳そこそこのときに勘当したわけである。その後、ローリング・ストーンズは名実ともにトップ・バンドになっていって、息子は億万長者になった。それでもこの父親は息子を許そうとはしなかったのだ。息子にすり寄っていけば、贅沢な暮らしも簡単に手に入るのに、頑として認めなかったのである。ホンモノのガンコ親父。男だよねえ。
関係修復は、キースが40歳を越えて、立派な中年になってからのことだったし、これも私の記憶が確かならば、キースの方から打診したということだったと思う。でっぷり太ったバート爺さんと、年齢不詳の妖怪となったキース、いっぱしの大人になったロックンロール・チャイルド、マーロン(キースとアニタ・パレンバーグの子)の三世代揃い踏み写真を雑誌で見たのは、それから数年後のことだったと記憶している。
富も名声も、すべてを手に入れたキース・リチャーズにとって、唯一、自分の思い通りにならなかったもの。それが父親だったわけだ。その父親が死んだ後に、遺灰を吸う。カニバリズムというよりは、一種のイニシエーションとして、やりそうなことだと思うのだ。
男とは厄介なもんで、父親と戦い、父親を越えていくことを宿命づけられている。いわゆるエディプス・コンプレックスであるが、これは心情としてとてもよくわかる。私の父親は一介のサラリーマンであるけれど、まだ越えられたとは思っていない。父親を越えることができるのは、父親が死んだときなのかもしれないな、とも思っている。たぶん、キースもそうだったんじゃなかろうか。

それにしても、90年代にキースは「ドラッグからは完全に足を洗った。今は酒と煙草だけだ」と語り、私もすっかりクリーンになったもんだと思っていた。ことの真偽はどうあれ、「親父の遺灰をコカインに混ぜて吸った」という表現が出てくるあたり、まだたまにはやるってことなのね。それとも、コカインは常習性がないからドラッグのうちに入ってないのだろうか。
文字どおり釈迦に説法だけど、ヘロインだけはやめとけよ、と思っている。
2007年4月10日
謎の人、石原莞爾

仕事で多少の必要もあり、また個人的興味もあって石原莞爾について調べていたら、(すくなくとも私にとっては)驚くべき記述にぶつかった。
戦後の軍事裁判で石原は、次のように発言したといわれている。
『裁判長は、石原に質問した。「訊問の前に何か言うことはないか」
石原は答えた。「ある。不思議にたえないことがある。満州事変の中心はすべて自分である。事変終末の錦州爆撃にしても、軍の満州国立案者にしても皆自分である。それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない。」』
これって、後世の捏造で、実際には石原は戦犯容疑がかからないよう、あれこれ工作していたというのだ。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/isihara-1.htm
これだけ資料を列挙して反証をあげているのだから、たぶん本当に捏造なのだろう。
石原莞爾はすごい人である。満州事変を立案し、成功させた不世出の軍略家であり、核抑止力による冷戦の到来を核爆弾の製造がはじまる前に言い当てた予言者的資質も持っていた。さらに、バリバリ右翼の法華団体「国柱会」の狂信者でもあった(これは宮沢賢治も同様である)。大東亜戦争はこの人がはじめたと言っても過言ではない。
それゆえ、こうした伝説が生まれたということなのだろう。石原という人は、伝説のよく似合う人だ。
ただ、未だに腑に落ちないことがひとつ。
石原はなぜ、満州事変を起こしたのだろう? 満州事変がなければ、日本が戦争に突入することもなかったんじゃないか。そのくせ、石原はその後中国戦線不拡大を唱え東条英機と対立、予備役という閑職に追いやられたりもしている。自分で火をつけておいて、後で火消しに回っているわけだ。そのへんも、よくわからない。あのきわめて論理的かつ精緻な理論『最終戦争論』『戦争史大観』の著者の行動が、なんでこんなに支離滅裂なのだ?
まあたぶん、いろんな本を読んだりしていくうちに、なるほど、と得心することもあるのだろう。でも、今のところ私にとって、石原莞爾は謎の人である。
最後にトリヴィアをひとつ。指揮者の小澤征爾の名前は、板垣征四郎と石原莞爾からとられたもんだそうな。小澤のお父さんはこの2人に心酔していたらしい。やはり、英雄だったってことだよなあ。
2007年4月8日
ドキュメント 謎の出版社「成瀬書房」を追え!
Books.or.jpというサイトがあります。
社団法人・日本書籍出版協会によって運営されるサイトで、現在、書店で入手可能な書籍を検索できるようになっています。なにやら天下りの匂いがプンプン漂ってきますが、それを批判することが本稿の目的ではないのでここでは置くことにいたしましょう。
現在でこそ、大書店やAmazonなどの通販会社のサイトが充実してきましたから、その利便性が伝わってきませんが、インターネット黎明期にはずいぶんお世話になったものです。
先日、ここである作家の本を検索いたしました。
検索結果がこれです。
この検索結果をよく見ると、「成瀬書房」なる出版社があることがわかります。さらによく見ると、成瀬書房は30,582円とか、べらぼうに高い本を出版していることがうかがえます。
森敦の『月山』は芥川賞受賞作ですが、多くの芥川賞作品がそうであるように、決して長大な作品ではありません。
上の検索結果にも出ていますが、文藝春秋社から文庫が出ています。これが、他に7作品を収録して、定価は580円です。平素から文庫に親しんでいる方ならば、この値段の文庫がどのくらいのページ数かはだいたい、わかってもらえるのではないでしょうか。
いったい、3万円以上の本とはどのような豪華本なのか。あるいは目の不自由な方向けの点字の本とか、そういった特別な加工のほどこされた本なのかもしれない、とも思ったのですが、そうした本にしては、少々値段が張りすぎるように思いました。
試みに「成瀬書房」でググってみましたが、同社のサイトは検索されません。どうやら、インターネットでの宣伝活動はしていない会社のようです。
どんな会社なのか、どんな本を出しているのか、さっぱり手がかりが得られないので、ジュンク堂書店のサイトで検索してみることにしました。ジュンク堂は、池袋をターミナルにして生活する私のような人間にとっては、もっとも利用頻度の多い大書店であります。
その検索結果がこれ。
驚いたことに、ジュンク堂のような大書店でさえ、すべての本が「在庫無し 現在この商品はご注文いただけません」という扱いになっています。同じことを紀伊国屋書店のサイトでもやってみましたが、結果は同じでした。
ようやく見つけることができた小さな手がかりがこれ。
福岡女子大学付属図書館の資料展パンフレットを、pdf形式で公開したものです。成瀬書房から刊行された丹羽文雄の『鮎』を、こう解説しています。少々長いですが引用しましょう。
●(8)丹羽文雄『鮎』(成瀬書房、特別愛蔵本、1973年、85000円)
対照の妙を考えて、同じ丹羽の『鮎』の大型の豪華本をもう一冊展示する。
1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った成瀬書房が刊行したもの。成瀬書房は「署名入り限定版文学全集」を意図し、200部前後、20000円前後の限定本を約80種刊行している。部数の多さや、求めやすい価格など、これらはいわば限定版の普及版とも言うべきものである。成瀬書房は、更にこの中から10数種を、大型の「特別愛蔵本」として別途刊行している。こちらは11部から30部程度、価格も35万、40万というものまである。本書は「特別愛蔵本」の第一冊目を飾るもの。永田一脩が岐阜県馬瀬川で釣った鮎の魚拓をそのまま表装したもの。見返しに金布目和紙、三方金は22金を使用という贅沢な作りである。二重箱入り、内箱は会津産桐箱、外箱蓋裏に鮎の郵便切手と限定番号を記した小紙片を貼付。市販限定30部のうち第21番本。
どうやら、著者のサイン入り豪華本、ということのようです。それが85000円。装丁も相当豪華なんだろうな、と思わせますが、驚くべきは、もっと豪華な本があるということ。「金布目和紙、三方金は22金を使用」して35万~40万円。どんなものだかハッキリとはわかりませんが、「金」という字が3回も使用されていることから考えても、相当豪華な本であるといえるでしょう。おそらくは、本そのものにもゴールドと同じ価値があるような。
『鮎』という小説だから鮎の魚拓をそのままデザインに使っているとありますが、上記の『月山』ならどんなデザインを使うんでしょうか。有名画家が描いた月山の絵とか?
いずれにせよ、豪華本を出版している出版社だということはわかりました。値段と装丁、発行部数から考えて、受注生産であることも想像がつきます。
でも、まだ謎が残っています。
私は本にたいするフェティシズムは一切持っていない人間なので、「絶対にあり得ない」と断言できますが、かりに私が、成瀬書房刊の『月山』30,582円を購入したいと思ったとします。
いったい、どこで買えばいいのでしょう? 大書店では「現在この商品はご注文いただけません」だし、なおかつネットで受注を受けつけているわけでもない。
自分でも暇なことやってんなと思いつつ、104で問い合わせもしてみましたが、「成瀬書房」で届けはないそうです。つまり、電話でのアクセスもできないのです!
上記の福岡女子大学のパンフには、「1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った」とありますから、現在は存在しない、高度経済成長を背景とした成金向け出版社である、と考えることは可能です。ですが、だとすると矛盾が出てきます。
「現在入手可能な書籍を収録する書籍検索サイト」Books.or.jpに、なぜ堂々と掲載されているのか。上記の検索結果を見るとわかりますが、成瀬書房の本はいずれも80年代に刊行されており、Books.or.jpのサイトの方がずっと新しいのです。データのデジタル化に際してチェックしてるものと思いますし、もし消去忘れだとすれば、「社団法人 日本書籍出版協会」の職務怠慢だということになります。オレ様が身を削って払った税金から補助金出てんだろ、カネ返せ、てな話にもなるでしょう。
「日本書籍出版協会」に問い合わせてみようかと思いましたが、なんとなく自分がタチの悪いクレーマーになりそうなので、やめておきました。気分が乗ったらやるかもしれませんが。
謎の出版社「成瀬書房」。その正体に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報を。
社団法人・日本書籍出版協会によって運営されるサイトで、現在、書店で入手可能な書籍を検索できるようになっています。なにやら天下りの匂いがプンプン漂ってきますが、それを批判することが本稿の目的ではないのでここでは置くことにいたしましょう。
現在でこそ、大書店やAmazonなどの通販会社のサイトが充実してきましたから、その利便性が伝わってきませんが、インターネット黎明期にはずいぶんお世話になったものです。
先日、ここである作家の本を検索いたしました。
検索結果がこれです。
この検索結果をよく見ると、「成瀬書房」なる出版社があることがわかります。さらによく見ると、成瀬書房は30,582円とか、べらぼうに高い本を出版していることがうかがえます。
森敦の『月山』は芥川賞受賞作ですが、多くの芥川賞作品がそうであるように、決して長大な作品ではありません。
上の検索結果にも出ていますが、文藝春秋社から文庫が出ています。これが、他に7作品を収録して、定価は580円です。平素から文庫に親しんでいる方ならば、この値段の文庫がどのくらいのページ数かはだいたい、わかってもらえるのではないでしょうか。
いったい、3万円以上の本とはどのような豪華本なのか。あるいは目の不自由な方向けの点字の本とか、そういった特別な加工のほどこされた本なのかもしれない、とも思ったのですが、そうした本にしては、少々値段が張りすぎるように思いました。
試みに「成瀬書房」でググってみましたが、同社のサイトは検索されません。どうやら、インターネットでの宣伝活動はしていない会社のようです。
どんな会社なのか、どんな本を出しているのか、さっぱり手がかりが得られないので、ジュンク堂書店のサイトで検索してみることにしました。ジュンク堂は、池袋をターミナルにして生活する私のような人間にとっては、もっとも利用頻度の多い大書店であります。
その検索結果がこれ。
驚いたことに、ジュンク堂のような大書店でさえ、すべての本が「在庫無し 現在この商品はご注文いただけません」という扱いになっています。同じことを紀伊国屋書店のサイトでもやってみましたが、結果は同じでした。
ようやく見つけることができた小さな手がかりがこれ。
福岡女子大学付属図書館の資料展パンフレットを、pdf形式で公開したものです。成瀬書房から刊行された丹羽文雄の『鮎』を、こう解説しています。少々長いですが引用しましょう。
●(8)丹羽文雄『鮎』(成瀬書房、特別愛蔵本、1973年、85000円)
対照の妙を考えて、同じ丹羽の『鮎』の大型の豪華本をもう一冊展示する。
1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った成瀬書房が刊行したもの。成瀬書房は「署名入り限定版文学全集」を意図し、200部前後、20000円前後の限定本を約80種刊行している。部数の多さや、求めやすい価格など、これらはいわば限定版の普及版とも言うべきものである。成瀬書房は、更にこの中から10数種を、大型の「特別愛蔵本」として別途刊行している。こちらは11部から30部程度、価格も35万、40万というものまである。本書は「特別愛蔵本」の第一冊目を飾るもの。永田一脩が岐阜県馬瀬川で釣った鮎の魚拓をそのまま表装したもの。見返しに金布目和紙、三方金は22金を使用という贅沢な作りである。二重箱入り、内箱は会津産桐箱、外箱蓋裏に鮎の郵便切手と限定番号を記した小紙片を貼付。市販限定30部のうち第21番本。
どうやら、著者のサイン入り豪華本、ということのようです。それが85000円。装丁も相当豪華なんだろうな、と思わせますが、驚くべきは、もっと豪華な本があるということ。「金布目和紙、三方金は22金を使用」して35万~40万円。どんなものだかハッキリとはわかりませんが、「金」という字が3回も使用されていることから考えても、相当豪華な本であるといえるでしょう。おそらくは、本そのものにもゴールドと同じ価値があるような。
『鮎』という小説だから鮎の魚拓をそのままデザインに使っているとありますが、上記の『月山』ならどんなデザインを使うんでしょうか。有名画家が描いた月山の絵とか?
いずれにせよ、豪華本を出版している出版社だということはわかりました。値段と装丁、発行部数から考えて、受注生産であることも想像がつきます。
でも、まだ謎が残っています。
私は本にたいするフェティシズムは一切持っていない人間なので、「絶対にあり得ない」と断言できますが、かりに私が、成瀬書房刊の『月山』30,582円を購入したいと思ったとします。
いったい、どこで買えばいいのでしょう? 大書店では「現在この商品はご注文いただけません」だし、なおかつネットで受注を受けつけているわけでもない。
自分でも暇なことやってんなと思いつつ、104で問い合わせもしてみましたが、「成瀬書房」で届けはないそうです。つまり、電話でのアクセスもできないのです!
上記の福岡女子大学のパンフには、「1970年代、80年代を中心に特異な限定版を多く世に送った」とありますから、現在は存在しない、高度経済成長を背景とした成金向け出版社である、と考えることは可能です。ですが、だとすると矛盾が出てきます。
「現在入手可能な書籍を収録する書籍検索サイト」Books.or.jpに、なぜ堂々と掲載されているのか。上記の検索結果を見るとわかりますが、成瀬書房の本はいずれも80年代に刊行されており、Books.or.jpのサイトの方がずっと新しいのです。データのデジタル化に際してチェックしてるものと思いますし、もし消去忘れだとすれば、「社団法人 日本書籍出版協会」の職務怠慢だということになります。オレ様が身を削って払った税金から補助金出てんだろ、カネ返せ、てな話にもなるでしょう。
「日本書籍出版協会」に問い合わせてみようかと思いましたが、なんとなく自分がタチの悪いクレーマーになりそうなので、やめておきました。気分が乗ったらやるかもしれませんが。
謎の出版社「成瀬書房」。その正体に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報を。
2007年4月5日
ファッキン・アメリカ!
もう10年以上前の話である。
カルカッタ(現コルカタ)の空港からタクシーに乗った。
ベンガル人のタクシー・ドライバーが声をかけてきた。
「おまえ、ジャパニ(日本人)か」
「そうだよ」
「テレビでヒロシマ・ナガサキを見たよ。ひどい行いだ。ファッキン・アメリカ! オレはアメリカが大嫌いだ。おまえもそうだろう?」
「ああ、嫌いだ」
そう答えると、褐色の肌のタクシー・ドライバーは再度「ファッキン・アメリカ!」と叫んだ。
その後しばらく話をしていた記憶があるが、何を話したかは覚えていない。
ファッキン・アメリカ。そう言いたくなることはしばしばある。イラク戦争のときもそうだったし、その前のアフガン侵攻も、911の報復攻撃という大義名分は理解しつつも、やはりファッキン・アメリカだと思った。ヒロシマ・ナガサキに関しては言わずもがなである。コカコーラもマクドナルドもファッキン・アメリカだ。
だが、私はアメリカが好きなのである。えんえんと1年かけて大統領を選ぶ政治制度も立派なもんだと思うし、その選挙に際してたとえばマイケル・ムーアのような人が出てきて大騒ぎする土壌も素晴らしいと思う。日本では考えられないことだ。そしてなにより、私が愛するロックンロールはアメリカ産の文化なのだ。嫌いになれるはずがない。
アメリカにはいつか、時間をかけてゆっくり行ってみたい。NYやLAはむろんのこと、シスコやシカゴ、ボストンにテキサスなど、行ってみたいところはたくさんある。
それと、インドはけっこう時間をかけて行ったけれど(半年)、また行ってみたいと思っている。私が行ったころとは国力がちがうだろう。経済発展を遂げつつあるインドがどう変わっているのか、またどう変わっていないのかに、とても興味がある。
カルカッタ(現コルカタ)の空港からタクシーに乗った。
ベンガル人のタクシー・ドライバーが声をかけてきた。
「おまえ、ジャパニ(日本人)か」
「そうだよ」
「テレビでヒロシマ・ナガサキを見たよ。ひどい行いだ。ファッキン・アメリカ! オレはアメリカが大嫌いだ。おまえもそうだろう?」
「ああ、嫌いだ」
そう答えると、褐色の肌のタクシー・ドライバーは再度「ファッキン・アメリカ!」と叫んだ。
その後しばらく話をしていた記憶があるが、何を話したかは覚えていない。
ファッキン・アメリカ。そう言いたくなることはしばしばある。イラク戦争のときもそうだったし、その前のアフガン侵攻も、911の報復攻撃という大義名分は理解しつつも、やはりファッキン・アメリカだと思った。ヒロシマ・ナガサキに関しては言わずもがなである。コカコーラもマクドナルドもファッキン・アメリカだ。
だが、私はアメリカが好きなのである。えんえんと1年かけて大統領を選ぶ政治制度も立派なもんだと思うし、その選挙に際してたとえばマイケル・ムーアのような人が出てきて大騒ぎする土壌も素晴らしいと思う。日本では考えられないことだ。そしてなにより、私が愛するロックンロールはアメリカ産の文化なのだ。嫌いになれるはずがない。
アメリカにはいつか、時間をかけてゆっくり行ってみたい。NYやLAはむろんのこと、シスコやシカゴ、ボストンにテキサスなど、行ってみたいところはたくさんある。
それと、インドはけっこう時間をかけて行ったけれど(半年)、また行ってみたいと思っている。私が行ったころとは国力がちがうだろう。経済発展を遂げつつあるインドがどう変わっているのか、またどう変わっていないのかに、とても興味がある。
2007年3月23日
子どもを使った車爆弾
イラクで、車に子供を乗せて米兵を油断させ、子供もろとも爆破する「車爆弾テロ」があったらしい。
子供使った車爆弾テロ 米軍、新戦術と警戒 イラク
http://www2.asahi.com/special/iraq/JJT200703210014.html
そこまでやるか、とまず思った。子どもを囮に使ってまで貫かねばならぬ正義とは何だ。
その後、感情の行き先に困った。こういう場合、第三者は怒るべきなのか、嘆くべきなのか。怒るとするなら誰に怒るのか。悪事が行われている、それは事実だ。で、本当に悪い奴はどいつなんだ?
テレビのアナウンサーなら、一刻も早く平和になって欲しいですね、というだろう。そんなもん何も言ってないのと同じなのだ。
子供使った車爆弾テロ 米軍、新戦術と警戒 イラク
http://www2.asahi.com/special/iraq/JJT200703210014.html
そこまでやるか、とまず思った。子どもを囮に使ってまで貫かねばならぬ正義とは何だ。
その後、感情の行き先に困った。こういう場合、第三者は怒るべきなのか、嘆くべきなのか。怒るとするなら誰に怒るのか。悪事が行われている、それは事実だ。で、本当に悪い奴はどいつなんだ?
テレビのアナウンサーなら、一刻も早く平和になって欲しいですね、というだろう。そんなもん何も言ってないのと同じなのだ。
2007年3月22日
きばれよ、笑い飯
笑い飯のトランジスタラジオくんが来週で終わるらしい。
私は深夜ラジオを聞く習慣がないので、ラジオ本編の方は聞いたことがないのだが、それとは別に毎週ポッドキャストで配信される放送はいつも楽しみにしていた。

たぶん終了は本人たちが望んだことではないだろう。昨年のM1でイマイチふるわなかったことが、影を落としているのだろうな。放送の内容も(あくまでポッドキャストだけで判断するしかないが)、だんだん面白味がなくなっていったように思う。
以前は「世界の国」という、国名を毎週アイウエオ順にあげていって、その国に関してあることないこと好き勝手しゃべる、というネタをやっていて、これはすごく面白かったのだけど、それが終わったあたりから、次第にトーンダウンしたようなイメージがある。baseよしもとに出演しているマイジャー芸人のゲストを呼んで、楽屋オチみたいなネタを話すのは、本人たちは楽しいかもしれないが、リスナーとしては決して楽しいものではなかった。
彼らの漫才ネタは時事ネタとか一切なくて、老若男女すべてが笑える一般性を持っているのだけど(そのあたり、『エンタの神様』に出演している芸人未満どもとは雲泥の差がある)、ことラジオに関しては、そういう一般性を意識できていなかったのではないか。吉本の若手芸人がカルトな人気を持っていて、そういう人たちばかり注目するお笑いファンもいるのは知っているけれど、そうしたカルト・ファンにしかアピールしない放送内容は、やはり退屈というほかなかった。
深夜ラジオこそ聞いていなかったけれど、私はきわめて熱心な彼らのファンである。Youtubeにあがったネタは全部ダウンロードして保存してあるし、テレビ出演はこまめにチェックして欠かさず見ている。だが、ここんとこテレビで見る彼らのネタは、今ひとつ精彩に欠けているような気がしてならない。先週放映された『爆笑レッドカーペット』はなかなかふるっていて、久々に溜飲を下げたけれども、正月以降放映された漫才番組でのネタは、「うーん……」なものが多かった。いや、面白いんだけどね、でも笑い飯ならもっとさあ……と感じてしまうような。ひょっとすると、スランプなのではなかろうか、と心配してしまう。
ダブルボケ/ダブルツッコミという彼らのスタイルの爆発力は、とんでもないものがある。「奈良県立歴史民族博物館」や「ワシントン」などのネタは、何度見ても笑える。もう100回ぐらい見てると思うのだが、飽きるということがないのだ。「くだらないこと」「しょうもないこと」にたいする彼らの観察眼の鋭さと、独特のリズム感に笑わされてしまうのだろう。
バラエティとかイケるタイプでもないし、ここから一皮むけるのはたぶん、苦労するだろう。それは本人たちがいちばん感じているはずだ。切磋琢磨して新ネタをつくり、なんとか突破口を開いて欲しい。それができるだけの力は間違いなくあるんだから。俺はもっと笑い飯をテレビで見たいんだよ。
私は深夜ラジオを聞く習慣がないので、ラジオ本編の方は聞いたことがないのだが、それとは別に毎週ポッドキャストで配信される放送はいつも楽しみにしていた。

たぶん終了は本人たちが望んだことではないだろう。昨年のM1でイマイチふるわなかったことが、影を落としているのだろうな。放送の内容も(あくまでポッドキャストだけで判断するしかないが)、だんだん面白味がなくなっていったように思う。
以前は「世界の国」という、国名を毎週アイウエオ順にあげていって、その国に関してあることないこと好き勝手しゃべる、というネタをやっていて、これはすごく面白かったのだけど、それが終わったあたりから、次第にトーンダウンしたようなイメージがある。baseよしもとに出演しているマイジャー芸人のゲストを呼んで、楽屋オチみたいなネタを話すのは、本人たちは楽しいかもしれないが、リスナーとしては決して楽しいものではなかった。
彼らの漫才ネタは時事ネタとか一切なくて、老若男女すべてが笑える一般性を持っているのだけど(そのあたり、『エンタの神様』に出演している芸人未満どもとは雲泥の差がある)、ことラジオに関しては、そういう一般性を意識できていなかったのではないか。吉本の若手芸人がカルトな人気を持っていて、そういう人たちばかり注目するお笑いファンもいるのは知っているけれど、そうしたカルト・ファンにしかアピールしない放送内容は、やはり退屈というほかなかった。
深夜ラジオこそ聞いていなかったけれど、私はきわめて熱心な彼らのファンである。Youtubeにあがったネタは全部ダウンロードして保存してあるし、テレビ出演はこまめにチェックして欠かさず見ている。だが、ここんとこテレビで見る彼らのネタは、今ひとつ精彩に欠けているような気がしてならない。先週放映された『爆笑レッドカーペット』はなかなかふるっていて、久々に溜飲を下げたけれども、正月以降放映された漫才番組でのネタは、「うーん……」なものが多かった。いや、面白いんだけどね、でも笑い飯ならもっとさあ……と感じてしまうような。ひょっとすると、スランプなのではなかろうか、と心配してしまう。
ダブルボケ/ダブルツッコミという彼らのスタイルの爆発力は、とんでもないものがある。「奈良県立歴史民族博物館」や「ワシントン」などのネタは、何度見ても笑える。もう100回ぐらい見てると思うのだが、飽きるということがないのだ。「くだらないこと」「しょうもないこと」にたいする彼らの観察眼の鋭さと、独特のリズム感に笑わされてしまうのだろう。
バラエティとかイケるタイプでもないし、ここから一皮むけるのはたぶん、苦労するだろう。それは本人たちがいちばん感じているはずだ。切磋琢磨して新ネタをつくり、なんとか突破口を開いて欲しい。それができるだけの力は間違いなくあるんだから。俺はもっと笑い飯をテレビで見たいんだよ。
2007年3月19日
おまえらの方が
どういうわけか今頃になって、米議会が元従軍慰安婦への謝罪要求決議案を出してきた。これはかの国でけっこう話題になったらしく、雑誌なんかにも大きく取り上げられたらしい。日本政府は対応にてんやわんやである。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070308dde007030048000c.html
たぶん、安倍のタカ派的言動は、アメリカでも警戒されているのだ。早い話が、出そうな釘は出る前に打て、てなもんで、インネンつけて牽制してるわけである。われわれが考える以上に、アメリカ人は日本人を恐れている、ということかもしれない。
まあ韓国や中国が騒ぐならともかく、アメリカ様がそうおっしゃってるわけだから、安倍は河野談話のとおりでございますとのたまうしかない。忸怩たるものがあるだろうなあ、たぶん。
強制連行があったか、なかったかについては、正直よくわからない。戦争とは狂気だから、あってもおかしくないとは思う。あったからといって、それがどれほどのもんなんだ、というのが「戦争を知らない世代」である自分の正直な気持ちである。
くちばしとんがらして従軍慰安婦に謝れとか言ってる奴らの祖先は、新大陸の原住民を殺しまくって絶滅に追い込み、そこに黒人奴隷を山ほど連れてきて強制労働させてた連中じゃん。おまえらの方が鬼畜なんだよ――という首相談話を発表するという選択肢がないのが残念なだけだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070308dde007030048000c.html
たぶん、安倍のタカ派的言動は、アメリカでも警戒されているのだ。早い話が、出そうな釘は出る前に打て、てなもんで、インネンつけて牽制してるわけである。われわれが考える以上に、アメリカ人は日本人を恐れている、ということかもしれない。
まあ韓国や中国が騒ぐならともかく、アメリカ様がそうおっしゃってるわけだから、安倍は河野談話のとおりでございますとのたまうしかない。忸怩たるものがあるだろうなあ、たぶん。
強制連行があったか、なかったかについては、正直よくわからない。戦争とは狂気だから、あってもおかしくないとは思う。あったからといって、それがどれほどのもんなんだ、というのが「戦争を知らない世代」である自分の正直な気持ちである。
くちばしとんがらして従軍慰安婦に謝れとか言ってる奴らの祖先は、新大陸の原住民を殺しまくって絶滅に追い込み、そこに黒人奴隷を山ほど連れてきて強制労働させてた連中じゃん。おまえらの方が鬼畜なんだよ――という首相談話を発表するという選択肢がないのが残念なだけだ。
2007年3月6日
とつぜん思い出した分かれ道
ふと、思い出した。これまで、一度も回想したことのなかった記憶である。
大学に入学してすぐぐらいの頃だろう、アルバイトの面接に行った。場所は新宿歌舞伎町。寿司屋の出前のバイトだった。求人は、リクルート刊の雑誌に載っていたものと記憶している。時給は、1500円だった。
当時はバブルまっさかりであったから、ひょっとすると今より学生バイトの給料は高かったのかもしれない。それにしても、時給1500円は破格であった。コンビニの深夜店員が900円台、飲食店が800円台というのが、当時の相場だったように思う。
結論から言うと、私はそのバイトをやらなかったのだ。理由は覚えていない。求人がいっぱいでもう決まっちゃっていたのか、出前のバイトだから原付免許とかが必要だったのか、それとも面接だけで行くのがイヤになっちゃったのか、まるで覚えていないのだが、やってないことだけはたしかである。
大学に入りたて、上京して2年目である。1年目は浪人生だったから、バイトなんかしてなかった。世間知らずである。
歌舞伎町で時給1500円の寿司屋のバイトを、怪しいともなんとも思わなかった。
じつは、怪しいバイトだなあ、と思ったのは今日、ふと思い出してはじめて思ったのである。いったい、どこに寿司を運ぶ仕事だったのだろう? 会員制の危険な匂いのするクラブだの、オカマがやってるバーだのはまだいい方で、ヤクザの事務所なんかも、当然、配達先に入っていただろう。なんてったって歌舞伎町なのである。
あのとき、寿司屋の出前をやっていたら、たぶん今とはだいぶちがった人生を送っていただろう。そんな気がする。
それにしても、なんだって急にこんなことを思い出したんだろう。今まで、思い出したことなんかなかったのに。
大学に入学してすぐぐらいの頃だろう、アルバイトの面接に行った。場所は新宿歌舞伎町。寿司屋の出前のバイトだった。求人は、リクルート刊の雑誌に載っていたものと記憶している。時給は、1500円だった。
当時はバブルまっさかりであったから、ひょっとすると今より学生バイトの給料は高かったのかもしれない。それにしても、時給1500円は破格であった。コンビニの深夜店員が900円台、飲食店が800円台というのが、当時の相場だったように思う。
結論から言うと、私はそのバイトをやらなかったのだ。理由は覚えていない。求人がいっぱいでもう決まっちゃっていたのか、出前のバイトだから原付免許とかが必要だったのか、それとも面接だけで行くのがイヤになっちゃったのか、まるで覚えていないのだが、やってないことだけはたしかである。
大学に入りたて、上京して2年目である。1年目は浪人生だったから、バイトなんかしてなかった。世間知らずである。
歌舞伎町で時給1500円の寿司屋のバイトを、怪しいともなんとも思わなかった。
じつは、怪しいバイトだなあ、と思ったのは今日、ふと思い出してはじめて思ったのである。いったい、どこに寿司を運ぶ仕事だったのだろう? 会員制の危険な匂いのするクラブだの、オカマがやってるバーだのはまだいい方で、ヤクザの事務所なんかも、当然、配達先に入っていただろう。なんてったって歌舞伎町なのである。
あのとき、寿司屋の出前をやっていたら、たぶん今とはだいぶちがった人生を送っていただろう。そんな気がする。
それにしても、なんだって急にこんなことを思い出したんだろう。今まで、思い出したことなんかなかったのに。
2007年1月23日
保守的な、あまりに保守的な(ヘッドホン購入記)
毎日使っているヘッドホンが壊れて、新しいのを買いに行った。
昨年夏ぐらいだろうか、ウチの餓鬼に踏みつけられて崩壊の兆しを見せて以来、修繕できるところは修繕しつつ、だましだまし使っていたのだが、ついに完全にオシャカになってしまったのである。
ヘッドホンは私にとって、生活必需品である。こいつがないと、普段から情緒不安定な人間が、ますます情緒不安定になってしまう。したがって、壊れた以上はすぐさま次のヘッドホンを購入しに行かなければならない。寸毫の空白も許されないのだ、ことは死活問題なんだから。
私はさっそく、ビッグカメラ池袋本店におもむいた。
ヘッドホン購入にあたっては、2つの条件がある。こいつをクリアした商品でなければ、私のヘッドホンとなる資格はない。
1,毎日持ち歩くものなので、頑丈で壊れにくく、コンパクトであること
2,ある程度の音質で再生できること
ヘッドホンは高音質を望めばいくらでもいいものが手に入るけれども、そういうのはたいがい室内用なので、でかくて持ち運びに不便である。また、室内用はつくりが華奢なので、「壊れにくい」という条件をクリアすることができない。
さらに、音質はほどほどによくなければ困るのだ。安っぽいペナペナの音では、情緒不安定が助長されてしまうではないか。
したがって、選択肢は意外に狭い。上記2つの条件をクリアできるヘッドホンは、DJ用のやつしかないのだ。
DJ用ヘッドホンも各社いろいろ出てるけれども、ビッグカメラ池袋本店で試聴できて、なおかつ当日の持ち帰りが可能なものとなると、選択肢は限られてくる。何度も言うけど、情緒不安定になっちゃうんだから、今日買って今日聴けなきゃ困るのだ。
いくつか試聴してみて、最終的に候補に残ったのは、以下の2機種であった。
MDR-Z700DJ(ソニー)
http://www.ecat.sony.co.jp/avacc/headphone/acc/index.cfm?PD=826&KM=MDR-Z700DJ
RP-DH1200 (松下/テクニクス)
http://prodb.matsushita.co.jp/product/info.do?pg=04&hb=RP-DH1200
じつは、壊れたヘッドホンというのは、ソニーのMDR-Z700DJなのである。つまり、同じものを買うか、新しいものを買うかという選択を迫られたのだ。
この2つ、同じ価格帯なのだけれど、音質はまるでちがう。むろん、「ある程度の音質」という上記の条件をクリアした機種だから、いずれもイイ音で再生してくれる。だが、文字どおり「音の質」がまるでちがっているのだ。
ソニーの方は、低音の再生に重点が置かれ、音像が安定している。だが、そのぶん音が奥まって聞こえる難点があった。一方、松下の方は、音の分離がよくクリアだが、反面、キンキンして耳障りな感じがある。
どっちにするかさんざん迷い、何度も交互に試聴したあげく、結局ソニーのものを買ってしまった。要は、壊れたやつと同じものを買ったわけである。今考えると、試聴用の音源がスピッツだったことが、この選択に大きな影響を及ぼしているような気がする。1時間ぐらいスピッツ聴いてたぜ、俺。こんな経験ははじめてだ。
購入したての新ヘッドホンで最初に再生したのは、アイズレー・ブラザース1973年のアルバム『3+3』。ビリビリ来る破天荒なファズ・ギターとファンキーかつメロディアスな楽曲の組み合わせは、時折ムショーに聴きたくなるのである。今日がたまたまその日に当たっていたというわけだ(私は未だにポータブルCDプレイヤーを持ち歩いているので、音楽を聴くときは依然としてアルバム単位である)。
新ヘッドホンは、新しいので多少密閉率がいいものの、昨日までとまったく同じ音で『3+3』を再生した。
同じ製品なんだから当たり前なんだけど、ちょっとさみしかった。「ザット・レディ」のビリビリ・ファズを松下のクリアなヘッドホンで聴きたかったなあ。まさに絢爛という感じだろうなあ、などと思うと、選択を大きく誤ったような気がしてくる。……まあ、こんなのは今思うだけなんですけどね。
長期にわたって使うものだから、耳障りでない安定した音質のものを、と考えてソニーにしたのだ。その選択に誤りはなかったとは思っている。だが、さんざん迷って前と同じものを買うあたりに、私個人のケチな保守性が見え隠れしてるような気がして、なんとなくケツの座りが悪いのであった。
さて、今度のヘッドホンは何年保つかなあ。
昨年夏ぐらいだろうか、ウチの餓鬼に踏みつけられて崩壊の兆しを見せて以来、修繕できるところは修繕しつつ、だましだまし使っていたのだが、ついに完全にオシャカになってしまったのである。
ヘッドホンは私にとって、生活必需品である。こいつがないと、普段から情緒不安定な人間が、ますます情緒不安定になってしまう。したがって、壊れた以上はすぐさま次のヘッドホンを購入しに行かなければならない。寸毫の空白も許されないのだ、ことは死活問題なんだから。
私はさっそく、ビッグカメラ池袋本店におもむいた。
ヘッドホン購入にあたっては、2つの条件がある。こいつをクリアした商品でなければ、私のヘッドホンとなる資格はない。
1,毎日持ち歩くものなので、頑丈で壊れにくく、コンパクトであること
2,ある程度の音質で再生できること
ヘッドホンは高音質を望めばいくらでもいいものが手に入るけれども、そういうのはたいがい室内用なので、でかくて持ち運びに不便である。また、室内用はつくりが華奢なので、「壊れにくい」という条件をクリアすることができない。
さらに、音質はほどほどによくなければ困るのだ。安っぽいペナペナの音では、情緒不安定が助長されてしまうではないか。
したがって、選択肢は意外に狭い。上記2つの条件をクリアできるヘッドホンは、DJ用のやつしかないのだ。
DJ用ヘッドホンも各社いろいろ出てるけれども、ビッグカメラ池袋本店で試聴できて、なおかつ当日の持ち帰りが可能なものとなると、選択肢は限られてくる。何度も言うけど、情緒不安定になっちゃうんだから、今日買って今日聴けなきゃ困るのだ。
いくつか試聴してみて、最終的に候補に残ったのは、以下の2機種であった。
MDR-Z700DJ(ソニー)
http://www.ecat.sony.co.jp/avacc/headphone/acc/index.cfm?PD=826&KM=MDR-Z700DJ
RP-DH1200 (松下/テクニクス)
http://prodb.matsushita.co.jp/product/info.do?pg=04&hb=RP-DH1200
じつは、壊れたヘッドホンというのは、ソニーのMDR-Z700DJなのである。つまり、同じものを買うか、新しいものを買うかという選択を迫られたのだ。
この2つ、同じ価格帯なのだけれど、音質はまるでちがう。むろん、「ある程度の音質」という上記の条件をクリアした機種だから、いずれもイイ音で再生してくれる。だが、文字どおり「音の質」がまるでちがっているのだ。
ソニーの方は、低音の再生に重点が置かれ、音像が安定している。だが、そのぶん音が奥まって聞こえる難点があった。一方、松下の方は、音の分離がよくクリアだが、反面、キンキンして耳障りな感じがある。
どっちにするかさんざん迷い、何度も交互に試聴したあげく、結局ソニーのものを買ってしまった。要は、壊れたやつと同じものを買ったわけである。今考えると、試聴用の音源がスピッツだったことが、この選択に大きな影響を及ぼしているような気がする。1時間ぐらいスピッツ聴いてたぜ、俺。こんな経験ははじめてだ。
購入したての新ヘッドホンで最初に再生したのは、アイズレー・ブラザース1973年のアルバム『3+3』。ビリビリ来る破天荒なファズ・ギターとファンキーかつメロディアスな楽曲の組み合わせは、時折ムショーに聴きたくなるのである。今日がたまたまその日に当たっていたというわけだ(私は未だにポータブルCDプレイヤーを持ち歩いているので、音楽を聴くときは依然としてアルバム単位である)。
新ヘッドホンは、新しいので多少密閉率がいいものの、昨日までとまったく同じ音で『3+3』を再生した。
同じ製品なんだから当たり前なんだけど、ちょっとさみしかった。「ザット・レディ」のビリビリ・ファズを松下のクリアなヘッドホンで聴きたかったなあ。まさに絢爛という感じだろうなあ、などと思うと、選択を大きく誤ったような気がしてくる。……まあ、こんなのは今思うだけなんですけどね。
長期にわたって使うものだから、耳障りでない安定した音質のものを、と考えてソニーにしたのだ。その選択に誤りはなかったとは思っている。だが、さんざん迷って前と同じものを買うあたりに、私個人のケチな保守性が見え隠れしてるような気がして、なんとなくケツの座りが悪いのであった。
さて、今度のヘッドホンは何年保つかなあ。
2007年1月14日
コナン・ドイルの妖精写真
調べ物をしていたら、こんな写真を見つけた。わりと有名な写真だから、知ってる人も多いかもしれない。

「コティングリーの妖精写真」と呼ばれる写真で、1916年、イギリスはブラッドフォード近くのコティングリー村に住む幼い女の子が撮影したものである。
こうしたものに目の肥えた我々は、この写真がチャチな捏造だとすぐさま見抜くことができる。じっくり調査するまでもなく、見るからにニセモノではないか。
ところが、かのシャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルがこれを妖精実在の根拠として大きく取り上げたことから、この写真はかなり長期にわたってイギリスのモノ好きたちの間で論議の的になったという。
詳細はここに譲るが、面白い話だと思う。
20世紀初頭の人々にとっていかに写真が新しいメディアであったかとか、コナン・ドイルのような一流の文化人の発言がいかに影響力を持っていたかとか、いろいろ興味深いことも多いけれど、もっとも興味を惹くのは、コナン・ドイルという人の妄想力のたくましさである。
晩年のドイルは心霊研究に没頭していたというが、これをホンモノだと信じさせたのは、あのシャーロック・ホームズを生み出したイマジネーションと同じものなのだ。

「コティングリーの妖精写真」と呼ばれる写真で、1916年、イギリスはブラッドフォード近くのコティングリー村に住む幼い女の子が撮影したものである。
こうしたものに目の肥えた我々は、この写真がチャチな捏造だとすぐさま見抜くことができる。じっくり調査するまでもなく、見るからにニセモノではないか。
ところが、かのシャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルがこれを妖精実在の根拠として大きく取り上げたことから、この写真はかなり長期にわたってイギリスのモノ好きたちの間で論議の的になったという。
詳細はここに譲るが、面白い話だと思う。
20世紀初頭の人々にとっていかに写真が新しいメディアであったかとか、コナン・ドイルのような一流の文化人の発言がいかに影響力を持っていたかとか、いろいろ興味深いことも多いけれど、もっとも興味を惹くのは、コナン・ドイルという人の妄想力のたくましさである。
晩年のドイルは心霊研究に没頭していたというが、これをホンモノだと信じさせたのは、あのシャーロック・ホームズを生み出したイマジネーションと同じものなのだ。
2007年1月12日
Since You've been Gone

昨年末にジェームス・ブラウンが亡くなった。
ニュースを聞いて驚きはしたけれど、いまだに現実感がもてないでいる。明日にでも次の来日公演の日程が発表されそうな気がするのだ。こういうと冷たいようだけれど、外タレの死なんて、そんなもんなのかもしれない。
現実感が持てない理由はもうひとつある。昨年の3月、私はJBの芸能生活50周年を記念する来日公演を目にしているのだ。
JBはとにかく、とても元気だった。70歳を越える病み上がりの老人(彼は一昨年、ガンの手術をしたばかりだった)とはとても思えないほど、パワーがあった。
「JBが死ぬ前に、一度見ておこう」というような消極的な理由から行ったコンサートだったから、ぜんぜん期待していなかったのだけれど、凄いパフォーマンスを見せつけられた。文字どおり、度肝を抜かれたのである。
そのコンサート鑑賞記を、私は下記に記している。
JB最後の日本公演レポート「生ける伝説を見た」
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10009813729.html
このコンサートを見た後、私は確信をもったのである。JBはあと二、三回は来日できるだろう、と。この爺さんは殺しても死なねえ。そう思ったのだ。
でも、どうやらそういうことでもなかったらしい。JB自身は、「もう日本には来られない」と語っていたそうなのだ。JBが亡くなってしばらくして、そういう情報が入ってきた。
上のコンサート・レポートにも書いているけれど、JBはこの最後の来日公演において、ショーの中盤、ステージ上に黒いドレスを着た翻訳者を呼び出して、自分の言葉を同時通訳させている。それは、こんな言葉だった。
「今、この時間にも、戦争でたくさんの命が失われています。今、私たちに必要なことは、『愛する』ということです。さあ、あなたの右隣の人に『愛してます』と伝えてください。それが終わったら、左隣の人に、『愛してます』と伝えてください」
JBは私にとって神様みたいなもんだから、もちろん呼びかけに従ったけれど、ちょっと照れくさかったのを覚えている。
それと同時に、大いに感動もした。JBは60年代・70年代を通じて、アフロ・アメリカンのオピニオン・リーダーであり、メッセージ・メイカーだった人である。70歳を越えてもJBがJBであり続け、メッセージを発し続けているというのは、正直、驚きだった。伝説のJBは生きていたのだ。
私はてっきり、このくだりはあのマント・ショーと同じように、彼がコンサートの通過儀礼として毎回のようにおこなっているのだと思っていた。でも、どうやらそういうことではなかったらしい。
初来日以来、JBの来日公演を見続けた熱心なファンの方が、同じ日の公演を見て、次のように記している。
「曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。
だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。」
http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_12.html
JBは明らかに、あのコンサートが最後の日本公演になることを、意識していたのである。そして、日本のファンに向けて、最後のメッセージを伝えていったのだ。どうしても伝えたかったから、ショーの流れが多少悪くなっても、ステージに翻訳者を呼び寄せたりしたのである。
「あなたの隣にいる人を愛しなさい」なんて、笑っちゃうようなベタベタなメッセージではあるけれど、いわば遺言として語られた言葉だったとすれば、これは重い。大切にしていかなければならないな、と思っている。
最初に書いたけど、JBが死んだということがどういうことなのか、未だに整理できていない。現実感もまるでない。でもみなさん、隣人を愛しましょうね。それがJBの遺志だから。
なお、上記のブログで、JBの臨終の様子がレポートされている。リトル・リチャード、スヌープ・ドッグ、ミック・ジャガー、そしてブッシュ大統領が弔辞を捧げたそうだ。
http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_12_27.html
2007年1月8日
トリヴィア2本
もともとマニア気質だから、一般性のないことばかりよく知っていて、常識に属することをまるで知らなかったりする。
最近、また一般性のない知識をふたつ得た。偶然にも両方ともロック・トリヴィアである。どちらも、知ったときには思わず「へえー」と口走ってしまったのだが、残念ながら伝える相手がいない。一般性がなさすぎて。
でも、こういうことは誰かに伝えないと忘れてしまうから、書きつけておこう。
1,トニー・ヴィスコンティーの奥さんは、メリー・ホプキンである。(へえー!)
2,クリス・トーマスの奥さんは、サディスティック・ミカ・バンドのミカちゃんである。(へえー!)
2の方はなるほどね、だったけど、1の方はけっこう驚いた。
どうでもいいけど、このブログ、木のうろみたいになってきてるな、最近。そのうち、「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶようになるかもしれぬ。
*この記事アップ後、以下のご指摘を受けました。
1は1981年に離婚。2は結婚まで行かなかったそうです。
どちらも音楽関係の書籍からの情報だったのですが、間違ってんじゃねえかよ。ったく。
正しい情報はこちら。
1,メリー・ホプキン
2,福井ミカ
最近、また一般性のない知識をふたつ得た。偶然にも両方ともロック・トリヴィアである。どちらも、知ったときには思わず「へえー」と口走ってしまったのだが、残念ながら伝える相手がいない。一般性がなさすぎて。
でも、こういうことは誰かに伝えないと忘れてしまうから、書きつけておこう。
1,トニー・ヴィスコンティーの奥さんは、メリー・ホプキンである。(へえー!)
2,クリス・トーマスの奥さんは、サディスティック・ミカ・バンドのミカちゃんである。(へえー!)
2の方はなるほどね、だったけど、1の方はけっこう驚いた。
どうでもいいけど、このブログ、木のうろみたいになってきてるな、最近。そのうち、「王様の耳はロバの耳!」って叫ぶようになるかもしれぬ。
*この記事アップ後、以下のご指摘を受けました。
1は1981年に離婚。2は結婚まで行かなかったそうです。
どちらも音楽関係の書籍からの情報だったのですが、間違ってんじゃねえかよ。ったく。
正しい情報はこちら。
1,メリー・ホプキン
2,福井ミカ
2007年1月1日
コロンボ・ファンのつぶやき
毎年、年の瀬になると、深夜『刑事コロンボ』がテレビ放映される。
したがって、コロンボ・ファンは毎年、正月番組に興味がなくても、テレビ番組表を目を皿のようにして眺めなければならないのである。
最近はネットでテレビ番組表が検索できるから、簡単に放映日時を知ることができる。また、mixiのコミュニティとかで、同好の士が放映を知らせてくれる。便利な時代になったもんである。
『刑事コロンボ』には、大きくわけてふたつのシリーズがある。
ひとつは、70年代に制作されたシリーズ。これが全部で45作ある。もうひとつは、89年から断続的に制作されている『新・刑事コロンボ』のシリーズで、目下23作ある。
70年代の方は、現在は視聴がきわめて容易である。全話収録のDVDボックスが市販されているし、レンタル・ショップにはたいがい、全巻揃っている。あのスピルバーグの監督作『構想の死角』をふくめ、傑作の多いシリーズで、なんとなく元気がないときには、見ることにしている。不思議なもんで、ピーター・フォークの顔を見てると癒されるのである。子どもの頃から好きだったからかもしれない。
厄介なのが、新シリーズの方だ。昔はVHSが数点リリースされていたようだが、DVD化は未だ、成されていない。
まあ、気持ちはわかる。新シリーズはファンである私が見ても首をかしげたくなるような趣向のものが多いし、ピーター・フォークはオッサンを通り越してすっかり爺さんである。ソフト化しても売れるとは思えない。
そうするというと、新シリーズを視聴するためには、地道にテレビ放映を待つほかはない、ということになってくるのである。
とはいえ、所詮、深夜の映画ワクなんか、テレビ局も穴埋め程度にしか考えていない。すべてのストーリーをまんべんなく放映してくれたりしないのである。同じ話を何度も放映するわりに、いっこうに放映されない話があったりする。昔見てもう一度見たいストーリーや、まだ見たことのないストーリーが沢山あるんだけど、なかなかやらないんだよね、これが。
さて、去年の大晦日、正確には日付が変わって今年になった時間に、新シリーズの1本『殺意のナイトクラブ』が放映された。
目下のところ、シリーズ最新作である。制作は2003年。前述のとおり、すっかり爺さんになったピーター・フォークが、なんとレイヴ・パーティーの主催者を追い詰めるというストーリーであった。BGMもテクノである。時代ですなあ。
コロンボ・シリーズは、例の「ウチのカミさんが……」というセリフに見られるがごとく、吹き替えの妙がウリのひとつだったりするのだけれど、今回は字幕での放映。そのあたりにこのシリーズに吹きすさぶ冷たい風を感じたりもしたけれど、若い脚本家/監督が手がけた作品らしく、きわめて現代的でスピーディーな倒叙ミステリーを堪能することができた。新シリーズの中では、かなり出来のいい部類に属するのではないだろうか。
で、何が言いたいかというと、「テレビ局さん、『新・刑事コロンボ』放映してください」に尽きる。
まあ、こんなところで訴えたところで届かないでしょうけど……。
したがって、コロンボ・ファンは毎年、正月番組に興味がなくても、テレビ番組表を目を皿のようにして眺めなければならないのである。
最近はネットでテレビ番組表が検索できるから、簡単に放映日時を知ることができる。また、mixiのコミュニティとかで、同好の士が放映を知らせてくれる。便利な時代になったもんである。
『刑事コロンボ』には、大きくわけてふたつのシリーズがある。
ひとつは、70年代に制作されたシリーズ。これが全部で45作ある。もうひとつは、89年から断続的に制作されている『新・刑事コロンボ』のシリーズで、目下23作ある。
70年代の方は、現在は視聴がきわめて容易である。全話収録のDVDボックスが市販されているし、レンタル・ショップにはたいがい、全巻揃っている。あのスピルバーグの監督作『構想の死角』をふくめ、傑作の多いシリーズで、なんとなく元気がないときには、見ることにしている。不思議なもんで、ピーター・フォークの顔を見てると癒されるのである。子どもの頃から好きだったからかもしれない。厄介なのが、新シリーズの方だ。昔はVHSが数点リリースされていたようだが、DVD化は未だ、成されていない。
まあ、気持ちはわかる。新シリーズはファンである私が見ても首をかしげたくなるような趣向のものが多いし、ピーター・フォークはオッサンを通り越してすっかり爺さんである。ソフト化しても売れるとは思えない。
そうするというと、新シリーズを視聴するためには、地道にテレビ放映を待つほかはない、ということになってくるのである。
とはいえ、所詮、深夜の映画ワクなんか、テレビ局も穴埋め程度にしか考えていない。すべてのストーリーをまんべんなく放映してくれたりしないのである。同じ話を何度も放映するわりに、いっこうに放映されない話があったりする。昔見てもう一度見たいストーリーや、まだ見たことのないストーリーが沢山あるんだけど、なかなかやらないんだよね、これが。
さて、去年の大晦日、正確には日付が変わって今年になった時間に、新シリーズの1本『殺意のナイトクラブ』が放映された。
目下のところ、シリーズ最新作である。制作は2003年。前述のとおり、すっかり爺さんになったピーター・フォークが、なんとレイヴ・パーティーの主催者を追い詰めるというストーリーであった。BGMもテクノである。時代ですなあ。
コロンボ・シリーズは、例の「ウチのカミさんが……」というセリフに見られるがごとく、吹き替えの妙がウリのひとつだったりするのだけれど、今回は字幕での放映。そのあたりにこのシリーズに吹きすさぶ冷たい風を感じたりもしたけれど、若い脚本家/監督が手がけた作品らしく、きわめて現代的でスピーディーな倒叙ミステリーを堪能することができた。新シリーズの中では、かなり出来のいい部類に属するのではないだろうか。
で、何が言いたいかというと、「テレビ局さん、『新・刑事コロンボ』放映してください」に尽きる。
まあ、こんなところで訴えたところで届かないでしょうけど……。
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